「本物のリウマチ専門医との出会い」 匿名希望 47

 

 「私は一生リウマチとは離れられない」と半ばあきらめていました。でも松本先生との出会いが私の人生を変え、また夢を与えてくださいました。先生に最大の感謝の気持ちを込め、そして一人でも多くの患者さんを救う手助けが出来ればと願いながら、正直な気持ち、経過を書かせていただきます。

 

 平成14413日(土)の深夜、最近買ったノート型パソコンを使ってみたくなり、娘に教えてもらいながらインターネットで「リウマチの病院」を検索してみました。どこでもいいや、と思いながら松本医院を開いてみたのですが、それが私の人生を変えるキッカケになろうとは思ってもいませんでした。ズラリと長い文章に驚きながら読み始めると、色々と驚く言葉が次から次へと目に飛び込んできました。私は大変な衝撃を受けました。私の受けている西洋医学の免疫を抑制する治療法の間違い、そして東洋医学の免疫を抑制せず高める事によっての治療法で「リウマチを治す」と断言しているではありませんか。思わず近くにいた主人に話すと、主人も驚き「とにかく明日行ってみよう」という事になりました。日曜日ではあるけれど、松本医院は開業しているとの事で、私は急いで「革命的リウマチの根本治療法」のところをひと通り読み、深夜遅かったので寝ました。なぜすぐ松本医院に行ったかというと、長い間現代医学の治療を受けていた私や主人にとって、今の治療法では絶対にリウマチは良くなる事はないと確信していたからです。でも痛みを伴なうこの病気は良くならないとわかっていても、生活する為に現代医学の治療を受けるしか仕方がなかったのです。

 私は平成73月末、兵庫から大阪に引っ越しました。1ヵ月後の4月末、突然両肩が激痛で動かせなくなりました。3ヶ月前の阪神大震災の時、水とガスが止まった為、1ヶ月間水汲みをしましたが、たぶんそれが原因だと思い、近くの病院で電気治療をしました。するとますます痛みがひどくなり、服を着るのもお風呂も寝る事も、何も一人で出来なくなりました。恐ろしくなり、すぐ病院で血液検査をしてもらいました。その結果リウマチである事が分かり、先生に「リウマチは現代の医学では治らないから、自分で休養と栄養を取り、体に気をつけるしかない。」と言われ、あまりのショックにどうやって家に帰ったか覚えていません。リウマチという病気については知っていましたが、私がリウマチで苦しむなんて考えた事がなかったからです。

 平成4年頃から微熱が出ることが多く、平成7年まで約3年間、近くの病院に3軒行きました。でもリウマチと言われた事は一度もありませんでした。長い間睡眠不足が続き、身体をこき使ってきた事は分かっていましたが、自分は病気になんてなる訳がない、健康なんだから…と思い込んでいました。とにかく何とかしなければと、もう1軒近くのもう少し大きい病院に行ってみました。そこでもリウマチだと言われ、そこでは痛み止めの薬(ロキソニン)、胃薬(セルベックス)、ステロイド薬(プレドニン)が処方されました。とにかく痛いので飲みました。

1ヶ月ぐらい通った頃、近所の友人に病院を変えた方がいいのでは、と言われました。私は転居したばかりで知らなかったのですが、評判があまり良くなかったみたいです。その友人が、新聞で「リウマチ友の会」の電話番号を見つけ、教えてくれました。すぐに電話し、リウマチの専門医のいる近くの総合病院に通うことにしました。その先生は整形外科のリウマチ専門医でした。先生はまだ私にはステロイド薬は必要ないと言って、痛み止め(ロキソニン)、胃薬(セルベックス)、抗リウマチ剤(リドーラ)を、処方しました。その頃は肩の痛みは治まり、足の膝の痛みが始まっていました。3週間くらい飲んだのですが、薬が合わず下痢をする為、リドーラをオークルに変えました。2年近く飲んだでしょうか?足の膝の痛みは取れる事なく、ますますひどくなりました。

平成9年(右足の膝)、平成11年(左足の膝)の滑膜切除手術をしました。もっと早くすればよかったのですが、下の娘が小学生だった為、時期遅れにしてしまい、思った程楽にはなりませんでした。術前後、抗リウマチ薬をオークルからリマチルに変えましたが、また3週間ほどで身体に合わず、全身に湿疹が出てしまい、先生も困り、その時抗リウマチ薬を、ステロイド薬(プレドニン5mg)にしました。この頃は知識としてステロイドの恐さがわかっていましたが、仕方なく飲みました。でも湿疹も治まりましたので、先生と話をし、ステロイドを止めさせてもらいました。抗リウマチ薬のアザルフィジンを11錠と、痛み止めを飲み様子を見ました。ステロイド薬は約半年間くらいでしたでしょうか?膝に何度か注射もしましたので、これもステロイド薬だと思います。私が痛くて辛くても、注射で痛みがすごく楽になる事もなかったので、あまり先生に痛いと言いませんでした。思った程注射の回数は多くありません。月に1回の通院でたまにしただけ…

平成136月頃からアザルフィジンを2錠(朝・晩1錠ずつ)に増やしました。半年ほど過ぎた頃、(ちょうど病院に行き診察を受けた翌日)お風呂から出た時、湿疹に気が付きました。薬をすぐ止め痛み止めだけ飲んで湿疹が治るのを待ち、すぐ病院へは行けませんでした。なぜならまたステロイド薬を処方されるからです。

1ヵ月後の平成141月末、病院へ行った時先生に話すと、「薬が効いているから湿疹が出る。今度はまた11錠に減らして様子を見よう。」と言われました。体調はあまり良くなかったのですが、何を飲んでもたいした効果がないので「まあいいか」と考え、痛み止め(ロキソニン)、胃薬(セルベックス)、抗リウマチ薬のアザルフィジンを11錠飲んで何とか日常生活を続けていました。

病気が分かってから7年、現代医学の西洋医学による免疫抑制剤での治療を受けてきましたが、その間にリウマチに良いと聞いたものを色々と試してみました。まず栄養補助食品(米国産)、次に水溶性キトサン、そしてキャベツクロウ(ペルー産)を飲みました。身体には悪くないのですが、どれもリウマチが楽になることはありませんでした。平成136月頃、知人に名古屋のM病院で人間の胎盤エキスを注射する病院があり、身体によく、リウマチの患者さんで身体の調子が改善された(?)人がいると聞き、わらにもすがる思いで行きました。平成142月頃まで数ヶ月に1度通いました。リウマチの痛みに効果は感じませんでしたが、病院で「身体にとってもいいもので、リウマチにも人によって効果が出ている」と医者と看護婦さんから聞いたので、なんとなく行っていました。今考えてみると免疫抑制剤を飲みながら免疫を高めると言われるものを飲んだり注射したりしていたのですから、何とも変な事をしていたもんですよネ。でもリウマチを患った方なら分かってくれる事でしょう。現代医学では治らないと言われ、落ち込み、それでも何とかしたいと願う気持ちが…7年間通院し、薬を飲み続けて治るどころか悪化している現状に、とても不安になっていました。このままだと将来は寝たきりになり、主人や子供に迷惑をかけるだろうし、この痛みがずっと続くと思うと、「長生きしたくないな」など一人になるとふと考えてしまう日々が続いていました。リウマチの重症患者さんに会うと、自分の将来を見る様で、辛くて目を逸らしていました。

リウマチ友の会の最新情報を見ると世界中で病気解明の為に取り組んでいる様子がよくわかるのですが、「2000年から2010年まで、骨・関節疾患対策の10カ年計画」だとか、「2010年にはリウマチからの解放」など先の長い文章が書かれています。すでにリウマチを患っている私には、本当に2010年までに原因が解明されても、それまでに悪くした関節は元には戻らないし、それまでにどれだけ悪化するかと考えると待てないのです。新薬もどんどん作られているようですが、大変な副作用があります。最近厚生省が認めた薬のリウマトレックス(メトトレキサート)にしても、大変よく効く薬と言えども、すごく強い免疫抑制剤で、恐ろしい副作用がある薬(現在約3割の患者さんが使用)ですし、最近テレビで聞いたことがあると思うのですが、抗サイトカイン療法というのも免疫が抑制され過ぎ、色々な余病を引き起こす可能性が大きいそうです。生物製剤も研究されていますが、高額な上に、感染症を心配しなくてはいけない程強く免疫を抑制する新薬です。欧米では既に治療法として使われはじめています。これがリウマチの最新情報なのです。夢も希望もありません。

病気になり、本当に辛い日々でしたが、子供がいる私は悲しそうな顔をしている訳にはいかず、「顔で笑って心で泣いて…」の状態でした。まわりの人には「明るいからいい」など言われていました。とても複雑な気持ちで空元気を振りまいてきました。でもいつまでも続く訳はないのです。何げなく見たインターネットで松本医院を知った時は、思わず「やったあ〜!!」と叫びたい気持ちでした。住所が高槻だと知った時も「ラッキー!!」(家から車で40分)と本当に叫びたかったです。

 

平成14414日(日)、朝920分頃病院に着きました。小さな病院で入り口には階段があり、この日の朝から薬を止めていた私には階段を上がるのが大変でした。必死の思いで上がり、病院のドアを開けるとすごく多くの人が待っていました。独特の漢方の臭いがプンプンしていました。受付を済ませ、しばらくしばらく待っている間まわりの人達の様子を見ていました。すごいアトピーの人達を見つけました。遠く九州から来ている人もいたので驚きました。患者が多く、その上遠くからも来られている患者さんがいることで安心もしました。受付の近くにある体験手記を読んで待っていると看護婦さんに呼ばれました。その看護婦さんはとてもやさしそうな笑顔で私の話を聞いた後、西洋医学の治療法の間違いや、松本先生が現代医学での治療法を否定しているので、医者として大変な立場で開業していることなど話してくれました。

その後先生に呼ばれ診察室に入ると、先生は白衣ではなく、まるでスナックのマスター(すみません)の様な服装で、書類が雑然と置いてある机に座っていました。余りにも今まで接したお医者さんとは違うので、何とも変な感じでした。先生は「一人で来たのか?」と聞きました。たまたま主人が子供に電話をかける為、病院の外に出ていたので、一人で入っていたのです。インターネットを見て来た事と、私の病歴(飲んだ薬など)の話をすると、ペンをポーンと投げ「リバウンドが来るで…!!」と大きな声で言いました。驚いて思わず「治るでしょうか?」と聞いてしまったその途端、また持っていたペンをポーンと投げ「治ると思って来たんと違うのか?インターネットを見たんやろ?」と叱られてしまい、恐ろしくて頭の中が真っ白になりました。先生が席を立った瞬間、主人の携帯に診察室から電話をかけ、「早く来て!!」と連絡しました。主人が来てから先生は現代の西洋医学の治療法の間違いを一気に話されました。診察中も引っ切りなしに患者さんから電話がかかるので、本当に忙しい診察です。先生が席を離れた時、思わず主人と顔を見合わせ、「変わったお医者さんだね」(すみません)と言った事が懐かしく思い出されます。でもあの時主人が「あの先生はウソは言わないな、先生だったら治せると思うよ」と一言。「俺も変わってるけどあの先生には負けるな」(すみません)と笑っていました。私自身も信用できると思いましたが、免疫抑制剤を7年間も使ってきたので「すごいリバウンドが来るで」と言われた言葉が心配で顔は引きつっていました。でも先生は最後には「治してあげるから…」とニッコリ笑い握手して下さいました。診察は話をするだけでしたが鍼をするように言われ、初めて織田先生に会いました。先生はこの治療を始めるに当たっての患者とその家族の心構えなどを厳しく指導されました。考えてみると、その指導が自分に覚悟するきっかけを与えて下さったと感謝しています。でも2回目からはとてもやさしく見守って下さり、物知りで色々な話をしてくれるのが楽しいです。初日は少し恐いかなと思ったのですが…(ゴメンナサイ)。

いつもベッドの枕元に松本先生の「アトピーとリウマチの根本治療法」のコピーを置き、寝付くまで読んでいました。何度か読むとだんだん理解が深まり、納得できる様になりました。この病気と戦うにはアトピーもリウマチも人により相当なリバウンドと戦う訳ですので、本当に覚悟が必要です。先生のあのくらいのパフォーマンスは必要な事が理解できる様になりました。松本先生の治療法は、毎日漢方を煎じて飲む事、漢方風呂に入る事、お灸をする事、そして通院時に鍼をする事。これだけの事なのですが思っていたよりなかなか大変です。漢方を煎じるだけでも最初は6番煎じまで作っていたので3時間以上(2ヶ月くらいで4番煎じまでにしました)。お灸は我が家でするのでお金はもぐさ代だけで済みますが、もぐさをすぐ使う為の準備に時間がかかり、その上お灸をするのに少なくても3時間以上かかるのです。それが毎日です。夏場は漢方風呂に長時間入っているのも大変です。いつも時計とにらめっこ。一番辛かったのはやはりお灸です。足の前後・腕・背中・肩にします。足の後ろ・背中・肩は自分ではできません。家族の協力が必要です。初日は200300するだけで34時間かかりました。でも毎日していると上手になるものです。日増しに増え、あっという間に800900。赤い塗り薬を楊枝の先で身体につけて、その上にもぐさを置き、線香で火をつけます。もぐさを並べて先に付けているので火をつけるのはあっという間です。熱くて痛い。でも治る為にはやるしかないのです。7年間も間違った治療をしていたので、リバウンドがいつくるかと毎日毎日不安でした。最初の1ヶ月くらいは以前より楽でした。1ヶ月が過ぎた頃から足首と右膝が痛くなり、夜寝ていても両膝から下が痛だるくて眠れませんでした。でも長い間辛い痛みを我慢してきた私にとっては寝たきりになる痛さではありませんでした。もちろん家族に買い物とか炊事は手伝ってもらいましたが、漢方を煎じるのも掃除(手抜きですが)、洗濯は全部自分で出来ました。動けなくなったらしてもらうつもりでいたのですが、リバウンドらしき期間も1ヶ月程で楽になり始めたのです。通院して2ヶ月、お風呂に入って足をのばすと右膝の下には手の指が立てにして4本分入る隙間があり、どうしてものびなかったのが、少しずつ膝を上から押さえると、徐々に伸び始め2ヵ月半でついにまっすぐ伸びたのです。驚きました。

以前の治療法だと人工関節にするしか治す方法がなかったのです。私がリウマチの専門医として通院していた先生は整形外科医でした。でもリウマチにおける関節の治療はどうやっても手術以外で楽にすることはできなかったのです。良くなるどころか悪化していたのです。その先生がやぶ医者という訳ではありません。一般の整形外科医としては一流だと思います。でもリウマチ治療はどんな大きな病院のお偉い先生方でも絶対に治せません、方法が同じだからです。

松本先生の治療を受け始め、2ヶ月頃からお灸のあとがアトピーになり始めました。2ヵ月半で膝がまっすぐなり始めた頃から痛みが楽になっていることに気がつきました。寝起きの時の全身の何とも言えない痛みも取れ始めたのです。3ヶ月でほとんど取れ、後は今までに悪くしていた関節(手首から先・足首から先・膝)だけになっています。その治療はもっと時間がかかると思いますが、確実に良くなっている事は間違いありません。以前薬を飲んでいたとき、足首や膝が痒くなり、ステロイドの塗り薬(リンデロン)を塗っていました。今そこが黒ずんでいます。今まで足首が痛むことはなかったのですが、松本先生が言う通りステロイド薬を使っていた為にリバウンドが来たのかもしれません。辛いお灸が我慢できるのは、お灸のあと痛みが楽になっているの分かるからです。先生の治療は「間違ってないよ」と身体が教えてくれるのです。織田先生が「リバウンドも治り方も期間も、100100様・・・」と言っていましたがその通りです。そして特に心に残った言葉が「自分の身体に聞きなさい」でした。今まで身体をこき使い、疲れていても休むことをしませんでした。自分が大病にかかるなんて考えもしなかったからです。本当いい言葉を聞いたと思っています。

治療を始めて約3ヵ月半、血液検査の結果も確実に良くなっています。織田先生の言うとおり身体に聞きながら頑張るつもりです。今まで薬を飲んでも血液検査で満足することがありませんでしたが、本当にうれしいです。世の中のほとんどの医者は西洋医学で治療をします。西洋医学を全て否定する訳ではありませんが、私の様に治らないはずの病気が東洋医学で治せるのです。ほとんどの医者が認めようとしません。知らないのなら松本先生の治療法に対し、否定するのではなく「私は東洋医学のことはわかりません」と患者に言うべきです。患者は自分で考え選択すべきだと思います。今私は自分でやってきた7年間の治療に対し怒りを覚えています。とても悔しいのです。でも今私は松本医院を知らない人、そして知っていても信用しない人、途中でリタイヤした人達よりも、ずっとずっと幸せだと思います。そして完治するまで頑張るつもりです。松本先生、織田先生、そしてスタッフの皆様引き続きお世話になりますが、今後とも宜しくお願いします。

 

松本医院での身体の変化

4月14日(1回目)

血液検査 血沈 97 CRP 1.6 ZTT 11 RF 195 IgG 2025 IgE 285

血沈の数値が高いので驚いた。昨夜まで薬を飲んでいたのに効いていない。今までの最高値

 

4月15日

昨夜から漢方薬を飲み始めた。朝から下痢がはじまる。ひどい下痢は2週間程続いた。なぜか以前より体調が良くなりはじめた。約1ヶ月間くらい続く。熱は36.8度〜37.2

 

5月11日(4回目)

血液検査 血沈 60 CRP 0.4 ZTT 12.9 RF 176 IgG 1893

5月中頃より足首の痛みがひどくなる。右膝の痛みも増し、歩きにくい。リバウンドかな?両足の膝から下が痛だるくて夜も目が覚める。約1ヶ月間続く。

 

6月4日(6回目)

血液検査 血沈 60 CRP 1.5 ZTT 10.3 RF 145 IgG 1826

この日は調子が悪かった。やはりCRPが高くなっていた。

 

6月中頃

足のお灸のあとが痒くなりはじめる。足のだるさが取れ、眠れるようになる。お風呂の中で右膝の痛みが楽になり始め、曲がって伸びなかったのが、少しずつ伸ばせる様になった。寝起きの身体が楽になり、動きやすくなり始めた。

 

6月22日(7回目)

診察の時、先生からプロテインを飲むように言われた。この頃体重が4kg減り、以前飲んでいた薬の副作用でむくんでいた顔がすっきりとしてきた。

 

6月末

お風呂の中で右膝が完全にまっすぐ伸ばせる様になった。膝の上から押す事も出来る。全身の軽い痛みがほとんど治まり、後はひどく痛めていた関節のみとなる。

 

7月6日(8回目)

血液検査 血沈 35 CRP 0.8 ZTT 11.6 RF 124 IgG 1775

検査の結果が病気が治り始めていることを証明している。

2002年 記