「出会えてよかった」 上崎 典子 34歳

 

 私はきれいな肌が自慢でした。ニキビや吹き出物とは無縁でツルツル.スベスベ。皆から羨ましがられていました。それは突然やってきました。今思えばそれは突然でなく、私にはしっかりとしたアトピーベースがあり体は何度か信号を出していたのですが、私はそれに気付きませんでした。アレルギー(アトピー)の知識はテレビや雑誌から得るものが多く、松本先生の「革命的アトピー(アレルギー)の根本治療法」に出会わなければ、間違った知識を持ったまま間違った治療を続け、苦しんでいたと思います。今やテレビ、ラジオ、雑誌、インタ−ネットとあらゆる情報網の中から膨大な量の情報を手に入れる事ができます。そのあふれ出る情報の中から自分で善し悪しを見極め、選択する事は非常に難しい事だと思います。私はインタ−ネットで松本医院を知ったのですが、誰もが回り道してたどり着いたように、私もまた、他の皮膚科でステロイド治療を、ステロイドと知らずに使い続けていたのでした。治療を始めて約1年。まだ治療中ですが「松本医院の根本治療」に出会い、ここにたどり着くまでの私の歩んできた道のりを記録したいと思います。これは私の大切な宝物です。そしてこれからの人生の中で私を励ましてくれることと思います。

 2000年5月

 いつものように出勤。机に向かって仕事をしていると、急にほっぺたが熱くなってきてむず痒くなってきました。事務所が乾燥してるのかな?ぽりぽり掻きながらトイレに行き鏡を見てみると、岩のようにぼこぼこに腫れ上がった私の顔。何これ?両頬が真っ赤になり肌はぼこぼこ。まるでサボテンみたい。数時間前とは全く違う形相。何が起こったのか訳が分からず、泣きそうな気分でした。顔をタオルでおさえながら、すぐさま近くの皮膚科へ行きました。大阪第2ビルにある内海皮膚科です。ここは会社の同僚が通っていてなかなか良いと聞いていました。先生は、大きな虫眼鏡で私の顔を見て、塗り薬と内服液を処方し1週間後また来るようにと言われました。原因を訪ねても、「空気が乾燥しているので炎症を起こしやすいし、化粧品が合っていないかもしれない」と言われ、先生もよく分からないといった感じでした。私は、空気が乾燥しているくらいでこんな顔になるの?と疑いつつも、とにかく処方された薬を必死になって塗り込みました。塗り薬はロコイドクリーム、エクラークリーム、ベジカムクリーム、錠剤はアレジオン錠20、ルリッド錠150、ミノマイシン錠100が処方され3日程で症状は落ち着きました。原因不明でしたが、一週間も薬を塗り続けると元のきれいな肌に戻ったのでほっとしました。そして一週間後、使用している化粧品が原因だったかもしれないので、化粧品のパッチテストをしてみる事になりました。その結果、使用していた化粧品の中で()反応の物が見つかりその化粧品はすぐに捨てるように言われました。(+)反応ので出た化粧品は2年間使用していた物だったので、「2年間も使い続けてきて、なぜ今頃になって反応が出たのですか?なぜ使用してすぐに反応が出なかったのですか?」と質問すると、「人間の体は許容範囲が決まっていて、許容範囲が10だとして体内に入ってくる異物が1だとしたら、たとえそれが異物であっても反応は出てこない。1がどんどん蓄積されて許容範囲の10まで達し時、体はこれ以上受け入れなくなって溢れ出てしまう。そうなった時に初めてにこのような症状が出てくるのです。」と説明して下さいました。私はなるほど!と納得しました。今まで使用していた化粧品の中に含まれている何らかの成分が2年間かけて蓄積され、私の体内での許容範囲を越えてしまったのだ。その結果体から溢れ出た異物が肌を突き破り、あの岩の様なぼこぼこ顔になったのだ。私は原因が判明してほっとしました。しばらくは処方されたロコイドクリームを塗り、その後使用する化粧品は全てパッチテストをし、反応を起こさない(−)の物だけ使用するようにしました。ところが一週間もすると、またほっぺにポツ・ポツっと赤い吹き出物のようなものが二つ三つ現れました。今度は以前の物よりも少し大きめの物です。私は、また顔がぼこぼこになるのでは…?と不安になり、急いでロコイドクリームを塗りました。翌日、赤いぽつぽつは小さくなりしばらく塗り続けると肌は元の状態にもどりました。塗って引っ込んで、塗って引っ込んで。こんな事をずっと繰り返していました。最初の半年は塗って引っ込んでを繰り返し、多少の赤味は化粧で誤魔化したりしていましたが、後の半年は出ても出ていなくても予防の為にと毎日朝晩塗っていました。塗っていれば安心できました。今思えばなぜこの時、こんなにもすぐに効果を発揮する薬に少しでも疑問持たなかったのか。なぜこの時、使用するのをやめなかったのか。と悔やまれてなりません。愚かなことに、私は1年間この皮膚科に通い薬を塗り続けていたのです。顔にだけ出ていたぶつぶつはいつの間にか両手足にも出没。完治するどころか、更に範囲を広げいきました。いっこうに回復の兆しが見えず、一年前に比べて確実に酷くなっているの自分の顔を見て医師への不信感、治療へのあきらめ、それとは正反対に何とかならないのかという焦りとでジタバタしている状態でした。治療を初めて1年。私のアトピー(この頃はアトピーという認識はありませんでした。)は1年前に比べて確実に範囲を広げ、酷くなっていました。この皮膚科でこれ以上治療しても無駄だ。とにかく病院を変えよう。今度は仕事中でも通える様に会社と同じビルに入って皮膚科に行ってみることにしました。肥後橋にある原田皮膚科です。今までの治療経過を話し、使用した薬を見せました。先生はぼこぼこになった私の顔と手足を見て、「とにかく今出ている症状を何とかしましょう。それから治療していきましょう」とおっしゃいました。処方された薬は、パンテル軟膏。少量で効果を十分に発揮するので、顔に薄く延ばして塗るようにいわれました。手足には、エクラークリームが処方されました。顔の症状が少し落ち着いてきたのは、パンテル軟膏を塗って1週間目くらいでした。でもその治り方は、確かに大きなぶつぶつは小さくなったのですが、パンテルを塗った部分だけ皮膚の色が抜けているように見えました。先生に見せると、もしかしたら薬に対してアレルギー反応をおこしているかもしれないので、薬のアレルギー検査をしましょうということでした。ただ、その検査は自分の所ではやっていないので住友病院で受けるようにと紹介状を渡されました。でも私はその検査も無駄なような気がして、紹介状を使うこともなくその病院もそれっきりで通わなくなりました。パンテル軟膏を塗るのをやめると、勢いづいたようにまたも顔がぼこぼこになりました。なぜこんな目にあうの?知らす知らずのうちに涙がぽろぽろこぼれてきました。会社に行くのが苦痛でした。電車に乗るのも、外を歩くのも、何をするにも人の視線が気になって、いつも下を向いて早足で歩いていました。私の症状など顔と手足だけで症状も軽い方だと思うのですが、場所が顔だけに私には耐え難いものでした。パンテル軟膏ってどんな薬なのだろう?この薬を塗って肌の色が塗った部分だけ色が抜けているようになったのを見て初めて薬に対する恐怖感を抱くようになりました。私はここに来て初めて、自分が使ってきた薬を調べてみようと思いました。なぜもっと早くこういう気持ちにならなかったのか?今まで使っていた薬がステロイドであることなど思ってもいませんでしたし、ステロイドがどれだけ恐ろしい薬であるかすら知りませんでした。医者の出す薬だから大丈夫。そんな無意識の認識が、他人任せの意識が全て自分に返ってきた瞬間でした。 

 さあここからインタ−ネットでの検索が始まりました。思えばこのインタ−ネットからの情報に私はどれほど助けられた事でしょう。まず、Yahoo!から「ステロイド」で検索!!その中から「ステロイド一覧表」をクリック!ステロイドの一覧表が表示され、私は自分が今までお世話になった薬の名前を探しました。

パンテル軟膏…… very strong

エクラー軟膏…… strong

ロコイドクリーム…… medium

しかもステロイドの吸収率は腕:顔=1:13と表示されていました。顔に塗ったときの吸収率は腕に塗った時の13倍。私はこの恐ろしく強い薬を腕よりも13倍も吸収率のよい顔に塗っていたのだ……。なんて恐ろしい事を私はしてきたのだろう!そのホームページにはステロイド怖さと、すぐにやめるべきだとという事を切々と訴えていました。だたし、それには相当の覚悟がいること。自己判断で始めるのは危険であることも書かれていました。じゃあどうすればいいの?ステロイドを使ってはいけないことはわかりました。じゃあ私はこれからどうすればいいのだろう?とにかくステロイド治療をしない信頼おける医者を探さなければ。ここでもインタ−ネットを活用。どのページから検索したのかよく覚えていないのですが、確かアトピー治療に対する投稿欄のようなもだったと思います。病院名、治療方法、治療効果、治療に用いた薬等、その病院に対しての批判など日本国中から投稿されていました。有名な大学病院から民間治療に至るまで、数多くの病院と治療方法が述べられており、この病院で治ったとか、何時間もかけて通ったのに話しを聞いてもらえず質問すると怒られた等々、患者の実録が意見されていました。 わたしはまず、ステロイド治療を否定している病院を抜き出しました。世界中でステロイドをつかわずアトピーを治すことができるのは松本医院だけですが、インターネット上ではステロイド治療を否定し、ステロイド治療をしていませんと唱っている病院が多々ありました。松本医院と同じように漢方で治療する病院もありました。そして次に、それぞれの病院で行われている治療方法の中で、アルカリイオン水、温泉治療、食事療法といった治療方法のものを削っていきました。これらの治療方法ではアトピーが完治するように思えなかったからです。特に食事療法は一生食べてはいけないのもが出てくるわけで、無農薬・無添加・無着色・保存料なしなど、ある程度は実戦できても限界があるし、完璧に除去することなど無理です。と言うことはアトピーを和らげることは出来ても、完治する事は無理という事です。ここもダメ、この治療方法もちょっとダメかなーと削って行き、わずかに残った中に松本医院がありました。投稿した患者さんは、何軒か有名な病院で治療を受けたが最終的にここで完治した。治療は全て漢方で時間はかかるが確実に体は答えてくれた。と書かれていました。残念な事にそこには松本医院の場所や連絡先など何も書かれていませんでした。またもやインターネットで検索です。私はどうか松本医院がホームページを作っていますようにと祈りながら、「松本医院」で検索しました。「松本医院」では2件検索され、一つは鳥取県にある病院。そしてもう一つが高槻にある「松本医院」でした。早速クリックして呼び出すと、その当時はまだ改良前の真っ黒い壁に白い文字でずらずら書かれた暗いホームページが現れました。ざっと目を通し、投稿した患者さんが通っていた病院に間違いないと確信しました。場所は高槻市、診療時間も夜は8時まで、土曜日と日曜日の午前中も診療している。ここなら通える!その日は確か金曜日でした。早速電話を入れ、予約が不要な事を確認して翌日の土曜日に早速訪ねました。本当はもっとしっかりと松本先生の理論を読み、理解した上で治療に望まなければならなかったのですが、何しろこの一連の作業を仕事中に会社のパソコンから行っていたので、周りの目を盗みながらの作業でした。その上プリントの速度が遅かったのでプリンターの前を陣取って、どきどきしながらの作業でした。ですからその日は患者さんの手記を読む余裕はありませんでした。先生の書かれた理論も一晩読んだ位では理解しきれるはずもなく看護婦さんからの説明を受けた時「もっとしっかり読んでから来なさい。病気を治すのは医者じゃないのよ。自分自身なのよ。」とお叱りを受けました。先生の診察を受ける前に、看護婦さんからアトピーとは何か。原因は何なのか。なぜ増えたのか。どうすればよいのか。とてもわかりやすく丁寧にお話して下さいました。この事は松本先生が書かれた「革命的アトピーの根本治療法」の中に全て書かれています。私は中学生の頃から花粉症に悩まされていました。この花粉症がアトピーと同じアレルゲンを排除しようとする働きであるなど思ってもいませんでいた。花粉症とアトピーとは全く別だと思っていました。この頃から私のアトピーは始まっていたのですね。

 松本先生の「革命的アトピーの根本治療法」に出会って、アトピーをはじめ、あらゆるアレルギーについての疑問が解明でき、今は安心して治療を続けています。治療中に度々訪れてくる波も、根本を理解できているので不安に陥る事もありません。日々変化する体の状態も、全戦全敗を目指して自分の体が戦っているかと思うと、勇気も湧いてきます。周期的に写真を撮っているのですが、その写真を見る度にその時の自分の心境も写し出されているようで、今までの自分を振り返りながら、自分で自分を励ましたりもしています。治療を始めて約1年。松本先生の理論通り、私のアトピーは大きな山小さな山を越えながら戦いに負けつつあります。私は小さい頃からアトピーだった訳ではなく、何十年もステロイド漬けになっていた訳でもありません。こんな私でも、ステロイドのリバウンドには苦しみました。治療を始めて1年ですが、まだ完治はしていません。まして何十年もステロイド漬けにされ、繰り返すリバウンドと戦っている患者さんを見ると、ここまでぼろぼろの体にした医者に対して激しい怒りを感じます。医者だけではありません。以前、テレビでアトピーの特集を見たことがありました。アトピー治療で有名な病院の取材で、青色の薬を体中に塗り、包帯でぐるぐる巻きにしていました。2、3日して包帯を取ると見たこともないきれいな肌が現れ、その患者さんは涙をながして喜んでいました。待合室にはこの医師を頼って多くの患者さんの姿がありました。このような番組を見れば、誰もが飛びつきこの病院を訪ねると思います。こんなインチキな治療をする医師、それを伝えるメディアに対し、何も罰せられないのはどう考えてもおかしいです。うそ偽りは罰せられるべきです。私は松本医院に出会えて本当によかったです。多くの患者さんが間違った情報に振り回されることなく、松本医院に出会える事を願うばかりです。私も、先生に完治したよと言われる日が来るまでがんばります。