「本当のアトピー治療と出会って」 堀 伊知郎 26歳 今思い返してみると、僕のアレルギーの始まりは小児喘息ということになります。(アレルギーが喘息で始まる例がいくつかあります。それはきっかけは風邪を引いて気管支炎となり、その後喘息が出る場合であります。そんな場合近くに高速道路があったり、化学工場が見られたりすることが多いです。つまり、ディーゼルエンジンの排気ガスやベンゼン・ホルムアルデヒド・1,2ジクロロエタンなどの化学物質を花粉が気管支に運搬し、風邪のためにアレルギーの炎症細胞がすでに集まっており、アレルギー反応を起こしやすくなるためです。)当時、僕は2・3歳で家(西宮)の近くには幹線道路があり、排気ガスがすごかったということを聞いています。「道路を歩いているときに、ゼイゼイいいだしてビックリした。」と親が言っていました。おそらく排気ガスの影響だったのでしょう。これが喘息の始まりです。それから台湾へ行ったり石川県に行ったりと父の仕事の都合で引っ越しました。台湾の頃のことはあまり覚えていませんが、石川県には小学校5年の途中までいたので覚えています。その頃にも喘息は出ていました。喘息が出ると近くの診療所へ行き、吸入器と飲み薬で治していました。今思うと、その薬の成分は何だったのかと思います。あと、よく膝の裏が痒くなって、海に行って足を浸けて治していました。(夏に海水にアトピーの皮膚を漬けることは、いわばアトピーの自然療法ともいえます。というのはアトピーの治療はステロイドで変質した皮膚を剥き、傷に増殖しているブドウ球菌を殺すことであり、紫外線の強い夏の海水に入ることはその目的にかなうからです。)アレルギー性鼻炎にもなりました。でも、運が良かったのか、当時行った病院では「治せない。」と言われたので病院に行きませんでした。(このように正直に病気が治らないことをはっきりと告げてくれる医者はとても誠実な医者です。ところがひどい医者になるとステロイドの筋肉注射をし症状はすぐに止めてくれますが、その結果IgE抗体がどんどん上昇して結局毎年アレルギーを悪化させている医者がいます。)(変に抗ヒスタミン剤などが使われなくて良かった。)その後、大阪に引っ越してきて小・中・高・大と進んでいったのですが、小児喘息に関しては「大きくなったら治る。」と言われていた通りに小学校の高学年位で出なくなりました。中学・高校に関してはあんまりアレルギー症状で悩んだ記憶はありません。(このようにある時期アレルギーがすっかり治った様に思われることがあります。このメカニズムも明らかにすることはステロイドの謎を解く手がかりになるでしょう。)陸上や剣道部で思いっきり汗をかいていました。しかし、高校を卒業して予備校に通いだした頃からおかしくなりました。肌が痒くてよく掻いていました。それで家の近くにある皮膚科に行ったら"アトピー性皮膚炎"と診断されました。「たぶんストレスのせいで、受験が終わったら良くなるだろう。」と言われました。(ストレスはあらゆる病気を悪化させます。特にアトピーにおいては皮膚の恒常性が維持出来なくなるためです。)しかし、受験が終わっても良くなりませんでした。約3年間その皮膚科には通いました。その内の2年半はステロイド軟膏と抗ヒスタミン剤を服用し、残りの半年はワセリンと抗ヒスタミン剤だけで治療を試みました。なぜ、残りの半年間はステロイドを使っていないかというと、そこの皮膚科の先生は正直に「このままステロイドを使っても一生治らない。」と僕に言ってくれました。また「リバウンドが来るけど、乗り越えなければならない。」とも言いました。(皮膚科の医者でこのようにステロイドの副作用をはっきり患者さんに伝える医者がときにおられます。しかし残念ながら盛業にはならないでしょう。)それから2・3ヶ月、本当に辛いリバウンドを経験し、何とか乗り切りました。しかし、完治にはいたらず、寝不足など肌に良くないことをするとアトピーの症状はまた悪化するという状況が続きました。この頃になると、アトピー性皮膚炎は世間で騒がれるようになっており、いろんな情報が流れていました。ヨモギエキス・馬油・保湿クリーム・海水風呂など良いと言われていることはいろいろ自分の身体で実験してみました。(このように医者に対する不信から患者さん自身が勝手にいろいろ工夫して自分で治そうと試みることが時にあります。たまたまこの患者さんは大きな事故が無かったのですが、実を言えば非常に危険なことなのです。それは二点あります。一つはブドウ球菌とヘルペスウィルスによる感染症であります。最悪の場合は死ぬこともあります。もう一点は掻くことは傷を増やすから良くないと考え、顔を叩く人がいます。その結果、眼球が振動させられ網膜剥離が起こることが多々あります。そして最悪の場合は失明にいたることがありえます。)皮膚科の先生はどうしたらアトピーを治せるのか分かっていなかったのでしょうが、よく僕に「最近はどんなことをしているの?それでどう?」と聞いてきました。そうこうしている内に皮膚科へ行くのも止めてしまいました。大学を卒業し就職したあとは、夏場は肌の調子は良いのですが冬になると悪くなるという状態でした。もう一つ行った病院においては皮膚科の看板を出しているにもかかわらずアトピー性皮膚炎のことを知りませんでした。友達にもアトピーの人がいるのですが、その子が行っている病院の治療法はやはりステロイドを使っていたり、抗ヒスタミン剤を使うというものでした。僕はすっかり病院というものに幻滅してしまい、信用しなくなりました。また、自分で治そうと決心しました。会社の健康診断で「アトピーですね。病院へ行ってください。」と言われたのですが、「治せる病院なんてないから僕は行きません。」と言い返したこともあります。(その通りです。病院へ行くのは病気を治してもらうために行くのですが、実際は病気を作られに行くこともあります。従って、治せない病気に対して医者は明確に治せないと言うべきだし、さらにその際の治療は一時的に症状を良くする対症療法であり、同時にそれによる副作用も告げねばならないという法律を作るべきです。)僕は、幼い頃膝の裏が痒くなると海に行って治していたこともあって、自分で考えた治療法は「スキンケアーをきちんとして、ひどいときは海水風呂に行く。」というものでした。また自分で薬局に行き錠剤の漢方薬とシコンでできた塗り薬を使っていました。僕はアトピーを治す方法をいろいろ考えていました。催眠術で痒みを消せたら治るんじゃないか等・・・。そんなある日、母が大阪外大で行われた松本先生の講演に行って資料を持って帰ってきました。「ここに行ってみたら!」と言われたのですが、初めはどうせまた適当に治ると言っているだけなんだろうと思っていました。せっかくなので資料だけは見てみようと思い、読んでみました。そこには「掻きたければ掻けばいい!」と書いてありびっくりしました。当時僕のアトピーを治す基本は「いかに掻かずに皮膚を強くするか、あるいは体質を変えるか!」ということだったので、面白いことを言う人だなあと思いました。それ以外にもどうしてアトピーになる人が増えたのか、どうなってアトピーは治るのかということがこの資料には書かれていました。筋道がしっかり通っていたので「治ったら儲けもの。会って話をして自分が納得できたら通うことにしよう。」と思い松本医院に行くことにしました。行ってみると、まず看護婦さんから治療法の説明を受けて、治った人の写真を見せてもらいました。僕が看護婦さんにアトピーに関する質問をしていると、壁越しにその答えが返ってきました。「誰だろう?」と思っていると、それが松本先生でした。何度も壁越しに返ってくる答えに驚いたのですが、実際診察室に行くと机の上には新聞のアトピー関連の切り抜きが置いてあり、普通の医者は質問されることを面倒に思うのにここは違うことに気付きました。(現代の皮膚科の診察は全く診察という名に値しません。つまり説明が全く無くただ薬を手渡す場所に堕落しております。また質問すれば怒り出すという医者が多いようです。説明できないような薬なら出さなくても良いと思うのですが。)また先生の「絶対、治るから!」という言葉にも非常に驚きました。(そんなことは絶対的な自信がないと口からは出て来ません。他の病気に関してもそうですが、世の中に何人の医者がこういう頼もしい発言をできるのでしょう?)(その通りです。絶対の確信があるから言いきれるのであります。私は絶対に嘘はつきません。現代の日本は嘘に満ち溢れています。何故でしょうか?嘘をついても誰も責任をとらなくても良いシステムが出来あがっているからであります。権力が責任をとらない状況が続けば、必ず日本は没落するでしょう。)それからは二度目のリバウンドをあじわいました。先生からこうなると言われたとおりに肌がボロボロめくれてきたのには驚きました。それ以外の症状は一度目のリバウンドで経験していたので、あとは精神的な戦いの日々でした。(その通りです。肉体的な苦痛よりも精神的な苦痛の方がはるかに大きいです。ステロイドの禁断症状を乗り切るときに患者さんの精神の成熟度が問われるのであります。)僕は一度リバウンドを経験して、それを乗り越えてきたから「今回は楽に終わるだろう。」と思っていましたが、実際はそんなにあまいものではなかったので非常にショックでした。リバウンドの辛さは他の手記を読まれたら症状と共に分かっていただけると思います。ただリバウンドで苦しんでいるときには自己嫌悪になりながらも「いつか必ず終わりはくる。」ということだけを考えていました。(その通りです。必ずリバウンドには終わりがきます。ただどれだけ続くかは今まで使ってきたステロイドの質と量によります。)また「お笑い番組」を積極的に見て、笑うようにしていました。漢方を始めて3ヶ月程経つと、体力も回復してきました。また6ヶ月程でリンパ液も完全に出なくなりました。僕はこんな病気に悩まされたことが悔しかったのと、もっと詳しく自分を苦しめてくれた病気の正体を知りたかったので、毎回診察に行くときには先生に何か質問して一つでも多く勉強してやろうと思っていました。先生はそんなことを嫌がらず全て教えてくれました。逆に「何か質問は?」と言われるくらいです。皆さんも先生から吸収できることは吸収してみたらいかがですか?今年の夏から秋にかけてはスキューバダイビングばかりしていました。漢方を始めて7・8ヶ月経った頃です。先生も「日に焼いて皮膚をどんどん入れ替えなさい。治療していると思ってダイビングすればいい。」と言ってくれました。お陰様で、本当に楽しむことができました。(アトピーの軽い人は海水浴するだけで治る可能性があります。) 現在は平成11年3月で漢方を始めて1年と3ヶ月になります。僕はもともと冬になると肌の調子が悪くなる方でしたが、今回の冬は前回までとは明らかに違いました。(冬にアトピーのひどくなる理由は夏と比べて皮膚の新陳代謝が遅くなります。つまり皮膚が剥がれにくく、さらに新しい皮膚が出来にくくなっています。従って皮膚がカサカサした感じが強くなり、アトピーが悪化したように感じます。)まず痒みはまだたまにあるのですが掻いても昔のようにジュクジュクするようなことはありません。今でも痒ければ遠慮無く掻いています。また今では自分でひどくなりそうだなあと思う時(それ程ひどくなることももう有りませんが)以外は漢方の薬湯につかることもありません。皮膚の黒さも少しずつ落ちてきました。このまま皮膚が入れ替わっていけば時間がやってきて治るので、その時を待ちわびています。この手記がアトピーで苦しんでいる人の「アトピーは治るんだ!」という確信の元になればと思います。また疑問や納得できない点は先生にいろいろ質問すべきだと思います。リバウンドは本当に辛いものですが必ず終わりはやって来るので、途中で投げ出さずにアトピーを克服して欲しいと思います。(自分の病気を医者任せにせず、もっと知るようにすべきです。ところが医者に質問すると叱られることがあります。そんな時はそのような医者に二度と行かないようにすれば良いのです。)
<上の表の説明> IgE抗体がピーク値まで上昇したり、ピーク値から下降するときは決して直線的ではありません。抑制が現在から過去へと順番にはずれていくときに、小刻みにIgE抗体は作られては増え、使われては減ってピークに至り、同じようにしてピークから正常値へと下降していくのであります。毎日検査すればそのことが証明されます。 ここからは上のIgE抗体量の変移と僕自身の症状の変化について書きたいと思います。まず最初に測定したのは松本医院に初めて来た時で、平成10年1月のことです。(このように自分の病気のことを完全に理解し、症状とIgE抗体の変移との関係を解説できるような優れた患者さんがいます。頼もしい限りです。アレルギーの本質はIgE抗体で全て説明がつきます。にもかかわらず本質を語らないでアトピーの本を書いている人がなんと多いことでしょう。)このときは例のごとく冬で症状が悪くなっていました。しかしそんなにリンパ液が出たり、ひどい痒みに悩まされ眠れないということはありませんでした。この頃はまだ先生に対して確信が持てずいろいろ質問していた時期です。(東大の皮膚科の教授でもアトピーは治らないと断言しているのに、世界で唯一松本医院の私が治してあげると明言したときに、患者さんが疑いを持つのは至極当然なことです。それでもアトピーは治るのです。事実、治しています。この手記がその証拠なのです。)しかしここからは先生が言った通りに皮膚がぼろぼろ剥がれ出し、僕にとり、とても辛かった2度目のリバウンドを迎えるわけです。気が狂いそうな痒みに襲われたり、朝方まで眠れなかったり、リンパ液がどんどん出て止まらなかったりと、本当に漢方風呂に入っているときが最もリラックスできるときでした。このような時期は大体夏前まで続きました。2度目のIgE抗体の測定を行ったのは6月中旬のことです。まさにリバウンドも辛さの絶頂期というころです。(リバウンド期というのはIgE抗体がどんどん上昇していく時期であり、治癒期というのはIgE抗体がどんどん下がっていくときです。リバウンド期は症状の悪化が見られますが、治癒期になると症状がどんどん楽になっていきます。そしてほとんど正常な生活が送れるようになります。)やがて徐々に楽になり始めるのですが7月下旬から僕はスキューバダイビングを始めていたのでその頃にはダイビングできるだけの状態に戻っていたということになります。その後も良くなったり悪くなったりを繰り返しながら少しずつ症状の出方も穏やかになっていきました。そして3度目が平成11年3月、4度目が平成11年6月になるのですが、さきほど書いたように本当に楽なもので、アトピー完治のゴールを待つのみです。先生の理論がここに現れています。この事実も「アトピーは治る!」という確信につながりますね!(まさに理論に基づいたアトピー完治の方法を彼は実践しつつあるわけです。) |