「潰瘍性大腸炎─中間報告」宮崎真明  30

 

2004913

中間報告です。

よろしくお願いします。

 

<はじめに>

漢方による難病治療の普及を心より願って

 

 しかし、不思議なものです。重大な病気にかかった者の中には、「あなたの病気は深刻であり、もはや治りません。」こう言われると納得し、さらに、「治りませんが、私の言う通りにしますか?」と問われて、「治らないとおっしゃる、あなたの言うことに、従います。早く、その治らない方法を、教えて下さい。」と忠誠を誓い、教えを乞う人がいます。そのくせして、「その病気は、治ります。」と言われても、まるでそれは、耳障りなBGMであるかのように、聞き流そうと努める人が、結構いるようです。

医者と患者のお互いが、「治らないよね。」と堅く信じ合う信頼関係を続ける意味が、どこにあるのでしょう。重要なのは、たとえ、どんなに閉ざされた状況に置かれた時でも、常に光を求めて歩き続けることであり、常識に包まれて、安堵することではないのです。

 

<潰瘍性大腸炎との出会い>

そして、椎間板ヘルニアから得たヒント

 

私が便器を血に染めるようになったのは、今からおよそ3年前のことになります。「ふーん、これが噂に聞くというものか。何かちょっと、カッコ悪いな。」こう、捨て置いただけで、まさか、お国もお手上げの難病だなんて、思いも寄りません。

いつしか私の中で、痔は持病となり、特に問題視するでもなく、2年と半年が過ぎたある日、突然、今までにない大量の出血と下痢。ちょうどその頃は、とにかく仕事に追われて、休むことができず、自分の体が生身であることを忘れ去っていました。ろくに睡眠もせずに、無理矢理動きまくっていたので、そのくらいの調子の悪さは当たり前だとして、とりあえずその事を横に除けて、仕事をしておりました。しかし、さすがにその症状が3ヶ月続いては、検査しない訳にはいきません。ここに来てようやく、「潰瘍性大腸炎」という病名が登場するのです。

「潰瘍性大腸炎」それは、原因不明の、現代医学では治癒が見込めず、厚生省が指定する特定疾患です。所謂「難病」として扱われ、進行性のそれに掛かる治療費のほとんどを、国が負担するというもので、無知な私を、奈落の底にブチ落とすのに、充分な文句が揃った病気でした。原因不明で、ちょっとでも発症したら最期、ということは、後悔もクソもない。運命に織り込まれたこの瞬間に、ただただ自分の体の不確かさを思うばかりでした。

しかし間もなく、そんな孤独な私に、うっすらと、治癒の予感が芽生え始めるのです。その時、私は下血を見たのと同じ3年前に、東洋医学に助けられた経験を思い出していました。

当時、私は、腰椎椎間板ヘルニアを患っていまして、こいつとの格闘が、日常でした。病院の医者による提案は、手術でヘルニアを切るか、ステロイド注射でヘルニアを抑えるか、あとは、自然に治るという低い可能性に賭けるか、という3択で、中でも手術がイチオシのようでした。「シュッと切るだけで、一発でスッキリするのに。」と、こんな感じです。まるで、丸坊主をすすめる散髪屋ではないか。そんな気安さと薄笑いに、下半身不随の予感が走り、拒否。ステロイド注射については、とにかく悪名高いので、却下。残ったのは、自然に治る可能性。

選んだものの、一向に治る気配はありません。経験したことのない痛みが四六時中つきまとい、夜なんて寝させてくれません。そういう時のために、医者が持たせた痛み止めの薬で、だましだまし過ごしていた時、「ヘルニアは、整体で治る。」という情報を得ました。

早速行きました。結構、すぐに治りました。そして、この時の「なんか永い間、どっかに迷いこんでいたみたいやなぁ。」という感覚は忘れ難く、東洋医学の理論の素晴らしさ、大きさに感動したのです。要するに、ヘルニアとは、日ごろの姿勢の悪さ、睡眠不足、疲労などで、体が歪み、負担がかかった部分に出る症状で、全体的に見た場合、飽くまで症状な訳です。しかし、その症状が神経を圧迫し、痛みという2次的症状を引き起こすので、西洋医学では、痛みが症状で、ヘルニアはその原因になっています。なので、それだけを取り除く、あるいは抑えつけることが、治療の全てになっています。当然、本当の原因を取り除いていないので、再発します。再発しても、慌てません。また切ればよい、と考えているからです。かたや東洋医学では、もともとの体に原因があるとは考えません。まず、体の歪みを修正していき、根本的原因である、生活態度や習慣を正すよう、説明されます。始めること2ヶ月、体は、あっけなく元に戻りました。

自然に逆らえば、逆らったなりの結果が現れ、自然に従えば、それは、いつの間にやら消えていくのです。注射針やメスを手に持った大病院の先生に、言いたい。「あなた、一体、何をやってんの?」

 

<ステロイドを捨て、松本医院へ行こう!>

 

「あなた、一体、何をやってんの?」このセリフが、蘇ってくるではありませんか!案の定、病院のやり方は、悪名高いステロイドによるものが主で、ひたすら症状のみを相手取る、イタチゴッコをしているのです。ヘルニアの時と同じ印象を受けました。残念ながら、世の中のお医者さんの多くは、医者でありながら、営業マンでもあるようです。今さら「ステロイド反対!」とは言えない社会に、住んでいるのでしょう。

そんな事を思いながら、インターネットで検索をしておりますと、そこに「松本医院」を発見。さらにホームページにおじゃましまして、そこで、潰瘍性大腸炎を治してもらった方の手記を発見。しかも、やはり東洋医学。これを探していたのだ!

 途中、何回か下血しながら、松本医院に辿り着き、その扉を開けた瞬間の印象として、漢方の匂いと同時に、活気を感じました。それは、ただ単に、松本先生の大声が響いていたからではなく(それもあるけど)、やはり、人を活かしてきた場所が持つ、独特の空気があるのでしょう。そして、ここに来られた多くの患者さんと同じく、初めて松本先生を目の前にして、とりあえず医者というものに対するイメージの修正を迫られます。次に、3つ4つの事を頭の中で同時に考えていそうな、この在野の研究者の溢れるスピード感につられて、私まで早口になって、症状を訴えていたように思います。

松本医院に来るまでの、加速度的に増えた下血の頻度は、直前で、一日に10数回に達し、何かを口に入れて噛み始めれば、即、下血するという状態でした。下血するのが苦痛なので、食事に恐怖心を覚えるまでになっておりました。体には力がなく、体重はガンガン減って、まさに難病患者の様相を呈していた私が、煎じ薬を飲み始めて3日後、早くも下血の回数が減っていき、丁度1週間で、下血及び下痢が止まりました。あの普通の便が、忘れていた感覚と共に蘇ってきた時にゃぁ、すでに、私の中で、「この病気は、治る!」という確信をとっくに通り越して、「ここの理論と治療法を、少しでも多くの患者さんに伝えたい。」という気持ちになっていました。

そうして、インターネット上で、同じ病気に苦しむ患者さんが、自らホームページを開設して、闘病生活を紹介してらっしゃるのを見つけた時は、メールで、松本医院のことを伝えるようにしています。残念ながら、私達のような、ただの患者に出来ることは、極めて少ない。それは、自分を助けていただいた松本先生を、紹介することだけかもしれない。が、しかしそこには、助けられた者だけに与えられる、説得力があるだろう。おおかた、大病院の否定からはじまるこの場合、下手すれば、相手にされません。それでも、同じ苦しみを知っている人間なら、やはり、その説得力を無駄にし、黙っておくことはしたくないものです。

 尚、この病気の原因や、治癒するメカニズムについては、松本先生が書かれたものを、読んで下さい。松本先生が「漢方が、病気を治す訳ではない。」という意味もうなずけます。

 

<私の経過>

 

「病気の発症から治癒まで」と書きたいところですが、私も、完全に治ったわけではありません。ですが、この難病を、難病たらしめる諸症状が治まっている事実に対して、説得力を問うことはナンセンスであろう。という訳で、以下に、証明と参考の意味を兼ねて、現在までの経過を、中間報告として書かせていただきます。

が、その前に、述べておいた方が良いと思われることが、2,3あります。それは、私が以前患っていた花粉症が、いつの頃からか、影を潜めていた事。同じく、いつの頃からか、疲れが溜まってくると、眉、まぶた、口の周りに、アトピーのような症状が出てきた事。それらは、ヘルニアの痛みに耐え切れず、痛み止めの薬をよく飲んでいた頃からのように思う事。そして同じく、その頃から下血が始まり、その後、左手首の関節に、痛みを伴うコブが、出たり消えたりする事。これらは、皆「免疫」という共通項で括られ、その関係性は、松本先生曰く、「当ったり前やないか!」

 

2004年6月初旬

病院のファイバースコープ(内視鏡)、及び組織検査

一週間後、「潰瘍性大腸炎」と診断

この検査を受けてから、症状は急に悪くなり、それまで、粘血便が、1日に5〜6回のところが、10数回にUP。食事を受け付けず、自家製玄米スープで生き延びる。(唯一、玄米スープだけは、受けつけてくれました。)37〜38度の発熱が続く。

 

6月中旬、松本医院で、初診とともに、血液検査

CRP 4.03  血沈 22  総蛋白 6.6  ALB 56.3

α1G 5.4  α2G12.0  βG10.8 血清鉄 13

と、低い値に対して、

ヘモグロビン量は、15.4 

と正常値。貧血の自覚症状はありませんでした。

リンパ球13.6  あと、

総コレステロール 135  HDLコレステロール46

と、やや低い値が出ました。

アレルギー反応は、

杉 57.80  ヒノキ 5.85  イネ科 38.80  

雑草8.01  動物上皮 0.46。

この日の晩から、煎じ薬を飲み始める。2日程たって、体中が猛烈に痒くなる。薬を受け取る際に聞かされた、肝機能障害かと思いましたが、その後の検査で、関係ないと判る。

日を追うごとに、水溶性の便から、ゆるい便へと変わり、回数も減り始めました。一週間後、下痢ストップ。健康な便と、ご対面。全身の痒みは続き、特に風呂上りに、手のひら、指先、頭皮、ふくらはぎなどに、烈しい痒み発生。しかし10日程経ち、完全に痒みは消えます。発熱もおさまりました。食事は、玄米と野菜中心で、少量。(食事については、何の制限もありません。ただ、家族の薦めもあり、自分自身で、好んで摂っているだけです。)

 

7月初旬の血液検査

CRP、血沈とも、正常値。

血清鉄 45  ヘモグロビン量 13.3  リンパ球 23.9

蛋白も、ほぼ正常値に戻り、足りないのは、アトピーの症状だけとなる。

この日から、煎じ薬に加え、アミノバクトも飲み始める。自覚症状として、S状結腸あたりに、わずかな違和感が残るものの、その他は全て順調。ただ、若干、便が出にくくなった感じがありました。食事は、玄米と野菜中心。

 

同月下旬の血液検査。

CRP 1.12  血沈 10  血清鉄 43  LD406

総コレステロール 128  中性脂肪 24

やはり、まだ、炎症が残っている事を確認。

便が出にくくなったので、微妙に、漢方薬の中身を調節してもらいました。アミノバクト続ける。自覚症状は、変わりありません。この頃から、序々に、動物性蛋白質も取り始め、食べる量も増え始めました。

8月初旬、まぶたに、少しアトピーのような症状が出る。顔の所々が痒くなる。この時から、漢方、アミノバクトに加え、湿疹を治す粉薬を飲む。この薬を飲み始めて、まぶたの湿疹はおさまり、それから湿疹らしきものは、出ていない。痒みもなくなる。

 

同月下旬の血液検査

CRP 正常値  血沈 4  血清鉄も、50とかなり回復。

とりあえず、あとは、アトピーを待つばかり。最近は、少しの痒みにも、敏感になっている気がする。漢方とアミノバクト、粉薬を続ける。体重も、ほぼ元に戻りました。

 

以上が、現在までの、私の主な経過です。ここで書いたこと以外にも、健康的だと思うことを、積極的に取り入れたりもしています。口にする物はもちろん、腹式呼吸や半身浴など。

 

<難病の向こうに、見えてくるもの>

 

 松本先生は、自らが解き明かす免疫疾患の悲劇と、そのカラクリを、まず、患者さんに理解させようとします。それは、ステロイドの危険性を正しく認識させると同時に、安心して治療を受けてもらうために必要な事です。ですが、それだけではなく、自分で自分の病気を克服できる強さを、持って欲しいからでもあると思います。ですから、「ただ、おまかせします。」を許しません。その強さは、そのまま、活きるための力であり、正しい事を信じられる自信であり、その先の人生を築く姿勢であるからです。なるほど、松本先生の握手が力強いわけだ。