匿名希望 30歳 2000年6月の月末の日曜日でした。その日を境に私と妻の壮絶なアトピーとの戦いになりました。私は子供の頃からよく湿疹にかかり、思えばいろいろな薬、今は販売中止になっていると聞きましたが、田辺製薬の「フルコート」。 つけてしまえば確かにかゆみがなくなるとてもよく効く「いい薬」だと思っていました。又、同じ高槻市内にある大桑皮膚科にも高校生の頃から何回か通い、北摂病院、枚方市にある門林皮膚科そして更に2000年の4月頃から「あせも」?「じんましん」?と解らなくて、どうしょうもない「かゆみ」に襲われて日曜日という事もあって、三島の救命救急センターに行きました。 そこでもそのかゆみの原因がわからず、とりあえず点滴をしておきますという事になり、してもらって家に帰りましたが、大して何の変わりもありませんでした。 そのとき見るに見かねていた妻が、「タウンページ」を引っぱり出して日曜日に空いている皮膚科を見つけ出してくれました。「わら」をもつかむ思いで電話をしてすぐに行きますと電話をして「松本医院」へ向かいました。 2000年6月、月末の日曜日私と松本先生の出会い、又私と妻の戦いの始まりでした。 先生方の話を聞いて「すぐにかゆみがとれて良くなることはない。まず君の体にのこっているこれまで使ってきたステロイド剤を完全に出さないと治らない。」とのことでしばらくは薬に対してのリバウンドでとても苦しい日々が続きました。 私の場合は背中とおしりの下のほうが特にかゆく一度おしりの下の方をかいた時に汁が止まらなくてズボンまでべったりなっていたりしました。仕事が終わって車で家に帰るときにはあまりにもかゆく運転に集中できないのでよくズボンとパンツをぬいで車に乗っていました。松本先生は私に「かいてもいいよ。」 「人間はかゆいところを手でかける。こんな気持ちのいい事やめろとは言わへん、大いにかきなさい。」と言ってくれました。 これまでの病院では、「かいてはダメ。」と必ず言われてたのに何故?とずっと思っていたました。又、先生は診察に行くと必ず「絶対治したる。治ったら手記書けよ。」と毎回言われてきました。 2001年10月、私のアトピーはおどろくほど良くなり、皮膚もきれいになってきました。先生の言ってたことはほんまやな、信じてよかったなと、本当に心から思っています。 今から思えば、妻にはそのころ本当に苦労をかけましたが、それも松本先生のおかげですっかりと良くなってます。私の経験はとても貴重なものとなりました。この国にはまだ多くのアトピーで苦しんでおられる方も沢山いらっしゃると思います。これから松本先生の治療を受けられるみなさん、いろいろと大変なこともありますが、先生を信じてがんばってください。先生ならきっと治してくれますよ。 平成13年10月7日 |