アトピーの症状が出始めてあしかけ20年になろうか。(ステロイドに騙されたと気がつくのに20年もかかるというところが性質の悪いステロイドの特色です。)最初は手に少し湿疹が出る程度だった。背中が痒くなることもあった。その都度ステロイド軟膏を塗って抑えてきた。非常に神経を使って疲れることがあった。その後どっとアトピーの症状が出、飲み薬と塗り薬で抑えた。(ストレスは皮膚の恒常状態を簡単に破壊します。従ってストレスにさらされると皮膚がつぶれやすくなり、見かけの症状は悪くなります。しかし、ステロイドで維持される皮膚というのは結局つぶさなければ新しい皮膚は作られないわけですから、症状が悪ければ悪いほどアトピーの根治治療には都合が良いわけです。) 薬で抑えても症状はまるでモグラ叩きのように時を変え、場所を変えて出てきた。眼に出れば"翼状片"、首に出れば"ヴィダール苔癬"、手に出れば"主婦湿疹"、肩や背中に出れば"接触性皮膚炎"とそれぞれ命名された。(これでお分かりになるでしょう。一つの病気がその時々によって診断名が異なることが。皮膚科の病名は全くでたらめもいいところです。)でもその根本は皆同じ。西洋医学を否定するわけではない。しかしここに「木を見て森を見ず」の西洋医学の弱点が窺える。 ステロイドを使わないで治療する医院があると紹介された。対症療法を止め、自分の身体をきちんと治そうと松本医院の門をくぐった。漢方、私のように馴染みのない方も多いのではないだろうか。松本先生はどんな資格を持った方だろうか。後に知ったことだが、先生は京都大学を卒業され、大阪外大にも籍を置かれたことがあり、医学は京都府立医科大で修められた。御専門は内科である。また先頃肝臓の御研究で博士号を取得された。休診日は京都府立医大で研鑽をつまれるなどたいへん研究熱心な方である。治療を受けるにあたって、医師を信頼することは大切なのでここに付記しておく。 5月(治療1ヶ月目) 5月1日より2種類の煎じ薬と薬湯による治療を開始。3日目位から日焼けしたように顔が赤くなった。最初の1週間は普段通りの生活ができたが、それ以降はだんだんと横になることが多くなっていった。(長期間ステロイドの内服剤も飲んだりした患者さんですから、大リバウンドは最初から激しいということは予想がついていました。) 寒気がして歯の根が合わないほどガタガタと震えた。煎じ薬を飲み食事を摂った後が特にそうだった。身体中の皮膚がボロボロと剥離して落ちた。それはまたかなりの量になった。入浴後、普通のバスタオルで身体を拭くのが辛くなり、ガーゼのバスタオルを用いるようになった。また、すぐにシコンを塗り込まないと皮膚が痛かった。夜間、まるで発熱したように発汗し、何度も寝衣を取り替えた。痒みでだんだんと寝つかれなくなり、朝方、新聞配達の車の音を聞くようになった。 この間、顔は下から上に腫れていった。まず頬から体液が出、次に瞼が腫れて「お岩」のような形相になり、更に眉からも体液が出てきた。手のひらには深い傷が入り、汚くなっていった。首・肩・背などステロイドを塗った覚えのある箇所は悉く悪くなっていった。 5月の終わり頃からはすっかり寝込むようになった。(ステロイドで侵された皮膚を総入れ替えするわけですから、非常に大量のエネルギーと体力を必要とします。従って普通の生活をするのには余力が無くなり家事さえもできなくなることも有ります。しかし最後には必ず新しい皮膚が出来あがり、完全にアトピーから脱却できます。何も命を失う心配もありませんし、最後は新しくすばらしい生活が待っています。) 6月(治療2ヶ月目) 煎じ薬を毎日2番煎じ・3番煎じと飲んだ。相変わらず夜は眠れず、朝方まどろむ日々が続いた。睡眠不足でいらいらし、体力も衰えてきた。 6月初め発熱。39度近くまで熱が上がった。額が割れて膿が出てきた。その箇所を掻いた手で他の箇所を掻くとそこも化膿してきた。"黄色ブドウ球菌感染症"と診断され、抗生物質が処方された。熱はすぐに下がった。熱のある間は不思議と痒みが消え、ぐっすりと眠れたが、熱が下がると再び痒くなった。(免疫系が黄色ブドウ球菌感染症と戦っているときにはアトピーの免疫の戦いが手薄になります。従ってこんな時はアトピーの症状は楽になりますが、感染症が治ると免疫の勢いがついているものですから、その後アトピーの症状はひどくなります。勿論ひどくなったほうが根治治療には良いわけですが。)人体の免疫機構の奇しさである。 この頃私は、全治療期間で最もひどい形相をしていた。顔は「お岩」、身体は「因幡の白兎」といった状態だった。先生は「今が正念場。」とおっしゃった。煎じ薬は皮膚を作るという効能のもの1種類となり、入浴剤が1つ追加されて2つとなり、睡眠薬が処方されるようになった。(入浴剤の効能はいかに傷を早く治し、同時にブドウ球菌の増殖をできる限り抑制するためのものであります。) この時私は松本先生の治療と平行して、西洋医学で今の症状を少しでも和らげることはできないだろうかと思った。 勧められてアトピー専門の先生に診ていただいた。"全身炎症"と診断された。「これ以上ひどくなるようだと入院しなくてはならない。」とおっしゃられた。「入院するとどのような治療がなされるのか?」と問うと、「まずステロイド点滴をして炎症を鎮め、その後少しずつステロイドの使用量を減らしていく。」とのこと。アトピー治療専門の先生というから、もう少し進んだ治療を期待したが、セオリー通りの答えにがっかりした。(この患者さんがもしこの時ステロイド注射をされたとするならば、恐らく2・3回の注射で別人のような皮膚に戻っていたことでしょう。しかし数日もしない内にステロイドの薬効が切れて、さらに激しいリバウンドで苦しんでいたことでしょう。勿論、当医院に来て大リバウンドの途中で治療を止めステロイドに戻る患者さんが沢山おられることはとても残念なことです。) 松本先生は「ステロイドの注射が最も悪い。」とおっしゃった。(何故ステロイドの注射が一番悪いかと言うと静脈注射によりステロイドが直接に免疫の中枢である骨髄にまで簡単に入り込み、正常な免疫の働きを根本から悪い影響を与えてしまうからです。勿論見かけの効力は絶大なものがあり、他の塗り薬や飲み薬の比ではありません。しかしその副作用も完全には解明されていません。)また、「ステロイドを徐々に減らしていくというのは言葉の綾である。」ともおっしゃっていた。確かに世間ではステロイドの使用量を少しずつ減らしていくのが一般的であるが、私の場合、身をもってそれが難しいことを知っている。(徐々に減らそうが徐々に増やそうがステロイドというのは一時的にアレルギーの免疫を抑えるだけですから、効かなくなったときには遅かれ早かれ、多かれ少なかれリバウンドが出るようになっているわけです。従ってステロイドを使ったり止めたりのいたちごっこになり永遠にステロイドを止めることが出来なくなるわけです。)いったいどれくらいの人がその方法で治っているのか疑問である。アトピー専門の医院の診察室を出た私に、医療関係の方(看護婦)が、「今の治療(松本先生の治療)を信じて続けなさい。」とそっと耳打ちして下さった。(この様に生活の為に仕方なくステロイドを用いる医院に勤務している看護婦さんの中には、やはりステロイドの怖さを知って患者さんに対して誠実であろうとする看護婦さんがおられることはとても感動的です。) 6月、つまり治療を始めて2ヶ月目は全治療期間で最も辛い時期であった。5月はまだ体力も気力もあった。しかし今や体力を落とし、"全身炎症"と言われた身体。いつまた感染症にかかるかも知れないという不安に怯えるようになった。松本医院から1時間以上かかる帰路も身体にこたえた。 5月は皮膚がボロボロと剥離していくのが主な症状であったが、6月は傷口から体液が出てくることが多くなった。手のひらは随所に傷が深く入り、ガーゼで傷口を覆った。顔と手は周期的に張ってきて痒くなり、その都度掻いて皮を剥いた。このようなことが何度も繰り返された。しょっちゅう皮が剥けるので顔はちょうど地図を書いたような感じになった。 顔が「お岩」のような形相であることも厭ではあったが、それよりも手が使えないことの方がもっと苦痛だった。手が自由に使えることは人の人たる所以である。その手が使えないということは本当に不自由だった。ちょっとした蓋を開けるのも人に頼まねばならず、タオルも絞れなかった。 患部は更に広がっていき、腕や足が浮腫み、腕時計はもとより手下げカバンも下げられなくなった。タンパク質が流出しているのでプロテインを補うように指示を受けた。(体外へ流出する体液の中に大量のプロテインが含まれており、体内はプロテイン不足となり栄養状態が悪くなります。さらに新しい皮膚を作るためにもプロテインは絶対に必要ですから症状のひどい人は必ずプロテインを補う必要があります。)1日7〜8杯飲むようにとのことだったが、5〜6杯がせいぜいだった。いくら食べても体重は減る傾向にあり、喉がよく渇いた。アレルギー熱とのことで、熱も常時36.8〜37.4度あった。(アレルギー熱の高さは基礎体温が低い人は低く、基礎体温の高い人は高めになります。しかしどんな人でも37.5度以上になったときにはブドウ球菌感染か、ヘルペスウィルス感染のいずれかにかかっていると考えて良いでしょう。その際は抗生物質か抗ヘルペス剤を必ず服用する必要があります。) 傷口の多いこの時期、消毒も大変だった。まず傷口を消毒液で消毒し、次に入浴剤を煎じた液で拭き取り、その上にシコンを塗り、場合によっては更に抗生物質製剤の軟膏を塗り、ガーゼで覆った。この作業に1日の多くの時間を費やした。体力は消耗し、入浴は何とか自分でするものの、入浴前後の皮膚の消毒とケアを仕事から帰宅した夫が引き受けてくれて、献身的に世話をしてくれた。また私が寝込んでしまったために、家事負担も勢い、帰宅後の夫に大きくのしかかっていた。このように夫に多大な負担を強いることは予期しなっかたことであり、リバウンドの辛さに加えて、迷惑をかけているということが大きな心の負担になった。夫に世話になりながらも、その顔色を伺いながら寝ている毎日であった。(長期にステロイドを使ってきた人は、家族の手助けが大リバウンドを乗り切るのに絶対に必要になります。) 先生は「必ず治る。」と断言して下さった。しかしそれはいつの事なのか。このような状態がいつ終わるともなく続き、気持ちは滅入る一方で、「一体私はどうなるのか?」と嘆いた。(ステロイドの影響がどれだけ深いかは体だけしか知りません。つまり、どれだけIgE抗体が高くなり最後は落ちていく時期がいつなのかとか、ステロイドによる皮膚の遺伝子への影響の深さがどのくらいなのかも現在の医学では知ることは出来ません。つまり実際にステロイドを抜いてみる以外に知る方法はありません。従って、いつ、もとの状態に戻るかは予言することは不可能です。しかし、必ずステロイドの影響が取れる日が来ます。その日がアトピーからさよならできる日であります。)いわれのないことをあれこれと口走って主人に不安をぶつけ、それで自分の心のバランスをとった。幸い、主人はしっかりと受け止めてくれ、一緒になって動揺し、おろおろすることはなかった。それどころか、「大したことはない。もっとリバウンドのきつい人だっている。これを機会に夫婦の絆が深まった。」とも言ってくれた。(大リバウンドを乗り切る苦しさは、肉体的なものよりも精神的な面がはるかに大きいものです。この時に患者さんの人間としての成熟度も試されるわけです。) アトピーの治療では「いかに創傷を治し、感染症を防ぐかということがポイントである。」と先生はおっしゃていた。確かに煎じ薬と薬湯のお陰で傷口の皮膚の再生力は驚くほど早かった。背中などは炎症を起こして赤黒くなりながらもほとんど傷はなかった。消毒と皮膚の再生の速さとで、以後は何の感染症にかかることもなくリバウンドを乗り切ることができた。とりわけ炎症のひどい頃、薬湯に身を沈めている間が1日の内で一番気持ちの良いときであり、また癒やしであった。とてもこの治療なしにリバウンドを乗り切ることはできなかっただろう。 6月から7月の半ば頃まで、松本医院に頻繁に電話をかけた。診察日から次の診察日までの間、新たにどんな症状が出てくるか不安であった。新しい症状が出る度に、「こういう状態になった。」と先生に電話をかけ、返事をいただけると安心できた。 6月も終わり頃、身体が盛んに新陳代謝しているにもかかわらず、薬を飲むとそれに拍車をかけているようでとても疲れた。先生に電話でその旨を伝えると、「煎じ薬を止めても良い。薬湯だけでゆっくり治していく方法もある。」とおっしゃった。煎じ薬を止めた。2・3日するとだいぶ楽になった。これ以降、夏の間は煎じ薬を飲まず、薬湯だけで治療することのなる。(漢方の煎じ薬を飲むということは、新しく皮膚を作ることを促進するということであり、どうしても自然な自分自身の新陳代謝のスピード以上に代謝を促進するので、時に体がしんどくなる時があります。こんな時は自分自身のペースで皮膚を作るだけにまかせる為に漢方を一時的に中止することがあります。) そうこうしている間に瞼の腫れがひき、顔がすっきりとしてきた。 7月(治療3ヶ月目) 7月1日、「ピークは過ぎた。」と先生がおっしゃった。ちょうど治療を始めて2ヶ月経過したときだった。嬉しかった。展望が出てきた。松本医院を紹介して下さった方にそのことを伝えた。喜んで下さった。心配で再三様子を尋ねに来て下さっていただけにホッとされたことだろう。夫も喜んでくれた。 先生の言葉通り体力が少しずつ回復し、午前中起きていられることが多くなった。しかし「ピークは過ぎた。」と言われても、頂上付近にいることは変わりはない。やはり楽な状態ではなかった。手のひらの傷は以前よりも浅くなってきたが、その分、指の腫れがひどくなって、これ以上太くなれないほど腫れ上がった。先生は「手は長いよ。ステロイドを塗るのにも手を使っているからね。」とおっしゃた。足の指の裏に小さな水腫れがいくつもでき、ヘルペスではないかと心配した。先生に電話したところ、「熱が出ないかどうか注意して、よく消毒しておくように。」とのこと。幸い、熱も出ることもなくヘルペスではなかった。耳たぶも何度も皮が剥けてかたくなった。耳の中からも体液が出てきた。眉も抜けた。爪が白濁し太くなった。「真菌が入った。」とのこと。治療には抗真菌剤を服用しなければならないが、「服用はもう少し先にしよう。」とのこと。(ステロイドを長期に用いるとこの様に手や足の指の爪の中に真菌がはびこることがよくあります。これも医原病の一つであります。) このように患部は周辺へと広がっていった。手や足の指にまで巻く分、ガーゼやサージカルテープの使用量が増えた。衛生用品・プロテインなど薬局で購入する物の費用もかさんだ。 ピークが過ぎても一行に気力が充溢してこず、鬱状態が続いた。先生がおっしゃるには「ステロイドは興奮作用があるので、ステロイドが抜けていくとそのような鬱状態になるのではないか。」とのこと。(ステロイドを外部から長期に投与すると副腎皮質の働きが不必要になり、ステロイドを離脱するときに正常な働きを取り戻すのに時間がかかり、その間疲労症候群のような激しい脱力感を一時的に感じる人がいます。しかしこれも命に別条はありません。)理由はともかく、気持ちは落ち込む一方だった。そんな私の気持ちを察してか、先生は「絶対治る。治らなければ家を一軒あげる。絶対治るという言葉をテープに録音しておいても良い。治らない時の訴訟のための証拠にテープに録音してください。」と治ることを請け合って下さった。(医者としてはこの様に患者さんの為に身を落とすことは無いわけですが、アトピーは絶対に治ることを患者さんに信じてもらうために思わずこの様なことを口走ることがあります。) 暑さが増してきた。健康な者でも凌ぎにくい夏。夫の負担を軽くしようと居間に掃除機をかけてみたが、疲れて座り込んでしまった。気が焦った。早く回復して少なくとも食事の支度ができるようになりたかった。 そんなとき、「私よりもきついリバウンドで苦しんでいた人が、南国のT病院(悪名高い土佐清水病院のことです。)で治療されて、2週間程できれいになられた。」(この病院は恐らく日本で最も大量にステロイドを使っている病院の一つであります。丹羽という院長はステロイドは悪い悪いと口では言いながら、自分の使うステロイドは自分の作った薬と用いると副作用は無いと嘘をついています。もし、ステロイドの副作用が無くなるような薬を作ればノーベル賞は確実ですし、臓器移植の拒絶反応も無くなり、膠原病も簡単に治るでしょう。またそのような薬を作って世界的に売れば恐らく武田製薬以上の大きな製薬会社を作ることが可能でしょう。当医院にも土佐清水病院でステロイドを大量に使われた後のリバウンド現象の為に百人単位の患者さんが訪れていますが、そのリバウンドの症状たるや恐ろしいものがあります。土佐清水病院の誤った治療法に関しては別の本を書きますので、そこで批判したいと思います。いずれにせよステロイドを使う医院や自分の本にIgE抗体について一言もふれていない医者の治療は全て対症療法であり、あとで必ずステロイドを抜くのに苦しむことになるわけです。)という話を聞いた。そんなにすぐに治るのは「ステロイドを使用しているのではないか?」と思ったが、どうも漢方らしき薬とのこと。そんな治療があるのだろうか?松本先生はご存知なのだろうか。(勿論知らないわけはありません。誤った治療をして、恐ろしいリバウンド現象に対処しなければならなかった土佐清水の患者さんを何百人も治していたからです。)私の心は揺れた。自分と同じような症状の人がもう良くなられている。私だって早く良くなれるものならなりたい。どんな治療なのかもっと詳しく知りたい。治療された家族の方がわざわざ自宅まで説明に来て下さった。説明によると、独自の塗り薬には僅かだがステロイドが入っているとのこと。(僅かなステロイドであれば1・2週間で症状が取れるわけはないわけです。)その点が少し気になった。しかし、その病院に行けば1・2週間もすれば元気になり、台所に立つことができる。夫に負担をかけなくてすむ。逃げたいという気持ちに相まって、次第にその治療に期待を託すようになった。(とにかくこの患者さんにしろ20年もの間ステロイドを使ってどうにもならなくなって来院したにもかかわらず、やはりステロイドを求めるのはステロイドが麻薬以外の何物でもないことがお分かりでしょう。) このように気持ちが傾いている時、松本医院の待合室で他の患者さんに声をかけられた。1人は鍼灸治療を勧めて下さり、あと1人は「T病院は良くないと聞いている。今の治療を信じて続けなさい。顔がきれいになっただけでも感謝しなさい。」と言って下さった。受診時、先生にT病院のことを尋ねると、そこは「保険医の資格を剥奪されている。」とおっしゃった。(当医院には土佐清水病院で大量にステロイドを投与され一時的に症状が良くなった後激しいリバウンド症状で苦しんで後始末をしてもらうために来院する患者さんがたくさんいます。その患者さんの一人がこっそりと伝えてくれました。)「T病院の治療ではステロイドが使われており、そのリバウンドで松本医院に来られている患者さんも何人かいらっしゃる。」とのこと。この日「T病院に行きたい!」という気持ちはなくなった。 7月の半ば頃からは先生に頻繁に電話することもなくなっていた。 8月(治療4ヶ月目) 8月はほとんど横になることもなく、1日中起きていられるようになった。アレルギー熱も少し下がってきた。先生は「シコンの使用量もだんだん減ってくるだろう。」とおっしゃった。 体力的にはだいぶ回復してきたが、皮膚の状態が悪いので体温調節がうまくいかず、(全身の皮膚が剥奪するので、体温調節は完全に異常になってしまいます。しかし何も心配することはありません。)暑さを凌ぐのが大変だった。1日中クーラーをかけて過ごした。人がそばを通っただけでも熱気を感じた。11:00AM〜4:00PMの時間帯が特に過ごしやすく、夕方の入浴が待ち遠しかった。 手の指は周期的に張って痒くなり、ガリガリと掻いて皮を剥き、体液を流した。消毒液がしみて痛かった。(いかに痛くてもというよりも痛いが故にそこに明確な傷があり、ブドウ球菌が繁殖していることが確実であるので絶対に消毒しなければいけません。)就寝前にこの作業をしないと、夜中必ず痒くなり、起きて消毒しなければならなかった。(ブドウ球菌が繁殖するとアレルギーの炎症もひどくなり、さらに痒みがひどくなるわけです。)足の甲も悪くガーゼを巻いた。手と足にガーゼを巻いて寝ることは、手袋と靴下をはいて寝ることと同じ事で、暑いこの時期、これがまた体温を上げることになり痒くなった。 手にばかり気を取られていたが、肩・背中・首の前部分などの状態が良くなってきたと家族に指摘された。首の耳から後ろの部分は最後まで残るが。 夏は乗り切るだけで精一杯で、煎じ薬を飲んで積極的に治療することはできなかった。先生も「涼しくなったら、煎じ薬を始めよう。」とおっしゃってくださった。煎じ薬で新陳代謝を促すことができない分、鍼灸治療を積極的に受けた。(鍼灸治療は精神を安定させると共に痒みに対する過剰感覚を正常化してくれます。また血流を良くするので体が元気になります。)初めての経験だったが大変気持ちよく、ベットに横たわってウトウトまどろむほどだった。鍼灸の先生もたくさんのアトピー患者を診てこられたので、色々とお話を伺うことができ、大変参考になった。 9月(治療5ヶ月目) 飲み薬が処方されることになったが、先生に「顆粒がいい。」とお願いした。「顆粒は効き目が薄い。煎じ薬の方がよく効く。」とおっしゃったが、よく効く煎じ薬は怖い。また寝込むようなことになれば困る。(煎じ薬は1番煎じ以外にも2番煎じ・3番煎じと炊くことができ、それを飲めば漢方の成分の全てを体内に取り込むことがができるのでよく効きます。)効き目の薄い方が良い。結局私の意向により、顆粒を服用するようになった。 9月の初め、両足の裏に空豆くらいの大きな水腫れが数個でき、痛くて歩けなくなった。通院もできない。先生に電話すると、「ステロイドの影響を受けた古い皮を剥がす前兆だ。」とおっしゃった。足の裏にまでステロイドを塗った覚えはない。「ステロイドの内服剤を服用していると、どこのリンパ球と結合しているか分からない。」とのこと。この上、足の裏まで悪くなるのかと気持ちが落ち込んだ。 髪もよく抜けた。ブラシで解かす度、かなりの量が抜け落ちた。このままでは禿げてしまって外にも出られない。(ステロイドの影響が頭皮にも及ぶと変質した皮膚が脱落する際に髪の毛も抜けることがしばしば見られます。しかし毛根がダメージを受けたわけではないので、必ず元通りにつやつやした髪の毛が生えてきます。)カツラを購入しなけれべならないのではないかと心配した。結局は生え際が全部抜け落ちてしまう程度ですんだ。ついに足の裏に髪の毛と端の端まできた。 9月の初めはまだ暑くてクーラーはつけっぱなし、自分には永久に秋が来ないような気がした。半分拗ねた気持ちになった。 2週間もすると歩けるようになった。 また、9月に入ると綿の手袋の上に使い捨ての手袋をして、食事の支度ができるようになった。これまで夫に頼っていた入浴前後の皮膚のケアも自分でできるようになった。手も以前ほど辛くない。患部が広がっていくのもここまで、体力は回復する一方だった。家中掃除機をかけても、座り込むようなことはなかった。 振り返れば私の場合、大変な時期は5月半ば頃から9月半ば頃までの約4ヶ月間。その中でも特にひどかったのは治療2ヶ月目にあたる6月であった。 10月(治療6ヶ月目) 10月の初め頃、睡眠薬を止めようとしたがまだ無理だった。床について体が温まると痒くなり、寝つきにくかった。また長い距離を歩くと、まだ皮が剥け続けていた足は腫れて痒くなった。 10月も上旬を過ぎると暑さも去り、身体もぐっと楽になった。とうとう自分にも秋が来た。嬉しさがこみ上げてきた。心が躍り、自然と歌が口をついて出た。たまっていた家事を次々と片付けていった。家事をするのに充分体力は戻っていた。体温も平熱に戻り、プロテインも飲まなくて良くなった。体重はどんどん増えていった。先生は「あとは、良くなる一方。」とおっしゃった。良くなってくると同時に先生に対する信頼の気持ちも増していった。(前もって大リバウンドの症状が激しく出るのは当然だといくら説明していても、実際に経験してみると患者さんは私のことを疑い始めます。この時に私の治療法が絶対に正しいということを信じてもらうために何をすれば良いのでしょう?まさにこの手記がその答えの一つであります。この患者さんは克明に正確に治療経過をつづってくれています。この患者さんの賢さに私自身が感動します。この世の中に特別なアトピーも無いし、また特別なステロイドもありません。皆同じなのです。従って、正しいアトピーの治し方もただ一つであり、また正しいステロイドの離脱方法もただ一つあるだけです。真理は一つなのです。この患者さんがアトピー治療の全てを語ってくれます。) 傷口は少なくなり、消毒する箇所も足と手のみになった。足の膝頭が象の皮膚のようで、皺の中にまるで鳥肌が立ったかのように細かい湿疹が並んでいた。首の後ろの部分はまだゴワゴワしていた。 しかし、全般に皮膚の状態が良くなり、傷口も少なくなると、不安もなくなり、気分も充溢してきた。 11月(治療7ヶ月目) 11月初め、睡眠薬を飲まずに眠れるようになった。手と足にガーゼを巻くこともなくなった。また少々距離を歩いても足が腫れなくなり、上旬には運動靴を、下旬には革靴を履くことができるようになった。近所に買い物に出ても「ほとんどアトピーと分からない。」と言われ、ほぼ平常通りの生活ができるようになった。 しかしまだ皮膚の色は浅黒く、なかなか白くならなかった。この皮膚の色が元に戻るにはかなり年数がかかるだろうと思われた。先生も背中を見られて「まだ黒いなあ。」とおっしゃった。「煎じ薬を飲んで残っているものを早く出してしまおう。大丈夫、以前のようになる。」とおっしゃった。 恐る恐る皮膚をつくるという煎じ薬を1種類飲み始めた。先生のおっしゃるとおり、以前のように寝込むこともなく、全く平常通りの生活ができた。しかも顆粒を飲んでいたときは落ちなかった黒い皮膚が落ち始めた。手首・足首・腕・脚・肘・膝とカサカサと皮膚を掻いて落とした。こうして漸次皮膚の色は浅くなっていった。本当に煎じ薬の効力には驚かされる。先生はよくおっしゃった。「薬で治しているのではない。自然治癒力で治しているのだ。」と。(私は自然治癒力という言葉をあまり用いません。漢方は変質した皮膚を元に戻そうとする遺伝子の働きを手助けするだけです。そのように正常な遺伝子の働きを助けるという点においては自然治癒力といえるでしょう。)しかしそれでは完治するのは棺桶に入る頃、「漢方薬は新陳代謝を促して治りを早めているのだ。」と。 12月(治療8ヶ月目) 煎じ薬を2種類服用するようになった。「早く黒い皮膚を落とそう!」と前向きな気持ちで飲むようになった。所用があり、電車に乗って外出した。下旬には美容院にも行くことができた。 1月(治療9ヶ月目) この頃会うと「もうすっかり元のようだ。」と会う人会う人に言われるようになった。皮膚の色も11月の頃と比べれば浅くなってきた。ゴワゴワしていた手も少しずつきめ細かくなってきた。膝も象のような肌ではなくなった。 2月(治療10ヶ月目) インフルエンザにかかった。しばらくの間入浴できず、煎じ薬も飲めなかった。皮膚の状態の悪い頃、薬湯につからなければ辛くてしょうがなかったが、もうそんなことはなかった。痒くもない。やっと風邪もひけるようになった。そんな感じである。 3月(治療11ヶ月目) 今年の確定申告も自分でできた。この手記を認めているのは治療11ヶ月目にあたる3月である。まだ完全に治ったわけではない。しかし確実に良くなってきている。あと悪いところは爪・首の後ろの部分・皮膚の色がまだ浅黒いという点である。今では素手で野菜を洗うこともできる。お風呂に入っても痒くない。 良くなってくると、悪かったときのことは忘れてくる。記憶が薄れてしまわない内に手記を記した。(この患者さんは非常に良く症状を観察されておられます。私の医院に来院される患者さんは、全て最後には治るわけですから治療経過の手記をお願いしているのですが、治ったときにはひどい時のことを忘れたと言って手記を書いてもらえないことは非常に残念です。) お陰様でまるで麻薬のようなステロイドから離脱することができた。最初から漢方で治療していればステロイドのような即効性はないにしても、結果的にはもっと早く、楽に治すことができただろう。(ステロイドは見かけを良くする即効性は有りますが、結局アトピーを治すどころか永遠に治らない病気にしてしまうのです。) 今もたくさんの子供達がステロイドを投与されていると思うと心が痛む。その中には私のようにステロイドの悪循環に陥り、将来苦しむことになる子供も多いことだろう。また実際、そのような子供達を見聞きしている。良かれと思いステロイドを子供に塗ってきた母親の苦しみは大きい。 幸い私は西洋医学と東洋医学の知識を合わせ持った松本先生に治していただいた。松本医院を紹介して下さった方に心から感謝の意を表したい。 またこの治療には、周囲の人々との理解と協力が不可欠である。夫はこの治療を理解し、挫折しそうになる私を励まし、献身的に世話をしてくれた。近所の人たちの協力も大きかった。家族・職場・近所の人々の理解と協力を得て初めて成り立つ治療である。 最後に松本先生、治療に逡巡することのあった私をここまで導き、治して下さって本当に有り難うございました。お陰様でステロイドと縁の切れた生活を送ることができます。(現在この患者さんはほとんど完治され、自分の子供さんも一緒に治療を続けています。) |