「ステロイドと20年付き合って」 那須 雅美 28歳 私とアトピー性皮膚炎との付き合いは20年余りになります。「付き合い」と書きましたが、まさしくそれは、日常継続的なものでした。即ち、ステロイド剤の使用歴も20年程となり、知らない内に自分を追いつめていたことにやっと気付いた今、これを書く機会を得ました。 小学生の頃は、耳の下が切れ(アトピーの初期症状でよく見られるものです。)、肘の関節の内側がジュクジュクし(これもアトピーの初期症状でよく見られるものです。)、半袖を着て体育の授業で「前に習え」をして、それを人に見られるのがとても辛かったことを思い出しましす。そして通院し、ステロイドを使用し始めました。それでも中学入学の頃からは、あまり薬の世話にならずにすみ、時折症状が現れるくらいでした。(この様に幼少時からアトピーの人で途中で症状が無くなり時には数年あるいは十数年して症状が再発することはしばしば見られることです。これはおそらく免疫の成熟していない幼い時にはステロイドを使っている内にアレルギーの免疫を一時的に完全に抑制できるからでしょう。これも解かねばならないステロイドの謎の一つです。)しかし、症状が出れば必ずステロイドを使用していました。20歳を過ぎた頃からは、今まで症状のでなかった顔に少しずつ出始め、接客の多い仕事もしていましたし、化粧をし、美しく飾ることに主をおいて、ステロイドの乱用は気になりつつも、症状が出れば薬でそれを抑え込むようになりました。やがて結婚・出産。妊娠中と産後の授乳期間は、信じられないほど肌の調子が良く、「妊娠で体質が変わったのかしら?」と思うくらいでしたが、それはとんでもない勘違いでした。(このように妊娠で良くなる人とは逆に、悪くなる人がしばしば見られます。これは性ホルモンが免疫の発現に微妙に影響しているからでしょう。特に妊娠の後半期に悪化することがよくあります。) 断乳直後、秋晴れが素晴らしい休日。親子で行楽に出かけたその翌朝、私の顔には異変が起こっていました。顔中が赤く腫れ上がり、とても鏡をじっと見ていられないほどでした。「前日の無防備な日焼けが原因か?」と2〜3日は家でじっと回復を待ちましたが、赤みはもちろん、痒みと火照った感じが全くひかず、それどころか、首や背中や腕までも赤く腫れ上がった箇所が増えていきました。(日光の紫外線はステロイドの命令を解除して突然にアレルギーの免疫反応を開始させることがしばしばあります。と言うのも、紫外線は皮膚癌をも引き起こすことができるほど遺伝子の情報を変えることが出来るのです。)そしてたまらず、医者にかかりステロイドを使用。炎症を抑える注射も2・3度打ちました。(ステロイドの投与の仕方として最悪の方法は注射です。と言うのも静脈注射をしますと100%ステロイドは体内に吸収されますが故に恐ろしいほどの抜群の見かけの治療効果をもたらすと同時に、免疫の中枢である骨髄までしっかり入り込んでアレルギーを起こす免疫のもとの細胞まで抑制してしまい、その影響を取るのに恐ろしい全身のリバウンド現象を経験せざるを得ないからです。まさに生き地獄です。残念なことにステロイド注射をする医者は多くが外科医であることが多いようです。と言うのは、普通の皮膚科の医者はステロイド軟膏を出す時も少しばかりの罪の意識を持ち仕方が無いから出すこともあるわけです。ましてやステロイド注射の後のリバウンドの怖さは重々知っているからです。)2ヶ月位も通院したでしょうか。顔は何とか人前に出られるくらいにはなりましたが、薬を止めれば悪化するという繰り返しでした。顔はいつも赤くはれぼったく、身体には無数の引っ掻き傷を作り、慣れない育児のストレスもあってか、良くなることもなく、真夏でも肌を人前でさらしたくなく、長袖・長ズボン・帽子に手袋という出で立ちで、子供を外遊びに連れて行っていました。また、赤みが多少ひいたときでも、その肌は黒ずみ、象の肌のように水気を失いしわが多く、かさついていました。その時は辛くても、「子供に症状が出なくて良かった。」と思うことで、何とか日々を送っていました。 しかし、ステロイドで症状を抑えることの限界を感じていたのも事実で、この頃に兄より松本医院を紹介され、「とりあえず治れば儲けもの。」ぐらいの気持ちで通院を始めました。それからすぐにリバウンド症状が出始めましたが、その時が最もしんどい時期でもありました。身体の中で普通の状態の肌がほとんど無くなるほど、全身赤く腫れ上がりました。身体が火照って眠れずアイスノンを抱いたり、寝ている間に身体を引っ掻いて悪化するのを防ぐため、手を縛って眠ったりといろいろやりました。(私は掻きたければ掻きなさいといつも患者さんに伝えているのですが、この患者さんは前の皮膚科の医者が言っていたように掻くのは悪いと考えていたようです。掻いても良い理由はいくらでもあります。その一つが昼間いかに掻くまいと努力していても夜間寝ている間に本能的に知らず知らずの内に思いきり掻いているわけですから、昼間の努力は全く意味が無いわけです。本能に属することをするなと言うのは非常識のそしりを免れません。)それでも朝起きると、シーツの上には皮膚が消しゴムのかすのようにたくさん落ちていました。手先も血が滲むくらいひどかったので、料理をするときは常に使い捨てのビニール手袋を使っていました。入浴後がまた地獄。痒みが全身を襲い、乾くと痒みもひどくなり、涙が出るほどでした。そんな姿の私を見た実家の母は兄に「いらん病院を紹介して。」と怒ったそうです。(このように本人がステロイドを止めようと決意しても激しいリバウンド症状の為にその意味が理解できない周りの家族や知人が余計なアドバイスをして頓挫することがしばしばあります。いかに私が治らなければ家一軒をあげるとか金を返すとか言っても途中で挫折せざるを得ないことが多いのは極めて残念です。)(もちろん今ではその誤解も解けましたが。)私自身、「この状況からいつ抜けられるのか?」という不安でいっぱいでした。(勿論初めから何ヶ月でリバウンドが終わるかが分かれば私も苦労しません。どれだけ今までの治療の影響を吐き出さざるを得ないかを知っているのは患者さんの体だけです。患者さんの治療歴の記憶などは全く信用できません。つまり、体だけがIgE抗体がどれだけ上がり最後にいつ下がるかとか、皮膚がどれだけ深く、どれだけ多くの細胞が侵されているかは現代の医学では知る由もありません。まさに体が知っていると言う以外に言い様がありません。体だけが嘘をつきません。)外出も週一回の買い物のみで、人に会うのが嫌でした。でも、松本先生の「必ず治ります。」という言葉を信じ、また、「痒いときは、どうぞ掻いて下さい。」と言われたことでかえって「痒くなれば掻けば良いんだ。」とゆったり構えることができ、痒みを我慢できるようにもなりました。先生のおっしゃる一言一言で救われた気持ちになりました。(掻けば良い他の理由は、一つは痒みが出るのは皮膚が破れるという信号でありいずれはその部の皮膚はつぶれるからです。二つめは、どうせつぶれるなら掻いて楽しんでつぶしたほうが良いのは言うまでもありません。三つめは、炎症を起こしてつぶれていく皮膚は再生しなければなりませんから掻いて早くつぶして新しい皮膚を作ったほうが良いわけです。四つめは皮膚を傷つけることによって見かけの炎症はひどくなりますが、そこにアレルギーの炎症細胞やIgE抗体が集まりそこで消費されてしまいますから他の死を招く危険な気管支喘息に用いられるIgE抗体が減り、その分死ぬ危険がなくなってしまうからです。五つめは喘息と違ってアトピーの傷がどんなにひどくても死ぬことは無いわけですから痛くなるまで掻いて楽しめば良いわけです。六つめは傷をつけながら同時にステロイドで変質した皮膚をつぶして皮膚の再生の準備をしていることにもなるからです。) 通院よりほぼ1年でリバウンドからも抜け、その後第二子を出産。産後にはまた少し具合が悪くなり、今も通院中です。今では医院で顔を合わせる人で、以前の私のような症状の人には「大丈夫、私もそうだったのよ。」と言ってあげたくなります。また、町中でそういう人を見かけると、松本医院を紹介したくなります。ともあれ、何とかひどい痒みや痛みから解放され、人前に出たり、半袖を着たり、また、素手で包丁を握れることに喜びを感じられるようになったことを嬉しく思います。この病院に通院できて、本当に良かったです。(この患者さんは完治して当院には姿を見せません。下の子供さんもアトピーでしたが1・2回来院されてすぐに治りました。アトピーを当院で治された母親を持った子供さんは幸せですね。) |