「リウマチ手記」 匿名希望 29歳

平成14年8月30日。なんとなく耳鳴りがして受話器から聞こえる呼び出し音がキンキンとなって何だか違和感がありました。次の日、スーパーで買い物をしていると急にめまいがし、そのまま天と地がぐるぐる回って気持ち悪くなり、そのまま救急車で病院に運ばれ、その後、検査の結果「メニエール病」と診断されました。

それから一週間ほどすると、足が象のようにむくみだし、メニエールで通っていた病院で薬の副作用ではないかと尋ねましたが、それはないと言われ、産後の肥立ちが悪いのでは?と言われました。

そのままにしていると、今度は手足が少し痛むようになりました。これはおかしいということで、近くの市民病院で受信したところ、その日の担当医がリウマチ科の先生でした。私の痛いところを聞いた後、血液検査を受けるようにと言われました。そのときの先生の言葉は「多発性関節炎でしょう。」とのことでした。何のことかさっぱり分らなかった私は、そのときまだ「リウマチ」という言葉は全く頭にありませんでした。でも、その後の先生の口から、多分検査の結果が出る前に痛みはもっと増すということ、私の場合は進行が早いということ、治療にあたってはステロイドを使用するため副作用が出るということ、そして断乳をしなければならないということを説明されました。

そのとき娘はまだ6ヶ月でした。家に帰り主人に話しましたが、あまりのショックにしばらく泣き続けてしまいました。身内に誰もリウマチになっているものがいなくて、なぜ私が・・・という思いで一杯でした。もちろん、私の両親にも電話で話しましたが、電話口で母はかなりショックを受けていました。ステロイドの怖さは巷で聞いていたので、できれば治療で使用したくないという思いもありましたが、それ以上に娘の断乳に対してとても戸惑いがありました。幸い(今となってはこの言葉が適切かと思います。)娘は粉ミルクを嫌がり、全く受け付けてくれなかったので断乳は出来ないと決めました。

そして、母の知人でリウマチの方がみえて、何度も治療を受けて(手術も何度かしているそうです。)今は副作用からか顔色もどす黒くなっているという話を聞き、市民病院でのリウマチ治療はしたくない!と思い始めていました。次の受診までにどうするか決めて下さいと言われていたので、それまでの間にステロイドを使用しないで治す方法はないかと、インターネットで検索をしてみると、たくさんの病院の中で、松本医院をクリックしていました。(今思うと、治りたいという気持ちがきっと松本医院へ導いてくれたのだと信じています。)

その間も痛みは増す一方だったのですが、皆さんの手記を読んで自然と涙が止まらなかったのはいうまでもありません。主人、両親に松本先生の理論を読んでもらい、私はここへ行ってみたい!という意志を伝えました。主人も両親も行ってみよう!と言ってくれたので、血液検査の結果を待たず、受診することにしました。

医院の中は平日にもかかわらず、たくさんの患者さんでごった返しており、漢方の匂いが部屋の中にたちこめていました。先生は白衣も着ていないし、一見怪しい人?(ごめんなさい。)に見えましたが、「私が治してあげます。絶対治ります。」と握手をして下さいました。その後、針灸をしてもらい、たくさんの漢方薬を頂いて帰りました。

飲む漢方は以外に飲むのに困りませんでした。漢方風呂も体の芯からポカポカしてとっても気持ちがよいものでした。ただ、私にとってお灸はつらいものでした。もともと痛みに弱いので、直接灸が怖くてたまりませんでした。幸いにも発病してから一週間で受診したためか、リバウンドは一週間で済みました。

その後、再び受診しました。針の織田先生には灸をサボっていたことがバレ、こっぴどく叱られました。それからはお灸も熱くて痛いのをがまんしてがんばりました。漢方は保険がきかないのもがあって、毎回お金がかかったのですが、両親が援助してくれましたので、何とか通うことが出来ました。それでも限界があり、こうして手記を書いている今は、お金が溜まるのをまって通うつもりです。(先生、ごめんなさい。)

リウマチになってから半年が経ちましたが、今では血沈も正常値に戻りました。朝のこわばりもほとんどありません。とっても寒い日たまにですが、手の指に違和感があるくらいで、ものの数分でなくなるまでに回復しました。まだ完璧に治ってはいません。先生にもう来なくていいぞ!と言われるまで、自分の中ではもう少しだと思ってがんばっていこうと思っています。出産が引き金だったのかどうかよくわかりませんが、でも、娘があのとき粉ミルクを拒んでくれたおかげで、そして何よりも自分が治りたいという「思い」がすべてよい方向へと導いてくれたのだと信じています。松本先生、織田先生、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。