「どうかステロイドを使わないで」 太田 恵 42

 

 この手記を読んで下さった方にお願いがあります。どうか安易な気持ちでステロイドを使わないで下さい。私は回りの人全てが私のように悩み苦しまないですむようにと願わずにはいられません。何故ステロイドや抗アレルギー剤が駄目なのか、そして私たちが生きていくのに免疫の力がどれほど大切なのか教えてくれる松本先生のホームページを隅々まで読んでみて下さい。少しずつ、じっくりと読んでいく事によって、今まで見えていなかった事が見えてくると私は信じています。

 私は18歳の時痛み止め(ピリン)を服用し、顔がお岩さんのように腫れてしまいました。24年前の事なので記憶は定かではないのですが、病院で薬を貰いました。しかし注射をしたかどうかは覚えていません。今思えば、この頃より足の冷えを覚えましたが、まだ若かったのであまり意識することなく暮らしていました。しかし結婚をし、妊娠・出産を繰り返すごとに体は弱くなりました。高知の温暖な気候で生まれ育ったせいか、陽気な私は元気があるように見られ、人には理解してもらえない辛さをずっと抱えて生きてきました。

 私がリウマチになったと自覚したのは平成146月でした。平成139月に近所の病院で橋本氏病の検査を受け、それ以来まる1年チラージを毎日0.5錠飲んでいました。薬のアレルギーを4つも持っている私は西洋医学の薬といえば“こわい”気持ちが先にたち渋っていたところ、「足りないもの(ホルモン)は薬で補わなければなりません。」と諭され飲むこととなりました。チラージは副作用はほとんど無いので大丈夫との説明だったのに、何故か9年間毎日出ていた蕁麻疹は全くでなくなり、その代わりいつの間にか朝目覚めの時に指が少し痺れている事があったり、きつい靴を履いたわけでもないのに両足指がかわるがわる時々痛くなりました。それから運動もしていないのに、朝のしばらくの間だけふくらはぎが軽い筋肉痛を起こすこともありました。そして6月に使い過ぎていた左手指が痛くなり、この時にはっきりと自覚したのです。(チラージンSという甲状腺の薬は甲状腺機能低下症に用いられる甲状腺ホルモンの一つです。私のリウマチの患者さんにはチラージンSを服用している人が何人かいますが、どうもリウマチがアトピーになり最後に自然後天的免疫寛容を起こしにくい印象があります。その理由は二つ考えられます。一つはチラージンSは確かに甲状腺が作り出しているホルモンの一つであるサイロキシンでありますが、サイロキシンそのものではありません。他に製剤にするためにいろいろ修飾されております。従ってこの薬全体がリウマチを起こすアレルゲンとなっている可能性があります。二つ目は橋本氏病は1912年に日本人の橋本策という人によって見つけられたものであり、最も代表的な自己免疫疾患の一つであります。臨床的には一般には甲状腺機能が正常でありますが、甲状腺の組織の障害が高度になると機能低下が見られ、ごく一部には機能更新が見られることがあります。この橋本氏病とリウマチが合併することが多いのは、両方の病気に共通なアレルゲンが存在しており、リウマチが悪くなれば橋本氏病の方が良くなり、その逆な事も起こる印象があります。リウマチだけならば免疫寛容が起こりやすいのですが、膠原病の一つである橋本氏病は起こりにくい為にいつまでもリウマチが治りにくいと考えられます。さらに詳しく説明しますと、リウマチは関節腔の中に見出された異物が両側の滑膜に引っ付いたアレルゲンを排除しようとして生じる炎症であります。ところが関節腔は常に、言わば潤滑油が出入りしているところであり、血流が豊富であり、異物も侵入しやすいのですが、同時に炎症産物も運ばれやすい上に中空であるために滑膜が再生しやすいので傷が治りやすいのです。私は全ての膠原病は多かれ少なかれ関節の痛みが伴うことを指摘しておきたいのですが、これは何故かというと人体に入った人間にとって異物であるアレルゲンは一番入りやすいのは関節腔であるからです。このような異物は人によっては他の組織やその組織の結合組織に引っ付きやすくなり、それが神経に引っ付けばMS(多発性硬化症)やギランバレー症候群となり、血管の内壁につけば多発性血管炎となり、筋肉に付着すれば多発性筋炎となり、皮膚組織につけば強皮症となり、心臓の膜に付けば膠原病性心膜炎やリウマチ熱となり、肺に沈着すれば間質性肺炎(リウマチ肺)になり、その異物が血小板につけば血小板減少性紫斑病になり、赤血球に付着すれば自己免疫性溶血性貧血となり、骨髄に付着すれば再生不良性貧血となり、眼球のブドウ膜につけばブドウ膜炎また強膜に付着すれば強膜炎になり(これらは全てリウマチの時に同時に合併することが知られています。)肝臓に付着すれば自己免疫性肝炎や原発性胆汁性肝硬変になり、涙腺や唾液腺に付着するとシェーグネン症候群になり、腎臓に付けば自己免疫性糸球体腎炎になります。このように全ての臓器において人間にとって異物となるアレルゲンが付着して、それを排除する免疫反応として自己免疫疾患が生じるのです。逆に言うと、自己免疫疾患が生じない臓器や組織は何も無いのです。さらに以上のような様々の膠原病がいくつか同時に生じるときにSLE(全身性紅班性狼瘡)と言われるだけです。さらにSLEや多発性筋炎(PM)や全身性進行性硬化症(PSS、全身性強皮症)などの症状を同時に持った膠原病をオーバーラップ症候群と言い、さらにこれに加わるに抗RNP抗体が高い時に混合型結合組織病(MCTD)と言うわけです。つまり関節の症状が一番目立つ時にリウマチと言い、このリウマチを基礎として色々の組織にアレルギーを起こす時に膠原病が重症になっていくわけです。原理的にはリウマチが治るように他の全ての膠原病は治るはずなのです。何故治らないかというと、自然後天的免疫寛容が生じるまでに症状に耐えられなくなったり、炎症を起こした組織の修復がしにくかったり、修復するのに時間がかかったりして後遺症が残り、機能が正常に回復しない為に実際的には取り返しがつかなくなる可能性があるからです。私の考えでは、膠原病は癌ではないので炎症だけで死ぬことはないのですから、今後の私の研究課題はいかにして早く様々な組織の炎症を回復し、機能障害をもたらさないようにして最後にIgG抗体をクラススイッチしてIgE抗体にかえ、IgE抗体の産生を抑制Tリンパ球抑制させ自然後天的免疫寛容を起こさせるかということになります。従ってリウマチと橋本氏病が同時に存在する時は同時に免疫寛容が起こらない限りはリウマチも治らないと考えられます。つまり原因は同じであるわけですから、リウマチだけが治るということは有り得ないのです。言い換えると橋本氏病だけを持っている患者さんを治した経験は私はありません。もちろんここで断っておきますが、関節腔にたまるアレルゲンは一つだけではなく無数にあります。このアレルゲンが無数にあるのはアトピーのアレルゲンが無数にあるのと同じことです。この無数のアレルゲンの中の幾つかだけが甲状腺の結合組織に付着してこれを免疫が攻撃することにより、甲状腺ホルモンを作る甲状腺の細胞もとばっちりを受けてホルモンを作れなくなる為に甲状腺の機能が低下するのです。ここで起こった炎症の後始末をするのには関節と比べてはるかに血流が少ないうえに、新しい正常な細胞を作り変えるのにも周りに詰まった細胞があるので押し付けられてしまって簡単には作れないのです。つまり一度引っ付いた異物を処理することが極めて難しくなり、Tリンパ球などにクラススイッチをする必要も感じさせることができないどころか、ましてや自然後天的免疫寛容などというのは程遠い出来事になってしまうのです。つまりクラススイッチするためには敵に生命があり殺す必要がある場合に用いられるIgG抗体を殺さないで排除できるIgE抗体に変えるのには、あるレベル以上の誤った免疫の試行錯誤が必要なのです。殺す必要がないとTリンパ球が認識する為には、無駄な戦いを一定量行う必要があるのです。処理したと思った異物が最後に処理されないままで残っていることをTリンパ球が認識する必要があるのです。関節の炎症によって起こるリウマチの場合は大量の失敗の結果が血流に流れ出てリンパ節でTリンパ球に認識され、殺す必要がないことに気付いた時に初めてTリンパ球はクラススイッチを命令するのです。そしてBリンパ球はIgG抗体をIgE抗体に作り変えるようになりアトピーが初めて出現し、これを繰り返している内に大量に入ってくる異物が無限であると認識した時に始めて抑制Tリンパ球がIgE抗体を作ることをBリンパ球に知らせると同時に補助Tリンパ球に対してもIgE抗体を作る刺激をBリンパ球に出さないようにと命令するのです。ここで初めて自然後天的免疫寛容が起こり、リウマチもアトピーも完治してしまうのです。ちなみに抑制Tリンパ球が生産の抑制をかけることができるのはIgE抗体だけなのです。これも極めて合目的な生態のもつ素晴らしい機能であります。というのは、もしIgG抗体が作られることが抑制され自然後天的免疫寛容が起こってしまえば、人類はすでに滅び去ってしまっているでしょう。何故ならばIgG抗体は人の命を奪うウィルスや細菌などの感染症を起こす敵をやっつける為の武器であるので、これらの敵と共存することは自らの命を奪われることを意味するからです。)

 私の出産は3度共に帝王切開手術です。2度目の出産は切迫流産・切迫早産のため薬漬けでした。妊娠9ヶ月の時に1ヶ月入院し24時間の点滴を受けましたが、その甲斐も無く死産となりました。手術後は点滴に薬を加え無理に(人工的に)子宮を収縮させるのですが、その痛みは息も出来ないくらいきついもので、私は耐えかねて痛み止めの注射をしてもらいました。産後の回復は遅く、精神的にも肉体的にも大変辛いものでした。もともと生理不順だったのですが、その出産後より生理は完全におかしくなり、過多月経に悩まされました。体はすぐに疲れ、血流が悪く、正座等ですぐに痺れを感じるようになりました。また今から15年前にはなかなか治らない風邪から喘息の発作を起こすようになりました。年中咳が出て、発作のきつい時だけステロイド吸入をしていたのですが、集中力に欠け、目覚めはいつも悪く、すぐ疲れてしまう毎日では本を読むことさえしんどいものとなっていました。私の心の支えは「もう一人産んでも大丈夫!」と産婦人科の先生から言われていたことで、死産の辛さを乗り越える為と長女に兄弟を作りたい一心で3度目の帝王切開もしました。すると体の方はますます弱くなり、もちろん産後の回復も遅く、全身麻酔の予後が悪かったのか頭痛持ちとなりました。少しでも治したい、良くなりたいとあちこちの婦人科で診てもらい治療を受けたりしましたが、思ったほどは効果は無く、体力が持たずいつも途中で断念しました。漢方薬局も2件行きましたが、少し生理が楽になる程度でした。半年ほど桂枝茯苓丸を飲みましたが、煎じるものではなくエキス製剤だったので婦人病に効くかどうかは良く分かりませんでしたが、いつの間にか頭痛は起きにくくなっていました。漢方薬は少しずつ私の体を優しく治してくれていたのです。体に効く漢方薬は甘く感じると本で読んだのがこの頃です。ホルモンバランスが若い頃から悪く更年期障害も気になっていて、漢方エキス製剤ではなく生薬を煎じる漢方薬を出してくれる安心できる病院があれば行きたいと考え始めていたのもこの頃からでした。

 私にとってリウマチは悪化すればいずれ寝たきりになる。もしくはかなりの痛みを伴なうという大変な病気というイメージがありました。主人の両親と同居を始めた頃、主人の父はリウマチを患い西洋医学の病院へ通院するかたわら、近所の漢方薬局でも強い痛み止めを貰い、あっという間に指は変形し、口内炎ができ食欲不振でかなり痩せ衰えてしまっていました。そして数年後に肺炎で亡くなりました。(リウマチの現代医療を長期に続けてきた人は免疫の働きが極めて低下するので、最後は感染症の肺炎で亡くなられる事が多いのです。関節の病気であるリウマチそのもので死ぬことはありません。)身近な人の家族で、リウマチで寝たきりの生活を送り亡くなった人達もいて、何とかできるものなら治したい、痛みの恐怖から逃れたい気持ちで一杯だったのです。インターネットでリウマチについて調べていたある日、高槻にある松本医院のホームページを見つけました。その頃の私はドライアイでパソコンを見続けることが辛く、革命的リウマチの根本治療法を読みこなすことは大変でした。しかし読めば読むほど納得できるものでした。まずアレルギーは何故起こるのかを理解し、どうしてこの10年位の間にアレルギーの無い人はいないと言って良いくらいの病気になってしまったのかを考え、私自身が生まれてから現在までのこと、アレルギーの治療、そして様々な病気の時に受けた治療や薬の事等を思い出してみました。

 今年の101日に喘息を患っている次女と一緒に松本医院を訪れました。その夜早速漢方薬を煎じて飲んでみました。30分も経たないうちに体が温まり、血流が良くなっていくのが分かりました。翌朝にはとても体が軽く感じました。しかし何もしなくてもしんどく疲れやすい体は、急には変わりませんでした。5日後よりリバウンドが始まり、頭痛が起きたり、体のあちこちが痛くなったり、筋肉痛が起きたりしました。私はリウマチこそ他の治療を受けずに松本医院を訪れていますが、子供の頃からアレルギーがあり、そして18歳以降は様々なことでステロイド等の薬漬けでしたし、朝の目覚めの時に指が少ししびれることがあり、そのしびれは何年前に始まったかは定かではありません。15年前の死産以降はいつも血流が悪く、正座をしてもすぐにしびれてしまい、朝の目覚めは悪く、しんどい、だるい、疲れやすい等の倦怠感は毎日でした。

 46歳の主婦の方の手記を読んでとても気になることがあります。私は24歳で長女を出産、27歳で死産、29歳で次女を出産しましたが、長女の時のつわりは大変軽く、二度目・三度目のつわりは全くありませんでした。もしかしたら、長女の時にはもうリウマチの兆しはあったのかもしれません。長女の出産後には一時期手が痛くなり、指先はしびれ、赤ちゃんを抱くことやオムツの交換に大変苦労しました。悪露が100日も続き、子宮の回復も遅く、産後の肥立ちが遅かったせいと思い込んでいたのですが、いろいろな薬のせいでリウマチの症状が抑え込まれていたのかもしれません。(リウマチにせよいわゆるアレルギーにせよ誰でもそれらの症状を起こす抗体を作る遺伝子は本来生まれ持っているので、それぞれの抗体がゼロである人は誰もいません。大量のアレルゲンが入ると知らず知らずのうちに一過性にリウマチになったりアレルギーになったりしていると言えます。例えばこの人のように敏感な人はとりわけアレルギー症状を強く記憶しているのです。また私の例でいえば、実を言えば私はアトピーもありますしアレルギー性鼻炎もあります。ただそれを病気と感じたことは無いだけです。私のような一度もアレルギーやリウマチの治療をした事の無い人でも何故症状が少しではありますが残る理由を説明しましょう。言い換えると、私の治療で自然後天的免疫寛容を起こした人でも何故抗体がゼロにならないかを説明しましょう。さらにアレルギーの病識が無い人でも何故アレルギー抗体やリウマチ抗体が微量ながら血液に見られるのかについても説明しましょう。私の理論では免疫を抑制しない限り最後には自然後天的免疫寛容が自然に生じます。このメカニズムというのは、一度抑制Tリンパ球がある一定の敵に対して補助Tリンパ球や抗体を作るBリンパ球(形質細胞)IgE抗体を作ることを禁止してしまえば、その抑制Tリンパ球は代々免疫機構の中に残っていくと考えます。ちょうどそれは一度出会った敵は記憶され、次に出会えばすぐに戦えるようにしているのと同じことです。さらに同じ敵に会う度に補助Tリンパ球は記憶を強めるように、同じアレルゲンに出会う度に抑制Tリンパ球は免疫寛容の記憶をさらに強めていくのです。しかしながらこの情報は後天的なものであるので、新たに毎日骨髄で作られている言わば無垢で純粋なTリンパ球は兄貴分たちが自然後天的免疫寛容を起こしていることに気が付いていないのです。従って生またばかりのTリンパ球やBリンパ球は生まれつきの性質を発揮しようとして兄貴たちが共存している敵に対して一時的に命令に出会うまでは抗体を作り続けるのです。しかしいずれ彼らにも抑制Tリンパ球の命令が届き自然後天的免疫寛容が幼弱で新鮮なリンパ球にも貫徹し、症状としてはほとんど気にならなくなってしまうのです。従って自然後天的免疫寛容の意味は二つあるのです。一つはアレルギーを起こしつつあるリンパ球に対して初めて戦う必要の無いことが学習によって後天的にはじめて生じることと、二つ目は子孫のTリンパ球に生まれてくるたびに戦うことの必要の無いことを教えることを意味します。私は初めの頃は一つ目の免疫寛容に力点を置いていたのでありますが、最近では二つ目の免疫寛容の意味を理解できるようになったのです。)

 漢方薬を飲み始め1ヶ月足らずで風邪を引き、こじらせてしまい、お灸した指からアトピーが出始めたのも束の間で、蕁麻疹もアトピーも全く出なくなり、指の痛みも無くなっていました。ただしんどい症状が1ヶ月近く続きましたが、風邪が治るとすぐ蕁麻疹が出て、アトピーも痒くなりました。(何故風邪を引いたときにアトピーの症状が軽減するかを説明しましょう。それは風邪のウィルスに対してはIgG抗体が作られる必要があるのですからIgE抗体にクラススイッチする余裕が無いからです。勿論風邪のウィルスがアレルゲンになるわけではないのですが免疫は総力を持ってIgG抗体を作ることに専念しているので余裕が無いのです。さらにおそらく命を奪う可能性のある生命体であるウィルスを殺すことが免疫の第一義的な仕事であるので、IgE抗体を作ることが無視されるように設計されているからでしょう。その戦いが終われば徐々に殺さなくてもいい異物を排除するように設計されているようです。さらにウィルスをやっつける為に免疫機構全体の働きが高揚しており、その勢いがアレルギーの免疫も高めていると考えられます。)そしてその数日後、朝起きたときから体がとても軽く感じられ、頭はすっきりし、指のアトピーはさらに痒くなり、体の中から不思議なエネルギーが沸いてくるのを感じました。まるで新しい生命を吹き込んでもらったような気分が3日間ほど続きました。何でもできるような喜びで一杯です。長年あった肩凝りもその日以来無くなっていました。(漢方や鍼灸は元来血流を盛んにし、その結果免疫細胞の需給が改善され、抑制された免疫が正常に戻ることによって、最後に自然後天的免疫寛容を起こしやすくするものです。この方の場合は、私がリウマチもアトピーも必ず治してあげますという強い確信を伝える前に十分すぎるほどに私の理論を理解しておられた為に、前向きな生き方ができたことが大きな相乗効果をもたらしたと考えられます。私の言ったとおりに痛みがアトピーの痒みに変わり、ますますその確信を深めたようです。)

 治療を始めて2ヶ月余りで元気な体を取り戻すことが出来たのです。まだ軽く蕁麻疹は出たりしますが、痛みは全くありません。次女は喘息の発作は一度も無く、リバウンドで出た蕁麻疹を時々掻いています。親子で完治できるまで通院するつもりです。(喘息もアトピーも蕁麻疹も全て原因は同じなのです。しかしながら喘息が一番重篤であるので、アレルゲンを皮膚から出すのが一番合理的であるのです。もちろんアレルゲンを狭い気管支の粘膜からではなく一番広い外部に接している皮膚からアトピーや蕁麻疹として出すように人間の体は出来上がっているのです。最後には喘息も皮膚の症状として入れ替わり、治ってしまうのです。)

 松本先生、看護婦さん、これからもどうぞ宜しくお願いします。

2002年 記