「アトピー奮闘記」  槙山 菜摘 7歳

 (おばあさんの梅乃さんが書かれました。)

 平成3年12月、孫の菜摘は生まれ今7歳になりました。思い返せば生後1ヶ月頃から湿疹がポツポツと出始め、やがて顔に広がっていきました。生まれた大学病院で"乳児湿疹"と言われ「今はこれを、ひどくなる様でしたらこちらの方を。」とチューブ入り軟膏を2本もらい、塗るとまるで魔法でもかけたようにきれいになる薬を「良かった、良かった、良い薬をもらえて良かった。」とアトピーもステロイドの知識もなく、出れば塗るを繰り返しておりました。7ヶ月を過ぎる頃、首を盛んに振り耳に指を入れ痒そうにする仕草に耳鼻科に連れて行き、アレルギーによるものだと1年近く治療を受けておりました。今思えばそれもステロイドだったかもしれません。(何故ステロイドを使えば症状はたちどころに良くなりますが、後で必ず薬が効かなくなったときに禁断症状が出ることを医者は患者さんにつたえないのでしょうか?)

 娘の同年配の人達から子育てのいろんな情報も入り、「アトピーなのでは?」とアレルギー科に受診しました。食物などによるアレルギーを調べ、痒み止め・抗アレルギー剤・ステロイドなどそれらの薬の説明もなく、副作用など知る由もなく…。だがあまりひどくならずに何ヶ月か過ぎ、2歳位の時に小さい内に右脳を育てておけば情緒豊かな子になると幼児教育を始め、そこでアトピーについての詳しいこと、ステロイドの副作用の恐ろしさを初めて知り、「とにかく体の毒を出さねば…。」とアルカリイオン精水器を買い、すべての料理や飲み水に使いせっせと飲ませておりました。(アルカリイオン水が意味があるとすれば浄化装置に水を通すときに化学物質がある程度除去される点だけでしょう。アルカリイオン水というと特別な水に聞こえますが、実を言えば苛性ソーダを薬局で買って水で薄めればアルカリイオン水になります。同じように強酸性水を作りたければ薬局で塩酸を買って水で薄めれば強酸性水になります。アルカリ度や酸性度を知りたければペーハー試験紙を買ってきて調べればすぐに分かります。つまり水に特別な水はないのです。或る意味では、水は全てイオン水と言えます。)

 ところが1週間を過ぎる頃、体・顔いたる所に爆発的に出て、リバウンドなどと言う言葉も知らず、泣き叫び掻きむしる孫を前にどうして良いか分からず、ただオロオロと抱きしめておりました。「もう一度あの薬を使ってやれば。」と何度も娘に言いましたが、「もうステロイドは使いたくない。」と言い、副作用を知った私もそれ以上は言えず、「どこへ行ってもその薬が出されるだけだろう…。」と途方に暮れていた頃、明石の方にステロイドを使わずアトピー治療に成果を上げているという新聞記事にすがる思いで受診予約をしました。当日娘は疲労・寝不足・心労で胃痙攣を起こし倒れ、その日が予約日のため変更すれば次いつになるか分からず、乗り物に弱い私には明石までは大変な距離でやっとの思いでたどり着きました。病院では「リバウンドで掻く為に細菌が沢山ついている。お風呂上りに強力酸性水、これはどんな細菌も住めない水だから、これで消毒し、アンダームを塗り、ワセリンで保護するように。」と言われ、また副作用の心配の無いという痒み止めの内服薬を沢山もらい、とっぷりと日の暮れた明石を後にしました。(副作用の心配が無いというのは、抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤のことでありますが、この種の薬も多かれ少なかれ禁断症状が出ます。)

 いろいろの本を読みあさりステロイドがいけないという医師も、「抗アレルギー剤・アンダーム・ワセリンなどは続けても副作用は無く問題は無い。」と書いてあり、その記事に何の疑いも持たず、指示通りに手当てをしている内に少し落ち着いてきました。(さらにこの薬を使えば、必ずアトピーは治ると何故言わないのでしょうか?)娘も回復し、無農薬・無添加のものを自然食品店で求め、根菜類を煮詰め絞ったエキスに粉・ひじきなどを入れフライパンで焼きパン代わりに食べさせ、クリスマス・誕生日が来てもなんきんでケーキを作り、涙ぐましいほどの努力をしておりました。(これらのことは全てまったく無意味です。まず、日本で100%無農薬の作物を作れるかどうかという問題があります。最近の新聞では無農薬というのは不可能だと書いています。勿論その通りです。日本では水にも雨にも土にも農薬が含まれていない環境は全く無いからであります。勿論完全に日本の国土から本当に農薬がなくなれば、アトピーは激減するでしょう。そんなことは不可能なのです。アトピーを根治するというのは農薬を体内から排除する戦いに負けて、つまりIgE抗体を作ることが出来なくなって、最後は汚染環境と共存する以外に生き延びる道はありません。)

何ヶ月か過ぎた夏頃には肌がきれいになってきて「良かったー。」と安心していましたが、秋の終わり頃にはポツポツと出始め冬には再度ひどくなるという状態でした。(夏は皮膚の新陳代謝が良くなり、冬は悪くなるためです。)心配しながら年が明け明石へ連れて行こうという矢先に、神戸の大地震が起きて酸性水も薬も届かなくなり、元のようにひどくなっていきました。アトピーをただ抗アレルギー剤で抑えていただけなのか…。(その通りです。抗アレルギー剤も症状を一時的に抑えるだけなのであります。)

 「今までの苦労は何だったのだろう…。」と娘はショックを受け希望を失いかけたとき、幼稚園の園児のお母さんの中に「この子も小さいときひどいアトピーで、もう死んでしまうのではないかと思った程、でも今はこんなにきれいになっている。ステロイドを使わず、焦らず、必ず治るから気長に…。」と肉親以上に心配してくれ、励まされ、勇気付けられ、「良い人達に巡り会えた。」と涙ぐんで話す娘に私ももらい泣きをしました。

 その子が使ったという保湿剤を取り寄せてもらい、明石からも届くようになった酸性水で消毒し、健康食品のプロテイン・プルーンなどを常食していると、初夏頃肌がきれいになり、「この子は冬がだめなんだ。」と初冬から肌が乾燥しないようにワセリンで保護していました。飲み薬は使いませんでしたが、その冬はあまりひどくなく、翌年の春・夏とも良い状態で、冬もまあまあで「この分だともう大丈夫だろう。」と思っていました。

 平成9年菜摘も5歳になり、「アトピーの子が生まれたら…。」の心配で第2子を諦めていたらしいが、「この程度なら大丈夫、二人になっても育てられる。一人では菜摘がかわいそう。」と第2子を計画し、菜摘も良い状態で卒園して入学まであと少しという頃に娘は妊娠を知ったようです。菜摘みの喜び様はひとしおで「早く早く赤ちゃんを。」と急き立て、娘の幸せそうな顔を久しぶりに見た思いがしました。

 平成10年4月入学式も終わり、ランドセルを背負って喜び勇んで行くはずの学校を、朝出るときに泣いて嫌がるのです。「登校拒否と言うにはあまりに早すぎて、いろいろと言い聞かせても泣き、それでも親を困らせまいと涙をポロポロ落として玄関を出るのを見るのはほんまにつらいよ。」と娘から何度か電話がありました。やっぱり一人っ子だから、でも二人目も生まれることだし心配することはないだろうと思っていました。そうする内に娘のつわりが始まり、きつくなり、あろうことか又菜摘のアトピーがひどくなってきたのです。(アトピーの本質は体の中でIgE抗体を作っている限りはアレルゲンに遭遇すれば症状が出るということです。従って症状が無いからといってアトピーが治ったとは決して言えないのです。現代の日本の社会は表面だけにとらわれて、その背後に隠れている本質を隠そう隠そうとする傾向が全ての面に見られます。また教育も本質を探求させるよりも記憶マシーンを作ろうとしています。残念です。)「何故…。」と娘も私以上に思うようになり、体調も悪く夜掻きむしるため、掻かすまいとして冷たいタオルを当て続け、夜寝られない日が続き、ストレスがたまり、胎児には良くないことは分かっていても食欲も無く、菜摘はどんどんひどくなり、親子共に限界を超え、良い病院だと教えられたアレルギー科に連れて行きました。2年近くも良い状態が続いていたのに今になって何故…。(このようにステロイドを用いた後、ある期間症状が無くなりアトピーが完治しているように見えるときがあります。)

 「学校で給食を食べるようになったから…?、それもあるかもしれない。学校へ行くようになり環境が変わったから…?」と分かりきったことを説明され、ステロイド・ザジデン・アンダーム・抗生物質をもらい、2度と使うまいと思ったステロイドを、「自分が倒れては…、このお腹の子の為に…。」と目をつむる思いでつけたと言います。夜眠ってくれるようにと、ザジデンも飲ませたと言います。5日程できれいになり、もう止めようと思ったときにはとびひになり、抗生物質を何日か続けている内にそれこそ今まで見たことも無い様な大きないぼの固まりのような物が全身に出て、娘は血の気が引くほど驚き、抗生物質・ステロイド・ザジデンなどすべてもらった薬をごみ箱に投げ捨てたといいます。

 何もせず、何も薬を飲ませず、ただ消毒だけをしているといぼのようなものは消え、アトピーだけは残り、良いと言われるあらゆる民間療法も試みたが効果はなく、また暗いトンネルに入ろうとしている時に、知人から奈良の漢方薬店で処方してもらった人が3ヶ月程できれいになったと聞き、唯一試していなかった漢方に飛びつきました。「漢方だから即効性はないだろうけど続けても副作用はないだろう・・・、気長に…。」と思うと気が楽になり、娘の体調はましになりましたが、菜摘のアトピー症状は変わらず、良くもならず悪くもならず、夜のひどい痒みは治まらないまま5ヶ月程飲み続ける頃、娘のお産が始まりました。

 生まれた子は予想以上の大きな子で、あと母親が異常出血して心拍数も下がり危険な状態にまでなり、説明を聞いている間足がガタガタと震えました。命ぎりぎりの所で出血も止まりホッとしたのも束の間、菜摘のアトピーはひどくなり夜も昼も掻きむしり、学校も休ませへとへとになりましたが、娘が蒼白な顔でベットに眠るのを見ていると「何としてでも頑張らねば。」と気を奮い立たせましたが、65歳になった今、体がついてこずダウン寸前になり、菜摘の父親も会社を休み幾日も続く疲労と心労に彼も限界になり、夜狂った様に掻きむしる孫を目の前に「何でこの子にこんな苦しみを与えるのか…。」と神も仏も恨みました。夜中に菜摘の頭を抱きかかえ涙を流しました。もうこれ以上は無理、みんなが倒れてしまう。私も鬱に近い状態だったかもしれません。せめて娘の回復の見通しが立つまでもう一度ステロイドを使おう…。

 菜摘の父親とも良く話し合い、年の瀬の12月に病院へ連れて行きました。医師の第一声は「これはひどい。ステロイドでなければ治りません。ステロイドをそんなに怖がることはありません。使い方を誤らなければ快方に向かわすいいきっかけになります。5日間だけ使ってみましょう。お風呂の前に消毒を…。」でした。(ステロイドの離脱症状で苦しんでいるときにステロイドでなければ治りませんと言う言葉はなんと皮肉な言葉でしょう。医者はもっと正しい言葉を使うべきです。「今の見かけがひどい症状を一時的に良くするのはステロイドしかない。しかし後はどうなるかは分かりません。」と言うべきなのです。)もうどんな薬でも良い…。今の状態から抜けさせてやりたい…。その思いが強かったと思います。快方に向かう良いきっかけになれば…。祈るような気持ちでしたが結局は駄目でした。同じ事でした。ステロイドを使ったという罪悪感だけがのこ残りました。でも、「その間菜摘の笑顔が見れたのだ。周りのものも一息つけたのだから。」と無理に自分に言い聞かせ、これからどうしたら良いのか考えあぐねていた時に伊藤さんから松本医院を教えてもらいました。でも正直なところあまり心は動きませんでした。漢方薬を5ヶ月近くも飲みつづけてもこの結果だし、(漢方薬を出してくれる薬局や医院がアトピーを治してくれると思うのは思い過ぎです。それこそ漢方薬は使い方が極めて大切です。さらに漢方薬と同時にステロイドや抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤を用いるとさらに完治から遠ざかるのです。この事実を全く知らない医者が多すぎます。)治療費も相当かかりそうだし、娘達の経済力では無理だろうといって私には援助してやるほどの力はないし、無理な治療法かもしれないと思いました。でもすべて漢方での治療(消毒→薬湯→薬湯原液の塗布→煎じた飲み薬)、皮膚を蘇生させるのも漢方、西洋医学に疑問を持っていただけに「理想のアトピー治療なのでは?」と思いました。  

 問い合わせの電話をしてみると、松本先生は私の問いにうるさがらずに力を入れて教えてくれました。一つ一つ頷ける言葉でした。「連れてきなさい。必ず治してあげるから!」、その言葉で行こうと決めました。次の日に菜摘を連れて行きました。年も押し迫った12月26日でした。想像していた以上にすごい人で入りきれずに外で待っている人もいました。入り口には大きな赤字で「アトピーは必ず治ります!」と書かれていました。何だか胸がジーンとして、「ここの先生は本当に治してくれそうだ。来て良かった。」と思いました。松本先生に「昨日電話をしてきた人ですね。」と言われたときにはびっくりしました。「これだけ大勢いる患者の中で名前を言ったわけでもないのに、他にも初診の人もいるのに良く分かったものだと、それだけ一人一人の患者に真剣に接しているのだ。」と思うと胸が熱くなり、「先生が治してあげるって言ったから連れて来ました。」と答えていました。「治してあげます。必ず治してあげます!」(なんと力強い言葉でしょう。)(やはり世界でアトピーを治せる医師は私しかいないようですね。)

 「この治療で今まで使った薬の分だけリバウンドが出ます。出る程良いのです。出してしまわないと治りません。出たら喜んでください。痒みが出れば掻かせなさい。掻いて悪い組織を剥ぎ取りなさい。そこから新しい皮膚が生まれてきます。今までにどれだけの薬をつかったなど聞きません。この人の体が覚えています。出し切ってしまうまでリバウンドは続きます。これからです。今からひどくなります。どんなに激しく掻いても狂い死にをしたという例は世界にありません。どんどん掻かせなさい。」

 なんという治療法なのか。「掻かせなさい!掻かせなさい!」など今までに聞いたことがありません。(掻いては駄目だと言う医者はなんと愚かな医者でしょう。彼らは痒みの為に夜間寝ているときでも本能的に知らず知らずのうちに患者さんが思いっきり引っ掻いていることを知らないのでしょうか?昼は掻いてはいけないが、夜は掻いても良いということなのでしょうか?彼らはあまりにも常識が無さ過ぎます。残念です。)でも何だか気持ちがスーっと楽になっていくのです。あとはしっかり消毒すること。薬湯にはできるだけ長い時間入るよう。熱が出れば何時でも良いから必ず電話をしなさい。」と言われました。

 それから3日後、それこそ言葉では表せないような凄まじい掻き方をするようになりました。もう狂ったように掻きむしり、泣き叫び、転げ回り、夜は父親が見ていますが、「すごいですよ、ほんまに…。今まであそこまでの掻き方はした事がない。」と普段言葉の少ない人だけに切実な言葉でした。松本先生の力強い言葉、皆さんの手記を読んでいなければとても耐えられるものではありません。彼も会社から疲れ切って帰り、遅い食事をし、菜摘を背負って2階に連れて行き、夜3回は起きるリバウンドを見守りながら必死で頑張っております。昼間のリバウンドを見る度、「ほんとにこの子にこの治療法で良いのか?」と何度思ったか知れません。「両親があれだけ頑張っているのだから私がこんな気の弱いことでは…」と自分に言い聞かせますが、たまらない気持ちです。でも、激しい発作の様に後はケロッとしている時間があるので今はそれが唯一の救いです。

 同じ薬湯に生後40日の次女の梨乃も入れていますが、今まできれいだった顔に湿疹が出てきて「何これ、何これ。」と言っている内に真っ赤になり、誰が見てもアトピーだと分かるほどになり、娘のショックは相当なものでした。「あれだけ食べ物に気をつけていたのに何でやの…。菜摘のリバウンドは覚悟していたが、梨乃までアトピーなんて堪えられない。」と落ち込んでしまいました。「赤ちゃんは治るのは早いって言うから、すごく赤ちゃんもきれいになっていたから、同じ治療法で良いって言ってたから。」と励まし、消毒し、薬湯に入れ、皮膚を蘇生させるという赤い塗り薬を付けているうちに3〜4日して皮膚が剥がれてきて白いきれいな肌がでてきました。「バンザイ!」と叫びたいほどでした。

 菜摘のひどいリバウンドはまだ続いています。でも娘は「必ず治る。」という確信を持ったようです。次女の梨乃にもできる限り母乳でと頑張っております。あまり出がよくないので2時間位の間隔らしいので大変だろうと思いますが、漢方薬を煎じ、薬湯の分も煎じ、学校に行かせるまでに掻きむしった後しみて泣く菜摘の体を消毒し、お風呂に入れて手当てをし、夕方には出きるだけ薬湯につからせるように相手をし、寸時を惜しんで頑張っています。少しの痒みのときには私も手を消毒して背中を掻いてやります。菜摘は気持ち良さそうにしております。今までと違った形で孫と接することが出きるようになりつつあります。「かわいそうに…。」と思う前に、「これを乗り切れば必ず治るのだ。」と思えるようになったからです。松本先生の力強い言葉があったからです。

 治療を始めて28日目、まだまだリバウンドは続くかもしれませんが松本先生を信じてこの治療を続けてみよかと思っています。

 願わくば娘達の経済力がギブアップする前に良くなりますように…。

 「あのひどい時期をよう乗り越えたね、頑張ったね。」と笑って話せる日が必ず来ると信じています。(来院当初は毎日電話がかかっていましたが、近頃は全く電話も無くなりました。この手記を書いてくれたお婆さんも近頃は一緒に来院されることもなくなりました。アトピーなどというのはたいした病気ではないのです。何故ならばアトピーで死ぬことは無いのですから。下の梨乃ちゃんのアトピーが初めはひどかったのに、今はもうなくなってしまっています。というのも、梨乃ちゃんは一度もステロイドを使わなかったからです。)