「不治の病(慢性リウマチ)が完治した」(闘病日誌) 隠岐幸男 64歳

 

 

1.松本医院を訪ねる迄の経緯

 

 

2001年11月

2001年末をもって定年を迎えようとしている11月下旬に左肩激痛に襲われ、一晩眠れず翌朝自宅近くのHクリニックで診察を受ける。「50肩」と診断され筋肉注射(ステロイド剤)2本打つ。痛みは無くなるが、腕、上にあがらず。2週間程度で回復。

 

2001年12月

上旬、右手首、右手中指激痛、腫れる。同H整形クリニックで診察を受ける。「右手首関節炎」と診断。薬と湿布薬で治療。一週間程度で治る。

 

2002年1月

左肩激痛再発。同H整形クリニックで筋肉注射(ステロイド剤)1本と薬ならびに電気マッサージ治療。一週間程度で治る。

 

2002年3月

右手首、右手中指激痛、腫れる。左足踝(くるぶし)にも痛みがでる。H整形クリニックで血液検査の結果「慢性関節リウマチ」と診断。CRP 1.5 陽性。治りますかと問うも、先生「慢性リウマチは治りません。薬で痛みを和らげる治療方法しかありません。」と胸にズシンとくる言葉。そして、先生は薬の見本一覧を提示し「隠岐さんは、この薬(アザルフィジンEN錠、ソレトン錠、ムコスタ錠)にしますが、宜しいでしょうか。」と問われるも、私には、良し悪しの判断が出来ないから、「結構です。宜しくお願いします。」と返事するのみ。尚、「この薬は一生飲んでもらいますので、薬の名前を覚えておいて下さい。薬の効き目は2ヶ月後頃からとなります。」と先生。

 

2002年3月

 症状更に悪くなる。前回の診察より10日後、H整形クリニックで診察。先生は「薬を変えましょう。」と前回同様、薬の見本一覧を提示され「プレトニン5mg(ステロイド)、アザルフィジンEN錠、ボルタレンサボ、にしますが、宜しいか。」と問われるも、ステロイドを服用することに抵抗を感じながらも痛さを軽減するのであればと、やむを得ずその薬の投与を了解する。

  このような薬を一生服用しておれば、副作用で本当に寝たきりになるのではないかと眠れない夜が続く。

  広い日本、何処かにリウマチ治療で権威ある病院があるのではないかと、本屋に行き調べたところ、大阪天六にリウマチ治療には権威のある病院としているY病院を見つける。早速Y病院に行く事にする。

 

2002年3月

   3月下旬、この頃になると、朝夕痛み止め座薬(ボルタレンサボ)を使用しなければ歩く事が出来ない状態。妻の付き添いでY病院の診察を受ける。血液検査の結果、  CRP 5.2 Y病院の先生に、Hクリニックの治療法を説明すると、治療法は当病院も同じとの事。(治療法が同じであれば、何が権威ある病院なのか、エエカゲンなもんであると内心思いながら。)

 

2003年3月

  症状は日々悪くなる。股関節の下より両足がパンパンに腫れる。

  何とかステロイドを飲まずに治療する方法は無いものかと、居住地市内の公立病院を訪ねる。先生に今までの治療の経緯を説明。レントゲン撮影後、先生は、「骨に異常はありません。足が腫れているのは薬の副作用かもわからないので一時薬の服用を止める様に」との指示。薬を止めれば症状が更に悪くなるのではないかとの問いに、先生は、「薬は色々あるので心配要りません。今日は、腫れのひく薬を出しておきましょう。念のために膝の水を抜き雑菌の有無の検査をしておきます。」と左足膝の水を抜く。検査結果異常なし。

  当病院の治療方法に納得出来ない事から、今回限りとする。

 

2002年4月

  4月下旬、天六のY病院で再度診察を受ける。痛み止めボルタレンサボを朝夕2回使用しても痛みで歩くのが辛い。妻の付き添いでY病院に到着。血液検査の結果 CRP6.8と前回より悪くなっている。先生「プレドニンを増やしましょう」とプレドニン(ステロイド)2.5mg増加し、1日7.5mg、アザルフィジンEN500mg、ムコスタ 100mg、ロムカム及びボルタレンサボ 500mgの投与となる。

このまま薬を飲み続けていくことによる薬の副作用の心配とリウマチの痛みで日々困窮している。5月2日息子より、「インターネットで調べたのだが、高槻に漢方治療でリウマチを治療する松本医院があるが、一度行ってみたらどうか。」と松本先生がホームページに掲載されている治療理論「革命的リウマチ根本治療法」並びに「革命的アトピー(アレルギー)根本治療法」と患者さんの手記をコピーして持ってきてくれる。

  早速、その資料を読ませて頂き、その理論が多くの患者さんの診断の実践から確立された事、又、患者さんの手記がそれを証明していること、そして特に感銘したのは、「免役を抑制せずに痛みを楽にすれば完治する」という理論。私が今日まで治療してきた西洋医療は免役反応を抑制するだけの治療法。松本医院は理論に基づいた治療法(西洋医学では、理論無し)で多くのリウマチ患者が完治されていることに感銘し、治して頂けるのは、松本医院しかないと思いました。

  連休明け5月7日に松本医院に診察内容と時間の確認の電話をかける。対応された看護婦さんは明るく来院時間等を教えて下さり、明日5月8日お世話になることを告げ電話を切る。

(発病後、漢方治療も病院の薬と合わせて飲んでみようと、漢方薬店3店を訪ね、リウマチに合う漢方薬を調剤してもらったが、いずれも、飲むことにより頭が痛くなる等副作用的な症状と、是といった効用も無く漢方薬の服用を中止した。)

 

 

 

2.松本医院での治療

 

 

2002年5月8日

  妻の付き添いで12時40分頃松本医院に到着。ボルタレンサボ(痛み止め座薬)を使用してきたが、階段を上がるのが痛い。手すりに寄りかかり階段を一段ずつ上がっていった。(なぜ、エスカレータがないのか、内心ぼやきながら・・・)

  扉を開けると待合室はいっぱい。「こんにちは」と元気な看護婦さんの声。漢方薬の匂いがプンプンする。受付で所定の手続きを終え1時間ほど待つと「隠岐さん」と呼ぶ声。診察かなと思うと血圧の測定、そのあと30分程度経過し大きな声で再度「隠岐幸男さん」と呼ばれる。妻と二人で診察室に入る。

 「誰かの紹介で来られたのですか。」と尋ねられる。「私は、昨日まで治療してきた経緯の説明と、ステロイド等を服用していることに対して妻、子供たちが心配し、息子がインターネットで、漢方医療の当医院を見つけてくれたのです。」と応える。

 先生は、「ステロイド薬は一気に止められませんので、徐々に少なくしていきます。」との説明と「本日以降服用する薬の量の指示、並びに鍼灸治療を十分やって下さい。」との指示を受ける。最後にもう一度「治りますよ、治してあげますよ。」との力強い言葉と握手をして頂き、診察室を出た。

  その後、血液採取と鍼の先生(後で織田先生と知る。)に鍼の予約の仕方、灸のやり方等を教わり、漢方煎剤を受領して松本医院を後にする。

  帰り道、先生から「治りますよ、治してあげますよ。」を何度も言われたことが耳から離れず、本当に来て良かった、「絶対に治ってやる」と心に誓いながら帰宅した。

 

2002年5月9日

  本日から本格的な自宅治療に専念するに伴い、その準備と不足しているものを買いに行くことにする。各関節の痛みがきついので、是が最終と心に決め、痛み止めの座薬を使用し、妻と買出しに行く。

     もぐさ、線香の購入

     漢方薬を煎じるためのヤカンを購入

     寝たきりを想定し、シビンを購入

     風呂の椅子が低いので、高い椅子を購入

     トイレに近い応接間に簡易ベットを設置し寝室にする

 

正午過ぎ帰宅、早速妻が漢方を煎じてくれる。独特の匂いがあるが、1番煎じを熱いうちに飲むと、味は甘みを含んでいる。何とか飲めそうだ。

夜は漢方風呂を沸かす。我が家の風呂の温度は最高が50℃にしか上がらないので、別にヤカンで100℃に沸騰させたものを足し、少し低温だが60℃位にして、約2時間漢方をお湯につけておく。漢方風呂も独特の匂いがするが、温泉に入っているように温まる。

入浴後お灸を始めるが、身体の動作が鈍い事、又指に“コワバリ”があることから自分では出来ない。妻に肩、足の踝(くるぶし)、膝等に据えてもらう。生まれて始めてのお灸、自分でも臆病と思いながら、少しでも太い“もぐさ”を据えると「太い、大きい」と文句を言う。妻はボヤキながらも、何とか最後までお灸を据えてくれる。

 

2002年5月10日

   朝、目が覚めると昨日より痛みが増している。鎮痛座薬を止めたためだろう。特に左肩痛く、腕が上がらない。昨晩沸かした漢方風呂を暖め入浴すると、痛みは少しやわらぐ。

 服の着替え、靴下の履き替えが、自分一人では出来ない。妻に手伝ってもらう。お灸、手がコワバッてやりにくいが、自分で出来るところ(手首、肘、手の甲、手指等)は自分で据える。

 

2002年5月11日

   各関節の痛みが増してくる。これが先生の理論である「自然後天的免役寛容」になるための始まりか。「免役を抑制せずに痛みを出す」とのことであるが、まだ治療を始めて3日目、この先が心配になる。痛さに辛抱できずに以前もらった鎮痛座薬を使用したい心境だが、使用すれば大変、今のうちに全ての薬を捨てることにした。

 

2002年5月12日

  朝から寒気がする。熱を測ると37°4′、松本医院に熱がある場合の入浴の良し悪しについて電話で問い合わせする。

  息子夫婦の長女誕生し、本日退院、我が家に立ち寄る。両手に力が入らず孫を抱くことも出来ず。

 

2002年5月13日

  日替わりで各関節が痛む。本日は、股関節。風呂の湯船に入るのが大変、足が上がらない。湯船の縁をはいばりながら必死の思いで入浴する。本日体温37°6′

 

2002年5月14日

  体調益々悪くなってくる。膝が曲がらない。体温37°2′

明日は2回目の松本医院での診察日。娘、医院への送迎のため40km離れている嫁ぎ先から帰ってくれる。

夜、お灸を据えていると、2歳の孫が火のついた“もぐさ”に息を吹きかける。 熱いと叱っても面白がって益々邪魔をする。

 

2002年5月15日

  2回目の松本医院

  娘に松本医院まで送ってもらう。階段を妻に支えてもらいながら上がる。前回より辛い。

  血液検査の結果、CRP6.8 血沈4.0(間違い) 蛋白が不足しているとの事、「プロテイン」を1日10杯飲むよう指示を受ける。

 

2002年5月16日

  体温37°4′ 身体がだるい。

 

2002年5月17日

  夜眠れない、全身の関節が痛くて寝返りが出来ない。少し身体を動かそうとしたならば「アイタタ、アイタター」の連続。自分の腕が身体と一体に感ぜず、別の物体に感ずる。腕が重い、胸の辺りに置くのが一番楽な姿勢、それでも、1時間おきに目が覚める。同姿勢で寝ているのが辛く、ベッドに起き上がるのに、肩関節が痛い事から、肘を突いて起き上がれない。寝ながら足を勢いよく上に上げ、その反動で一気に起き上がるのだが、その動作を2〜3回繰り返して起き上がり、ベッドに座って1時間、この繰り返し。

 

2002年5月18日

  肘から特に左肩関節が痛む。妻にお灸を据えてもらうと、ジーンとして気持ちが良い。本日も微熱あり。37°5′

 

2002年5月19日

  初めてお灸をして頂くため、息子の車で松本医院に行く。到着と同時に織田先生に呼ばれ鍼灸室に入る。服は自分で脱げないので、妻に手伝ってもらい、ベッドに横になるも「アイタ、アイタター」が口癖のように出る。

  初めての鍼、身体を硬くしていると、織田先生が手早く鍼を始める。少しチクとする時もあるが痛くはない。先生から「灸が上手に出来ている」と褒められた後、「1日   3000個お灸を据えるのが望ましい。」とのこと。私には3000個、少し無理の様である。

  織田先生は明るい先生、リウマチについて色々と教えて頂き励まして頂く。先生とお話していると早く治そうという気持ちが心から沸いてくる。

  夜は、痛みを我慢しながら気分転換を兼ねて、息子と外食をする。

 

2002年5月20日

  昨晩も1時間おきに目が覚める、眠れない。体温 37°3′

 

2002年5月21日

  左肩の痛み、少し和らぐが、右肩痛む、両手の甲腫れてくる。体温37°2′

 

2002年5月22日〜6月3日

  手の甲から指、股関節の下から足の甲までパンパンに腫れる。皮膚の色も悪い。足の甲の腫れたところを指で押さえると、弾力性が無い。このまま足が腐ってくるのではないかと心配になる。微熱毎日37°3′〜37°6′続く。

  この症状が、今までに服用したステロイドによる「リバウンド」なのか、それとも、先生の理論である「リウマチの抗原を関節の外へはいじょしようとする免役反応」の現象なのか、何れにしても辛い。

  5/22 3回目の松本医院。先生「治ります、治してあげますよ。」と力強く言って頂く。

 

2002年6月4日〜18日

 6/4 松本医院での診察日。先生から「本日よりプレドニン(ステロイド)の服用を止める様に」との指示を受ける。これでやっと、ステロイドと縁が切れる。これからが本格的なリウマチ治療、免役との戦いが始まるのだと、内心思いながら、とにかく頑張ろう。

  ここ数日蒸し暑い日が続く、じっとしていても汗が出る。腕が上がらない為、頭、首筋等の汗が自由に拭けない。又2,3日前から首の関節が痛く、少し左右に動かすだけでも痛い。妻も最近疲れ気味、家事、洗濯、私の介護、犬の散歩と一日休む暇が無い。毎日大変なのに、一人で何も出来ない私を献身的に支えてくれる。こうして療養できるのも妻のお陰と心から感謝している。

 

2002年6月19日〜30日

   6/19 7回目の松本医院に行くため、娘、嫁ぎ先の川西市から送迎の為帰ってくれる。

前診察日に採集した血液検査の結果、CRP7.3 血沈90 以前より悪くなっている。先生はデータを見て「良い方向に向かっている」とのこと。是は、免役の働きを最大限に高めその働きを抑制しない状況での課程、すなわち活動期なのか、それとも悪い面で考えれば、症状が更に悪化してこのまま治らないのではないかと、疑心暗鬼になる。

  診察の後、織田先生に鍼をして頂きながら、関節の痛みが日毎に変わる等症状を説明すると、「痛みが色々なところに出るのは良い事です。とても順調で素晴らしいことです。頑張って下さい。」と励まして頂く。

  乗りかかった船、今更別の船に乗り変える事は出来ない、完治を信じて頑張るのみ。

  微熱は相変わらず37°1′〜37°4′有り。

 

2002年7月1日〜10日

  毎日蒸し暑いのと、肩の痛み等で寝られない。手、足の腫れ、益々きつくなる感じ。闘病日記を書くにも、指が痛くペンが進まない。微熱37°〜37°3′

(手記を記述しながら、症状の経緯を思い出してみると、この時期が一番辛かった様に感じます。)

 

2002年7月11日〜20

  身体全体の痛みが少しずつ楽になってきた。

 7/18 診察日、前診察日に採取した血液検査結果は、CRP7.4 血沈105 数値的には前回検査より高くなっているが、身体的には、少しずつであるが痛みの軽減。行動力が増してきた様に感ずる。

  先生の理論である「免役を抑制しないで楽にする事が私の仕事」と言われているが、私の身体に如実に出ているように感ずる。

 

2002721日〜31

  微熱が出なくなってきた。7/26 以降平熱。

  関節の痛みも、以前の様に「アイタタ、アイタタター」が口癖の様に出ていたのが言わなくなったが、膝、上腕部等、日替わりで痛みが出る。手足の甲の腫れの症状は変わらず、パンパンに腫れている。

  7/27 夜涼みを兼ねて、初めて近くの公園まで妻と散歩に出る。足の踝(くるぶし)関節に痛みを感じながら、約500m先の公園に到着。いつも来ている公園だが、ベンチに腰掛けて周囲を見渡すと全てが新鮮な感じがする。

  7/31 診察日。先生に公園まで散歩した話をしますと、先生は「運動ができるのであれば自由にやるように。」と言って頂く。最後に「治してあげますよ。」と握手をしていただくが、握られた手が痛い。

 

2002年8月1日〜8月10日

  運動を兼ねて犬の散歩をする事にした。最初1、2回は犬に散歩をしてもらっている感じ。手がコワバッテいるのと肩の痛みが取れないことから、ロープを両手で必死に握り歩くのが精一杯。

  8/7 13回目の松本医院、今日からバスで行くことにした。松本医院の階段も、一歩一歩手摺を持たずに上がる事が出来た。

 

2002年8月11日〜20日

  病気になって始めて車の運転を自宅近くでする。肩の関節の痛みが少し残っているのと手のコワバリが有るが、安全運転で運転出来ることに自信をもった。

 

2002年8月21日〜30日

  8/21 松本医院、血液検査の結果CRP5.7 血沈90 少し数値が下がってきた。有り難い。

  織田先生に「もっとお灸を据える様に」と注意を受ける。

 

2002年9月1日〜30日

  9月に入ると、朝、夕いくらか過ごしやすくなって来た。  

  9/11 診察日、血液検査の結果、CRP4.1 血沈60 少しずつ良くなってきた。各関節の痛みは、手首の痛みを除いて大分楽になってきたが、手のコワバリ、手の甲、足の甲の腫れ今だ引かず。

  9/25 診察日、「大分良くなりましたね。これからは2週間に一回でいいですよ。」と先生。

 

2002年10月1日〜31日

  10/27 診察日、ここ2ヶ月値が下がっているので検査の結果を聞くのが楽しみ。検査結果、CRP2.7 血沈35 下がっている。後少しだ。頑張ろう。

 

2002年11月1日〜30日

  後頭部および右手首と肘の中間あたりの皮膚が赤くなり、痒みを伴ってきた。

11/5 診察日、先生に痒みのある所を診て頂くと、「アトピー」との事。

「革命的リウマチの根本治療法」の理論では「リウマチが治る前には、多かれ、少なかれ、アトピーが出現する」とあり、多くの患者さんとの診察実践で証明されているが、私の身体にも現実に発症して来た。これで私も、リウマチが完治する前章かと思うと、うれしく心が躍る思いである。

 

2002年12月1日〜31日  

  12/17 診察日、検査結果 CRP 1.3 血沈 22 正常値まだ後一息、頑張ろう。

  手足の甲の腫れが小さくなって来たが、手のコワバリは一日中続く。

  足裏が歩くと痛む。お灸を足の甲全体並びに足指の付根を集中的に据える。

  各関節の痛みは殆ど無くなって来たが、左肩と右手指の関節が時々痛む。

 

2003年1月1日〜1月31日

  左肩と右手指の痛みは殆ど無くなって来たが、手のコワバリ、歩くと足裏の痛む症状は取れない。

  1/25 診察日、検査結果 CRP 2.0 血沈 24 先月の検査値より悪くなっている。症状は悪くないのに、なぜ先月より悪くなったのか。このまま数値が上がり、逆戻りするのではと心配になってくる。先生は「順調な快復状況ですよ。」と言って頂くも気分は晴れない。

 

2003年2月1日〜28日

  以前に勤めていた会社からの勧めもあり、運動と気分転換を兼ねて、週3回程会社の手伝いをする。こうして働けるようになった喜びと、同僚たちと夜一献を酌み交わすひと時が再び訪れた喜びに感謝するのみである。

  2/18 診察日、検査結果 CRP 0.5 血沈 15 人並みの身体にヤット戻った感じ、嬉しさがこみ上げて来る。しかし RFの値が 21 後少しだ、頑張ろう。

 

2003年3月1日〜31日

  足裏の痛み、3月上旬頃より感じなくなり、関節の痛みも殆ど無くなって来た。後は、後頭部のアトピーによる痒みがあるのみ。

  3/18 診察日、検査結果 CRP 0.4 血沈 8 RF 15 「値も良くなりましたね。日常リウマチになっていることを忘れるでしょう。」と先生。そして握手、私が強く握ると、先生は「おお!すごい!私の手が痛い。」と言われた。私にも握力が出てきたのか、嬉しい。

 

  松本先生にお世話になって約1年経過。日常生活には何の支障も無く、自宅の垣根の伐採を行うのに脚立に上がって作業も出来る。昔の同僚達と一献酌み交わす事も出来る、等々出来る事を記述すればキリがない程快復した。

                  

 

 

 

3 おわりに

 

 

  私が、松本医院を知らずに 西洋医療で治療していたならば、1年経過した今頃は、ステロイド等の薬漬けによる副作用と関節の変形による苦しみを味わっていたと思う。行く先は、人工関節、内臓疾患、そして寝たきりの闘病生活、更に、妻、子供達には、看病による肉体疲労、精神疲労を与え、その末の家庭不和等を勘案すれば、想像を絶する思いがします。

  全国的にはリウマチ患者が70万とも80万とも言われている。その中で私たちのように運良く、松本医院で治療を受ける事が出来、不治の病と言われているリウマチを治して頂いた人(松本医院で治療を受けた方々)は、リウマチ患者の一握りであると思います。

  大多数の患者は、医術の無い西洋医療で薬漬けにされ、行く末は薬源病、更には人工関節、そして、身体障害者、その後は寝たきりの苦痛を味わっているのが実態ではないでしょうか。  

  松本先生の様に、理論をもって医療に携わっておられる方が全国各地におられるならば、何処に居住していても正しい治療を受けられ、リウマチによる身体障害者は発生しないでしょう。それは、現在の日本の医療制度が自己中心になっている事が原因かと私は思います。

  現在の日本の医療制度を見てみると、江戸時代、日本は鎖国制度を取り入れていたが、それと同じく、今の日本の医療制度は「鎖国制度」を取り入れているように思われる。それらを、如実に表しているのが病院等で、松本先生のように本当の漢方に取り組んでいない事、漢方薬剤の中に保険適用外の生薬が多くある事等々、東洋医学、医術が表面にでる事により、製薬メーカーは企業経営に悪影響を及ぼす事を懸念するが故、今の医療体質になっていると思われます。

  医療には、西洋、東洋も無い、最善の治療を願うのが患者である。そのためには現行の医療制度の改革を望み、一番進んでいる医術をもって、誰もが治せる治療を受けられる医療体制でなければならないと思います。

  従って、私たちが今出来ることは、松本医院でリウマチ、アトピーを治して頂いたご恩に報いる為、これから治療を始める患者の方々に、間違った西洋医療で治療する前に松本医院と出会える手助けが出来るよう、そして、間違っている医療制度を少しでも良くなる様、私なりに努力したいと思います。

  不治の病と言われているリウマチを、この様に健康な身体に戻して頂いた松本医院の松本先生、織田先生、看護婦さん、スタッフの皆様、本当に有難うございました。そして、献身的に看病してくれた妻に感謝するとともに、子供達にも何かと心配をかけた事、この様に快復したのも、皆のお陰、有難う。