「インターネットで見つけた松本医院」 西村 みか 30歳

 

 私は29歳の主婦です。6歳の長男と2歳の長女がいます。リュウマチになったのは下の子を生んでから5ヶ月くらいたってからの事です。(女性にリウマチが発症するキッカケは出産です。厳密な意味では胎児は妊婦にとっては異物です。人間に異物が入るとそれを排除するために、アレルギーが起こったり、リウマチを始めとする自己免疫疾患が生じます。(実を言えば自己免疫疾患もアレルギーの一つなのですが、このことについては後で詳しく述べます。)ところが現在のところ、異物である胎児がなぜ妊婦によって拒絶されないかはまだ謎ですが、なぜ出産がリウマチのキッカケになるかについて私の考えは次の様です。胎児が成長するにつれて、胎児の新陳代謝による老廃物や潰れた細胞が妊婦によって処理される量がどんどん増えていきます。出産の後、胎児の残した様々な異物が産後のお母さんの体内に残り、処理できない胎児に関連する様々な異物が関節に沈着し、それを排除するために関節で炎症が起こりリウマチとなるのです。)朝起きると足の指の関節と左手の指が痛くて階段を降りるのも1段ずつ、朝は足をひきずって歩いていました。下の子はまだ母乳をあげていたので、薬は飲みたくないと思い、生後7ヶ月くらいまでガマンしました。でもすごく痛くてこの先のことが心配になり薬を飲むことにしました。でも痛みは治まらず病院もいくつか変え、薬も変えたりしましたけど、手首、指がはれてどうしようもありませんでした。そうしているうちに1年半が過ぎインターネットで松本医院を見つけ、「漢方に賭けてみよう!」と先生のところへ行きました。初診では先生が私の痛いところに触れることなく、「絶対治るで!治したげる!」と言われただけで、少し不安にも思いましたが、リュウマチの人の手記を読んで、「私も頑張ってみよう。先生もそう言ってはるのだから。」と心に決め、次の日から戦いが始まりました。(私は患者さんを信じていますから、本人が痛いと言っている所を触って痛みを確認する必要もないのです。しかもリウマチに特別なリウマチがあるわけではないのですから、私の理論により必ず治るからこそ事も無げに治してあげると言っているだけです。結果を見ればお分かりのように事実治るのです。)

 上の子は幼稚園、その送り迎え、下の子の世話、掃除、洗濯、料理、何もかも苦痛でした。おまけに主人は毎日仕事が遅く、休みもほとんどないので私がするしかなったのです。正座も痛いし、自転車に乗るのもブレーキを握るのが痛い。洋服を脱ぐのも髪を洗うのもすべて痛い。子供のおむつかえ、ズボンの上げ下ろしも指と手首が痛かったのですごく大変でした。はじめの1,2ヶ月は外出も幼稚園の送り迎え、近くのスーパーが限度でした。掃除も少しやっては休む。子供がお昼寝しているときには自分も休む。といったことが多かったのが、4ヶ月頃からは朝もまだ手首はこわばって痛いけど、ひざは痛くなく、階段も普通に降りられるほどにまでになりました。動作も少しずつではありますが、6ヶ月たった今では以前と同じぐらい復活しました。すごく嬉しいです。(リウマチが発症して一年半経過しているにもかかわらず治りが早いのは、現代医学のつまらない対症療法だけの薬をあまり飲まなかったことと、若いという点であります。アトピーの場合もそうですが、リウマチの場合も医者の投与した薬の影響を除去することが99%の私の仕事となるのです。従って私は大声で伝えたいのです。『現代医学の薬はできる限り飲むな』と。痛みは薬を飲まなくてもいつまでも続くのではなくて、痛みの出る度ごとに自然に消えてしまうからです。最悪の場合は炎症が固まり瘢痕治癒となり、機能障害が起こることがありますが、リウマチで死ぬことは絶対にないのです。とにかく私との出会いが早ければ早いほど苦しむことが少ないのですから、このようにインターネットで情報をお伝えしているのです。)自転車にも子供を乗せられますし、手首が痛いのをのぞけば、「先生が絶対治したげる!」といわれた通り本当に良くなってきているのが分かります。子供の世話もして、ここまでこられたのだから、一人身であればもっと早く楽になっていたかもしれません。(私にとってはリウマチは言わば関節の風邪のようなものです。パニックになることもないし、絶望することもないし、ジタバタすることもないのです。もちろんこのように私と出会うという幸運を得られた方だけにとってのみ風邪のようなものなのですから、いち早い私との出会いが肝心です。しかし私との出会いがない人は、一生リウマチで苦しまざるを得ないのは言うまでもありません。残念なことです。)

 まだまだ完璧に完治するまで時間がかかるかもしれないけれど、「必ず治る。」と私は思います。「治った時にはまた3人目もほしいネ。」と主人も言っております。

 松本先生、他先生方これからもよろしくお願いします。

2001年 記