「リウマチ手記」A.M.30歳 私は30歳の主婦です。私の体に異変が起きたのは、2001年の9月に息子を出産し、初の子育てがスタートしてまもなくでした。(リウマチが自然に一番生じやすい時期は出産後1・2ヶ月であることはよく知られている事実です。しかしながらその理由については誰も知りません。私の意見を述べておきたいと思います。まず、リウマチはアレルギーの一つであり、アレルギーとは人体にとっては生命ではない異物を排除する免疫の働きの一つであるということを確認しておきます。ところが人体は始めて出会った異物を、まず自分の体内で増殖する生命と認識し、それを殺さなければ(溶かさなければ)自分の生命が危ういと認識したときにIgG抗体を用いて排除しようとするときに生じる症状の全体を結合組織病(膠原病)と名付けたのです。結合組織病と言われる理由について述べましょう。すべての組織は同じ細胞を持った集団から成り立っています。この細胞同士を結びつける仕事をしているのがどの組織でもほとんど同じ成分でできた結合組織であります。結合組織の構成成分は繊維成分(膠原繊維)、糖タンパク、それらを産生する繊維芽細胞や軟骨芽細胞や骨芽細胞や血管壁細胞であり、さらに肥満細胞、水分、リンパ液等から成り立っております。この結合組織は水や代謝産物の通路として、また異物から実質細胞を守るための炎症の場として生態防御上極めて重要であります。特に膠原繊維は天然の接着剤である膠の主成分であり、これが細胞同士を結びつけるのに一番大きな役割を果たしており、細胞以外の異物をも付着しやすいと考えられます。このような付着した異物を排除するために免疫反応が起こり、最後に自覚症状的に炎症が生じ、生じる場所によって様々な膠原病が出現するのです。特に関節の滑膜に生じる炎症を慢性関節リウマチと名付けているだけなのです。膠原病の中で一番慢性関節リウマチが起こりやすい理由の一つは、滑膜同士はくっついているのではなくて常に隙間があり、滑液が絶え間なく入れ替わっており、血流により運ばれた異物との出会いが多いために滑膜の膠原繊維に異物が引っ付きやすいためだと考えます。また、私がリウマチを治すことができる理由も実は同じなのです。つまり異物が絶え間なく侵入して炎症は起こりやすいと同時に、炎症産物を除去しやすいためなのです。しかも滑膜が炎症を起こしても、滑膜の上には腔があるので、新しい正常な細胞が作りやすいためです。例えると、ちょうどアレルギーの中でアトピーは一番起こりやすいのは皮膚は広く外界と接触し、しかも炎症を起こした皮膚が押さえつけられていないために簡単に下から作りやすいのと似ています。しかしながらリウマチ以外の膠原病は一度生じると結合組織の炎症のとばっちりを受けた実質細胞の処理も修復も難しいので、症状が取れにくいのです。その上に結合組織病を起こすIgG抗体がIgE抗体に作り変えられる抗体のクラススイッチも起こりにくいからです。クラススイッチが起こるためには、炎症の結果殺しきれない(溶かしきれない)化学物質が大量に体内に溜まり、それをTh2リンパ球が認識する必要があり、この細胞からインターロイキン4やインンターロイキン5が産生され、Bリンパ球にIgE抗体を作ることを命令する必要があるのです。つまり白血球に食べられた化学物質は白血球の標識であるMHC分子(HLA抗原)と結びついて、それがTh2リンパ球に認識されると、これは殺すべき生命ではないと認識され、殺すのではなく人体から追い出さねばならないと認識され、その為にIgE抗体とこの化学物質を結び付ける為にBリンパ球にサイトカインのインターロイキン5やインンターロイキン6を作って、Bリンパ球にIgE抗体を作らせるのです。自然後天的免疫寛容が生じるのは、殺さなくても良い異物に対してだけしか生じてはならないのです。というのは、もし増殖する生命体の異物と免疫寛容を起こすと、自分の生命が危うくなるからです。実際に自然後天的免疫寛容を起こす抑制Tリンパ球が抑制をかけることができるのは、IgE抗体を作ることのできるBリンパ球に対してだけなのです。) 1ヶ月もたったころから、左の手首が痛くなり「慣れない子供の世話をしているから、腱鞘炎にでもなったかな?」と思いつつ、首がすわらない子供を支えないわけにもいかず、かばいながら過ごしていました。 今度は、朝起きてから手が重い感じが続き‘むくんでいるような‘‘はれているような‘違和感が気になりました。「きっと水分の摂り過ぎでむくんでいるんだろう」と思いながら昼過ぎまで、ひどい時は1日中といっていいほど手がこわばっていました。 いつまでたっても‘むくみ‘がない日はなくならず内心「あれあれ?」、そう思っているうちに両ひざ、両肩、かかと・・・つぎつぎといた痛いところが増えてきました。‘慣れない育児で・・・‘と頭にあるものの、いやな予感がよぎりました。 恐る恐る医学書をめくり、症状からみるとそこには‘リウマチ‘。 でも、「まさか、自分が。そんなわけないだろう・・・」 しかし、どうしても気になって看護婦の友達に相談してみると、すぐに 「病院に行ってみた方がいい。」との答え。 主人に話すと「明日にでもすぐに行ってきた方がいい。違うかもしれないし。診てもらったら安心するよ。」といわれ、次の日自宅の近くにある‘リウマチ科‘のある医院へ行きました。 11月27日 そこでは、問診表の記入、血液検査、レントゲン(骨の変形を見るためらしい)、診察 がありました。先生からの話では、「血液の結果は1週間後ですが、症状からして(1:朝のこわばり 2:対称する関節が3つ以上痛い など)8〜9割リウマチです。」 一瞬にして目の前が真っ暗になりました。「えっ!?リウマチ?私が?」その後の説明は、ショックのあまり殆ど覚えていません。ところどころ、「母乳はやめなくてはいけません。」 「治療には、ステロイドを使う」「進行には個人差がある」「今のところ完治しない病気である」といったようなことが耳に入ってきました。もう頭の中は、関節が曲がり痛がる自分、子供と一緒に走り回ることが出来ないかもしれない、最悪死に至ることもある・・・ 悪い方向ばかり考えてしまい、泣きながら主人に電話をし診察の結果を話しました。 それを聞いた主人がすぐにインターネットで調べてくれたのが‘松本医院‘でした。 仕事から帰ってくると私に差し出した分厚い紙の束。みると松本先生の治療方法が書かれていました。なにやら難しい説明。西洋医学がほとんど当たり前になっている身の回りにこちらは東洋医学の漢方に針にお灸。そして大阪でしかも‘ここだけしか完治させることが出来ない‘と書いてある。「ええ??これで本当に治るの?インチキじゃないの?大阪まで行く価値があるの?」なんとも言いようのない不安をかかえ、そう主人に言いましたが、「行ってみなくちゃわからない。とにかくステロイドを使わず完治させるという治療をしてみよう。それからでも、ステロイドは遅くない。」 「そうだ。それからでも遅くないかもしれない・・・・。」そう自分に言い聞かせて、はじめに行った医院の結果を聞かずに主人と大阪に出発しました。 12月4日 まだ私の中には、‘インチキな医者‘と疑っているところがあり、主人の後ろをしぶしぶついて医院の中に入りました。 プ〜ンとにおう漢方薬のにおい、そして、平日にもかかわらず待合室には診察を待つ人でいっぱいでした。「すごい、こんなに人が待っている。」予想に反して本当にたくさんの患者さんでした。 1時間ほど待って自分の名前が呼ばれ診察室に入ってみると、お医者さんらしくない姿の先生がいて、まず第一声に「石川県からようこそ!」 「???」 話は大きな声と早口で、圧倒されながら聞いていました。 やはり、「症状から見て(血液検査の結果は1週間後のため)リウマチに間違いはないでしょう。リウマチは関節の風邪みたいなもの。これからは、漢方薬の煎じ薬、入浴剤とお灸と針治療で治していけば治るから」と言われました。 そして帰り際に「絶対治してあげる!信じてがんばって!」と強く握手。あまりにもきっぱり「治してあげる!」と言われるのでさっきまでの疑いや不安も半分になったことを覚えています。 それから、煎じ薬を飲む日が始まりました。甘くて苦くてなんともいえない漢方薬、飲んでは戻したくなることもしばしばでしたが、「これで治るなら・・・」とのどに流し込んで飲みました。(今では慣れましたが)体は、正直?飲み始めた次の日の朝からなんとひざが痛くない!!こんなに効き目が早いの?そしてお灸をするとしばらく痛みが消えた! 「すごーい!漢方ってすごい!お灸ってすごい!!」(その日によって痛いところや楽なところが違いますが。) 初めての診察から1週間たち検査結果を聞きに再度医院に行くと「血沈など血液の値からはリウマチとはいえないが症状からして限りなくリウマチに近い状態。」という診断でした。 「今、値は低いけれど上がってくるかもしれないから様子も見ていく必要がある。」とのことでした。内心ほっとしたものの傷みは全身に広がってきてるしこのまま本当のリウマチになる可能性もあるという・・・やっぱり不安は消えませんでした。 薬を飲んで痛みが薄くなったところもあれば違うところが痛くなったりの繰り返しではっきりしたリウマチでないのに楽ではありませんでした。 お灸(自分でももちろんしました。)と針には、全部で4回ほど通いました。不思議なことに本当に楽になるんです。 春 4月には、あれほど痛かった手首や肩、足の指の付け根など殆どの痛みがなくなっていました。(金沢と大阪という距離のため毎週通うことは出来ませんでした。) このころからだったでしょうか、腕がかゆくてかゆくて良く掻くようになりました。良く見てみると、がさがさというかブツブツというか今までに出たことの無いような湿疹が出ているのです。 「アトピーだ!!」 「アトピーが出たらリウマチも終盤戦だ。」といわれた先生の言葉を思い出したことで不快なかゆみに歓迎の気持ちさえ覚えてしまいました。腕の上部から下の方、大腿部からふくらはぎの方へ部分にするとそんなに多くはないけれど確実にかゆみは広がっていきました。私の場合、アトピーの出た部分が少なかったことが幸いでした。(1か月〜1ヵ月半でかゆみもひいていきました。) 夏 殆ど、痛みがなくなったのですが、時々右手の薬指と小指、ひざが痛むことがありました。先生にお聞きすると「クーラーなどからの冷えの影響があるかもしれない」とおっしゃられたので、なるべくシャワーをやめ、湯船にお湯を張り薬草風呂に浸かるようにしました。(お灸はサボりがちでした。)体を冷やさないようにすると、体が楽だったように思います。 現在 朝のこわばりもなく、痛いところもなくなってからしばらくたちました。「念のため・・・」ということで煎じ薬を飲み続けてきました。8月27日に再度診察を受け、9月4日に血液検査の結果をお聞きすると、「今まで通り血沈他、検査での異常はなく、痛みもなくなったということで最後の煎じ薬1週間分を1ヶ月半くらいかけて飲んで治療を終わりにしましょう。」と先生がおっしゃってくださいました。 約1年の戦いでした。(もっと真面目にお灸をしていれば本当はもっと直りが早かったかもしれません。)一時は、寝たきりになった自分や子供と駆け回ることの出来ない自分を想像してしまい、ショックで立ち直れない時やなかなか痛みが消えずあせることもありましたが、先生を信じ、主人の励ましがあったからこそ乗り越えられたと思います。 先生の“絶対治してあげる!”は、インチキでもうそでもありませんでした。本当に“完治しないといわれるリウマチ”を治してくださいました。 信じて続けられた人は必ず治ると思います。 それでも “治るわけない”と思う人は、とりあえず松本医院に行ってみるといいですよ。診察を待つ患者さんの話(私はよく聞き耳を立てて聞いていました。)を聞いてみたり、同じ病気と戦っている人たちを見たり、何より先生にお会いしてお話を聞いてみてください。それからでも、治療方法は、自分で選べます。私もそうして選び、先生を信じて本当に良かったと思っています。 息子も1歳7ヶ月を迎え、大きくなりました。また、ちょうど2人目を授かりました。あの痛さやリウマチと聞いた怖さからから思うと2人目まであきらめなければならないかと思っていました。仕事にも復帰して7ヶ月が経ち、不都合も無く過ごしています。まだ少しアトピーのかゆみがありますが、これもいずれは消えていってくれることと思っています。今こうして傷みを感じず生活を楽しめるのも松本先生のお陰です。松本先生、本当にありがとうございました。 追伸、妊娠の報告に「2人目の子にアトピーが出たら・・・」と不安をいったら 「そしたら連れておいで!治してあげるから!」と大きな声で言ってくれた先生、 その時はまたよろしくお願いします! また引き続きよろしくお願い致します。 |