「4年間のアトピーの闘病を振り返って」 高井 祐子 23歳

 私が松本医院を訪れたのは大学1回生5月のことでした。

 アトピーとの付き合いは物心ついた頃からずっと続いており、高槻市のO医院、茨木市のK医院でステロイドの処方を受けてきました。(両医院ともそれぞれの町で一番患者を集めているところです。それは、他の医院は強いステロイドを出すことに少しは躊躇するところが見られるのですが、この二つの医院はどんどん見掛けを良くする為に遠慮無くステロイドを出しています。幼児にリンデロンの顆粒を出したりするようなところです。しかも患者が説明を求めると怒り出す医者であるようです。この医院でアトピーは治らないと知る頃には患者はみんな黒人のような黒い皮膚になり、当院を受診しに来られます。従ってステロイドを抜く作業は患者にとって非常に辛いことがあります。この女性もスリランカ美人と言っても良いくらいに黒ずんだ顔をしてやって来ました。)ところが、高校に入り、大学受験のストレスがたまるのと並行するように首の周りや顔が黒ずんできて、いくらステロイド剤を塗っても効かなくなってきました。私自身は自分の顔の色が少しずつ変化していくのにあまり気が付いていませんでしたが、当時は母のほうが私の状態の変化に危機感を感じていたように思います。そうこうしている内に私の顔はどんどん黒ずみが進んでいたので、大学に受かったと同時にさまざまな本を読み、ステロイド剤による治療方法がいかに人体に影響を及ぼすかを知ったのでした。自分の皮膚の状態の悪さはステロイド剤の副作用で起こっているのだとも知りました。(ステロイドの副作用を言わなければ罰せられるという法律を作るべきです。)そして、そんなひどい薬を処方する当時かかっていた病院に不信感がつのりはじめ、「なんとかして別の病院を探さなくては。」と家族で真剣に良い病院を探したのでした。

 松本先生と出会えたことは、私にとって幸運でした。

 母の職場に、やはりアトピーでかかっておられる女性の方がいらっしゃったので、その方に紹介してもらいました。(この女性も完治され来院されておりません。)松本医院を訪れるまでには、約1ヶ月迷いがありました。それは、漢方薬でアトピーの治療をすることが大変な苦しみを伴うということを、母の職場の方の様子を通して知っていたからでした。その方もリバウンドがひどく、大変苦労なさったようでしたが、症状が軽くなっていく段階も理解できたので、私も覚悟を決めて診察に望みました。リバウンドがどのくらい出てくるかは未知数なので、とても不安でしたが、漢方薬の治療をはじめたら後戻りはできないのだと腹をくくったような心境でした。(何も後戻りができないわけではありません。漢方を止めてステロイドを使えば、いつわりのきれいな皮膚は取り戻せます。ただ根本治療をしたい人は、後戻りをすれば元の木阿弥になるということだけです。)

 初診で、先生が言われたことは今でもはっきり覚えています。「お母さんがあまりにもひどいひどいと言うから、どんなにひどいかと思ったが、大したことないじゃないか。」「これは完全にステロイドの副作用や。」「この黒ずみも変な皮膚の薄さも全部きれいな皮膚になる。僕が保証する。」と。私は先生の言葉から、自分はそんなに重症な患者でないことを推察しました。否、自分自身がステロイド剤漬けにされていることを、そのときはまだ自覚していなかっただけなのですが。(私は最後まで私についてくるアトピー患者の全てを100%完治させることができます。その武器は自然後天的免疫寛容の理論であります。しかしこの患者さんも、手を変え品を変えて「必ず治してあげます。治らなかったらお金を返す。」とか「家をあげる。」とかを受診の度に伝えたのですが、非常に長い間私の言葉を疑っていたようです。)

 実際、私のIgE抗体の数値は37しかありませんでした。これは私の抗体はほとんどがステロイド剤に抑え込まれていることの証明でした。しかし、そのときは抗体だのIgE抗体だのさっぱり分かりませんから、ただ、リバウンドが軽く済むように、とばかり願っていました。(ステロイドの内服剤を上手に使えば見かけ上のIgE抗体は正常値に抑制することができます。しかし必ずステロイドを止めると上昇し始めます。まさに人間の免疫システムは抑制してはならないものを抑制したことを正確に記憶し、まるで復習でもするかのように抑制した分だけIgE抗体が上昇し、同時に症状も悪化していくのです。これをステロイドの離脱症状、つまりリバウンドと言うのです。現代のアレルギー治療はリバウンドを起こすために一時的に症状を良くしているだけであり、何の意味も無い事です。残念です。)

 5月、漢方薬を飲み始めても、私の体に急激な変化は見られませんでした。少し顔がピンク色になり顔全体がむくんだようになった程度でした。「これなら3ヶ月くらいで治る。」と喜んだものです。ところが、8月後半から顔の色がどんどん赤くなり、むくみどころか、顔はパンパンに腫れ上がり、目を開けているのかどうかも分からないような形相になってしまいました。新陳代謝が激しくなっているのか、いつも体がだるく、疲れやすい体質になりました。(これをステロイド離脱による疲労症候群と言います。)微熱が続いた日もあります。(これはアレルギー熱と言います。)9月に入り大学に通うようになっても、相当な体力を消耗してしまうので、友達と雑談して楽しむ余裕などなくなっていきました。黙っているほうが楽だったので、一人になりたいなあ、と思ったことも度々ありました。電車の中では、乗客の皆さんが私の顔を見ているような気がして、とても顔を上げられませんでした。いつも眠ってふりをするが、ドアのところで窓の方を向いて立つようにしていました。今から思えば、好奇心で私の顔を見ている人ばかりではなかったように思います。中には、アトピーという病気のことを理解していて、頑張れ、という気持ちで見ていてくれる人もいたのではないでしょうか。

 それにしても、私の皮膚の状態は日に日に悪化していきました。顔は真赤になり、皮がボロボロ剥けてきて、ゴワゴワの硬い皮膚になりました。赤い薬を塗りつけないと、皮膚が突っ張って表情を変えることもできません。この赤い薬は、ごま油の匂いがして、先生が「食べても良いよ。」と言ってくださったので安心して使うことができました。

 この頃から、漢方のお風呂の薬も使い始めました。突っ張ってゴワゴワの皮膚が、漢方のお風呂につかると垢のようにボロボロと剥けました。皮が剥けたら早く良くなると思って、一生懸命剥くのですが、その下から出てくる皮膚もすぐにまた硬くなって、顔が重たくなるのでした。私は、この皮を何枚剥いたら良くなるのだろうか、と途方に暮れました。(皮膚がどれだけ入れ替わるかは、皮膚の細胞がステロイドで侵された度合いによります。現代の医学ではその度合いは測定することができず、従って予言もできません。しかし必ず皮膚の細胞が生きている限りは、必ず元に戻ります。)一生こんな状態が続くのだろうか、いつになったら健康な体になれるのだろうか。本当にこの治療に終わりが来るのだろうか、そんな思いが私の中で渦巻きました。最初は、「私は軽症だからリバウンドも軽くて済む。手記で読むようなひどい状態にはならないはずだ。」と自分を例外視していたのが(例外的なアトピーなどというものはこの世には存在しません。)いざひどい状態になると「私だけはずっと治らないのではないか?」という方向で考えるようになっていたのです。不安で不安でしょうがなかったので、よく先生に「いつ頃治りますか?」と質問したものです。その度に先生は「そんな予言はできない。分からない。」と答えてくれませんでした。(答えなかったのではありません。予言できないからこそ予言できないと正直に答えてあげたのですが、この方は誤解されたようです。私は嘘は絶対に言いません。これが私の生きるフィロソフィーであります。この世から嘘が無くなれば、犯罪はほとんど無くなるでしょう。)だから余計に不安になって同じ質問を繰り返す、という堂々巡りを延々としていました。私からすれば、答えが欲しい、心積もりがしたい、という思いだったのですが、先生からすれば、無責任にいいかげんな返事をして患者に気休めを与えるのではなく、分からないものは分からない、と答えるのが誠実なやり方だと考えていらっしゃったのでしょう。

 2年目の夏、私のIgE抗体値は300を超えました。この頃はガサガサの皮膚が全身に広がり始め、首は灰色の分厚く象の皮膚のようになっていきました。痒みも恐ろしいほどで、両手の爪を立てて、顔も首もガシガシ掻き、爪の中に皮が一杯たまる、という状態でした。首からはリンパ液が流れ出すので、タオルを首に巻いて寝ました。朝起きるとタオルがリンパ液でしっとりしていました。高熱が出て、救急病院に駆けつけたこともあります。(アトピーの治療で本格的な医療の出番になるのは、高熱が出る時です。この時は必ず黄色ブドウ球菌の感染か、単純T型ヘルペス感染によるカポジー水痘様疱疹のいずれかによるものです。高熱が出てすぐに治療をしないと入院治療が必要な時があります。)とにかく、私の闘病生活はこの頃最悪のピークに達していたと思います。治療を始めて1年目はなかなかリバウンドが進まず、自分でも軽症だと思っていたのですが、どうも治療の進み具合には個人差があるようです。私の場合は2年目になってやっとIgE抗体値も増え始め、リバウンドが本格的に進んだのでしょう。おかげで私の人相は変わってしまい、昔の面影も影を潜めてしまいました。(ステロイドのリバウンドの出方は千差万別です。従ってステロイドを止めてからいつに出るのか、どのように出るのか、どのくらい続くのか、いつ終わるのかなどは一切予言できません。この手記も他の患者さんにこのことを知ってもらう為に書いてもらったのです。手記を読みながら自分の間違った治療歴などを比較して自分のリバウンドの度合いなどを理解してもらいたい為です。)

 ゴワゴワの皮膚がとても重たく感じられ、いつも疲労感におそわれていたので、自然と私の表情は暗く、大学に通う足取りも段々重たくなっていきました。母は私のそんな姿を見るのがとても耐えられず、よく「学校休んだら?」と言っていました。しかし、私は、家にこもっていては自分がどんなに大変な治療をしてるか友達に理解してもらえない、と心で強く思っていたので、どんなにひどい状態でも通学し、大学の友人に「今日は調子が悪くてしんどいねん。」と打ち明けるようにしていました。(この女性はとても気丈夫な女性です。しかしステロイドのリバウンドを乗り越えるのは、治そうという強い意思だけでは超えられない時があります。これを乗り越えさせるのが私の医者としての腕の見せ所なのであります。全てのリバウンドを乗り越えさせる自信が私にはあります。お任せください。)

 顔や首を掻きすぎて、リンパ液がにじみ、ようやく体液が乾いたばかりの薄い皮膚は、空気が触れただけでも鳥肌が立つほど痛く感じられ、私はいつも亀のように首をすくめて歩いていました。

 そうしている内にアトピーの痒みは全身に広がってきました。しかもステロイドを塗った記憶の無いような背中や頭の中、すね、お腹まで痒みに襲われ、瞬く間に掻き傷で紫色に変色していきました。松本先生に相談すると、塗り薬だけでなく私が以前服用していた飲み薬にもステロイドが含まれていたためだと説明されました。(全身症状が出る人は、必ずステロイド剤を知らぬ間に飲まされた人です。そのようなステロイドを飲ませる医院が近頃ますます増えてきています。見掛けを良くして患者を集めようとする競争になっているのです。悪貨が良貨をますます駆逐しつつあります。残念です。)

 ここまでくると、「なぜここまでひどくなるのか?」という疑問は私の中で意味の無いものになっていきました。「なぜ?」「どうして?」と問うても答えはただ一つ「ステロイドを使用したから。」。「そんなに使用した覚えは無い。」と言ってみたところで現実にはリバウンドがひどくなるばかり。(症状が出ないのは、必ずステロイドを使っているからです。医者は痒み止めと言って、こっそりステロイドを出しているのです。完全に痒みを止めるのはステロイドしかないからです。この患者さんも塗り薬よりも知らない内にステロイド内服剤を大量に飲まされたために、ステロイドを使用したという意識はないのです。)だから私は思考回路を変え、「このリバウンドと付き合おう。」、「出てくるものはしょうがない。」とただひたすら激しい痒みと倦怠感に向き合うことにしたのです。

 そして、松本先生がおっしゃる「必ず良くなる。」という言葉を信じるしかなくなったのでした。(初めから私を信じれば良かったのですが、やっとこの段階で信じてくれたようです。)

 IgE抗体値も、3年目600、4年目900と増え続けました。しかし、4年目になると500になり体の状態は少しずつ改善の光が見え始めてきたのです。(その後IgE抗体はさらに131と下降し、自然後天的免疫寛容を終えてしまったので急激に楽になったのです。)お腹や背中、すねの黒ずみはすっかり消え、顔のむくみもとれてきました。顔からボロボロと垢のように皮膚が落ちていく程度も軽くなってきて、皮膚の突っ張りもだいぶん楽になってきました。

 治療を始めた頃の大学1回生のころは、赤い塗り薬を顔に塗って、赤黒い顔で登校していたのですが、3回生の後半頃からお化粧ができるようになり、20歳の成人式に参加することができなった私が、大学の卒業式では念願の振袖を着て出席することができました。(残念ながら成人式に参加できなかった女性が何人もいます。しかし最後は元の美しい体に戻ります。私は患者さんに常々言っています。「私の医院は、世界で最も美しい女性を作り出している医院である。」と。)

 今、私は大学院生として治療5年目を迎えていますが、自分がアトピーであることを人に打ち明けても「そんなに気にならないよ。全然普通やん。」と言われるようにまでなりました。まだ、首の痒みは残っていて、皮膚の様子も滑らかではありませんが、あともう少し、と自分に言い聞かせて治療を続けています。また、温泉につかると皮膚の状態がとても良くなるので、機会があれば少しでも多く温泉に出かけるようにしています。(漢方風呂が一番皮膚をきれいにしてくれるのですが、今はその必要もなくなり、何をしても良いと伝えています。)

 こうして自分の治療体験を手記にすることは、一番辛い時期を思い返す作業でもあるので、なかなか筆が進まず、ずっと今までのびのびにしてきました。ひどい状態だった時は「いつまでこんな状態が続くのだろう?」と、最悪の状態が永遠に続くかのように思えたものです。しかし、手記を書き終えてみると、そんな時期はあっという間だったような気がして、あんなに辛く大変だった日々もとても昔のように思えます。(その通りです。アトピーは必ず根治できる病気ですから、治ってしまえば苦しんだことが嘘のように見えるものです。しかも物心ついたときからアトピーの女性は、みずみずしい自分の皮膚を見たことが無いのでステロイドで侵されなくなった自分の美しい皮膚を見た時に感動することがあります。)

 今、この手記を読まれている方は、「こんなに辛い治療体験をこれ以上聞きたくない。」というふうに思われているかもしれません。しかし、「私は本当に良くなるのだろうか、一生このままではないだろうか?」という不安に押しつぶされそうになったときは、億劫かもしれませんが、他の患者さんの手記を読まれることをお勧めします。私自身、いくら手記を読んでも、自分の症状は変わらないし、自分だけは例外で治らないかもしれない、と真剣に悩んだことがあります。そんな私でもここまで症状が改善し、アトピーは必ず治るのだと確信できたのですから、皆さんも必ずご自分の手記を書く日が来るのだと信じて治療を進めていってください。(某有名大学の大学院の学生であり、とても正直に正確に手記を書いてもらい有難く思っています。この患者さんが美しい体に戻るのに4年もかかったのは、受診する前の治療が極めて悪質であったからです。私が完治に時間がかかる患者さんに、いくらこのことを伝えても治療中には中々理解してもらえません。しかしこの手記を読まれた患者さんは、私が言っていることが100%嘘がないことがお分かりになるでしょう。本当にこの手記は患者さんにとって説得力のある極めて優れた手記であると思います。何回も読み直して下さい。)

 私は、自分がアトピーになって良かったと思うことが時々あります。アトピーで苦しんだ体験があるからこそ、私は人の苦しみを理解することができるのだと感じることができるのです。そして、誰よりも、家族が私を支えてくれていることを実感できたからです。アトピーのせいで家族が暗くなったこともありましたし、漢方治療への不信感から家族で口論になったこともあります。(世間一般の人々は、病院に行けば必ず症状が良くなって当たり前だと考えます。治るまでに症状が一時的に悪くなるなどということは、思いも寄らないことなのです。免疫学のイロハもステロイドのイロハも一切知らない無知な大衆がそう感じることを責めることはできません。その上に大学病院の有名な先生方は、ステロイドは恐くないと嘘を言い続けるものですから、なおさらです。私は患者さんを啓蒙する為に朝から晩まで真実を語り続けています。しかし日本の社会は見かけは民主主義でありますが、実態は権威主義です。肩書きや権威の高さや建物の大きさで、事の良し悪しを何も考えずに判断してしまいます。一介の開業医である私がいかに真実を大声で叫ぼうとも、日本の間違った医療が一朝一夕で変わるわけではありません。私が黙々とやり続けることができるのは、ただ患者さんのアトピーを治し続けることだけです。この手記の患者さんも私がアトピーを治してあげた証人としてあちこちで自分の体験を語り続けてくれるでしょう。この手記もその一助になることでしょう。そして日本の医療も徐々に良くなることを祈りましょう。)必ずしも良いことばかりではなかったけれど、常に私は家族と一緒でした。もし、家族の支えが無かったならば、私はこの病気と一人で闘うことはできなかったでしょう。この場を借りて、私は家族のみんなに感謝の意を述べたいと思います。ここまで私に付き合ってくれてどうもありがとう。

 そして、アトピーの治療に際して不安と不信感でいっぱいだった私をここまで導いてくださった松本先生に深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

<上の表の説明>

初診時のIgE抗体は38と正常でありました。ステロイドを長期に使用し続けると、このように完全にIgE抗体産生を抑制することができます。その分、顔はスリランカ美人のように黒皮症になっていました。ステロイドを止めると当然のごとく徐々に上昇し、抗原と結びつく度合いも高まり、リバウンドが出現しました。自然後天的免疫寛容を起こした時点のIgE抗体は900であり、これを越えると皮膚の症状も改善し、痒みもどんどん減り、131まで下降しました。