「絶望から希望へ」 宮元啓子 35歳
「あなたはリウマチになる可能性がありますね。」と平成9年3月、人間ドックの結果を見ながら医師は私に言った。その時は「リウマチは年配の人の病気だし、私には関係ないか。」とそれ位にしか思っていなかった。そのドックから3年3ヶ月目、私を人生の絶望へと突き落とすあの日がやってくる。
平成12年9月22日、久し振りに姉に会った。楽しい1日を過ごし気分も上々だった。しかし、帰りの新幹線の車内で私の体は突然変調をきたす。全身の関節という関節が電気をかけられたようにビリビリと痛み出し、顔は腫れ、手はソーセージのようにむくんだ。「私どうしたの?これは何?」押し潰されそうな不安の中、あの言葉が頭をかすめた。「リウマチ」
丁度3日前、テレビの特集でリウマチを取り上げていた。同じ症状が幾つかあった。1年程前から左の指が度々痺れていた。2週間前、左足首の激痛に何度か目覚めていた。「そんなはずはない。私がリウマチになるなんて。」必死で考えた。私は駅に着いたその足で病院に向かった。1軒目はリウマチ科のある近所の内科。女医は「リウマチの診断は難しいのよ。あなたの場合、可能性は低いわね。」と言った。検査をして4〜5日待った。不安で眠れぬ日々が続いた。結果は陰性。しかし、痛みはどんどん強くなる。指も膝も肘も足首も痛い。手と足首は腫れ、関節のシワも足首のくびれも無くなっていた。診断に納得いかず、その日の内に市内の総合病院へ行く。その病院で私は絶望の宣告を下された。「リウマチですね。」医師は淡々と「とりあえず薬を出しときます。」とそれだけ言って診察は終わった。目の前が真っ暗になった。ショックで何処をどう帰ってきたのか覚えていない。それでも私は諦めなかった。次の日から専門書を読みあさった。日本の名医などという本まで購入し、誰でも耳にしたことのある都内の大学病院まで行った。しかし温厚そうな若い医師の言葉は私を地獄まで突き落とした。医師は「あなたの病気は治りません。病気は右肩上がりに進行し、末は関節が固まって身体障害者になります。ま、今の内に子供でも作ったらどうですか?とりあえず痛み止めを出しておきます。」と言った。悔しくて、悔しくて、悔しくて涙が溢れ出た。治らない病気なのは分かっている。ただ私は「希望を捨てずに。」と医師に少しでもいい、一筋の光を作ってもらいたかったのに。私は食事も取れなくなり、夜も眠れず、泣いてばかりの日々を送った。体重も瞬く間に7kg落ち、生まれて初めて「死んだら楽かな。」とも考えた。そんな時でもリウマチは私の体を蝕んでいく。指はシワがなくなり、動くと体中の骨がバキバキと音を立てる。肘はギイギイ軋み、股関節はゴリゴリと鳴った。指が膝が肘が痛くて、夜中に何度も目が覚めた。
そんな絶望の日々からすでに3週間が過ぎていた。ある日、主人が「この病院に行こうよ!」とホームページからプリントアウトしてきた紙を数枚持って来た。そこには「革命的リウマチの根本治療法」の文字。初めは半信半疑だった。しかし松本先生の理論、患者さんの体験談を読むうちに、私の心を動かす何かを感じた。早速、松本医院に電話をしてみる。受付の方は先生にすぐ代わってくれた。先生は私の症状を聞くと「あなたのリウマチならすぐに治せます。日曜もやっているから明日すぐ来なさい。」と言ってくれた。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、主人と二人で号泣した。発病して4週目、流した涙は初めての嬉し涙だった。それが私と松本医院の出会いだった。次の朝早く病院に着き、漢方薬の香りのする待合室で待つ。診察室の松本先生は、これまで私が出会ったどの医者にも無い強烈な印象の先生だった。ドスのきいた声、ジロリと凄みのある目、そして早口の関西弁。東北生まれ東北育ちの私はこのパワー炸裂の人物に圧されながらも話をしていくうちに「この先生なら治してくれる。」と確信を持つ。松本先生は意思にありがちな「とりあえず、ま、様子を見て、〜だと思います、たぶん」等の曖昧な言葉は決して使わない。先生の口からは「ワシが治したる。」「リウマチは治るんや。」「治せるんや。」という確信を持った言葉しか語られない。病気に対してこんなに断言できる医師に私は出会ったことが無い。主人とも「この先生なら必ず治してくれる。絶対に大丈夫だ。」と話し合い、先生の指導のもと漢方薬と鍼灸の治療が始まった。初めて飲む漢方はクセの強い甘味のあるコーヒーを飲んでいる様。これなら続けられると思った。幸い、近所に信頼できる鍼灸も見つかった。治療をして2週間が経った頃、お腹の周りが痒くなり赤く腫れてきた。指の腫れは変わらず夕方になると痛みが強くなる。お灸をすると痛みが和らぐので何度もお灸をした。「早く治りたい!」というその一心で煎じ薬を八番まで飲んだ。
治療を始めて2ヶ月が経った。痛みと腫れがどんどん酷くなり、「このまま進行したらどうしよう・・・」と不安で眠れないでいると、松本先生の話を一緒に聞いた主人は「痛みが出るのは良い事だよ。治っている証拠だよ。」と言ってくれた。とかく病人はマイナス思考になりがちである。この病気は周囲の理解も大切なんだと改めて考えさせられた。また不安になったり、くじけそうになった時、私が支えにしていた物がある。それは先生の理論と患者さんの手記だ。夜中に眠れぬ時、不安で潰されそうな時、こんなに頑張って治った人がいると何度も読んだ。読めば心は落ち着き勇気が沸いた。
そんなある日、私の体に変化が現れた。痛い痛いとコタツに入っていると、全身にチクチクとした痒み。特に首から顔にかけて痒みがひどい。少しむくんだようにもなる。数日経ってある法則に気付く。痛みがピークを過ぎると全身にチクチクと痒みが出始める。これが始まると嘘のように痛みが消えるのだ。松本先生の理論通りだ。私は治ってきている。目の前に希望という文字が浮かんだ。
それからの私は薄紙どころかダンボールを剥がすように痛みが治まっていく。ソーセージのようにパンパンだった指にもうっすら線が入り始め、少しずつ腫れがとれていった。痛みの間隔も、毎日から2日、3日、5日と日毎に軽くなっていく。何より23年間悩まされたスギ花粉症が例年の1/3の症状になった。先生には「あらゆるアレルギーも治したる。」と言われていたが、これには心底驚いた。
平成13年10月、思い切ってアルバイトを始めた。1年で私のリウマチはそこまで良くなったのである。平成14年6月、ほとんど痛みは無い。先日漢方の入浴剤を処方された。紅茶の様な湯の色に初めこそ気後れしたが、入浴してみると効果は絶大だった。体中の関節が柔らかくなる感覚。入浴後は玉のような汗がダラダラと流れ、代謝が良くなっているのを実感した。2日に1度の入浴を繰り返すうちに、なかなか抜けなかった痛みが軽くなってきている。
私の人生は松本先生と出会って絶望から希望ある未来へと導かれた。先日、主人と「松本医院に行っていなかったら今頃どうなっていたかな?」と話した。主人は「今頃、薬漬けになって、毎日泣いて・・・考えたくないね。」と言っていた。そして、平成14年7月、リウマチ宣告後、初めて2000メートルの山に登った。またこんな日が来るなんて。楽しかった。嬉しかった。
この手記とホームページを読んでくださった方へ。
「リウマチ」という宣告を受けて絶望の底にいる方へ。
難病と言われるリウマチは治るのだ。治せるのだ。松本医院なら、松本先生なら治せるのだ。
私は今希望を持っている。未来がある。夢がある。もし宝くじが当たったら松本医院の隣にマンションを購入する予定だ。こればかりはどうなることか定かではないが。
平成14年8月28日、痛みなし。手の腫れ、少々有り。アトピー、少し出ている。そして私のリウマチは完治に向かって進歩を続けている。
2002年8月28日