「幸運のアレルギー」 藤田 多朗  26歳

 今こうして松本先生のアシスタントとして働けていることに多大な名誉を感じると共に、この手記が少しでも現代医療の改善(崩壊)の一助となれば本望です。(藤田兄弟は、私の患者さんであると同時に、私のアトピー治療の理論と実践を最もよく理解されている方々です。従ってこの記録は手記と言うよりも体験に裏付けられた理論と言うべきものです。)

 

 私たち兄弟のアレルギーは子供の頃からありましたが、私はアトピーから喘息へ、そして最後に再びアトピーへと移行するタイプでした。(兄の場合は、兄の手記を読んでいただければ私よりも数倍凄まじいことがおわかりになるでしょう。)(既にご存知のように、アトピーも喘息も本質的には同じアレルギーで、IgE抗体の働きがどの場所で表現されるかが異なるだけです。そもそもアレルギーとは人体にとって不必要で有害な異物を排除しようとする防衛反応であります。しかしながらアレルギーが現れる場所として、始めに気管支に喘息として出る人もいますし、皮膚にアトピーとして出る人もいます。アトピーからアレルギーが始まる人は、食べ物に含まれる化学物質に対して異物を認識する能力が高い人だと言えます。一方、喘息や鼻炎でアレルギーが始まる人は鼻腔や気管支に侵入してくる空気から運ばれてくるハウスダストや花粉に含まれている化学物質に対して、より強い認識能力のある人だと言えます。ところが現代の治療は、全て一時的にこの免疫の働きを抑制することで症状をとるだけで事たれりと考えますが、 アレルギーが治っている訳ではないのです。例えばアトピーの場合は皮膚の免疫の働きを抑えることで皮膚の症状は一時的に消えますが、皮膚で出せなくなった異物は今度は場所を変えて、気管支の粘膜や、鼻腔の粘膜から出そうとして喘息になったり鼻炎になったりするのです。これをアレルギーの専門家達は、アレルギーマーチと名付けて悦に入っています。自分達が引き起こしたのにもかかわらずです。しかしながら異物を吐き出す部位としては、皮膚が最も外部との接触面が広いので、アレルギーは最後にはアトピーとして治っていくのです。藤田両兄弟の場合も、最後はアトピーの治療となったのです。)

 私が覚えている限りでは、始めは幼稚園の頃だったと思います。関節によく「あせも」ができて、母親にふたに「あせも」と書かれた薬を塗られていたことを覚えています。(あせもは‘汗疹’と書きます。実はこれも汗腺に生じたアレルギーなのです。現代皮膚科学は、記載皮膚科学といって、症状だけを記載するだけで病名を付けるものですから、皮膚に現れる病気が何と2000以上もあるのです。つまり、その病気の原因を全く問わないものですからこんな馬鹿げた数多くの病気が出てくるのです。私から言わせると原因による本来の診断名を付ければ100以下に過ぎないと考えます。さらに内科の病気がたまたま皮膚に波及して新たに皮膚科の病気として扱われている病気も数多くあります。さらに極言すれば皮膚の病気は、免疫病といってもよいくらいなのです。従って皮膚科の95%以上の病気にステロイドが見かけは効くのです。あせもの場合もやはりステロイドです。皮肉に言えば皮膚科医とはステロイド医のことです。)しかしそんなに気になるほどひどくはありませんでした。一度だけひどいブツブツが膝の裏にできて普段と違う皮膚科に行ったぐらいで「あせも」は何時の間にか消えてしまいました。単なる言葉の遊びに過ぎない「あせも」。この時からアトピーが出現していたのです。(アトピーといえども最初から激越なアトピーというのはないのです。徐々に徐々にステロイドを使うことによって、リバウンドを繰り返し繰り返しをしながら本格的な医者の作ったステロイドアトピーとなっていくのです。始めはアトピーの症状は、軽いのでリバウンドも軽微であり、ステロイドの恐さは容易に分かるものではないのです。普通はその恐さが分かるのに10年、20年もステロイドを使ってようやく分かるものなのです。しかもステロイドの不思議さの一つですが、子供の頃にステロイドを使って、一時ステロイドによって完全にアトピーが完治したように見えることが必ずあるのです。ところが、数年後に再発しステロイドでは抑えきれなくなるのです。これを専門家達は成人型のアトピーと名付けているのです。このメカニズムはもちろん不明でありますが、子供のときにステロイドで免疫を一度抑えておくと、成人になったときに免疫機構がステロイドに対して抵抗性を示し、ステロイドが効かなくなるからだと考えます。つまりステロイドで抑える以上にリバウンドの勢いの方が強くなるからだともいえます。ちなみにリバウンドというのは反蝶現象といい、抑えてはいけない物を抑えたとき、その反動の為に抑える前以上に勢いがつくことをいいます。ステロイドを一度使えば、気付く気付かないに関わらず、ステロイドの効果が切れる時に必ず一度リバウンドが起こっているのです。従って子供のときステロイドをあるレベル以上に使うと、その効果がかなり永続的に保たれ、リバウンドが出現するのがその分だけ遅れるので治ったように見えるときがあるのです。ところが、数年後に再びリバウンドが出現しだした時には、長く強く抑えられてきた分だけリバウンドの勢いが一層強くなり、どのようにステロイドを用いようとも抑えきれなくなり、いわゆる成人型のアトピーになるのです。)

 アトピーが消えてから、喘息が現れてきました。また春先には軽い花粉症もありました。そこで近くの小児科でベラチン・セルテクト・テオドールなどの薬をもらいました。今から思えばこれが一番悪かったと思います。私はこれらの免疫抑制剤を慢性的に数年間飲み続けてしまったのです。毎朝、朝食後には喘息や鼻炎の症状が見られない時でさえ飲んでいました。そして最後にはこれらの免疫抑制剤を持ち歩かないと安心できなくなっていました。まさに「医者から出された薬は体にいいものだ」という現代医療の洗脳による行為でした。(無意識の洗脳は、あらゆる所で行われています。まず病院に行けば病気は必ず治るという思いこみがそうです。その証拠は現代の保険医療制度は、完治していくらのお金を払うのではなくて、手をかければお金が入る出来高払いの制度になっています。従って治そうが、治すまいが、検査を沢山行い薬を沢山出せば出すほど病院が儲かるようなシステムになっております。他の思いこみの例として、大学にいけば賢くなるという思いこみがあります。しかしそうでない証拠があります。大学が学生を退学させるのは、成績が悪いときではなくて月謝が払えないときだけです。また民主主義は、民衆の意見が正しく反映された最高のシステムだと思いこまされています。しかしそうでない証拠が沢山あります。果たして一般大衆は政党の政策の違いを知って投票所に行くでしょうか?政治家の選び方を学んだことが一度でもあるでしょうか?あげればきりがありません。残念なことです。)おそらくこれによって「そんな無駄な戦いは止めろ」と言ってくれる私のサプレッサーT細胞は、IgE抗体と共に永き眠りに入ってしまったのでしょう。(ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使ってはいけない理由がいくつかあります。一つは後で必ずリバウンド症状がでること。二つ目は戦いを止めさせるサプレッサーT細胞の働きも抑制され、自然後天的免疫寛容が起こりにくいこと。三つ目は根本治療ではないこと。四つ目はステロイドはアトピーの時にはステロイド皮膚症を起こすことなのです。)

さて、小学校生活において目立ちたがり屋だった私は、いろんなことに首を突っ込んで、積極的にリーダーシップをとっていました。小学校では学級委員・生徒会・コンピュータークラブなど様々な活動を行い、自分でもよくやったと言えるほど活躍しました。また体も健康で応援団・リレーの選手・持久走準優勝など本当に活発な少年でした。(やりすぎてアキレス腱を切ってしまうほどでした。)そして有名進学校に合格するべく小学校4年生から塾に通っていたので、学校では成績トップクラスでした。残念ながら志望校には行けませんでしたが、高槻中学校に合格しました。(奇しくも松本医院と同じ市内の進学校に通うことになったわけです。)しかし順風満帆であり続けた人生もここまででした。まさか一度しかない思春期を地獄のように過ごすことになるとは夢にも思いませんでした。(彼の場合も一時的にステロイドで抑制されていた症状が、中学に入ってステロイドでは抑制されないいわゆる成人型のアトピーに突入していったのです。)

地獄のような生活が始まったのは中学一年生の三学期でした。本当に突然の事でした。ある日、急に額部分がカサカサしてツヤがなく、痒くてたまらなくなったのです。その日は額の中央の小さい部分でしたが、次の日の朝起きてみると痒い部分が額全域に広がっていました。そのまた次の日には顔全体に、そのまた次の日は首にまで…。私は恐怖しました。まるで次々と燃え移る山火事のように、私の体をアトピーが覆い尽くしていくのです。そしてとうとう最後には全身のほとんどがひどいアトピーで埋め尽くされてしまいました。すがるように兄が通っていたことのある京都の日赤病院にいきました。そこで強いステロイドを全身に塗られましたが、見掛けの症状が良くなるのもほんの数時間程度でした。

 この時期はそろそろ自分の見かけを良くしようと色気づく年頃です。しかも今まで周囲にチヤホヤされながら育ってきたのでプライドも高かった。そんな時に1週間前とはかけ離れた怪物のような自分の姿を人前にさらすのは、本当に死にたくなるほど耐え難いことでした。だから少しでも見かけを良くしようと、ステロイドを常備して数時間ごとに塗りたくっていました。まさに麻薬中毒者が必死で薬を作って自分の腕に注射針を刺し込むかの如く、トイレに駆け込み無我夢中で自分の顔にステロイドをすり込んでいました。そうして自分の本当の姿を隠し続けてなんとか毎日毎日をのりきっていました。(まさにステロイドは、麻薬なのです。麻薬が切れると反蝶現象が起こるように、ステロイドも使い出すと止めることが出来なくなり、このように常時ステロイドを塗らなければ、押さえきれなくなってしまったのです。)

 昔の友達に遊びに誘われても、変わり果てた自分の姿を見せるのが嫌でことごとく断りました。時には好意を寄せていた子からの誘いも断腸の思いで断ったりもしました。スポーツをしても汗が出ると気が狂うほどに痒くなるので全くしなくなり、学校に行ってもできるだけ目立たないように大人しくしていました。皆が大好きな体育の時間も、肌を見せなければいけないし痒くなるし大嫌いになり、何か適当な理由をつけては見学するようになっていました。(間違ったアトピー治療の為に性格が変わり、未来を悲観して生きざるを得ない人が何と多いことでしょう。美貌を奪われ全ての自信も失い、結婚もせずに真っ暗闇を生きてきたアトピーの女性もたくさん知っています。治らない病気を治るといってお金を巻き上げる悪徳医師も問題ですが、それ以上にアトピーやリウマチのように治せる病気を治せないと嘘をつき続けて副作用も考えずに好き勝手な治療を行い、患者を奈落に突き落とす医者の罪深き事を極めて残念に思います。)

 そんな生活を続ける内に、何時の間にか目立ちたがり屋で活発だった昔とはかけ離れた内向的な性格になっていきました。また勉強もろくにできないので「周りから取り残されてしまう」というあせりももちろんありました。時には自暴自棄になり「どうでもいい」と思い、意味なく学校をさぼりゲームセンターに入り浸ったこともありました。家に帰れば、息子二人のアトピーを見て苦しむ両親の姿が気の毒でしたが、どうしようもないので部屋にずっとこもっていました。父がよく「規則正しい生活をしないからアトピーがひどくなるんだ!」と怒っていたのを覚えています。でも私は「普通の人間はそんなことを気にしながら生きていない。普通の人間は不規則な生活をしたからといってアトピーにならないし、絶対おかしい」と常に思っていました。それでも何をしても悪魔の麻薬であるステロイドの呪縛から逃れることが出来ず、「もう一生アトピー人間としていろんな制約を我慢して生きていこう」という不条理な諦めに近い覚悟を決めてしまいました。(このような手記を書いてもらっているのは、私は日本全国のアトピー患者のみならず、全世界のアトピー患者にアトピーは必ず治るということを知らせたいためです。全ての偉いアレルギー学者がアレルギーは治らないと言い張っているときに、私が大声でいかにアレルギーを治す正しい理論を叫んでみても、その証拠がなければだれも信じないのは当然のことでしょう。私は一人一人のアレルギー患者を地道に治して、全世界にアトピーが治るという証拠でうずめつくしたいのです。そして全世界からアトピーの患者を一人もいなくしたいのです。)

 

 このようなステロイドの使い方の生活を始めてから1年半が過ぎた頃でした。

 父の研究室のひどいアトピーだった学生さんが、1年間の休学後にすっかり綺麗になって通学を始めたというのです。そこで事情を聞いた父の口から出た医院が「高槻の松本医院」だったという訳です。(その学生さんが高槻高校出身ということも運命的なものを感じずにはいられません。)私は松本医院の話を聞いた瞬間に、「ここなら絶対に治る」ということを悟りました。今までにない筋の通った理論、そして数々の手記という証拠。(普通の人では私の理論を読んですぐに筋の通った理論だと悟る人はまずいないでしょう。最低5回は読んでもらう必要があります。さらにすばらしいノンフィクションであるおびただしい数の治療の手記を読めば、如何なるアトピーも理論通りに治っていくのだということが分かるはずなのに、それでも疑いを感じる人が多い事は残念です。)これを知らされて疑う余地はありませんでした。私は明日にでも学校の帰りに行きたいという気持ちにかられました。

 しかし今まで27年間ステロイドを投与されてきた兄はすぐには納得しませんでした。「そんな医院もまやかしに決まっている!」と、全く聞く耳を持とうとしない兄と、説得する父が大喧嘩をしていたのは今でも忘れることができません。口論の末、兄もやはり今までの医院とは違うことを感じ取ったのか、遂に松本医院に行くことを決断しました。(この時会社の同僚から土佐清水病院を勧められていたそうです。まさに天国と地獄の分かれ道でした。)しかし まだ疑心暗鬼な兄が私に言いました。「俺がまず松本医院で1年間治療する。それで治ったらお前も行け。」と。私は納得しませんでしたがとりあえず兄に一度行ってきてもらい、その感想を聞く事にしました。(彼らの親族には、優秀な医者がたくさんいます。いわば現代医学の最先端の医療を受けて来たのにもかかわらず、アトピーが治らなかったという事実が最初は兄さんにこのような疑心暗鬼を生んだのだと思います。しかしながら、皮肉にも私の治療法は現代医学の逆が正しいという事を実践しているというわけですから、普通の良識のある人は、私の治療理論を理解するまでにそれなりの時間がかかるのです。)

 次の日、松本医院から帰ってきた兄は言いました。「お前も行け。」(藤田大介さんの手記はすでに掲載されています。しっかり読んで下さい。)

 

 私が松本医院を訪れたのは忘れもしない199612月、中学三年生の冬休みの事でした。先生の話を聞いてアトピー完治の確信と、先生への信頼がより一層硬くなったのは言うまでもありません。「この先生の仰るとおりにしよう」「どんな辛いことも耐えてやろう」と覚悟を決めるのはいともたやすいことでした。(私は患者の信頼を勝ち取る、最高にして唯一の道は、患者の病気を治すこと以外に何もないと思います。そのために初診のときに、治してあげることを保証することです。つまり治らなかったらお金を返してあげることを約束することだと思います。私にとってはとても不利なことなのですが、誤解を招かない人に対しては「治らない時にはお金を返す」といいきることがしばしばあります。何故このような自信が生まれてくるのでしょうか?答えは簡単です。アトピーは実は人体を異物から守るために皮膚から異物を吐き出している症状なのです。この事実を知っているのは私だけなのです。つまりアトピーは、異物である化学物質を排除する免疫の戦いにおいて勝利しているのです。しかし吐き出しても繰り返し侵入してくる無限の異物を永遠に吐き出し続けることは出来ないのです。それは吐き出すための武器であるIgE抗体は無限には作ることは出来ないためなのです。最後は戦いを止めて、白旗を揚げざるを得ないのです。この事実を知っているのは私だけなのです。全てにおいて敗北するほど簡単なことはないのです。そして最後はその異物と共存せざるを得ないのです。これを私は自然後天的免疫寛容と名付けたのです。)

しかし覚悟を決めていたはずのリバウンドは、私の想像をはるかに越えるものでした。顔は鬼のように真っ赤になり、眉毛は抜け落ち、外見は今まで以上に醜くなり、既に自分を着飾りたいという一般的な思春期の願望はなくなっていました。そして体中の皮膚が硬くなり、割れ、それが痛くて「歩く・食べる」という基本的な動作さえも困難なものになっていました。(本来体外に出すものを、体内に無理矢理にださないで置いてきたものがひとまとめになって、どんどん皮膚を破って出ていくことがリバウンドです。しかしそれと同時に、ステロイドの直接的な皮膚への影響による化学火傷というべきステロイド皮膚症による異常な皮膚を入れかえることが行われているのです。正常な皮膚を作るのに膨大な時間がかかるのです。その時に痒みではなく、痛みを感じるのです。)

 しかし「今俺はステロイドを使わずに生きている」と、どうしても出来なかった脱ステロイドを出来ているだけでもすごく幸せでした。また「しかも正しい治療をして完治に向かっている」ということがさらに心の強みになり、一生懸命治療に励むことができました。治療も半年近く続けると、症状も少しずつマシになり、徐々に開き直り精神も鍛えられ、「周囲が何をしようと、どう思おうと勝手だ。俺は正しいことをやっているんだ!」と前向きな気持ちで学生生活を送れるようになっていきました。しかし、脱出しかけたと思った地獄の出口はまだ先でした。(そうです。ひどいリバウンドの回数は一回で終わるわけではありません。この回数は抑制された免疫機構だけが記憶しているものです。ある意味ではリバウンドは治るまでやり続けるといっても過言ではありません。ただその強さが色々異なるだけです。人間の頭は意図的に嘘も吐けますし記憶も曖昧ですが、肉体の免疫は絶対に嘘をつかないのです。抑制してはいけない免疫は抑制した分だけ必ず復讐を遂げるのです。自業自得といえばそれまでですが、やはりステロイドの恐さを知らさずに患者に使わせた医者が責任を取るべきものだと考えます。どのようにして責任を取らすかは皆さんが考えて下さい。)

 

 治療開始から7ヶ月目、高校一年生の夏休みの時でした。漢方風呂から上がってふと天井を見上げると電球が見えないのです。また、テレビをつけると映像がかすかにしか見えないのです。私の両目はステロイド性白内障に冒されていたのです。それだけならまだしも、日赤で「痒ければ叩きなさい」と言われていたせいで、右目は網膜剥離も起こしていたのです。この時ばかりは「なぜこんなにも苦しまなければならないのか。普通の人生を送りたい。」と今までの人生と現代医療を呪い、涙を流しました。同時にストレスから皮膚の状態も悪化し、蕁麻疹も併発し、過去最強のリバウンドを耐えながらの入院生活を送りました。高校一年の三学期は全休し、学校に復帰できるのはいつになるだろうかと不安でした。(皮膚科では自分達の責任を逃れるためにステロイド性白内障をアトピー性白内障と誤って名付けています。アトピーというのはもともと異物を体外に出す正しい働きでありますが、食べ物や飲み物や空気で運ばれてきた異物を、わざわざ頭蓋骨を越えて水晶体から排泄しようとして、炎症を起こしてアトピー性白内障になることは絶対にないのです。もしあれば、当然水晶体の前にあり外部に直接接触している角膜に炎症が起こり当然アトピー性角膜炎になるはずです。しかしこんな病気はまったくありません。さらに目は脳の一部であるわけですから、もしアトピー性白内障がありうるとすれば、必ずアトピー性脳炎や、アトピー性内耳炎があっても良いはずです。しかも実を言えば白内障は炎症ではないのです。これは変性であって、炎症以外の原因によって起こるものなのです。これだけの証拠があってもアトピー性白内障という無責任な病名が大手を振って歩いていることに憤りを感じます。もちろんステロイド性白内障になるかどうかは、単純に治療で用いられたステロイドの量によって決まるものではありません。この患者さんよりも遥かに長期にわたり、大量にステロイドを用いてもステロイド白内障にならない患者さんはゴマンといます。例えばこの患者さんの兄の藤田大介さんのステロイド使用量は弟とは比較にならない位に大量であったにもかかわらず、兄は白内障にはまるで縁がありません。従ってステロイド白内障になりやすい人の水晶体は、わずかなステロイドの量でもその影響を受けやすい傾向があるようです。つまり、水晶体の細胞にステロイドが入りやすく、細胞の核の中に入って遺伝子を変えやすい傾向を持っている可能性があります。これは今後の研究の課題です。)

 そんな時、私の心の支えになってくれたのは両親はもちろんのこと、学校の先生と数少ない高校の友人でした。ひどいリバウンドの時に、私を気遣って話題をそらしてくれたり、時には「そんなこと気にならないよ」と励ましてくれたりもしました。特に入院中に見舞いに来てくれた友人は、今でも恩を忘れることができません。学校が嫌いで休みがちだった私でしたが、親友と呼べる友人が学校生活の楽しみを思い出させてくれたのです。こうして学校に復帰後は、漢方治療と学校生活を両立できるようになっていきました。( しかしまだ勉強する余裕はありませんでした。)

 そしてさらに1年間が過ぎて高校3年生になった頃、遂に症状が楽になり始めたのです。これも本当に突然でした。(当医院の治療を受け始めて3年目に入っていました。私の唱える自然後天的免疫寛容が、多数の種類のシングルアレルゲンに対して、この時一挙に生じたのでしょう。それまでは全体としてのIgE抗体は上昇するばかりだったのですが、この時点でやっと頂点に達して下降し始めたのです。このようにIgE抗体の頂点は突然に起こることはしばしば見られることです。もちろん下降しながらも過去に使ったステロイドのリバウンドにより再び一時的にIgE抗体の上昇が見られ、この時に一時的に症状の悪化も見られますが、頂点に上がりつつある時のリバウンドとは比較が出来ないほど楽なものです。)「あれ?今日はなんか楽やな」と思った日から後は、それまでのようなひどいリバウンドは二度と起こらなくなりました。せいぜい「今日はちょっと過ごしにくいな」という程度になりました。この時ほど人生が幸せに思えたことはありませんでした。学校に行く足取りも心持ち軽やかになり、体育の時間も楽しくなっていました。そして今までやりたくてもできなかった勉強も一気にやる気が出てきました。寝たきりの闘病中にできる唯一の楽しみが、子供の頃から描いていた漫画やイラストだったので、私の目指すものは徐々に「アトピー完治」から「美大系大学合格」へと変わって行きました。

 それからというもの一心不乱に勉強しました。もともと捨てていた人生なのに、目標に向かって突き進める喜びを味わいながらの勉強だったので、受験が辛いなどと微塵も感じませんでした。また「どうせ遅れているのだから、何でも聞こう」「やりたいことは溜まっているのでたとえ大学に落ちてもいいや」と、気楽に勉強に打ち込む事ができました。そして2000年の3月に志望校現役合格を勝ち取る事ができたのです。(アトピーの戦いを乗りきった人にとっては受験勉強などは朝飯前なのです。何故ならアトピーのリバウンドの肉体的苦痛と精神的苦痛は、アトピーの人しか理解できないのです。まず痒みの辛さ、その後引っ掻いた後に襲う痛みの激しさ、傷から染み出るリンパ液の不快さ、外に出る肉体的辛さ、(寒い日は皮膚を指すような痛み、暑い日は汗で増す痒み)そして精神的辛さ(人に変な目で見られる不快感、外出中に症状が出る不安感)、常にエネルギーを使っているので、そこから来る倦怠感、不眠そのもの、そしてそれによる眠気など数え上げると人生の苦痛の全てを背負っているようなものです。しかもアトピーを治したからといって特別に得をすることもなく、誰に褒められる訳でもなく、しかもその間の自己実現も大きく制限されるのです。一方受験勉強はやればやるほど志の実現に近づき、一流の志望大学に入れば周りから偉い偉いと言われ、家族も喜んでくれるし、自己実現の第一歩を大きく踏み出すことになります。こんな努力を誰が惜しみますか?)

 

 私たち兄弟は現在、松本医院で先生のアシスタントとして働いています。今でこそ当たり前のことのようですが、思えばあの運命的な出会いがなければ今頃どうなっていたのか考えるだけでも恐ろしくなります。(もっと早く出会いがあれば、ステロイド白内障にもならず、網膜剥離の手術も必要なかったと思うと、残念です。いずれにしろ私との出会いは早ければ早いほど患者さんにとってはベストなのです。)

 でも私がアレルギーでなければ松本先生との出会いは当然ありませんでした。いまだに現代医療の現状に気付くことなく、騙されながらお金を吸い取られていたでしょう。安穏と生きて、人生の目標を見失っていたかもしれません。 また、どん底の思春期に比べれば多少の不幸も幸せに感じます。ましてや現在の生活は充実そのものといったところです。松本先生が自ら「幸運の偏頭痛」と仰っているように、今になって私ははっきりと言いきることが出来ます。「幸運のアレルギー」だったと。(このように不幸を幸福に変えることができるのが人生の醍醐味なのです。)

 

〜おまけ taro version

 

 「君は背中だけはきれいだろ?それは痒くても手が届かないからだよ。従って掻かなければアトピーは治るんだ。」こんな馬鹿げた理論に一度でも頷いた自分が愚かでした。(こんなことを言う医者は睡眠中にアトピー患者が掻きまくっていることを知らないのでしょうか?もし知った上でこのようなことを言うのでしたら、寝る前に両手に手錠をはめて寝なさいと忠告すべきではないでしょうか?)ステロイドを塗りたくても手が届かないから綺麗なんです!そんなことがどうしてわからないのか?それとも気付いているのに嘘をついているのか?どちらにしても医者を名乗る資格はありませんね。

 「顔が痒い時は叩きなさい」この発言のお陰で私の網膜ははがれてしまいました。もし失明していたらこの医者は目玉をあげるとでも言うのでしょうか?

 ここで面白い事実があります。私のステロイド性白内障は両目に及んでいたのですが、通常外側から汚れていく水晶体が、私の場合は内側から濁っていったのです。まさに体から 「ステロイドの毒」を排出するべくして起こったことでしょうか。さらに、もともと左目は白内障の進行が遅かったのですが、リバウンドがましになるに連れてもっと遅くなり、とうとう今では全く白内障の進行は止まってしまいました。私の体には既に眼球を通してまで排出するほどの 「ステロイドの毒」はもう残っていないということなのでしょうか?真実は分かりませんが、いずれにしても興味深い事実です。(これも何故かは今後の研究の課題です。)

 「多朗君は完治したの?」リバウンドに苦しむ人はよくこの質問をします。しかし実際、完治とは誰もはっきりとは言えないものではないでしょうか。治ったと思ってもまだIgE抗体は眠っている可能性だってある訳ですから。普通の生活ができればいいのです。その気持ちは痛いほど分かりますが、実際完治に近づくに連れてアトピーなんてどうでも良いと思うくらい、他のことに興味が湧きます。普通、またはそれ以上の目的を持って生きてゆけると思うのです。(完治をどのように定義付けるかは極めて難しい問題です。これに対する考察はインターネットに出していない『アトピーの意味論の2』に詳しく書かれています。いずれ出版の予定です。)

 普通の人であっても体が痒くなるし、咳も出るでしょう。ましてや化学物質で埋め尽くされた現代人で、アレルギーが一度も現れない人なんていないと言っても過言ではありません。気にするところを間違えているのです。松本先生の言う通りにしてついていけば、必ず必ず明るい未来と目標が見えて来るはずです。がんばって自分の免疫と現代医療の改善(崩壊)に努めようではありませんか!