「娘と共に苦しんだ23年間」 野口 久美子・貴子 24歳・22歳

 (お母さんの妙子さんが書かれました。)

 我が2人の娘24才と22才、楽しく青春を謳歌しているはずの娘が、ある日突然インターネットで松本医院のことを知り、治療を受けたいと言いだしたのは、今から9ヶ月前のことでした。私にはじめ相談してきた時は、あまり聞く耳を持たず、「アトピーなんて、治らないよ。やめときなさい。」と返事をしていました。しかし、私自身今までに、ありとあらゆる治療をやり(あとで詳しく書きます)、見せかけだけ、治ったようになるけれど、また湿疹が出る治るの繰り返しで、もうアトピーとうまく一生付き合って行くしかないなと考えておりました。でも、あまり熱心に娘が言うものですから、私もインターネットで松本医院のアトピーの理論と治った患者さんの手記を読んで、あまりのリバウンドの恐ろしさに、体がガクガク震えてきたのを覚えています。そして、主人とも相談して、今度が本当に最後の治療にしようと思い、松本医院のドアを叩きました。理論は先生が最低5回は読みなさいとおっしゃたので、その通り5回以上読むと頭の悪い私でもなんとか理解できるようになりました。初めて松本医院に行った時、大勢の患者さんが待合室にあふれているのに驚き、今までに見たこともない形相の人が静かに椅子に腰掛けておられました。まず仕事をしてなかった長女の方から、治療にとりかかりました。そして、2週間遅れで、二女(会社勤めで近所の中川皮膚科に通院)も治療を始めました。それからのリバウンド、それはそれはまさしく地獄でありました。まず長女の方から、漢方薬を飲み始めてから、2、3日で身体中から臭いリンパ液が出て、布団の上は皮だらけ、顔は目も線になり、腫れ上がり、毛という毛は全部無くなり(髪の毛は、生え際だけはげあがり、まつ毛のほうもほとんどぬけました)、生理も止まり、熱も出て、おでこがヘルペスになり、足がむくみ、足の裏がパンパンに腫れ、ぼろりと厚い皮がむけました。熱のあるときは、漢方風呂にも入れず、頭がかゆいと言うので、毎日頭を洗ってやりました。そんな最悪の状態が4ヶ月ほど続きました。死んだような状態でした。このころ先生と毎日電話で連絡を取り合って、また先生も往診に何度か来て、励ましてくださいました。ありがとうございました。嬉しかったです。5ヶ月目になりますと、熱も無くなり、今までに皮がゴロゴロむけていたのが、ぬかのような粉に変わり、量も少なくなり、リンパ液もでなくなってきました。8ヶ月に入ると、生理がおこり、3人で喜び合い、涙がでてきました。皮膚が少しだけつるつるした状態になってきました。だけど見た目は、きめが荒く、象の皮膚の様でした。でも、娘も少し元気になってきました。9ヶ月たった現在、床も上げ、読書をしたり、パソコンをしたり、本当に元気になってきました。手記を書くのはまだまだ早いのですが、私は嬉しくて嬉しくてたまらないので書いています。現在身体の粉もほんの少ししか出ません。でも、皮膚はまだまだ普通の人の皮膚とは違います。先生のおっしゃることを良く聞き、ゆっくり治療していこうと思います。まだまだかかると思いますが、先生からの完治宣言が出るまで頑張りますのでよろしくお願いします。

 次は、二女について書きます。姉に比べてアトピーはずっと軽いですが、漢方を飲んで3日目から姉と同じ様相、ただヘルペスにはならず、熱もアレルギー熱だけで、お風呂も入れたし、楽なものだったが(子供から言わせると大変だった様)、2ヶ月半会社も休職、身体はズルズル、布団の上は皮だらけ、リンパ液の臭いにおい、2人の娘が寝たきりの時は、私もあまりの辛さに泣いてばかりいました。でも、9ヶ月たった現在、アトピーと分からないほど、回復し、楽しく会社勤めをしております。松本先生ありがとうございました。いつ先生が完治宣言をしてくれるか、楽しみにしております。

 2人のアトピーの娘を持つ親として、昔の医者の治療のことを思い出すのは嫌ですが、この手記を読んでもらった方に、ちょっとでも参考になればいいと思いますので、昔の医者の治療について書いて見ます。思い出すのも腹が立ちますが・・・。長女は、生まれた時から、肌はザラザラ、他の赤ちゃんの肌に触れて初めて自分の子が普通ではないのに気ずきました。アトピー治療をしたのは8ヶ月の時、近所の人にアトピーだから医者に行くように勧められ、十三の回陽堂皮膚科へ行きました。優しい良い先生でした。オイラックスの様なにおいの薬だけもらいました。「こんな遠くにまで来なくて良いよ、もっと近場で探しなさい。」と言われ高槻の大桑皮膚科へ1年は通院したと記憶しています。黄色い液状の飲み薬(良く効いたのでステロイドかもしれません、なんだかよく分かりません。)そしてステロイドの塗り薬(このころ、あまりまだステロイドの薬害が言われませんでした。)色々薬のことを訪ねても、受付の人はさめた態度だった印象が残っています。そして、そんな大桑皮膚科とはおさらばし京都の草場皮膚科に5年通いました。この病院はものすごく込んでいて、2、3時間待ちは当たり前。長女の手を引き二女をおんぶして、1日がかりでへとへとになって通ったのを覚えています。草場医院で出されている薄茶色の貼り薬がとても良く効き体中に湿布し、だんだんアトピーの範囲が広がり、手はいつも薄茶色の薬で包帯をしなければ寝ませんでした。これが大変な作業でした。しかし、薬を湿布しているときは良く効くのですが、とるとまた湿疹が現れ、そのうち頭にまで湿疹が広がり、七五三参りの時は丸坊主で行きました。幼稚園の時手に包帯をしているので友達にからかわれいじめられ、また同時に小児喘息もでてきました。(京都の高木小児科で治療)そして、そのころ、草場医院の薬(何か分からない塗り薬、5グラムのチューブ10本を2週間で使う)では足らないので製薬会社に勤めているいとこに頼んでリンデロンをもらい、全身にクリームを塗るように使っていましたが、だんだん薬が効か無くなってきて、草場皮膚科をやめました。川合皮膚科がいいと効いて1回だけ行きました。おしっこを採られ(必要あるのでしょうか。)ビタミンcを大量にもらい、先生に質問しても態度が恐くおどおどしていた自分をおぼえています。そして枚方のほうの医者へ行きました。何という医院か忘れましたが、その先生はアトピーが治る方法があるならば、私が反対に教えてほしいと言われ、自分は治せないので他へ行きなさいと言われました。今思うとあの先生は、正直でとてもよいせんせいでした。今度は高槻の南皮膚科へ。ここでの治療は5年。きついときはステロイドの飲み薬、弱くなれば坑アレルギー、ヒスタミン剤、塗り薬はいつもデルモベート(もっとも強い)、良くなっても重ねて塗りなさいと言われいつもその通りにしていました。ステロイドの服用時には、皮膚はツルツルでしたが、副作用で顔はムーンフェイス、そして食欲がでて肥満気味になりました。しかし先生は「どうもない、どうもない。」と言われました。同時に南皮膚科で漢方の朝鮮人参6年根を煎じて5年間飲み続けました。(後に松本先生に、漢方とステロイドを一緒に併用すると、ステロイドがよけいに効くと聞きびっくりしました。)それから、風呂上がりにはじんましんのように全身真っ赤になり、ガンマグロブリンの注射も5回打ちましたがひとつも効きませんでした。南皮膚科もやめ知人に聞き滋賀医科大の上原先生のところに行くことになり、まず肌をきれいにしてから治そうと言われ、血を採られ、ステロイドの飲み薬で肌がツルツルになりました。ここでの治療は坑ヒスタミン、アレルギーの飲み薬、ステロイドの塗り薬、それも塗り薬はいく種類もだされ、顔の右半分、左半分、右手、右足、背中、胸、全部違う塗り薬を塗って、どのステロイドが1番効くかと言う方法をとられました。チューブはいくらでもくれていっぱいたまりました。私も恐くなり、副作用は大丈夫かと訪ねると、「0・001%のステロイドが入っていてもなんの心配もない。」と言われました。家から遠いので、子供も何度か学校を休まなければなりませんでした。入浴剤ももらい、初めはなるほど良く効くみたいなので、ここを最後の病院にしようと思いました。またある時は、皮膚を調べるために背中の肉を切り取られたこともあり、2針縫いました。紫外線が悪いのではないかと、紫外線を身体に当てる検査もしました。本人が行けず、月に2回私が薬だけもらいに行ったこともありました。待ち時間が非常に長いので色々な人と知り合いになりました。皆遠いところから来院されていて、顔が紫色の中年の男の人もいました。ジクジク汁が出て、困ると言っていました。また、60才くらいの女の人は、入院しても治らず、死にたいと言っておられたのをおぼえています。いつも同じメンバー、少しも良くなっていないという感じでした。あの人達どうしているかしら・・・。松本医院を教えてあげたい気持ちでいっぱいです。そして、滋賀医大があまりに遠いので、通うのに大変だと上原先生に言いますと、富田町病院に滋賀医大の皮膚科が週に1回設けられていると聞き、富田町病院に行くようになりました。三年ほど通院しました。しかし、ここでも良くなったり、ひどくなったりの繰り返しで、治りませんでした。

 そうこうしているうちに、短大を卒業して、アメリカに留学しました。私が薬を送りましたが、それが足りなくなると、現地でも皮膚科に行き、ステロイドの塗り薬を処方してもっらていた様でした。

 そしてそれ以外にも、幼い頃に民間療法として、食事の制限(卵、牛乳をやめる)、ツムラの漢方薬(番号が打ってある顆粒状のもの)、馬油、ケイギョクという名の漢方薬、ミキプルーン、青汁、電解カルシウム、ビィレバーキング(肝臓強化)、ニンニク風呂、どくだみ茶、あまちゃずる茶、日本橋薬局で漢方の煎じ薬、松本先生にもらうような赤い薬など、色々と試みました。日本橋薬局の薬剤師にステロイドのとの併用はやめてくださいと言われて、やめていましたが、ひどくリバウンドが出てきたので、恐くなって、結局日本橋薬局の漢方の方をやめてしまいました。今思うと、その漢方薬をずっと続けていたら、もしかして治っていたかもしれません。

 長女に比べたら、二女の方は、そんなにきついアトピーでもないのに、ずっとステロイドの塗り薬を塗り続けていたように思います。しかし、ステロイドの飲み薬だけは、あまり飲んだ覚えがありません。だから、松本医院での治療も、リバウンドが思ったより早く終わったのだと思います。

 このように、長女も二女もアトピーで苦しみ、長女は肌がきれいな時が一度もなかった気がします。夜も身体をかいてやらなければ、なかなか寝付きませんでした。私もよくストレスがたまりました。いつも布団には、血が付いていました。私もアトピーのことで、夫婦喧嘩をよくしました。喧嘩の原因は、意見の不一致で、主人は薬を飲ませたくないし、私は飲ませたいしなどでした。今は、松本先生の治療で、治ることがわかり、その日を待ちわびています。今は毎日がとても幸せで楽しく、毎日がとても早く過ぎていきます。娘が最後にはどんなにきれいな肌になるのか、楽しみです。松本医院に来て、本当に良かったです。ただただ先生に感謝感謝です。言葉では言いつくせません。

 この手記を読まれた方は、今すぐステロイドを捨てて下さい。我が子のように苦労しないように。そしてすぐに、松本医院を訪れてください。

2001年7月29日