「リウマチの完治を目指して(途中経過)」匿名希望 55歳
私の夢は、子育てが終わり一息ついたらいつか夫と二人で「尾瀬沼」をゆっくり歩いて旅行することだった。 子育て真っ最中の時は、その日が来るのを固く信じて毎日が楽しかった。 子育ても一段落し、いよいよという40代半ばの頃から、朝何となく手の指がこわばるのが気になりだした。さほど痛みはなかったのでそのままにしていたら、ゆっくりゆっくり、本当にゆっくりだが確実に手のこわばりが進行していった。しかも、痛みが伴うようになってきた。しかし、日常生活に支障をきたすほどでもなかったので、特別な手当てはその時点では考えなかった。 ところが、50代を迎えるとともに、急に痛みが増し、時には我慢できないほどの痛みが来るようになった。 リウマチについて何の予備知識もなかったので、家庭の医学をはじめ、リウマチについて記載のある本なども購入して勉強したが、何れも根本治療はなく、「不治の病」」とされていた。 あれほど夢にしていた「尾瀬」への旅行は、以後夫も口にしなくなった。 朝、目が覚めると、ベッドの上で曲がった手の指を伸ばす事から私の一日が始まるようになった。本当に辛かった、痛かった。この苦しみは味わった者にしかわからないものである。 あるとき、私の苦しみを見て夫が雑誌に掲載されていた「特効薬」を注文してくれた。何となく痛みが和らぐ気がして、この高い薬を8ヶ月続けて服用した。 その後も、夫は目にした広告の薬を購入して飲ませてくれたが「何となく痛みが少し和らぐような気がする」だけで、手足の指の曲がり、こわばりは遠慮なく進行していった。痛みは以前にも増して加速され、ペンも握り辛くなり、足裏は痛みで床に着けないほどの症状が続いたので、これでは勤め(常勤)もいよいよ諦めなくてはと思って暗くなりかけていた。 そんなある日の夕食後、夫が「ホームページに、面白い治療をしているところがある。遠いが一度訪ねてみよう」と松本医院での治療を提案してくれた。 「できることなら、このまま仕事も続けたい。やがて尾瀬へも夫と是非旅行してみたい。」と密かな願いを捨てきれずにいたので、次の週に年休を取って松本医院を訪ねることにした。 独特な雰囲気と漢方薬の匂いに一瞬驚いたが、ここが最後のすがり場所だと思うと藁(わら)にもすがりたい気持ちで診察を待った。 松本先生の自信に満ちたご説明に、半信半疑ながら遠くまで来た甲斐があった、将来に希望をつなげることができた、と嬉しかった。 あれから1年、正直痛みは残るが、その痛みもこわばりも以前とは比べものにならないほど快方に向かっている。 入浴時のタオルも自分では全く絞ることができなかったが、今では夫の力を借りなくても、自分の力で何とかできるようになった。 最近では、松本医院の帰りに回る京都巡りが何よりの楽しみとなった。 まだ長い距離は自信がないが、昨年秋の京都「哲学の道」散策は、将来の尾瀬踏破も夢ではないと思わせる快挙で、仕事のできる日々、将来に向けて明るい展望が開けた松本医院の治療に感謝、感謝の毎日である。 |