「リウマチ闘病記」 三宅 隆雄 56歳 それから、朝昼夜と痛み止めの薬との付き合いが始まりました。しかし、痛みはひどくなるばかりで、手の指、手首、ひざ、足首とあちこちの関節が悲鳴をあげはじめ、熱と腫れで動けなくなった日が約1ヶ月続きました。週1回の通院も痛み止め(ボルタレン)をもらい、時々レントゲンと血液検査を受けるだけで、 この病気は治るのだろうか、こんな生活がいつまで続くのだろうかという不安がつのるばかりでした。少しでもこの不安を解消したくて、図書館に行ってはリウマチに関する本を読みあさり、わずかな希望を夢見てがまんの毎日でした。 そんなある日、娘がインターネットで松本医院を見つけてくれたのです。リウマチに関する全てのページをプリントアウトしてくれて、渡してくれました。そこには、今まで頭に入れてきた リウマチに関する知識が全てひっくり返されることが書かれてあり、正直言って、最初は信じられませんでした。 しかし、治療をしてもらえない通院生活を続けていくよりも、少しでもよくなる、いやもしかしたら治るかもしれないという希望に賭けることにしました。 はじめて松本医院に行ったとき、ホームページを作っているぐらいだから、どれだけ立派な病院なんだろうと思いきや、どこにでもあるような町の病院で、しかも、松本先生はゴルフ帰りのようなラフな格好で、白衣もなく、まして、体にさわるでもなし、問診の後の言葉は「治してあげます」のそれだけでした。その後、隣りで鍼灸治療を受けて、帰りに漢方薬を山のように渡され、この日から漢方薬だけの闘病生活が始まりました。良薬口に苦しとはよく言ったもので、まったくそのとおりでした。でも、今の自分にできることは、良くなるんだと信じて飲むことだけでした。 痛み止めの薬とはすっぱり縁をきり、漢方薬だけの生活を2、3ヶ月続けた頃、途中何度か痛みが増す時がありました。その度に、手記に書かれてあるように、リバウンドがあるということは頭ではわかってはいるのですが、漢方薬は人それぞれ体質の違いとか色々あって、もしかしたら自分にはあってないんじゃないかという不安な日々が続きました。それに、手記を読んでいると、ほとんどが女性であることに気がついて、自分は本当にリウマチなのか?本当は違う病気ではないのか?そんなことばかり考える様になってきました。 それは8月頃だったでしょうか。松本先生に思いきって聞いてみました。「私は本当にリウマチなんでしょうか?」するときっぱりと「リウマチです。でも必ず治してあげます。治らなければ、お金は全部返します。」との返事でした。今まで56年間生きてきて、病院の先生が「治らなければお金は返します」こんな言葉を聞いたことはありませんでした。また、2週間おきの鍼灸治療をしてもらっている間に交わす織田先生との会話には、本当に救われ、すさんだ心が穏やかになっていくのを感じました。 そして、11月の末頃から痛みもだいぶ少なくなり、12月中頃からは、自分でも治ってきたと実感できるようになってきました。リウマチと診断されてから10ヶ月余り、松本先生、織田先生のお陰で無事に新年を迎えることができたことを感謝します。もちろんそこには、治りたいという自分、そして治したいという家族の思いもあったからこそだと信じています。今まで自分の人生には病気とか色々ありましたが、今回リウマチになったことで、あらためて家族の力の大きさをしみじみ感じました。 この手記を書く事にあたり言っておきます。これは松本医院の宣伝でも何でもありません。どの病院でも治らないと言われたリウマチが、治りつつある男の独り言と思っていただければ幸いです。
最後に、松本先生、織田先生、医院の皆様、ありがとうございました。そして、もう少しお世話になる事と思いますが、よろしくお願いいたします。 |