「私のアトピー記」 吉田 太一 26歳 私は26歳の男性です。約10年間この憎っくきアトピーに悩んできました。今までの経験を交えながら、使用してきた薬・病院への不満(これが主になるかも…)をなるべく詳しく御紹介致します。 もともと皮膚が弱かった私は夏場は汗疹、冬場は乾燥肌でした。(弱い皮膚などは存在しません。何故ならば、アトピーは皮膚の細胞の病気ではないからです。つまり口から入った食物に結びついた化学物質は腸管で結合を外されて、体内に吸収されて新たに蛋白と結合して初めて人体はその化学物質を異物と認識して仰天し、すぐに免疫反応を開始して体外へ排除しようとし始めます。結局のところ、体外と体内を隔てる壁は皮膚ですから、わざわざ皮膚を破って化学物質が排泄されるわけです。このような時に傷ついた皮膚をどうして弱いといえるのでしょうか?あえて言うならば正しい皮膚と言うべきでしょう。)その都度痒みが出て、掻くと赤くなり湿疹がよく出ていました。近所の皮膚科に行くとアトピー性皮膚炎と診断され、あのすばらしい薬!?ステロイドの塗り薬を処方されました。(さあ地獄の始まりです。) その時は副作用のことは全く知らず、先生から何も聞かされませんでした。塗ると不思議なように効き、症状がひどくても、塗った次の日はものの見事に消えていました。こんな素晴らしい!?薬があったのかと思った程でした。それから症状が出る→塗る→消える、出る→塗る→消えるという図式が頭の中に自然に出来あがってしまいました。(あー怖。今考えるとめちゃくちゃ恐ろしい!!)しかしこの恐ろしい週間は、小学校から大学2回生位まで続いていきました。今まではステロイドのお陰?で私がアトピーとは誰も気付かなかったでしょう。でも大学2回生頃から必殺ステロイドが効かなくなってきました。(麻薬の定義から言うと、ステロイドはまさに麻薬のひとつなのです。つまり不快さを除去して快楽を得られるのですが、段段強さを増さないと効かなくなり、止めると不快さがひどくなり(離脱症状)、その薬に依存しなければ正常な生活ができなくなり、最後は止めなければ逆に正常な生活ができないという麻薬の定義からすればまさにステロイドは麻薬です。この患者さんも、とうとう麻薬のステロイドが効かなくなってしまったわけです。)その頃(実際には前から問題になっていたでしょう。)、新聞や雑誌にステロイドの副作用や危険性を訴える記事がよく目に入ってきました。母親もステロイドに敏感になり、私もこの薬に疑問を持つようになりました。そして病院に行き、先生にステロイドの副作用について聞くと、物凄い剣幕で「俺の出すものを信じて使ったらええ!!」と怒鳴られました。(この時に医者は、ステロイドを何故使わなければならない物なのか、ステロイドがアトピー完治のために何故必要なのかをじっくり話して納得させるべきだったのです。勿論、そんな嘘は言えないわけですから怒鳴ってお茶を濁すわけです。)ますます疑問になり、何か大きなことを隠されている気分になり、病院を変えることにしました。 京都にあるT病院。アトピー患者は1度は聞く名前ではないでしょうか?私も有名で良い先生がいると聞き、そんなに有名であれば安心だと思い予約を取って行きました。が、ステロイドを急に止めると危険と言われ、素人は余計な心配をしなくてもいい、そんな感じでした。(アトピー程度の治療で用いられたステロイドを止めることが危険である理由は全くありません。この医者はステロイドを急に止めると、アトピー性白内障になるとある本に書いております。私はステロイドを止めさせる治療前には、必ず眼科検診をしてアトピー性白内障と網膜剥離の有無を確かめますが、ステロイドを止めて出現したアトピー性白内障と網膜剥離は、いまだかつて経験したことはありません。勿論眼科検診でアトピー性白内障と網膜剥離を発見してあげたことはありますけれども。実はアトピー性白内障などという病気は本来有り得ないのです。これは間違った病名なのです。何故ならば、まず第一に白内障というのは水晶体の変性であります。しかしアトピーは体内に入った異物を排除する時に起こる炎症であるわけですから、もしアトピーの為に水晶体に変化があるとすれば、アトピー性水晶体炎という炎症であるべきなのですが、ちょうどアトピー性脳炎がないようにアトピー性水晶体炎は存在しないのです。何故ならば、体内に入った異物をわざわざ脳や脳の一部である水晶体を通して排除するというような面倒なことをしなくても、広大な皮膚から出すだけで十分なわけです。従って、昔から言われているように、水晶体に変性をきたすのはステロイドであり、また、老化や外傷や糖尿病や放射線などによるものであります。これらは全て水晶体の組織に変性をもたらすのであります。従ってアトピー性白内障というのは、ステロイド性白内障と言うべきものであります。従ってステロイドは早く止めれば止めるほど、ステロイド性白内障にならないと言っても過言ではないのです。さらに実はアトピー性網膜剥離という病名も間違っています。水晶体の場合と同じように、わざわざ脳の一部である網膜から化学物質を排泄するために網膜を剥離しようというような馬鹿なことはする必要はないのです。すでに知られているように、振動性網膜剥離と言うべきものです。これは医者から顔を掻いてはいけないと言われた患者が、その代わりにたたいて眼球を振動させたために起こる病気です。)また、予約したのにもかかわらず2・3時間も診察を待たされ、診察は2・3分。相談しても親身にはなってもらえませんでした。処方された薬は漢方でした。有名な医者が出しているし、これを飲めば治ると思い込んでいました。(日本人が弱いのは何よりも有名人です。無責任なマスコミが作り上げた虚像を何の批判もなしに受け入れたがるのが日本人の特性のひとつです。)しかしなかなか良くならず、ステロイドを止めると危険と言われていたので塗り続けていました。漢方とステロイドのミックスを1年ほど続けました。(漢方とステロイドのミックスが一番ステロイドの影響を受けやすいのです。と言うのも、漢方は単に皮膚の新陳代謝を良くするだけですから、それだけ皮膚はステロイドを吸収しやすくなり、ステロイドの副作用を受けやすくなる上に、さらにその分だけステロイドを抜くのが難しくなるのです。)病院とステロイドへの不満と不安は消えませんでした。母ともよく相談しました。しかし、母もどうして良いか分からず、辛かったと思います。そして決断しました。どこの病院にも相談せずに、「ステロイドを止めよう」と…。 それから地獄のような毎日でした。風呂には檜の入浴剤を入れました。すると皮膚がボロボロ剥け、風呂が皮だらけになりました。上がるとカサカサし、ベビーオイルでしのいでいました。カサカサするのが嫌で、1日何回も何時間も入っていました。体液も体から出てきて非常に臭く、「本当にこんなんしてていいんか?このままどうなんのか?」と思い、朝自分の顔を鏡で見るのが非常に辛く、毎日毎日不安でした。そんな頃、友人の紹介で「環境を変える意味で入院したら?」と勧められ、ましになって退院する人もいると聞き、入院の手続きをとりました。(その頃は、良いと言われれば何でも試しました。) 某大総合医療センター。凄く大きいホテルみたいでしたが、大学の先生も私を観察するような感じでした。(俺はモルモットとちゃうっちゅうねん!)1ヶ月で退院しました。何も解決せずに…。そして入社する日が近くなってきました。このままでは良い仕事が出きるわけがない。両親に入社を辞退すると相談しました。(今考えると、非常に酷な相談をしてしまったと思います。)またその頃、姉の知人の通っている病院を紹介してもらうことになりました。 TS病院(出た〜!)の先生を師としている先生で、東大阪のT皮膚科。行くとかなりの患者数で、大人気でした。出された薬は、茶色のSOD入り軟膏に少量のステロイドが混ぜてある薬でした。(TS病院のN氏は、活性酸素がアレルギーの原因だと言い、活性酸素を処理する酵素であるSODを使えば治ると言っております。そうすれば、SODだけを使えば良いのに何故ステロイドを使うのでしょうか?勿論、SODではアトピーを治すことができないからです。またステロイドは結果的に活性酸素を増やす可能性があるので、めちゃくちゃな理論であります。しかも人間が酸素を使う限りは永遠に活性酸素を生じさせるので、この理論からすると永遠にアトピーは治らないのにもかかわらず、治ると言い続けています。さらにSODが一番少ない人たちの集団は老人であります。しかしアトピーが一番少ないのは老人であります。とにかくノーベル賞候補にもなった日本人が発見したIgE抗体について一言も触れていない医者の書いた本というのは一体全体、何の為の本と言えるでしょうか?しかもステロイドをどんどん使っています。患者には、自分の作った薬と一緒にステロイドを用いればステロイドの副作用は一切無いと言いくるめています。ステロイドの副作用を除去できる薬を発見すれば、ノーベル賞を10個もらえるでしょう。)レベルが1から5まであり、私は1のステロイドが一番少ないものから始めました。3ヶ月位ステロイドを塗っていなかったなので良く効きました。(正確に言うと、よく抑えこめました。)その先生は相談にはのってくれるのですが、ステロイドは否定しませんでした。よく「そんなに完璧に治そうと思うな。」・「ステロイドとうまく付き合うことを考えろ。」と言い、これが話の決めゼリフでした。なんか納得できぬまま、私の頭の中は「もうステロイド無しでは生きていけない体なんだ。」、そう植え付けられていきました。その病院を2年通院しました。最後の方はレベル1の薬も効かなくなり、「レベルをあげるか?どうしようか?」というときでした。(まさにステロイドで症状を抑えていただけで、SODではないわけです。このような患者さんが私の医院には何百人もいます。TS病院の出したステロイドによるこの上もないリバウンドを乗り越えるためにです。) (先生長々とお待たせいたしました!! やっと登場です!) 付き合っている彼女から、高槻にステロイドを一切使わず治してくれる先生がいると聞きました。今まで有名なだけでしょうもない病院にはヒョコヒョコ行っていたのに、その時はもう何も信じられず、彼女には「お前に何が分かるねん!」と辛く当たってしまいました。しかし頭の中では「ひょっとして…」、それに「治したい!」という気持ちは消えませんでした。東大阪の先生に相談しました。自分のところに通っている患者が他の病院のところに行こうとすることをO.Kするとは思っていませんでしたが、「本当に患者のことを思うのなら…」と期待半分で…。答えはNOでした。おまけに「そんな事したら、失明する可能性がある。」(失明したりするのは、皮膚科医に掻いては駄目だと言われて顔を叩きすぎたために生じる振動性網膜剥離だけです。)と脅されました。そして「レベルを上げよう。」と…、その日は薬をもらわず病院を出ました。(彼女の行っていた病院に行ってみよう。) 1998年2月8日、忘れもしない松本医院に初めて行った日です。すでに患者さんが多くおられ、手記を見ながら待っていました。名前が呼ばれ診察室へ、「ヤ、ヤクザのおっさんや!」(先生すいません。)これが第一印象でした。(私は日常の診察では汚れることもないので白衣を着ないで、普段着で診察しています。また性格が激しくて自分が正しいと思うことを大声で、しかも感情を込めて上品でもない言葉で話しつづけるものですから、世間一般の医者のイメージとはかけ離れているようです。それに医者は成れの果ての仕事だと考えている男なものですから誤解されることがしばしばあります。しかし、どんな医者よりも絶対の責任を取る自信はあります。私は医者の前に、あくまでも誠実な人間でありたいのです。)私の今までの治療をきっぱり否定され、「お前らはくだらん医者にかかりよって!バカか!」とまで言われました。「どうせお前も一緒ちゃうんか!」心の中ではそう思い、先生のおっしゃることは素直に聞けませんでした。(そうか!!治らなければ命をあげるとまで言っている男の言葉をこんな風にしか初めは受け取ってもらえないのか!!残念だ!!)それを感じ取られたのか、「信じられへんかったら来なくてもいい、またステロイドで苦しめ。」、でも最後には「絶対、俺が治してやる!」と握手しながら笑顔で言っていただきました。(私が世界で初めてアトピーをはじめとする全てのアレルギーを完治することのできる理論と証拠を見つけました。この手記の出版後に、近いうちに出版される予定です。)「なんやこの自信は?」と思うと同時に、やっぱり嬉しかった。(今までどんな医者も言わなかった言葉でしたから…。)消毒と煎じ漢方をもらい帰りました。しかし、すぐ治療に入りませんでした。以前ステロイドを止めて苦しみを味わっているので、またあの地獄の日々が始まると思うと不安でしたし、会社では営業をしていたので戸惑いがありました。かなり悩みましたが、「治したい!」という気持ちは何にも勝てませんでした。(もう最後や、この病院を最後にしよう!よし、松本先生を信じてもう一度やってみよう!)会社にも休職願を出し、徹底的に治療する覚悟を決めました。(1998・3・8)最初に松本医院に行ってから1ヶ月ステロイドは止めていたので、すでに副作用は出てきていました。それから1日何回も消毒し、毎食前の煎じ漢方を繰り返し、週一回は病院に顔を出しました。その都度、先生といろんな話をしました。疑問に思うこと、現在の医療体制についてなど、ついつい診察時間が長くなり、私の後の患者さんは待ち時間が長くなったと思います。(申し訳ございません。)でも自分自身で今まで納得できなかったことや不安感が病院に行く毎に和らいでいきました。 症状の方は、以前皮膚を剥けきったのか、ボロボロと落ちるということはありませんでしたが、顔は赤くなり、眉毛は抜け落ち、体にはブツブツしたものが出ていました。しかし2・3ヶ月経つ頃、皮膚がしっとりし、突っ張る感覚がなくなっていきました。眉毛も徐々に生えていき、以前の激しい痒みも和らぎ、痒みの間隔(1日の掻く回数が減り、激しい痒みは2日に1回→3日に1回)が長くなっていきました。(もちろん小さな波はありました。) 現在は8ヶ月経ち、アトピーとあまり気にしなくなるまでに回復しました。会社にも復帰することになりました。こんなに早くここまで来れると思ってもいませんでした。今まで"雲の上の物"(数多くのあやふやな間違った情報)がはっきりしました。
生々しい意見かもしれませんが、小学校から発病し、今まで苦しみ、松本先生に出会いゴールが見えてきた患者の率直な意見です。上の2項目で医者を侮辱するような言い方をしましたが、そら患者が大勢来て、ステロイドを出して「ハイ、サヨナラ。」という、こんな回転率の良い商売はないでしょう。(俺ら患者はクルクル寿司の客とちゃうっちゅう話ですよ。)以前通っていた病院の先生は、私が急に来なくなったことをどう思っているのでしょう。「俺が治した。」とでも思ってはるのですか?通っていた病院(ステロイドを出す病院)の前を通ると、行列ができるほど患者さんが待っておられました…。先生、これが悲しい現実です。(私も今その一人になっていたかもしれません。)でも私も皆さんも今は辛いですが、ステロイド治療している患者さんよりも数倍早く痒みの無い素晴らしい体になることでしょう。なぜなら、松本医院を知り、松本先生に出会い、アトピーを治す治療を始められたのですから。皆さんも今までの医者の代償と闘うのは悔しいと思いますが、どうか負けずに頑張って下さい。いつか必ずあなたにもこのような手紙を書ける日がきっときます…。この8ヶ月間、心から支え見守ってくれた両親、家族、友人と、この病院を紹介してくれ泣きながら励ましてくれた彼女に心から感謝します。(この彼女のアトピーも私が治してあげたからこそ、強く勧めてくれたのです。) 最後になりましたが、松本先生、この8ヶ月間先生のお蔭でこの病気と真正面から向き合い闘うことが出来ました。本当に有難うございました。まだ治療は続きます。先生をはじめ、看護婦さん、受付の皆さん、これからもよろしくお願い致します。(この患者さんは会社にも復帰でき、バリバリ仕事ができるようになりました。さらに、同じようにアトピーで悩んでいる妹まで紹介してくれました。勿論、二人とも必ず完治させてあげます。すでにIgE抗体は頂点を超え、どんどん下降しつつあります。)
<上の表の説明> 一度医者を信用できずに、自分でステロイドを止めて激しいリバウンドを経験し、再びステロイドを使ったのですが、短期間であったためにIgE抗体の上昇はわずかでした。8ヶ月で3桁に戻り、社会復帰が可能になりました。勿論、自分でステロイドを止めた頃のIgE抗体の値は、恐らく数千の可能性があったと思われます。症状とIgE抗体と比例するわけではありません。それはアトピーでない人が化粧の下地がわりに長期にステロイドを用いた時の離脱症状は想像を絶するものです。 |