「グッドニュース!」 加島 敏子 54歳
この手記を書き終えたら、かかりつけの先生にリウマチが完全に回復したことを報告に行きます。
始まりは右手親指付け根の痛みでした。
自分はリウマチなどにかかるはずはないけど念のために確認しておこうと、病院へ出掛けました。ところが「リウマチです。」「治りますか。」「治りません。」先生の申し訳なさそうで哀れみに満ちた苦しそうな顔が印象的でした。
家に帰っても私がリウマチ、私がリウマチと頭の中でぐるぐる廻っています。胸が騒中、自分で探すリウマチ情報も友人の教えてくれるものも全て恐ろしく、絶望的なものばかりでした。とても悲しかったです。しかし、いつまでも暗い中を堂々巡りしていても不安が増すばかりなので、自分の人生にどのように受け入れていくべきか考えました。
結論は、治らないなら治らないで現実と仲良くやっていこう、軽い今は痛み止めの薬を飲み、もっとひどくなりステロイドを使用しならなければならなくなったら使用し、それでもだめで手術が必要になれば手術を受け、薬の副作用で内臓のどこかが悪くなれば底を治療をし、それも出来なくなれば死んだらいい、主治医の先生に一緒に歩いてもらおう、ということです。そう決めると揺れ動いていた私の心は静かになりました。
そしてそのまま腎臓や肝臓などの検査を受けながら、3年半炎症と痛み止めの薬を飲み続けました。幸い痛くてどうしようもないということはありませんでしたが、「私はリウマチ」というレッテルが心に貼り付き、はがすことが出来ません。少し痛むとどんどん病気が進むのではとおびえます。これも幸いなことにひどくなることはなかったのですが常に手足の関節が重く壊れそうで以前の感覚がだんだん分からなくなっていきました。先生に「痛いですか。」と聞かれても、「よく分かりません。」と答えるばかりです。その時その時の対処療法だと決めていた私ですが、以前の自分が知らぬ間に徐々に変えられていくようで薬を飲み続けることに不安が沸いてくるようになりました。しかしどうすることもできず、重く自分の内にのしかかるリウマチのレッテルとともに不安とおびえとを抱えての日々を送っていました。4月のある日、松本医院を紹介してくださった方がいたのですが、リウマチは今の医学では治せないのだと信じ込んでいましたし、主治医の先生を信頼していましたので、あちこち病院を替えるのは嫌で気が進みませんでした。が、折角勧めて下さったのに、ためしに1度だけ替わってみようと思い、5月9日松本医院を訪れました。
ドアをあけたとたん漢方の匂いがしました。やはり漢方か、それなら民間療法と同じに違いない、完全には治らず、時間や費用はかかるし、気休めみたいなものだ、今日でやめておこうと思いました。順番を待ちながら読んだ手記も新聞や広告に載っている怪しげなものと変わらないように思えました。「しかし、この手記が本当だったら・・・」。
本当でした。
私も治療を始めて2週間も経たないのに、足と手の関節が非常に軽く感じ、自分の体は、元はこんなに楽で自由なものだったのかと驚きと感激でした。何年もかかってやっと効いてくるものだとうと思っていた漢方の治療が、僅か2週間足らずで効くなんて本当に驚きでした。そして秋になることには炎症の値が残るだけで、他は正常になりました。この間、私のしたことは病院での鍼の治療を受けることと処方された薬を毎日煎じて飲むこと、痛む関節にお灸をすることだけです。たったこれだけでリウマチは治りました。
私は心に貼られたリウマチのレッテルもはがれ、将来の惨めな私の姿も消え去り、元気で老いるであろう私の姿が浮かんできます。
「リウマチは治る」、これが私から皆さんへのグッドニュースです。
少し病院の先生のことをお知らせしておきます。
松本先生は非常にはっきりと話されます。私にはとてもきつい言葉に聞こえました。しかしよく聞いていると「ああこれがこの先生の表現の仕方か。」と分かり、さらに含まれているやさしさ、力強さ、病気に対する闘志が感じられました。病のために弱っている私たちにはなおさら強く聞こえますが、びっくりして去ることなく、恐れず信頼を寄せてください。すばらしい先生です。必ず力になってくださいます。
鍼灸の織田先生はとても上手に相手をしてくださいます。お灸をするのに怠け者の私のこともちゃんと見抜き、うまく励まし支えてくださいました。実際には相当時間のかかる鍼の治療も楽しく、いつも短時間に感じました。
短期間ですが私の人生に大きくかかわってくださった先生方をはじめ看護婦さん、スタッフの方々お世話になりました。ありがとうございました。
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