「ステロイドと40年」 田端 正夫 私は中学校の頃より首の後ろに十円玉くらいの汗をかくと痒くなるところがありました。薬を買って塗っていると、大した事にはならずに過ごしていました。戦後、農薬の大量使用により炎症がひどくなり、背中にまで痒いところが広がり、1人目の医者に診てもらったのは今から40年くらい前です。治ることもなく辛抱していましたが、炎症が上半身にまで広がり、2人目の医師に尋常性乾癬という病名をいただいて、数年間通院致しました。治ることなく少しくらいずつ炎症がひどくなり、全身皮膚が剥離し、頭部の皮膚は餅の皮の如くひびが割れて血が吹き出し、寒い外より暖かい室内に入ると痛く痒く、1ヶ月間は夜も眠れずに苦しみました。これは1番目に来た大きな波でした。それから3人目の医師に変わりました。しかし、薬が変わると始めの内は少し病状が軽くなりますが、日が経つに連れて薬に馴れて、また元の状態に戻ります。 良い医師がいると聞けば、その方へと4人目・5人目・6人目…と変わって行きました。が、始めは効くが馴れてきますと元の状態に戻ります。 7人目は医大に行きました。薬については誓約書を交わしましたが副作用が激しく、体が弱り、体の一部に欠陥が現れる様になりました。病気をだましだましで数年間続けました。また近所の人に良い医者があると聞いて8人目の医師にかかりました。この方の薬は私によく合い、治るところまではいかなくとも、一進一退を繰り返して数年間通院しました。ここの薬は相当きつかったそうです。平行線をたどっていましたが、1昨年99年頃より病状が少し悪化しまして、6月頃頭部右目上にヘルペスができました。これが治る頃より右目の視力が下がり初めて、1ヶ月後には視力が無くなり、白内障と診断されて、10月に手術を行いました。昨年2000年に入り、いつもなら春の彼岸に入れば病状が軽くなるのですが、今年は汗をかけばかく程、8月に入ればますます全身に炎症が激しくなりました。9月に入り稲の取り入れの農作業の時この年は洪水により稲が冠水し、きたない泥が稲穂に付着し、その塵でアレルギーを起こし、9月・10月と全身ゆでだこの如く赤く腫れ上がり痒い痛いの過去最高の炎症でした。これは松本先生にお目にかかるまでの20年間の痛い痛い痒い痒いの炎症との過去の経過です。
松本先生にお目にかかって 2000年10月17日。それは私にとって記念すべき日、忘れられない日である。私は妻に連れられ、歩くのも精一杯、和歌山より高槻へ参り、松本先生にお目にかかり過去に飲んだ薬や塗り薬を色々申し上げました。先生は「これはアトピーである。毒ばかり飲んだり塗ったりしてここまで悪くしたもんやな。何で早く私の所へ来なかったのか?治してやる。その代わりにリバウンド相当激しいけど辛抱するか?」と言われました。私は「堪えます」と答えました。そして煎じ薬・入浴剤・赤い塗り薬をもらって、帰って早速入浴し、煎じ薬を飲みました。溺れる者は薬をも掴むの如く期待して薬を飲みました。が、期待とは事は正反対、月増しに悪化するばかり。全身は前にも増して皮膚は赤く腫れ上がり、皮膚の脱落は桜の花びらの散る如く、歩く毎に舞い落ちてあたりが白くなりました。2回目に高槻に行った時、11月2日は意識は朦朧として行きかねるくらいでしたが、妻に引かれて無事高槻に着きまして、先生に励まされて帰りました。この頃よりリバウンドが最高に近づきつつある日々でありました。痛い、痒い、寒い、皮膚に感じる五感の全てに反応し、地獄の責苦とはこんなものかと筆にも口にも表せぬ苦痛でありました。救いは薬風呂に入る時だけです。その時は薬が皮膚に染みて、少し大苦痛より救われました。がその後が恐い、風呂より上がり赤い薬を塗る5、6分前間の間が痛い、痒いが辛抱できない。気が立ってくる、薬を塗ってくれる妻の頭を殴打した事が何回もありました。そんな月日塗るのもそこそこに床に入るが、今度は寒い体を丸めて膝小僧を抱いて唸る、堪える事が12時頃まで。この頃になると寒さも痒みも少し落ち着くが、今度は痛みが襲ってくる。唸りながら4時頃まで堪える、もう新聞屋のバイクの音が聞こえる。この頃より何もかも少し楽になる何時間が経つ1晩中寝ていない為にくらくらとする。 幸いな事は食欲のあった事です。11月10日位から11月一杯がリバウンドの時でありました。足の皮膚が破れて汁が出てくる。上半身は脂汗と湿気で寝ている布団の上に朝露の如く白く露が付き、白く光っている。その頃私は惚けていて、猫が来て小便を撒き散らしたと騒いだのである。11月18日この日は私の人生の中で最高の苦痛の日であった。私の負けぬ気も強情さも何もかもぶちきれてしまった。柱に縄を掛けた事もあった。頑張れという天の声。この頃に会った人々は「二度とこの男と会う事はないだろう。」と言っていたそうです。先生はこの炎症を写真に撮っておけと言われたが、そんなどころではない。堪えるのが精一杯の状態でありました。高槻へ行く時の駅では、妻に「つかまえていろよ。いつ飛び込むかわからない。」と言った。11月中も一睡もした事はない。自分から命を断とうとした事も何度もありましたが、その都度妻に諭され思いなおしました。11月中は生と死との往復でしたが、12月に入ると痛さや痒さが一段減ったと感じられたが、体は依然として皮膚の脱落は花びらの落ちる如く、顔は赤く腫れ上がり皮がむけて白い花びらがついていた夜は一睡もできない。 クリスマス頃には苦しみももう少し楽になれることと、心待ちにしていました。12月20日を過ぎる頃から思いの通り外に出られる様になりました。 1月、松本先生のお陰で正月を迎えることができまして有難うございます。また、支えてくれた妻子、温かい情を賜った人々、有難うございます。お陰で年末年始の神社のご奉仕に加えてもらいました。1月、2月と米の粒くらいず快方への兆しを見せ、足首の腫れも皮膚脱落も少なくなりました。3月に入りステロイドによるリバウンドも終わりを告げそうです。先生は「今までは体に入った過去20年間のステロイドの掃除があって、これからは信の皮膚炎との戦いである。」と言われました3月に入り、9割型病状も治りました。春からはあせることなく1日1日を大切に皮膚炎と戦っていきたいです。 私の皮膚炎は農薬と自然界に浮遊する菌、即ち雑草や薬に付着した悪性のカビにアレルギーであると思います2000年に私は外向より輸入された乾草に多量に接した為の急激な炎症の悪化をともなったのです。 松本先生、今後とも宜しくお願い申し上げます。 平成13年5月 |