「アトピーと戦って勝ち得たもの」 倉本 佳寿子 27歳 私のアトピー歴は特にほかの人と変わった事はなく、(アトピーには特に変わったアトピーなどはありません。)小さい頃から喘息で薬を飲みその後肘や膝の裏に湿疹ができ同じ内科の医者からステロイドの薬をもらい、塗るとすぐに治っていました。(まさにアトピー性皮膚炎と気管支喘息というのは原因は同じであり、IgE抗体を使って皮膚から異物を掃き出そうとするのがアトピー性皮膚炎であり、気管支から排除しようとするのが気管支喘息であります。従って、一方抑えると他方が交互に出現するわけであります。さらに念を押しておきたいのは、アトピーだからといって皮膚の細胞が異常であるわけでもなく、気管支喘息だといっても気管支の粘膜の細胞がおかしいわけではありません。ただ、異物を排除する場所が異なるだけです。)その為高校生になった頃も体の所々に湿疹はありましたが、目立たなかったので私は決して自分からアトピーと言わずにむしろ隠していました。その後、私は看護学校に進みました。その中でアトピーについて初めて医学的に学びましたが、教科書には「アトピーは体質的なもので治るものではない。いかにステロイドや抗アレルギー剤で症状を抑えるかが課題である。」(医学の教科書にはアトピーは治らないと書いてあります。これは私に言わせると大間違いであります。この様な本を書く気になったのもこのような誤りを正したいという気があるからです。全ての事柄について言えることですが、権威の言うことや書いたことが正しいとは限らないわけです。何故ならば、人間のすることは、万事変化するということが物の本質であるからです。現代正しいとされている事柄が、数年後に誤りであるということはざらにあることです。さらに現代医学のアレルギー治療は症状を抑えるだけでありますが、問題は抑えた後どうなるのかについて全く記載されていない点であります。つまり抑えた後に再び強いアレルギー反応を起こすという薬の副作用については患者さんに伝えなくても良いという点であります。今後の医療を良くするためにはこの副作用を患者さんに伝えねばならないという法律を作るべきです。)というような事が書かれていました。私はこの時、ある意味アトピーと戦うことを放棄し、ステロイドと仲良く付き合っていこうと思いました。(実を言えば仲良く付き合うやり方はいろいろあるわけです。全く何もしないことがその一つであるにもかかわらず、何かをしなければならないと思うことが間違いの始まりです。)そして決してアトピーと正面から立ち向かうことなくステロイドを塗ることでいつかは症状も落ち着くだろうと思っていました。しかし看護学校を卒業し助産婦学校を卒業する頃になると、(この様に大病院の看護婦さんや医者のアトピー患者さんが私のような小さな医院で治療を受けるのは本当に奇妙なことだと思いませんか?これが現代の医療の象徴的な問題点であります。)ほっぺたはいつも赤くなり湿疹がある所は黒く色が着き、ステロイドの限界を体で知っていました。でも、もうその頃にはステロイドのない生活なんて考えられない程度に塗りまくっていたので私には何もできませんでした。そこで医者を変え、その医者に「塗り薬だと色素沈着するから。」と言われ、ステロイドを1年内服したりしていました。(ステロイドの塗り薬以上に色素沈着を起こすのはステロイドの飲み薬です。にもかかわらず、このように嘘をついても罰せられないというのも現代の医療の問題点であります。)助産婦として仕事をするようになり、夜勤が入ったりストレスを受けてくると湿疹は更にひどくなり何をしても目立つようになり、薬を強くしたり抗アレルギー剤を内服したりしましたが結果は同じでした。その内に丈夫だと思っていた体がどんどん弱くなっていき、ヘルペス(熱の花)で入院したりすぐに熱を出したりし、(ステロイドを長期に用いると、免疫力が落ちてヘルペスもしばしば出るようになります。)就職して1年で病院を退職し大阪の某病院に就職しました。新しい病院のスタッフはいい人ばかりで人間関係も良く、ストレスが少なくなってアトピーも落ち着くだろうと期待しましたが結果は同じでした。そんな時先輩のスタッフから「子供に湿疹ができた.あんたみたいに汚くなったらどうしよう。」と言われました。看護婦であるスタッフからのその言葉が胸を突き刺し涙が出て止まりませんでした。そんな時、先輩のスタッフから松本医院を紹介されました。(紹介してくれた看護婦さんも、私が治してあげたアトピーの患者さんだったのです。)忘れません平成7年7月30日でした。 その日松本先生に会い「治してあげます。」と言われ、看護婦さんに今までの症例についてスライドを交え治療法などについて説明を受けました。この日、私は「これから自分の体がどうなるのか?」と不安で眠れませんでした。でもステロイドの限界を体で知った日から「いつか効く薬がなくなって苦しむ日がくる…。」と罪悪感を持ちながら覚悟していたので「もう一度だけ頑張ってみよう!」と思いました。それからのリバウンドは本当につらく体中が赤く腫れ上がり、外に出ると知らない人に「どうしたの、殴られたの?」と声をかけられる程でした。痒くて痒くて眠れない日が続き顔や体が浮腫み、体中のリンパ腺が腫れ助産婦としての仕事が難しくなりましたが、実家にも給料を送っていることもあり、収入が無くなると漢方の治療も続けられなくなるので必死で仕事に行きました。私の働く病院では婦人科もあり、癌の末期の患者さんの所に私が行くと癌の壮絶な痛みや体の衰弱と戦う身でありながら私の体の事を自分のことのように心配して、「かわいそうね、私の肌と変えてあげられたら…。」と腫れ上がった手を撫でて励ましてくださいました。(死ぬ運命の病気にかかっている癌患者さんが、見かけだけがひどいアトピーの患者さんに同情するとは何と皮肉なことでしょう。これは人間の隠れた本質を重視しないで、見かけだけで物事を判断するという間違った傾向を示すものであります。これが一時的にも見かけを良くしてくれるステロイドを無批判に用いる事態を生み出したのです。)この時私は「何があっても頑張ろう!」と心に決め、患者さんに助けてもらいながら私も仕事を休まずに続けることができました。とはいえ仕事中も痒さから解放されることは無く、患者さんの前で掻く事を我慢していると冷や汗が出たり手足がぴくぴくと痙攣しトイレで下着一枚になり10分間全身を掻き、また白衣が体から出る汁でひっついて脱げないこともしばしばあり、睡眠薬を2倍の量内服しても眠れず、体中から汁が出て痛くて横にもなれなず足を抱えて座りながら朝をむかえ仕事に行く事の辛さは体験した人でないと分からないと思います。(この看護婦さんは仕事に対してどんな人よりも強い責任感を持った方で、結局どんな激しいリバウンドのときも仕事を一日も休まずに乗り切ることができた方です。)夜、風呂につかりながら水面いっぱいに浮かぶ剥がれた皮膚を見て、末期の患者さんや家族など私の周りの人の優しい言葉を思い出し、毎日泣いてばかりいました。松本医院にも2週間毎に診察に行きましたが、それは体の辛さを無くしてもらうためにではなく「大丈夫だ!」という言葉だけを聞きに行っていました。何故かというと、私の状態を見た同じ病院の医者・看護婦の殆どは私が習ったように「アトピーは治らない。」と信じる人が多く、私が生理学的に(正しくは免疫学的に)説明しても「騙されている。」と言ったり「教組様みたい。」と馬鹿にする医者もいたからです。(私は教組様でもありませんし、うそつきでもありません。ただ、医科大学や看護学校などではアトピーは治らないと書いてあるのを鵜呑みにしているだけの医者や看護婦が周りにいて様様な雑音が入ったにもかかわらず、私を信じてくれたこの看護婦さんの信頼に対して感謝の気持ちでいっぱいです。私の理論を証明するためには、事実をもってしか答えることが出来ません。この方のIgE抗体もリバウンドに際しては上昇し始め、改善し始めると共にIgE抗体も下がってくるわけです。アトピーが治るということは、見かけの症状が良くなることだけではありません。同時に見えない体の中で起こっているアレルギーの戦いが終わること、つまり今まで抑えてきたIgE抗体が上昇し最後に下がることを確認する必要があります。)医学的な知識をもつ医療従事者がこんな調子ですから、松本先生の考えに納得し頑張ろうとしていてもみなさんが周りの人に理解してもらうのは本当に難しいと思います。でも私も松本先生を信じて治療を続けてきましたが、100%信じられていたわけではありません。(自分のしていることを人に信じてもらうために、私は時に「治らないときには支払ったお金を利子をつけて返すとか、訴訟してください。」とまで言うことがあります。なぜこんなことを言わなければならないのでしょうか?それは嘘をつく医者が多いからです。極めて残念です。)特に私のように医療に関わる仕事をして、今実際に行われている治療法が本当に正しいのかは分からないということが分かっていても、松本先生の理論が正しいと思っていても、一般的な治療法ではないだけに不安はありました。でも松本先生の言う通りに必死で頑張りました。それは「もし、治らなければ訴えてやる。」という程の気持ちがあったからです。私は看護婦でありながら松本先生の前では平凡な一人の患者でした。 その結果はどうだったでしょうか。そうです。松本医院に来てから3年と3ヶ月経った私の体は明らかに治る方向にあります。(治る期間は患者さんがどれだけの期間、どれだけのステロイドの量、どれだけの多種多様の抗アレルギー剤や抗ヒスタミン剤や抗炎症剤を用いてきたかに依存します。それは正確には体の免疫機構のみが覚えています。)馬鹿にしていた医者も騙されていると同情していた同僚の看護婦も今は「アトピーは漢方で治るんやね!」と言っています。(アトピーが漢方で治るという言い方は大間違いです。それはアトピーの原因を考えればあたりまえのことです。つまり、漢方を飲んだからといって食べ物や飲み物に含まれる化学物質が消えるわけでもなく、さらにIgE抗体を減らすわけでもないからです。漢方というのは特別な薬でもなんでもないわけです。ただ漢方は体には良いけれどもまずいから常食にできないものですが、一方食べ物はおいしくて体には良いという程度のものなのです。)痒いと思う時は24時間でいうと15分程度です。顔の赤みも無くなり黒ずみも目立たないようになり、一目見ただけではアトピーと分からないようになりました。女性として一番美しいといわれている二十代後半の殆どをアトピーと戦うことで費やそうとしています。汚い肌でお洒落もできなかった私に残ったものは、松本先生と共に勝ち得ようとしている普通の肌と人の優しさ、そして強い意思、そして私のことを心から思ってくれる人に対する感謝の気持ちです。看護婦としての私は今まで患者さんに何もできなかったように思います。でも、今回自分が患者になることで様様なことに気付きました。だからこれから出会う患者さんにも今までと違った看護ができると思います。松本先生や看護婦さんがしてくださったように…。(こちらがいかに真実を語りいわば治ることを保証しても、ステロイドの影響を完全に抜きさり、IgE抗体を使い切り、さらに変質した皮膚を入れ替えるという激しい戦いは患者さん自身が引き受けざるを得ません。その際、この看護婦さんのような強い意思と、治るという信念を持ちつづけることがいかに大事かお分かりになるでしょう。) 今これを読んでいる方も不安と恐怖でいっぱいだと思います。もしかしたら「なんて自分は不幸なんだ。」と思っているかもしれません。私がそうだったように。でも私がそうだったように、この松本先生との出会いによって、アトピーと戦うことによって普通に生きている人が逆立ちしても得られないものを本当にたくさん得ようとしています。(人間が本当に真実を知り、知恵を身につけるのは苦悩を通してであります。ステロイドを塗って簡単に快楽を得られる人生からは何も学ばないでしょう。ステロイドを抜くときに苦しんでこそ始めて家族が、社会が、人間が、権力がどんなものかを考えざるを得なくなり、人生の真実が一挙に分かることが多いものです。)人生は常に自分との戦いだと言われていますが、私はアトピーと戦うことによって少し強くなれ、勇気を持って戦える気がしています。長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。あなたも最後まで頑張れるよう祈っています。(この手記は大病院の看護婦さんが書かれた手記です。私のような小さな医院に遠路から大病院の治療を拒絶してアトピーを治しつつあるという時事を皆さんに考えていただきたいものです。)
|