「思いもよらなかったリバウンド」 細川淳子 17

娘、中1の時に背中にあせもができる。楽観していて家にある薬を塗っていましたが、涼しくなってもよくならず近くの皮膚科へ。そこで「アトピー皮膚性炎です。これは弱いステロイドです。なるべく回数を控え、症状が消えればやめてください。」と言われ、様子を見ながら11月ぐらいまで塗っていました。11月下旬、娘の首に赤い横じまができたのです。色素沈着?副作用?もうこれ以上皮膚科に行けない! これ以上ひどくなったらどうしよう・・・。私の頭の中で色々なことが次々浮かび、不安でいっぱいになりました。ここまでくると娘に対する治療法として東洋医学しかないと思いました。この気持ちを後押しする出来事を思い出したのです。娘が幼稚園に通っている時、お世話になった先生がアトピーで結婚され、妊娠され、幸せの絶頂の時に湿疹が体全体に広がり、異様な状態になっておられました。しかもこの先生の御主人は皮膚科の先生だったのです。皆さんで「何とかならないのですか? 」と尋ねましたら、「薬を塗ることも飲むことも、副作用があるのでどうすることもできないのです。」と。私は約10年前の先生と娘の姿がだぶりました。いつか娘も結婚、出産が待っているのです。こんなかわいそうな状態は避けてあげないと、と。

それから漢方医院を探し始めたのです。実は主人もアトピー皮膚性炎で東洋医学で治療したことがあるのです。そこはある大学の東洋医学研究所で、もちろん漢方薬は飲むのですが食事制限があったのです。(どの漢方医も口をそろえておっしゃった)口にできるものは数えるほどで、「お米を食べてはいけない。食べ過ぎるから湿疹が出るのだ。」等。通院するたびにストレスをいっぱい感じ、日常生活に差し支える状態と言うこともあって挫折しました。そんなところに娘を連れて行きたくないと思っていた時、友人から松本医院の事を聞きました。(友人は鼻炎でお世話になっていました)食事、運動一切制限なしと聞いてここしかない!と思いました。娘に西洋医学では限界だと言うこと。苦い漢方薬を飲まなくてはならないということ。リバウンドが起こるかもしれないということ(ステロイドも数えられるほどしか使用していなっかったので、大変なリバウンドが起こるとは夢にも思っていなかった)を全て説明し、母娘とも覚悟を決め松本医院を訪れたのは、娘が中1の1月31日でした。初診でアレルギーが現代病で、アトピーは農薬とステロイドによる被害であることをわかりやすく説明していただき、先生も「必ず治ります!」と力強く言って下さってとても安心しました。私に迷いや不安は全くありませんでした。(いつ治るかは別にしまして)

さあ、いよいよ治療開始です。その頃湿疹もほとんどなく、煎じ薬を1日3回飲んでいました。リバウンドを忘れかけていた中1の夏、(治療を始めてから約6ヶ月)顔に湿疹ができ始めました。顔の相も変わっていき、あわてて先生を訪ねました。「ついにでたか!でないと治らないから、これで治るよ!」と娘におっしゃいました。私には「小さい頃にステロイドをかなり塗ったんじゃないのか?よく思い出してみなさい」と何回か言われたのですが、身に覚えはありません。小さい時から通っていた病院のことを先生に話しているうちに、「耳鼻科だ!耳鼻科の薬にステロイドが入っていたんだ。」とショックでした。娘に良かれと思って、わざわざ自宅から遠い所に連れて行き、それが今どれだけ娘を苦しめることになったのか情けない気持ちでいっぱいでした。でももう前に行くしかないのです。それから悲惨でした。夏の暑いとき、クーラーを入れ中2の夏休みは消毒と薬湯の繰り返し。楽しいはずの夏休みも娘には地獄となりました。2学期に入っても状態はさらに悪くなり、リンパ液まででるようになったのです。体育祭の練習で体操服で過ごす時間が多く、リンパ液がでているところに減菌ガーゼを貼ったりもしました。そうしないと衣服に染みてくるのです。塗り薬も年ごろの娘を苦しめました。出来るだけうすくうすく伸ばしてやりました。毎日が戦いでした。夜が怖いとも言っていました。

少しずつ治ってきたのですが、10月も終わり顔の湿疹が治ってきました。首などはまだまだ色素沈着もあり、髪で隠してきました。娘もいつかは治ると思ってはいても、いつまで続くか不安でいっぱいだったと思いますが、ひとことも愚痴を言うでもなく家族に不安をぶつけることもなく、いじらしいほど頑張ってきました。中3の夏には髪もショートに出来る程見た目は良くなっていましたが、実際の数値(総IgE抗体)は1600〜1800の間をうろうろ、また何時どうなるのか不安な日々でしたが娘は顔に出なかったら平気!とプラス思考でした。中3の夏受験で又ぶり返さないかと心配もしましたが、リバウンドも起こらず晴れて志望校に合格、本当に良く頑張ったと思いました。精神的に母娘とも挫けそうになった時、さりげなく診察中ご自分の体験を話して下さった先生、時には診察時間がそういった話で30〜40分かかり、待ってる方に申し訳なく思いながら、どれだけ救われたことでしょうか。横に居た私の顔色が悪かったのを察知しての事なのでしょうね。先生がいつもおっしやる、必ず治る!治してあげる!娘にとってもこの言葉がどれだけ心の支えになったことでしょう。

今、高2となり未だ数値(総IgE抗体)は1200ぐらい有るのですが元気に登校しております。殆ど花粉に対するアレルギーとの事。年に花粉は1回しか訪れないので、中々免疫力が出来にくいので、普通の人は花粉の症状だけはどうしても最後に残るとお話して下さいました。後どれくらいで卒業か分かりませんがここまで来れば後少しです。しっかりお薬を飲み、優等生で卒業したいと思います。それまで先生・スタッフの方々どうぞ宜しくお願い致します。最後に私事で申し訳ありませんが、あの大変な時先生お信じ、何も手助けしてあげられない親を信じ、ひたすら頑張り続けた娘をうんとうんと誉めてあげたいと思います。