「リウマチに関する闘病手記」 英田静子 52歳
はじめに
全国には有名な大病院が数多くあり、また著名な先生方もいらっしゃいますが、この大阪高槻の小さな松本医院の松本先生に巡り会えたことは私にとって本当に幸運であったと心から神に感謝致しております。
リウマチは手足の関節や肘・膝などに激痛が走る全身性の病気です。そして現代医学では薬物療法以外に手の打ちようが無い、しかも完治させることが出来ない病気と言われています。薬物療法も進行を抑える目的で抗炎症鎮痛剤や抗リウマチ薬やステロイド剤が用いられます。このように一生現代医学では「治すことが出来ない」と医者から言われ、私も「一生治らない」と諦めていました。しかし原因をしっかり知り、その原因を取り除く治療を行えば治らない病気はありません。
自分が無知故に「高い代償を支払う」のと、「少しでも原因を究明して治す」のとでは大きな違いがあります。それ故に一生に関わる問題であり、将来のことを考えると自ずと答えが出てきます。
リウマチ患者の皆様、決して諦めないで下さい!恐れないで下さい!不安がらないで下さい!人間には生まれながらにして素晴らしい自然治癒能力が備わっています。(私は一度も自然治癒能力がリウマチを治すと言った事はありません。そんな低いレベルの医療をしているわけではありません。私が一番嫌悪する言葉の一つが自然治癒能力であります。いたるところでこの言葉は使われていますが、これほど意味があるようで実は何の意味も無い言葉は他にありません。例えば、現在私は癌を治す理論をいまだ見つけ出していませんが、たとえ癌を私が治せたとしても、何も自然治癒能力という曖昧な力で治すことになるわけではありません。同じように、リウマチも曖昧模糊とした自然治癒能力で治しているのではなくて、世界で始めて見出した理論と治療法により治しているのです。誤解しないで下さい。)もし今リウマチと闘っていらっしゃる方がおられるならば、松本先生の唱えていらっしゃる理論の趣旨を理解し治療することによって、精神的のみならず肉体的にも健康を取り戻し、あなたにも痛みのない素晴らしい人生が訪れます!
ここに私の人生を変えたリウマチに関する闘病生活を書き記すことによって、少しでも皆様の励みになり、お役に立てれば幸いです。
私にはじめの症状が出たのは平成7年でした。左手首が痛み出し、次は右手首がひきつるように激しく痛み出しました。仕事柄、設計図を書いていましたので、手の使いすぎ位にしか思っていませんでした。しかし暫くすると痛みは左肩の方へ広がり、さらに右肩といった具合に痛む場所があちこちを廻ってくるようになりました。心配になっていくつかの大きな病院で検査を受けたのですが、どの病院でも「異常なし」と言われました。またこのような症状は周期的に出て、痛みも長続きしないので「年のせい、更年期のせい」と気にしていませんでした。その反面、「異常が無いのに、何故こんなに関節が痛むのだろうか?」と不安感もあり、自分で症状に関する本を読んで調べていました。その結果「もしやリウマチでは・・・。」と疑ってもいました。それが平成13年5月に現実のものになり、的中したのです。
平成13年1月、主人がインフルエンザにかかり、そして私にうつって1週間の高熱が続いて寝込む羽目になりました。これが引き金になったのかどうかの因果関係は分かりませんが、2月に入って股関節が痛くなり、立つことも歩くことも困難になりました。恥ずかしい話ですが、トイレに行っても自分でパンツを上げることも出来なくなってしまいました。そのうち体のあっちこっちの関節も痛み出し、坂を転げ落ちるように症状は悪くなっていきました。でもまだ心の中ですぐに良くなるからと我慢していました。たぶん病院に行っても、またレントゲン検査・血液検査で「異常なし」といわれるだけだと思っていましたので、行く気持ちになれなかったのかもしれません。とうとう我慢しきれなくなり、県立病院の整形外科へ平成13年5月に行き、初めてリウマチ反応が出ました。
リウマチの語源はラテン語で「流れる水」を意味するそうですが、水の流れも関節の痛みと同じで次は何処に流れるのか分かりません。本当にうまく付けた病名だと感心しました。今まで6年余り原因も分からず心の中がモヤモヤしていましたので正直私は「ホッ」としたのが本音です。そしてこれからはリウマチの治療を受けながら上手に病気と付き合い、残された人生を有意義に過ごそう、と自分に何度も言い聞かせました。
しかしすぐにその気持ちは音を立てて脆くも崩れ去っていきました。人間は、痛みに耐えることはコントロールされていないのです。やはり限界があります。ここから私の地獄が始まりました。5月・6月・7月と病院から抗炎症薬「ロキソニン60mg」を朝・昼・夜の1日3回飲むように処方されたのですが、私は1日の朝と夜の2回だけ飲み、なるべく薬には頼らないようにしていたのです。が、それも効かなくなり、1日に3回飲んでも効かなくなってしまいました。やっと8月に入ってリウマチの薬物療法が始まり、抗リウマチ薬「リドーラ3mg」・抗炎症薬「プレドニン5mg」(ステロイド剤)・胃腸薬を処方されました。しかし半月も経たないうちに、胃の激痛と嘔吐の為、リウマチ薬は中止、すぐに内科にまわされました。胃の検査で胃カメラを飲むこととなり、この時は本当に死ぬほど辛い思いをしました。あっちこっちの関節の痛みに加え、胃痛と嘔吐・・・、ベッドに横たわることさえままならない私にとって胃カメラを飲むということがどれほど辛いものであったか、思い出しても涙が出ます。この時はリウマチ薬の副作用では?と思っていたのですが、今考えてみますとそうではなく、連日の痛みによるストレスから神経胃炎になっていたと思います。その上、痛み止め「ロキソニン」を服用していた関係上、胃が鈍感になり、痛みを感じさせなかったのでしょう。だから薬を中止した途端に痛みが噴出したのだと思います。
このように1つの病気の為に関係の無い他の臓器までも悪くなる弊害が幾つも出てきます。そして胃カメラの検査結果は「潰瘍」ができているとのことで、胃の治療が優先され、リウマチ薬は中止されました。リウマチ薬は潰瘍が出来やすい副作用もあり、潰瘍が出来た私は服用できないことになります。痛み止めも何も無くなって胃腸薬だけになった私は、毎日毎日が痛みとの闘いで精神的・肉体的に参ってしまいました。その上体力の消耗が著しく、50kg近くあった体重が40kgまで減少してしまいました。このままでは死んでしまうのでは?と心配した主人が入院することを勧めましたが、私は拒否しました。すると今度はリウマチに効く九州の紺屋地獄という湯治場へ1週間の予定で連れて行ってくれました。しかしやせ細った私には、旅行することも温泉に長時間浸かることも体力が消耗するだけで苦痛以外の何物でもありませんでした。主人には申し訳ないことをしましたが2日で帰ってきました。
このように周りの人が本当に心配して、ありとあらゆる知識を伝授してくれるのですが、どれも一時的な気休めに過ぎず、効果を得ることが出来ませんでした。半ば諦めていた頃に、弟が尋常でない私の様子を見てリウマチのことをインターネットで調べたのでしょう。電話がかかってきて、松本医院のことを教えてくれました。私もすぐにインターネットで松本先生が唱えていらっしゃる理論を読みましたがすぐには納得できず、医院にはなかなか行く気になれませんでした。病院はどこも同じだと思っていましたし、リウマチに関する著名な先生方の本も何冊か読んで知識がなまじっかあった為に、それを覆し否定されている松本先生の理論を認めることなど考えられなかったのです。またどの先生方も、東洋医学の漢方薬・鍼灸等は効果がないと否定的な考えがほとんどで、私もそのように思い込んでいました。しかし弟の強い勧めもあり、平成13年8月31日、主人に抱えられて上っていった松本医院の高い階段こそが私の人生観を変える素晴らしい階段だったのです。
私が松本先生にお会いした時のことは今でもはっきりと覚えています。最初「誰かに似ているなぁ・・・。」と思ったら、そうです、あの有名な芸能人で確か事件を犯して警察に捕まった田代まさし(先生ゴメンナサイ)、それが私の第一印象でした。また診察室にはそれらしき医療器具も無く、私は何と胡散臭い医院なのかしらと正直思いました。(重ね重ね先生ゴメンナサイ)だから先生のお話も半信半疑で聞いていました。先生が「世界中で自分しかリウマチは治せない」と大見得を切って自信たっぷりに豪語された時も、私は不覚にも「本当ですか?」と余計なことを言って先生を怒らせてしまいました。すると先生は一言「帰れ。」。多分皆様にも同じ事をおっしゃると思いますが、「治らなかったらお金は返す。心配するな。」ともおっしゃいました。私は「そこまで豪語させるのであれば絶対に治してください。もうこの痛みに耐えることは卒業したいのです。ここ松本医院は最後の砦なのです。」と声を大にして言い返したかったのですが、先生の自信に満ちた態度・言動に圧倒され何も言えませんでした。しかし帰り際、先生は「心配するな、絶対に治してあげるから。」と握手され、その握手が効いたのか、診察前と診察後の気持ちが対称的に違っていました。そしてこの時、松本先生だったらきっと治してくださると確信しました。またお灸の指導を受けるため、織田先生の鍼灸を1時間ほど受けました。鍼もお灸も初めての私にとって恐怖心の方が先でしたが、織田先生は楽しい会話で心を和まして下さり、いろんな患者さんのお話も聞かせて下さいました。
これからは自分でしなければと不安で一杯でしたが、後戻りは許されません。毎日漢方薬を煎じて飲み、痛いところはお灸をするといった治療方法ですが、はじめは煎じ薬も飲み辛くもどしそうにもなりました。そしてお灸も協力してくれる人がいれば良いのですが、主人も息子も不器用で何回練習しても上手くいかず、丸めたもぐさは米粒どころか小豆の大きさ、二人とも一生懸命に協力しようとする気持ちはありがたいのですが、あまりのもぐさの大きさにお灸をされる私は熱くて堪りません。する側もされる側も神経をすり減らし、終わった後はどっと疲れが出てストレスが経るどころかかえって増えてしまいました。結局は自分でするのが一番良いのですが、関節の痛みに耐えてお灸をすることは大変なことで一苦労しました。
そして関節の痛みはもっとひどくなり、明けても暮れても激しい痛みが襲い、気が休まる時がありません。夜中も睡眠がとれず、気を紛らわす為、部屋の中を転げ回っていました。主人も起きて体を摩ってくれたりもしましたが気休めにしかなりません。一生懸命に煎じ薬も飲んでいるしお灸もしているのにと何度も不安に駆られ考え込むこともありました。でも松本先生がおっしゃっていた好転反応(私は好転反応などというような、いかにも分かっているようで全く中身の無い言葉を使ったことはありません。これは過去の免疫学が全く知られていなかった漢方医学の残滓であります。私にとっては死語であります。この方は頭の良い方ですので、間違った現代医学の一般常識が豊か過ぎて間違った思い込みが多いのです。)が現れたのだと思い、また考え直した末、「自分は絶対治るのだ!」と言い聞かせました。
このような状態が2ヶ月近く続きましたが、3ヶ月目に入った頃から体に変化が起こり、関節の痛みも徐々に緩和され、以前の状態が嘘のように体も軽くなってきました。リウマチの勢いはCRPや血沈(赤血球沈降速度・赤沈・ESRともいいます。)により分かります。勢いが強い時はCRPは高く血沈の値も大きいのです。
私は最初の検査で100以上ありました。しかし体の軽くなってきた3ヶ月目の11月の値は67。本当に体は正直です。値が下がることによってもたらす相乗効果は絶大で、リウマチに関するいろんな悩みも吹き飛んでしまいました。悩みから解放された私は日を追うごとに良くなっていき、鍼灸の織田先生も以前の私の状態を知っておられるだけにびっくりされていました。その後の値も順調に下がって痛みも緩和され、年が明けた2月には37まで下がっていました。ところがそこからは値はあまり下がらず、3ヶ月ほど横ばい状態が続きました。人間は本当に勝手な生き物で、横ばい状態が続くと不安になり、余計な悩みを背負い込んでしまうのです。
案の定、6月に入って体の調子が悪くなり、値は逆に上がっていました。また不安になり落ち込みましたが、松本先生が「心配しなくても他の値は順調に下がっているし、リバウンドもあるし、低気圧の関係もあり、その結果症状の波もある。」とおっしゃっていたので少し安心しましたが、やはり不安でした。でも先生がおっしゃったように7月に入ってからは一段と体の調子も良くなり、8月の検査で値は27まで下がっていました。もう嬉しくて嬉しくて、不安もまたまた何処かへ吹き飛んでいきました。このように自らの神経を過敏に働かせすぎると、不安材料が次々と重なりストレスを増長させて症状を悪くします。「病は気から」と言いますのでくれぐれもストレスを溜めないようにして下さい。現在はまだ治療中ですが、近い将来松本先生から「完治した」と言われるのを楽しみに、毎日衰えた筋力を鍛えるトレーニングに励んでおります。
本当に長くて辛い6年間、そしてもっと辛い1年間、もがき苦しみ、ありとあらゆることを試みたにもかかわらず、地獄を味あわなければならなかった現実。また現代医学の薬物療法以外に手の打ちようがない、しかも完治させることが出来ないと信じ込んで医師の指示されるままに副作用のある薬を飲み続けている沢山の患者がいる現実。そして遠回りしてやっと辿り着いた松本医院での現実!どれをとっても、私が身を持って体験し、経験したことです。
県立病院の整形外科に通院していた頃、お互いに慰めあったリウマチ患者の皆様は「どうしているのかしら」と今思い起こした時に、こんなにも元気になった私を見て複雑な気持ちになられるのではないかと胸が痛みます。なぜなら、まさに今そういう気持ちになっていらっしゃる方が傍らにいるからです。
私は8月から大阪梅田まで片道1時間かけて勤めに出ています。簡単な経理の仕事ですが、偶然にも前任者の方がリウマチだったのです。引継ぎの為にその方とお会いしましたが、両指は人差し指と親指が動くだけで他の指は「くの字」型に変形しており機能しません。そして足の指も何本かは他の指のうえにかぶさっており、障害者用の特殊な靴を履かれていました。リウマチになられてから12年、ずっと日赤病院へ通院され、薬物療法を受けておられますが、その間リウマチ結節の手術を2度されていました。病状が進行し薬による副作用も次々と出始めて、皮膚潰瘍・肺のCT検査と悪いところだらけだったそうです。何とか気を紛らわせる為に気力で頑張って働いてきたそうです。しかし動いていた指もだんだんと不自由になり、会社に迷惑をかけるということで辞められることになったのです。
同じ病の人間、2人のあまりにも大きな差。片や元気になって職場に復帰、片や悪くなって職場を去る。この矛盾を一体誰にぶつければ良いのでしょうか?このような結果にならないためにも、1人でも多くの方が今の実情に早く気付かれ回復されることを心から願っております。
私が体験して実行したこと
この7年間、私はただ痛い痛いと嘆いてばかりいたわけではありません。リウマチを患ったお陰で色々なことを学び、また色々な人に巡り会うことが出来ました。ここに私が闘病中に体験したこと、また実行したことを箇条書きにして書き記しますが、あくまでも私個人の観点で行ったものであり、皆様に強要するものでもありません。ただ自分が苦しかったり、辛かったり不安になったりしたときに思い出して参考にして下されば幸いです。(基本的にこの方は現代医療をできる限りされなかったことが最高の治療だったのです。従ってそれほど薬の副作用を除去するのに時間がかからなかったのです。元来リウマチは骨そのものの炎症ではなく関節の滑膜の炎症であることを知っておいてください。全く治療をせずに放置しておくと、いかなる激しい炎症でも必ずいずれは終わるのです。最後まで痛みに耐えて一つの関節腔内で炎症を起こし尽くすと炎症産物が関節腔内に全面的に蓄積し、炎症も痛みも二度と起こらないのですが、ただ後遺症としてその関節の変形が残ってしまいます。もちろんその為に関節の可動性が無くなり、日常活動が制限されることは言うまでもありません。しかし、リウマチそのもので死ぬことは無いのです。)
1.毎日必ず体中の関節を動かすこと
テレビを観ているときは指の運動、イスに腰掛けた時は膝・足といった具合に。とにかく1日中体の関節を動かすこと。
2.就寝前・起床前にベットの上で5分間運動すること
朝はこわばりがあり、痛くて動かすことが出来ないかもしれませんが、それでもゆっくりと動かしていたらスムーズに動かすことが出来ます。
3.毎日髪の毛をセットし化粧をすること
髪の毛をセットすることによって、肩と腕の運動になります。痛くて痒いですが頑張って毎日続けてください。化粧は痛い痛いとしかめっ面をしているよりも気分が晴れます。また指の運動にもなります。
4.毎日歩いてその日の分だけ買い物に行くこと
気分転換で毎日買い物に行くことによって足の運動になります。歩くのも大変だと思いますが、私は買い物袋が持てなくて引きずってでも毎日行きました。
5.入浴した時は必ず全身運動すること
タオルを絞る運動は腕全体の運動になり、特に手の握力が強くなるのでお勧めです。湯の中で何度も何度も繰り返しすること。
とにかくどんなことでも体を動かすことは大事で、痛いといって何もせずにじっとしていたら、動いていた関節まで動かなくなってしまいます。本当に痛い関節を動かすことは辛くて涙が出ます。でも頑張ってください。自分の出来る範囲で加減してやればいいのです。
6.松本先生の言われたことは必ず守ること
私自身偉そうなことはいえませんが、守って一所懸命に専念された方は早く回復されていますよ。
7.医院にはなるべく進んで行くこと
遠方の方は大変だと思いますが、なるべく通院して先生の診察を受けられることをお勧めします。私は週に一度は必ず通院していました。通院することによっていろいろ不安が取り除かれ、また待合室で他の患者さんたちとコミュニケーションを持つことによって救われた部分が一杯ありました。
8.好転反応は恐れないこと(この方の言われる好転反応とは、今まで薬で抑えてきた炎症が薬を止めることによって一時的に悪化することです。)
この現象は回復の途中で起こる反応の一つで、文字通り治ってきた証拠です。その症状は人によって異なりますが。これは体内が浄化され始めた証です。リウマチ薬を止めてリバウンドが来た時は辛い日が続き、誘惑に駆られたり挫折することもあるかもしれませんが、歯を食いしばって我慢してください。必ず良い結果が訪れます。
最後に
この長い闘病生活は、私一人では乗り越えられなかったと思います。何より私が僅か1年でここまで回復したのは、松本医院を探してくれた弟、そして松本先生に巡り会えた幸運、なかなかリウマチ反応が出なかったために逆にリウマチ薬(ステロイド剤)を服用しなかったことなど、いろいろな要因が重なった環境にあったからです。赴任先から毎日心配して電話をくれた主人、不器用なりに一所懸命にお灸をしてくれた息子、誰よりも一番心配してくれた姉・両親・友人と皆の協力があったからこその回復です。皆様にこの場を借りて心よりお礼を申し上げたいと思います。そしてこれから松本先生の治療を受けられる、また受けていらっしゃる患者の皆様の早い回復を心よりお祈りすると共に、元気になった姿といつかどこかでお会いできる日を心待ちにしております。