池田 真理子 38歳 私が松本医院を訪れたのは1999年4月28日、娘の真納が生後3ヶ月になろうかという頃でした。真納は1ヶ月半頃から、首・ほっぺ・あごの辺りがただれ始め、2ヶ月を過ぎる頃には口の周りから耳に至るまで膿み始めました。小児科で診てもらうと、”アトピー“だという事で、アズレンをもらい、しばらく塗っていましたが全く良くなる様子はなく、ひどくなる一方でした。 松本医院のことは以前から知っていました。 知り合いの子供さんが、こちらでひどいアトピーを治したというのです。私はステロイドだけは絶対使いたくなかったので、迷わず松本医院に行きました。真納を見た途端、先生は「絶対に治してあげる。」とおっしゃったのです。 心強い言葉でした。そして、治療の説明中に先生が私の手の湿疹(いわゆる主婦湿疹)を見て、「お母さんも一緒に治療しなさい。」とおっしゃい、思わず「はい」と言ってしまいました。私にも小さい頃からアトピーがあり、見た目にはそんなにわかりませんが、季節の変わり目には花粉症、頭の中には湿疹、結婚してからは手に湿疹ができ、ステロイドを塗っても、もう治らない状態になっていたのです。 この日から真納と私のアトピー治療が始まりました。 とにかく、1日1時間は無理としても、少しで長く漢方のお風呂に浸けたいので、1日2回休浴させることにしました。だけど3ヶ月の子供です。思うように浸かってくれません。一生懸命歌ったり、おもちゃを与えたりして1回15〜20分、機嫌が悪いと、4〜5分位しか入ってくれませんでした。 また、お風呂に入れる前の消毒が一騒動です。触られるのが嫌なようで泣き喚いていました。そして、私も漢方を煎じて飲み、お風呂に入ると、真納と同時に治療を進めていきました。 治療3週間後、真納は顔・上半身と、アトピーがひどくなり、私も右手に今までできたことのないような湿疹が現れ始めました。しばらくすると、左手にも出て来て、それはそれは痒くてたまらず、夜も眠れず、手を掻きまくり、シーツには血と皮が付くような状態でした。 真納も一進一退です。何が辛いと言っても、休浴前の消毒と、休浴後の処理の時に真納に大泣きされる事、そして私のアトピーもどんどんひどくなっていくので思うように治療できない(お風呂に長く入れない)事でした。初めての子育てで、それでなくても神経質になっているのに、子供のアトピー治療(思うようにお風呂に入ってくれない)、私のアトピー治療(思うようにお風呂に入れない、手や胸にアトピーができ、痒くて仕方がない)で、本当に本当に参ってしまいそうでした。この時支えになってくれたのは、夫・実家の父・母・妹が手助けしてくれた事。特に、母はほぼ毎日、お昼の真納の休浴の手伝いと、その後の真納の面倒(その間に私はお風呂に30分〜1時間入っていました)を見てくれました。本当にこの治療は実家の強力なしではできません。 そしてもう1つ、先生の「真納ちゃんは3ヶ月位で良くなるだろう。」という言葉でした。そうです、真納は全くステロイド・抗アレルギー剤を使っていなかったのです。その言葉を胸に、とにかく真納は早く治してあげようという気持ちで一杯でした。 そして治療1ヶ月後、真納の顔はかなり綺麗になってきました。 ところが、喜んでいた翌朝、右ホッペから汁が出ていたのです。また出るとは思わなかったので、これは大ショックでした。この様にして良くなっていくのか……… その通りで、こんな状態を何度も繰り返しました。綺麗になり喜んでいると、また出てくる。本当に何度も何度も繰り返しました。2ヶ月、3ヶ月、4ヶ月と月日は過ぎ、アトピーのピークは越えたものの、どこかにアトピーがあるという状態がずっと続いていました。まだまだ終われない。 そして、8ヶ月後の12月から漢方の飲み薬もジュースに混ぜて飲ますこととしました。それから治りが早くなった様ですが、まだ肩と顎の下が出たり治ったりを繰り返していました。 年が明け、2月を過ぎる頃です。初めて「もう卒業してもいいかな」と思えたのです。そして、2000年の4月28日、やっと治療を終えることとなりました。1年かかりましたが、あの頃のひどいアトピーが嘘の様にツルツルです。何と言ってもステロイド無しでここまで来れた事に感謝しています。私の方は3ヶ月位でピークを越え、2年3ヶ月後の今はだいぶ落ち着いてきました。1年間位は手を掻かない日は1日も無く、特に冬は指が割れ、映画の特殊メークの様な手をしていました。完治するまでまだ漢方を飲み続けるつもりです。 私を支えてくれた夫・父・母・妹、そして松本先生に会えた事に感謝しています。 2000年7月5日
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