「リウマチの手記」 河村 純子 54歳 平成13年9月頃から指先が当たるだけで痛み、足裏から膝に激痛があり、段々と歩くことが困難になって、10月末検査してもらいましたが、「リウマチかもしれないので入院して検査しましょう」と云われ、私自身、リウマチについての詳しい知識もなく不安でしたので、「大きい病院の方がいいよ!」と友人の勧めもあり移りました。が、同じ様に「リウマチのRFの数値が非常に高いです!」と云われ心配になり、国立の(自宅近くの)病院へ行きましたがコンピューターを動かしているだけで一度もこちらの方を見ないまま、いきなり「慢性のリウマチです。詳しく検査してもらいますので病院を紹介します」云われ、紹介された病院へ行くと、「膠原病です!」と何種類かの薬を渡された時は、目の前が真っ暗になり、悲しくてたまりませんでした。「リウマチかもしれない」から「慢性リウマチ」と云われ、最後には「膠原病」と云われた時は助からないのではないかと不安がこみ上げてきました。帰る途中、心臓が苦しくなり体が震え顔は青ざめてくる…と次々と恐ろしい状態になりました。 そんな時母の知人から高槻に漢方で多くの苦しんでいる人を助けておられる先生の話を聞き、紹介して頂き、ワラをもすがる気持ちで駅の階段、病院の前の階段、と手すりにつかまり必死の思いで上がりました。ドアを開けると大勢の患者さんと活気に満ちた声で親切に対応しておられる様子を見、ホッとしました。診察の順番が来、松本先生が「慢性のリウマチです。私が必ず治してあげます!煎じ薬をしっかり飲んで漢方のお風呂に入り、時間のある限りお灸をしなさい!」と手をしっかり握って云われたのを覚えています。最近まで何度となく同じ口調でおっしゃって下さいました。織田先生も最初の鍼灸の時に一番印象に残った言葉ですが「病院の階段を走って上がれるようになりますよ!」と励まして下さいました。「本当ですか!」今まで「痛い!苦しい!」の連続だった為かその時初めて普通に声が出た気がしました。「ここで頑張って、私も治りたい!」 その日からまた激痛との戦いでした。最初は「トイレは自分の力で行きたい!」指先や足裏に激痛が走るので壁づたいに一歩一歩と進みました。水を見ても触っても体がこわばり、イスに坐っても体が硬直しすぐに立てません。やっとの思いで横になれても体を動かすと激痛が走り眠れない夜、ほとんど毎日足を伸ばして坐っていました。思う様に起き上がれない、何をしても体力の消耗が激しく煎じ薬も浴びるほど飲み、お灸も次々と痛いところに据え、手足が真っ黒になりました。 冬が過ぎ、春になり痛みが少し和らぎ、今は真夏盛り。最近では重いものは持てませんが、ショッピングカーで2・3Kgの買い物が出来ます。衣服の着脱も時間がかかり、汗をかいて脱げなくて涙が出る時もありますが、出来る様になり、半歩位でしか歩けなかったのが、本当にゆっくりですが散歩したり買い物をしたりしています。ペンを握ったり本を読んでリウマチについても勉強できる気持ちにもなってきました。 松本先生をはじめ織田先生や看護婦さん達、皆様に励まして頂いたおかげで生きる勇気を持つことが出来、ここまで元気にならせて頂きました。心から感謝しています。本当に有難うございました。 |