「みのりとアトピー」 畑中 敦子・みのり 1歳 みのりは平成13年9月22日、我が家の第二子、待望の女の子として誕生しました。生後1ヶ月頃から乳児湿疹が出たものの、あまりひどくはならず治りました。長男のほうが乳児湿疹がひどかったので、みのりはアレルギーも軽そうだと、勝手に思い込んで安心しておりました。というのも、私自身、生まれた頃からアレルギー性皮膚炎、結膜炎、鼻炎、結婚してからは主婦湿疹とどれも重症ではないものの、常にアレルギー疾患を抱えている状態でした。ですから、妊娠中も卵を控え、牛乳はあたため、今思うと全然関係のない努力を一生懸命しておりました。また、長男はヨダレあれがひどく、いつも口の周りが赤くただれていました。しかし、食物アレルギーはなく”アトピー”ではないと勝手に思っていました。 1歳を過ぎると皮膚もきれいになり、やっぱりアトピーじゃなかったとほっとしたのを覚えています。今思うと、立派なアトピーなのですが・・・。母親としては”アトピー”という病名は聞きたくないものですからね。でも、結論が先に来てしまいますが、”アトピー”なんて治るんだし、生死にかかわらないし今ではちっとも怖くありません。むしろ、もっと重篤な病気にかかってしまうことを思うと”アトピーで済んでラッキー”なのかもしれません。なんせ、治るのですから・・・。このように思わせてもらえるのも、松本先生に出会ったお陰だと深く感謝しております。 さて、本題に戻りたいと思います。みのりが7ヶ月のある日、おやつにバナナヨーグルトを食べさせました。ヨーグルトはそれまでにも何度か食べていましたが、バナナは初めてでした。あまりおいしそうに食べるので、5cmほど食べたでしょうか?その後お昼寝をし、起きてきた直後、いきなり吐いてしまいました。突然のことにびっくりし、初めてなのに5cmもバナナを食べさせたことを反省、2人目といえどもひとさじづつ与えなくっちゃ・・・と、まさかこれがアレルギーだとは思っても見ませんでした。ところが、見る見るうちに体中に蕁麻疹がボコボコではじめ、娘は泣き叫ぶし、ひょっとしてアレルギー?ショックとか起こしたらどうしよう・・・と思い、あわてて近くの病院へ連れて行きました。先生からは「食物アレルギーです。何か思い当たるものは?」と聞かれ事の次第を説明し、血液検査をして帰りました。このとき、抗アレルギー剤の飲み薬と蕁麻疹用の塗り薬を出されました。「これでも良くならなかったら、ステロイドを使いましょう。用法さえきちんと守れば何も怖い薬じゃないですよ」と言われ、(ステロイドは絶対塗りたくない)と強く強く思いました。というのも、私自身がいろんな皮膚科を転々とし、結局ステロイドでは治らないことが分かっていたし、また大きな副作用があることも聞いていたからです。しかし、抗アレルギー剤にも副作用があるなんていざ知らず、せっせと飲ませておりました。血液検査の結果は、バナナ、カゼイン、卵白にアレルギーがあるとのこと。母乳で育てていたので、私も控えるようにしました。幸いにもどれもそんなに数値が高くなかったので、そんなにきつい制限ではありませんでしたが、油断して食べてしまうと、すぐに娘の顔に出るといった状態でした。しかし、制限するとすぐにきれいになり、ずーーっとジクジクしていた首もきれいに治ってしまいました。このとき、(ひょっとして長男もアトピーだったのかも)と思いました。私が、アレルギーで苦労していなかったら、この話はここで終わりになっていたと思います。しかし、今はよくなっても、この先みのりが私のような苦労をずーーっとしていくのかと思うとなんとかしてやれないものかと、必死でインターネットでいろんな情報を集めてみました。そこで、この松本医院のページを見つけたのです。”完治します”この言葉にすごく感動しました。なぜなら、アレルギー疾患が完治するなんて思いもよらなかったことですから・・・。一生、付き合っていくものだとあきらめていました。また、どのアレルギーも根本は同じ、治るときには全部治る、という言葉にも体験からか妙に納得してしまいました。それに、「治らなければ治療費をお返しします。」とまで書かれているではないですか。よっぽど自信がおありなんだろうと、次の日、早速娘を連れて神戸から診察に参りました。ついでに、私も見てもらうことにしました。(結局、ついでの私のほうが長くかかることになり、まだ、手記も書ける段階にありません。)待合室でお話した方からは、「どこがアトピー?」と言われるほど娘の見た目はきれいであったと思います。でも、根本的に治さないと絶対だめなんだ!!となぜか強く思っていました。先生には「だいじょうぶ、絶対治してあげるよ」と言われ、うきうきしながら帰ったのを覚えています。その時は、みのりはステロイドを一度も使っていなかったので、リバウンドもなくほかの方の手記にもあったように1週間ほどで完治するものと楽観的に構えておりました。 平成14年5月のことです。さっそく、薬湯による治療を始めました。しかし、上の子もまだ3歳になったところ、主人は帰りが遅く、一人で2人のお風呂だけでも大変なのにその上1時間なんて、本当に大変でした。でも、これで治る、これで治ると言い聞かせながら、あの手この手で少しでも浸かってくれるよう頑張りました。最初は特に変化もなく、かえって皮膚がきれいになり、このまま治るの?と拍子抜けした感じでした。しかし、1週間たった頃から、口の周り、顔全体、腕、胸、おなか、背中、と上半身ほとんどに広がっていきました。それはそれはかわいそうな姿で、見たこともないひどい湿疹です。悪い状態からの治療ならまだ納得行ったと思うのですが、当初、きれいな状態だったので、治療の結果こんな状態にしてしまって本当にこの選択でよかったのか?と悩み、せっかくのかわいらしい顔が台無しになった湿疹を見ては涙が出てきました。しかし、本人があまり痒がらなかったのでその点は幸いでした。また、この状態を見た妹に(看護婦をしています)「何でそんな治療するの?」と言われ、やめてしまおうかと気持ちがぐらついたときもありました。そんなさなかに9ヶ月検診があったりして、行くのをやめようかと思ったりもしました。明日は良くなるか?あしたはましになってるか?そんなことで頭が一杯の毎日でした。自分の治療も平行しておこなっていたので余計にしんどく感じたのだと思います。とにかく、人に見られたくないという毎日でした。でも、上の子は外で遊びたい盛り・・・。思い切って出て、他のきれいな赤ちゃんをみては落ち込むといった毎日でした。でも、本当にひどい状態は1週間ほどでした。今思えば、たった1週間なのですが、どこまで続くのかわからないので本当に不安で本当に長い毎日でした。でも、この治療をやめて他に行くところがあるだろうか?逆に本人が人の目を気にしない今のうちに治してやるほうがいい、先生の言葉を信じて頑張ろう、そんな思いで過ごしておりました。1ヶ月たった頃には、本当にきれいになりました。何とか夏に間に合って、ほっとしたのを思い出します。しかし、今思うと、そんなしょうもないことにとらわれていたことを、恥ずかしく思います。 先生からは、「今のうちに何でも食べさせなさい。」と言われていたので、少しずつ卵や乳製品も食べさせました。3ヶ月頃までは、卵の入っているものを食べると湿疹が出たりしておりましたが今はもう平気、冷たい牛乳も飲めるようになりました。また、額の湿疹がたまに出たり、おうどんを食べると口の周りが赤くなったり、これはまだ少し残っていますが、約6ヶ月たった先日、「そろそろ卒業やね。手記を書いてください」と言っていただきました。この日をほんとに待ち望んでいましたが、終わってしまうと少し寂しい気もするものです。 あの頃、本当に手記を書く日を夢見ていました。こんなことを書こう、あんなことも書こう、と考えておりましたが、このようなつたない文章で申し訳なく思っております。 振り返ってみると、たった6ヶ月・・・。もっともっと長い時間であったように思います。今の時代、本当にアレルギー疾患が増えています。日本中にたくさんの私のように悩めるお母さんがいらっしゃることと思います。みのりよりもっともっと重症の方もおられるでしょう。この程度でこれだけの心労があったのですから、重症のお子さんをお持ちのお母さんの心労はいかばかりかとお察し申し上げます。子供の病気は自分の病気よりもずっとずっと辛いものですもんね。私も、本当に心の底から(かわってやりたい・・・)と思いました。また、いろんな情報がある中、選択するのも大変ですよね。でも、私は自分の体験からこの松本医院での治療を胸を張ってお勧めしたいと思います。大変なこともありますが、必ずゴールがある、こんなに心強いことはありません。いつか必ずきれいな肌を取り返すことができるのです。どうぞ、そんな日をイメージして頑張っていただきたいと思います。私でよければお力にもなりたいと思います。誰かに話を聞いてもらいたいものですよね。 長くなってしまいましたが、あともう一息だけ頑張ろうと思っています。完全に治る日まで・・・。私のほうはもうちょっとかかりそうなので、これからもよろしくお願いいたします。 |