「現代医療の無駄な治療の結末」 中野 真也 32歳 私は今、このアトピー性皮膚炎という病気を治すために何年間も続けてきた無意味な治療と、松本先生との出会いがなかったら未だにその愚かしい治療をひたすらに続けていたであろうことを思うと、あらためて背筋が寒くなると同時に怒りにも似た感情がこみ上げてきます。(今この瞬間でも同じ間違った治療が無責任にも行われつつあります。どうすればこのような薬害を防ぐことができるのでしょうか?考えてください。) 私は子供の頃から湿疹などができやすく、特に入浴するなどしてからだが暖まるほど痒くなり、ボリボリと掻きむしっていたことを覚えています。しかし、その頃はアトピーという名前もあまり一般的には使われておらず、(そうです。第二次世界大戦前には化学物質によるアトピーは皆無であったと言えるでしょう。化学物質の生産量が増えるにつれてアトピーはどんどん増加していきました。それと共にステロイド剤を使うだけで根治出来ない累積アトピーも医療によって増えていきました。近頃ではアトピーのいない家庭を探すことは不可能になったようです。)母親が薬局で買ってきた軟膏(後で知りましたがこの薬はステロイドが多く含まれていました)を毎日というわけではありませんが、湿疹ができた場所によく塗っていました。 その後、中学、高校、大学と進む内に、不思議と高校時代の3年間だけはなんともありませんでしたが(ステロイドはある程度用いた後はかなりの期間症状を抑えこむことが出来ます。しかし、その長い抑制の期間は結局最後にはいつか終わりリバウンド現象があらわれます。このメカニズムについてもいまだ解明されていません。ステロイドにまつわる不思議な疑問は非常に多くあります。)、次第に湿疹のできる範囲が広がり、痒みもひどくなっていきました。大学3年生の頃からは顔にも赤く腫れたような湿疹ができるようになり、その度にステロイド剤を塗っていました。有名な総合病院の皮膚科にも通いましたが、「体質的なものでどうにもならない。」と言われ(体質とは一体何なのでしょうか?遺伝子で決められた変えることの出来ない性質であるとすれば、日本人がこれほどアトピーが多いことはそれ程日本人は劣った病気になりやすい遺伝子を持っているということなのでしょうか?勿論違います。これは環境の化学汚染の濃度が日々高くなっていくためにそれを異物として認識する人達が多くなっていくに過ぎないのです。勿論薄い濃度で異物を認識できる能力は遺伝子的に決められているものです。)、痒み止めの内服薬とステロイド軟膏で「その場しのぎ」的な治療を繰り返していました。 大学を卒業して就職してからは、慣れぬ寮生活や過度の睡眠不足の影響もあったのか全身にひどい湿疹ができるようになりました。(ストレスはいかなる病気に対しても悪い影響を与え必ず症状を悪化させます。アトピーでストレスが症状を悪化させる理由は皮膚の恒常性を維持する力をストレスが弱めるからです。つまり、ストレスとは一定の健康な状態を変えようとする力といえます。)その頃は毎日入浴後にステロイド軟膏を塗っていました。というより塗らずにはいられないと行った状態で、痒くてたまらず、ひどいときにはチクチクと刺すような痒さでなかなか寝付けない日もありました。 ところが、不思議なことに就職して3年目頃からあれだけひどかった湿疹ができなくなり、一時期は完全に治ったと思っておりました。(アトピーが完全に治ったかどうかは症状が良くなると同時に、IgE抗体を作ることが出来なくなったということを確認する必要があります。これはIgE抗体の変化の経過を見ていくことによってしか正確な確認はできないのです。)この原因がなんなのかは分かりませんが、3年間くらいは全く別人になったようにきれいな皮膚に戻っていました。この間、東京に転勤になり、生活環境ががらっと変わりましたが、特に変わったこともなく、湿疹で苦しんだことなどすっかり忘れてしまいました。 東京に転勤になって3年目に結婚し、それから半年位してから、急に湿疹ができ、瞬く間に全身に広がりました。勤務先の近くにある皮膚科にしばらく通いましたが、ここでも、痒み止めの内服薬とステロイド剤による治療をしたほか、毎日のように注射されました。2・3ヶ月間このような治療をしましたが、いっこうに良くなりませんでした。(ステロイドの投与量があるレベルを超えるとどのようにステロイドを投与しても症状を抑えることが出来なくなります。まさに麻薬と同じ性質をステロイドは持っているのです。) その後、2年間くらいは以前より増してかなりひどい湿疹が全身に出てきました。就職直後の症状と比較しても格段にひどく、特に顔が赤く腫れ上がり、熱を持ったような自覚症状があり、ひどい時は顔面が高熱で痛いくらいの感覚がありました。この頃は自分で自分の顔を見るのも嫌で、また、当時営業という仕事柄、人前に出ることが多かったのですが、毎日が憂鬱なものでした。知人に聞いたり、本で調べたりして、優秀な医師がいると言われている皮膚科のある大学病院やアトピーの患者を何人も治したという皮膚科(ただ単に強いステロイドを投与してリバウンドを長く抑えこんだのを治ったと称しているだけです。)へそれぞれ1年間くらい、それこそすがるような思いで通いましたが、どこへ行ってもステロイドの強弱はあるものの、軟膏と痒み止めの内服薬による治療でした。(ステロイドを使う限りは永遠に根治治療は出来ません。最後には必ず免疫抑制の後始末をせざるを得ません。)時には、ステロイドの内服薬(後で分かったのですが)を飲まされることもありました。当時はすがるような思いで通っている皮膚科の先生の指示通りにしていたのですが、一時的に改善したように見えてもまたすぐにひどい状態に戻るということを繰り返していました。「先生の指示通りにしても良くならない。」と言うと、反対に私のやり方が悪いと責められることもしばしばありました。(先生の言う通りにしているにもかかわらず破廉恥にも患者に責任を取らせる医者がなんと多いことでしょうか。つまり最近ステロイドの塗り方をうまくすれば治ると言われますが、まっかな嘘なのです。日本の無責任社会のひとつです。) このようなことを続けている内に、転勤でまた大阪に戻りました。半年くらいは、大学時代に通院していた総合病院の皮膚科へ行って、相変わらずのステロイドと痒み止めの内服薬による治療をしていました。 ある日、家内が知人から松本先生のことを聞いてきて私に勧めてくれました。当時は漢方薬については全く無知で、「どうせ治らないだろう。」と勝手に決めつけ、従来からの治療を続けていましたが、松本先生に治していただいたという家内の知人から直接話を聞いたり、家内からも何度も勧められましたので、ようやく松本先生の門を叩く気になりました。(私の医院に来る患者さんの90%以上が治った患者さんが紹介してくれた人達です。)確か、平成5年10月頃のことでした。 松本先生に初めてお会いして印象に残っていることは、事も無げに(少なくとも私にはそう見えました)、「必ず治してあげますから、頑張って下さい。」とおっしゃったことでした。あれだけ、世間で大病院と呼ばれている病院を回っても、これだけはっきりと「治す。」と言った先生はいませんでした。帰り道で、その日一緒に来ていた家内に、「この先生のもとでしばらく頑張ってみよう。」などと話したことを鮮明に覚えています。(必ず治る病気がアトピーですから治してあげると言ってあげるのですが、ほとんどの人が最初から最後まで信じてくれません。患者に信じられないで毎日の診察をしている私の精神の強靭さを理解してください。これらの手記は尊い患者さんの戦いの手記であると同時に、私の権力や権威や世間の間違った常識との戦いとの勝利の記録でもあるわけです。) それから8ヶ月に及ぶ、これまで体内に蓄積したステロイドを追い出し、(体内に蓄積したステロイドを追い出すというよりも、ステロイドの影響を追い出すと言ったほうが正しいのです。)アトピーを本当に治すための治療が始まりました。先生に出していただいた薬を飲みだして1週間ほどしてから、毛穴を中心として斑点のようなものが全身にでき始め、その後皮膚が剥けてきて、1ヶ月目くらいからはチクチクとした痛みを感じるようになり、更には下着と皮膚が少しすれただけでかなりの痛みを感じるほどになりました。事前に先生からそういう症状が出てくるとは聞いてはいたものの、そのうち顔に亀裂ができて、膿が何度拭いても滲み出してくるようになり、身体からも汗のような汁が噴き出してくるようになりました。ステロイドに犯された皮膚を剥がしていく過程で、皮膚自体が体温の調節機能を失っており、ステロイドを多く塗り続けた箇所ほどひどくなるとの先生の言葉を信頼し、ひたすら耐える日が続きました。その頃は皮膚の感覚が非常に敏感になっており、家内が後ろを通り過ぎるときに起こるわずかな風によっても、痛みを感じるくらいになっていました。(これらの症状はステロイドという化学物質による化学火傷の症状と言えます。普通の火傷と違って化学火傷で命を失うことは全く心配ありません。)その上、瞼が腫れ上がり(瞼は非常に柔らかい組織で、剥がれるときに体は剥がし易くするために組織間液が瞼の皮膚の下に移動し、腫れて下からその皮を押し上げて剥け易くしているわけです。)、片目が半分ふさがったようになっており、顎には亀裂ができ、目尻のあたりは赤黒くなっているという、今から思い返してもひどい顔をしていました。薬の効果で新陳代謝が非常に活発になっているため、何もしていなくても身体が疲れており動くのも億劫なくらいでしたが、皮膚が剥けて火傷のようになっており、その痛みで睡眠薬なしでは眠れない状態でした。転勤先にも無理を言い、結局7ヶ月間休みました。(アトピーでステロイドを2・30年使ってきた人は少ない人で3ヶ月、多い人で7・8ヶ月仕事を休まざるを得ないことがしばしばあります。) 平成6年5月になると次第に皮膚も剥けなくなり、治ってきているのが自分でもよく分かりました。6月からは仕事にも行けるようになり、7月にはすっかり健康な皮膚に戻りました。一時は「いつになったら社会復帰できるのだろうか?」と不安になることもありました。また、平成6年の正月には、痛い身体に鞭打つようにして家内の実家に家族を連れて帰りましたが、大晦日の夜にヘルペスになっていることに気づき(あまりの激痛と水腫れが腹部にできたため)(元来ヘルペスは老人で癌を患っている免疫の低下のある人によく見られたものでありますが、近頃はステロイドをアトピーで用いるために免疫が高度に抑制されヘルペスにかかる人が赤ちゃんから大人まで非常に沢山見られるようになりました。従ってこれも医原病と言えるでしょう。)、担ぎ込まれた病院でも、「そんな治療は早く止めなさい。」などと言われたりしましたが(治す自信も無い上に治した経験も無い病院が何故こんな発言が出きるのか信じられません。症状だけを見て、本質を見ない無責任な医者が多すぎます。)、あくまでも松本先生を信頼して頑張るという気持ちは変わりませんでした。 現在、ステロイドの副作用に悩み、アトピーの治療を続けている皆さん、この病気は身体の面もさることながら、精神的な面での負担が大きいですが(私も顔を上げて歩くのが嫌でした)、負けずに頑張って下さい。ここに書かせていただいたことは、私の一体験に過ぎず、他の方にも必ずしも当てはまるというようなことはないと思いますが、僅かでも不安の解消に役立てていただければ幸いです。(この一体験は全てのアトピー患者に通じる極めて貴重な体験なのであります。) 松本先生、本当に有り難うございました。(この方は喘息もあったのですが、それも完治して来院されておりません。)
<上の表の説明> 激烈なリバウンドを乗り越えた患者さんにしては、IgE抗体の最高値はあまり高くありません。元来、ステロイドさえ使わなければ、IgE抗体産生は抑制されることはないわけですから正常値(100)の何倍も上昇するという現象はないわけです。つまりすぐ作ってはすぐに使われるわけですから、このようにぐんぐんと値が上昇し最後は下降していくということはまさにステロイドのなせる技であります。さらにこの症例から分かることは、IgE抗体が高いほどリバウンド症状がそれだけひどくなるとは一概に言えないわけであります。ステロイドの直接的な皮膚への影響のほうがはるかに問題になります。 |