「アトピー治療の救世主との出会い」 宮之原 俊 50歳


 松本医師との出会いに感謝します。このアトピー治療が世界に受入られ、全てのアトピーで苦しんでおられる方の福音となります ことを心より祈ります。

松本医師が現代のステロイド治療(パリサイ人・律法学者を思わす金沢大学の某教授、東大、京大を始めとする大学病院や土佐清水病院)の患者無視の治療と闘い続ける姿は、追い詰められた患者にとって、まさに現代のイエス・キリストの姿です。特に金沢大学の某教授、日本皮膚学会の集計は、大学病院の都合のいいデータを出して、 ステロイド外用薬の副作用による入院、重症例は、わずか3例(1%)、あとは、脱ステロイド等の不適切治療と報告しています。これだけステロイド薬の副作用で苦しんだ人の手記があるのに、 現実とかけ離れた調査に何の意味があるのでしょうか。何故こうまでステロイド治療を擁護するのでしょうか。患者の苦しみよりも出身大学の教授や先輩の治療方針を守る掟でもあるのでしょうか。しかし、このデータは、アトピー性皮膚炎の患者が大学病院を信用出来ず、重症になっても、頼る先 を大学病院以外に求めている証拠ではないでしょうか。アトピーに苦しむ患者にとって、治らない理由をいくら並べられても何の救いにもならないのです。治してもらえれば、何の理屈も理論も不用です。この医師達は、自分や愛する家族、わが子がアトピーになった時、迷いも、良心の呵責も無く、自分の病院でステロイド治療を続けられるのでしょうか。

今この体験記を読でおられる多くの方々は、様々な治療をためされ、病院や医師、そして患者を食い物にするアトピービジネスに失望されているかもしれません。しかし、アトピー性皮膚炎は、完治します。

私は、自分がアトピー性皮膚炎にかかるまで、アトピーに関して全く無知、無関心でした。ステロイドについても、ステロイドに色々な種類があることも知らず、自分は、ステロイドなど全く使用していないから安心と思っていました。ステロイドを含んでいる薬にはステロイド入りの表示があるものと思っていました。(残念ながらステロイド入りの軟膏には一切ステロイドホルモンが入っているとは表示されていません。一般的に表示されているのは合成副腎皮質ホルモンです。実は人間の副腎皮質で作られるホルモンには多種多様あるわけですから、この表示は間違いなのです。数多い副腎皮質ホルモンの中の一つがステロイドホルモンですから、本来ならば合成ステロイドホルモンと表示するべきなのです。何故このような間違いが続けられているのかは私には分かりません。)松本医院での治療開始から数日間は、市販薬にステロイドが含まれているなど思いもせず市販の水虫薬と痔の薬を併用していました。アトピー完治の理論、手記を何回も読み直し「ステロイドの強さ別の一覧」を見つけ不安になり、薬の名前と記入されている成分を松本医院にメールしました。数分後、松本医師から「それは、最悪のステロイドです。私の薬以外は、使わないこと」という返事をもらいました。私は、知らぬまにステロイドが含まれた市販薬を10年余り使用していたことに始めて気付きました。又、自分の周囲に多くのアトピーで苦しんでおられる方がおられることも知りました。しかも、いいかげんな医師の治療に何の希望もなくただ耐えているのです。自分は理論を理解して、完治することを確信していても、親しい人に病院を紹介するのは、難しく責任を感じ、自分が体験し完治したら、人にも薦めようと思っていました。しかし自分が完治していくことを実感し、アトピーで苦しんでいる人に黙っていられなくなりました。アトピー完治の理論と松本医院の患者さんの手記を渡し、アトピーの認識を変えてもらうようにしています。たしかに費用のことを考えると、躊躇する時もあります。しかし治らない治療を何年続けても無意味、時間と費用の無駄、何よりも悪化してしまい、その治療に又新たな病院を探す悪循環を説明し、現在は2人の方が治療を始められました。

松本医師を紹介する時「恐そうに見えるけど、必ず治してくれる優しい先生だから」と付け加えていますが、本人からの「とても優しくていい先生でした。始めて必ず治してあげると言われて、びっくりしました」という喜びの言葉に、いままで希望の無い治療を受け耐えてきた(あのTS病院に入院されたこともとあるようです)ことを思い、松本医師を紹介してよかったと安心しました。中には、「ステロイドで騒ぐのは日本だけで外国では、これが普通の治療なのに騒ぎすぎ」と言う人が意外とおられます。(私達は、どれだけ真実の情報を与えられているんでしょう。薬害エイズ、ヤコブ病、ハンセン氏病裁判、いつも核心は隠され、被害にあっているのは一般大衆です) 私は、松本医師のアトピー完治の理論、患者さんの体験記を読み、松本医師と電話での会話でアトピーが治ると確信し、9ヶ月目でアトピーが治りました。私は、初診時のIgEが140代と軽症で参考にならないと思われるかもしれません。しかし、原因が同じであれば、期間の長短はあっても同じように完治するはずです。ほかの方々の体験記を読まれればお分かりと思いますが、たとえ軽症でも、他の病院を選択していたら、悪化こそすれ完治せず、今こうして体験記など書けないのです。(幸運を感謝します)(アトピーは元来病気ではないのです。体内を化学物質汚染環境から守ろうとする働きがアレルギーなのです。たまたま皮膚から異物を出すときに傷ができる状態を病気だと他の医者は決め付けているだけです。この傷は実を言えば体内を汚染から守ろうとする戦いの勝利の証なのです。傷が多ければ多いほど体内は美しいのです。しかし残念ながら(幸せにもというべきか?)、この戦いは最後には敗北に至り痒みもなくなってしまうのです。私たちは無限の環境の中にしか生きられません。言い換えれば私たちは環境のごくごく一部なのです。環境が汚染されれば人間の体内環境も汚染せざるを得ないのです。周りが汚れている時に自分の体内だけを美しくするなどという特権を持つことを汚染環境は許してくれないのです。いずれは自分も汚れて汚染環境と共存するしかないのです。これが哲学的自然後天的免疫寛容なのです。ただこの境地に至るまでに勝利の証である傷から侵入してくるウィルスや細菌に対してどのような対処をするかだけが問題なのです。アトピーの傷そのもので死ぬことはないのですが、感染症を放置しておくと新たなる問題が生じるのです。つまり、体内に汚染物質が入ったからといって死ぬことはないのですが、体内にウィルスや細菌が入って放置しておくと敗血症になり、取り返しのつかないことが起こることは理論的には有り得るのです。負けるまでは勝利の傷は生じ続けるのですから、その傷から生じる感染症対策を常に留意すれば良いのです。ところが残念なことに、それに加えて当院に受診されるまでに使われたステロイドの影響をとるのが私の大仕事になってしまうのです。実はステロイドの使用が一番問題なのは、止めた時に出現するリバウンド症状よりもむしろ自然後天的免疫寛容が起こりにくくなり、根本治療から遠ざかることなのです。つまり、自然後天的免疫寛容を起こす仕事を担っているサプレッサーTリンパ球の働きもステロイドで抑制されているからです。この抑制をとらない限り自然後天的免疫寛容は起こらないのです。このメカニズムを分子遺伝学的に解明すればノーベル賞は確実にもらえるでしょう。)

私のアトピー性皮膚炎の発症は平成13年の7月でした。今までにない酷い痒みと被れが内腿部分にでき,近所の皮膚科で診てもらうと「赤ちゃんのオムツ被れみたいなものです」と言われ、安心し塗り薬を塗ると数日で綺麗になりました。しかし、その後も同じ繰返しをするうちに、耳が硬く感じ、掻いても感覚が無い違和感を覚えました。 医師に聞くと「耳の水虫のようなもの」と言われ「ヒスタミン」をという言葉があったので坑ヒスタミン剤入りの薬だったのでしょう。塗ると数日で、嘘のようにツルツルになりました。1ヶ月間、時々耳に塗り完治したつもりでいました。

12月に再発し、「今度は強い薬を」と言われたので、それがステロイドの意味だったのでしょう。4日程塗り再診に行くと、医師は何気なさそうに「アトピーですね」と言い「どうしたらいいですか」の問いに「そば殻の枕は避けたほうが」の一言で、目は次の患者を追っていました。始めから期待していなかったので「聞くだけ無駄、眼の手術をした大学病院に行けば何とかなる」という気持ちと以前テレビで見たあの土佐清水病院の待合室の風景、アトピーの赤ちゃんを抱いた母親の寂しい表情が浮かんでいました。マスコミ、テレビの力は偉大なもので、インタビューに答える、院長のやや偉そうに聞こえる言葉すら、「名医の自信かも?」と思っていました。そして、当時は他人事として感じた「東大病院も京大病院もあるのに東京や大阪から高知の病院に何故行くのか?」という疑問に自分のこととして結論を出さなければならなくなりました。

不安を押さえながら、すぐ書店に掛けこみ医学書でアトピーに関する治療を調べました。結論は、現代医学は、成人のアトピーは完治しない、ステロイド治療で対処するしかないということでした。「大学病院に行けば何とかなる」という甘い気持ちは消え去り「今後どれだけ悪化するのか、仕事は出来るのか」という不安だけが残りました。しかし、「本の情報は古いのでは?」と思い直しインターネットで治せる病院を探してみようとアトピー関連をクイックしました。しかし「T家」の「何もせずじっと我慢していれば、これ以上悪くならない」という寂しい結論が、一番真実に近く期待が持てるものでした。又「これは治りそうかな」と思って途中まで読み続けると、突然、温泉水が出てきたり、患者でなく業者が書いているとしか思えない完治例で、悪質なアトピービジネスばかりでした。 諦めて病院の治療方法を調べようとして最初に出会ったのが松本医院でした。「知らない遠い場所は無理」と思い住所を調べると何という幸運、20年前に住んでいた高槻でした。 しかし、大学病院しか信じなくなっていた私は、「医院?大丈夫かな?」と思ってしまいました。私は、以前近所の名医(?)といわれる医師に網膜剥離を発見されず、手遅れになり再発、眼圧の上昇に伴う緑内障の不安、3回の手術は、病院の選択を誤った悔いが残り、定期検診の度に後悔しています。その経験以来、大病院、大学病院しか信じなくなっていました。 (しかし入院して分かったのは、大学病院は、医師の研修、研究機関で、医師の関心は、研究対象になる病気で、患者の為ではないこと、初診の診察は若い医師の研修みたいなもので、そんなにレベルは高くない、違いは、最新の医療器具が揃っていること、週に一度、助教授又は教授の儀礼的な回診がある程度でしたが)しかし、あのアトピー完治の理論に出会い、これは本物かも、しかしこんな凄いことを無料で皆に読ませる、変わった経歴、手記の間違い、勘違いにも厳しく訂正する本音の辛口のコメント、治療に対する凄い自信「ここまで言って大学病院や土佐清水病院等の医師に訴えられないのか?しかし 訴えられても治した実績が勝つ!ここに行けば絶対治る」と私は確信しました。そして理論通りの治療をしてもらえる病院なのか、雰囲気を知りたいと松本医院に電話をかけました。(電話の応対は、たとえアルバイトの人でも病院の本音が分かる気がします。) 今、アトピーで苦しみ躊躇されている方、松本医院に一度電話されることをお勧めします。電話代だけでこの「世界一のアレルギー征圧者」の話が聞けるのです。それからどうされるか判断されたらいかがでしょうか。

受付の女性に少し質問すると、何と松本医師が出てきて「それはアトピーですね!いつでもいらっしゃい」その自信に溢れた明るい声は、あのイエス・キリストの「すべて、疲れた人、重荷を負っている 人は、私のところへ来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)の御言葉のようで、アトピーに疲れ重荷を負っている人と共に負い、癒してくれる隣人出会えたようでした。時刻は、PM6時過ぎでしたが、「松本医師に全ての不安を解消したい」と会社を飛び出し診察終了直前のPM8:00に私は、松本医師の前に座り、安心感から以前からの知り合いに出会った気持ちになっていました。

治療内容は、毎日3回(400tづつ)の漢方煎茶と2日に1回、一時間の漢方湯、塗り薬でした。完治するのは間違いないので心配はリバウンドの程度だけでした。

12月4日からの9ヶ月間の経過(次頁参照)ですが、症状の大きな変化は5日目から44日目迄でした。5日目の夕方から両足膝下から足首・湿疹(以前ダニに噛まれた痕が小さなかさぶたになる)痕は残ったままで、痒みはすぐ消え「やっと始まった」と安心し、きっちりと浮き出た2箇所ずつあるダニの歯跡に漢方の確かな手ごたえに感心しました。後の状況は、次頁のアトピー性皮膚炎症状過に記載しました。

3ヶ月経過すると、少し痒いところが数回、出ては消えとなり、IgEの低下を待つだけでした。そしてアトピー治療の副産物で、長年諦めていた痔が軽くなってきたのでアトピーが完治したら治療をしてもらおう」と先のことを考える余裕がでてきました。「痔も治してもらおう」と思ったのは、最初の12月4日漢方湯からあがると、今までになく痔の症状が軽く薬を塗るのを忘れるほどでした。その時は、30年間の病気が簡単に治るはずも無いので「気のせいかな」と思いました。しかしアトピー治療と平行して、痔の薬を塗っていた部分の痒みが増したりアトピーの改善と伴に小さくなり、以前は、朝トイレ後は、歩くのも痛かったのが、平気で散歩に行けるようになり、薬に含まれていたステロイドが全部抜ければ治るのではないかと思えるようになりました。

松本医師は、確かに「痔にも効く」とおっしゃっていましたので当然なのかもしれません。又、足の親指の爪は水虫の悪化で薄くなり割れ、布団が足先に掛かると重く感じていたのが、爪が厚くなり勢いを取り戻しています。今アトピーが治ったからといってすぐ治療を止めるのは勿体ないので、松本医師と相談しながら治療していただこうと思っています。

私は、アトピーになったおかげで他の諦めていた病気まで治る希望がもてるようになり、感謝です。9ヶ月は長いと思われるかもしれませんが、何の心配もない9ヶ月でした。病院、医師の選択の違いで、こんなに安心して治療を終えることが出来ることを知って頂きたく思います。松本医師のアトピー治療法が普及し漢方薬の全てに健康保険適用され、費用の負担が少なくなり、多く のアトピーで悩み苦しまれる方々が救われることを願います。それには、あの金沢大学の教授のようなステロイド信者でなく松本医師が東大の教授になるのが近道かもしれません。そして松本医師の理論を引き継いで広めてくれる医師の出現を期待します。勿論、松本医師がお元気で、いつまでも診療していただけることを願い応援します。 『あなたがたのあった試練は、みな人の知らないようなものではありません。神は,真実な方ですからあなたがたを耐えることできない試練に合わせるような事はなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』(Tコリント10:13)

松本医師に与えられた試練、偏頭痛が私達にアトピーからの脱出の道を備え希望を与えて下さったことを感謝いたします。

アトピー性皮膚炎症状経過 

日数 月日 血液検査

初診 12/4 IgE140 @採血(ハウスダスト・杉・抗体有り)入浴中、内腿部分痒み入浴後痒み消える 

5日 12/8 足膝下湿疹痒み、始まる 起床前内腿部分痒み・夕方・両足膝下から足首・湿疹(以前ダニに噛まれた痕は小さなかさぶたになる)痕は残るが痒みすぐ消える

8日 12/11 湿疹部分が赤くはっきりしてきた 左耳首筋、湿疹(痒みはすぐ消える)、入浴最初のみ両足膝下から足首痒み(湿疹部分が赤くはっきりしてきた)

9日 12/12 臀部にかけて小さいブツブツ、痒み 昼、両腕湿疹すぐ消える・両足膝下から足首湿疹、少し痒み残る ・入浴時(内腿部分から臀部にかけて小さいブツブツ,痒み、入浴後痒み治まる)

12日 12/15 膝周囲湿疹痒み 朝、耳首筋湿疹、昼、膝周囲・両足膝下(痒みすぐ消える)

13日 12/16  入浴時(内腿部分から臀部にかけて小さいブツブツ少し広がる)

14日 12/17 臀部にかけて小さいブツブツ 両足膝下から足首・入浴時(内腿部分から臀部にかけて小さいブツブツ)昨日と変わらず、痒みは、それ程でもない

15日 12/18 2回目検診 (両足膝下から足首の痒みがほとんど無い)・入浴時(内腿部分から臀部にかけて小さいブツブツ)の痒みのみ 

16日 12/19  両足膝下から足首小さいブツブツの色が薄く土色、表皮に小さい水泡のように見える、痒みがほとんど無い

17日 12/20  入浴時(内腿部分から臀部にかけて小さいブツブツ)の痒みのみ

18日 12/21  起床前内腿部分痒み・入浴時(内腿部分から臀部にかけて小さいブツブツ)の範囲、痒み昨日より少ない

19日 12/22  起床前内腿部分痒み、太腿付け根、(ブツブツ)

21日 12/24  足のダニに噛まれた痕(一部分より汁がでる)

24日 12/27  痒み感じず.足のダニに噛まれた痕土色が薄くなった(一部分以外)

25日 12/28  入浴時のみ(臀部にかけて小さいブツブツ)の痒み 

29日 1/1 足のダニに噛まれた痕土色がほとんど消えてきた 入浴時内腿部分から臀部にかけての痒み・足のダニに噛まれた痕土色がほとんど消えてきた(一部分以外)

31日 1/3 内腿部綺麗になっている 入浴時内腿部分の痒み(以前痒かった部分と正常部分の境)内腿部分は綺麗にツルッとなってきた)

1/5  入浴時内腿部分の痒み(以前痒かった部分と正常部分の境)

 1/9  入浴時(臀部にかけて小さいブツブツ)の痒みのみ・内腿部分は綺麗にツルッとなってきた)

44日 1/17  入浴時(臀部にかけての痒みあまり感じない(小さいブツブツほとんど無くなる)

3ヶ月 3/3  内腿部分(小さいブツブツほとんど無くなる)

 3/26 IgE80〜 A採血

9ヶ月 9/10 IgE75 B採血(今回の血液検査で結果がよければ卒業とのこと)

 9/20 アトピー治療(漢方湯は今月で終了)(約9ヶ月)