「激痛からの解放」匿名希望 32歳
2004年12月4日
私のリウマチの発病は、忘れもしない平成16年2月15日の早朝でした。突然の全身のこわばりと、右手首の腫れと激痛で、布団から起き上がることができませんでした。「お腹が減った!」と泣きわめく3才の息子には、とりあえずTVアニメを見せて、1才の息子には、寝たままおっぱいをあげて過ごしました。昼頃には、体は動くようになったものの、右手首の腫れと激痛は治まらず、自分の身の回りのことはもちろん、家事、育児など、生活のすべてにおいて支障がきました。
症状から「リウマチだろう」と予測がつきました。というのは、10年ほど前、仕事で両手首をひどく痛め、腱鞘炎になっており、その時、何をしても治らず、整形外科の先生から「リウマチの検査もしましたが、これも違いました。原因がわかりません。」と言われた事があり、自分で「リウマチ」について調べたことがあったからです。その時の腱鞘炎は、自然に治りましたが、リウマチの素因を少し持っているのかもしれないと思い、発病しないよう、食生活には十分気をつけていたつもりでしたので、とてもショックでした。
1ヶ月半後に、転勤で、北海道から関西への引っ越しを控えていたため、主人の仕事も忙しく、とうとう北海道では病院に行けず、痛み止めと、湿布と、テーピングで、毎日を何とか過ごしました。言葉では言い表せない程の苦痛・・・。ただただ耐えるしかありませんでした。今まで右手でしていたことのすべてを、左手と、右肘と足、口などを使って補いました。
関西へ越してきて、半月。疲れからか、症状が悪化。首、両肩、両肘、両膝、両足、首、背中、指・・・と、痛みの箇所が一気に増えました。私の体は、ロボットのようにギクシャクなり、しかも、右手首が、小指側に曲がってきていました。私は、自分の体の急激な変化が怖くて、この先のことを考えると、とても不安になりました。
体調の良い日を見計らい、とりあえず近所の整形外科へ行って、検査をしてもらいました。1週間後の結果は、やはり「リウマチ」でした。血液検査はもちろんですが、右手首のレントゲンでは、骨が集まり、隙間が全くなくなっていました。「リウマチかも?」と、自分では覚悟をしていたつもりですが、こうして診断されると、とてもショックで、愕然としました。診察室で暴れ回る子供たちを捕まえながら、必死に自分を取りつくろっていました。子供たちがいなかったら、その場で泣き崩れていたかもしれません。整形の先生からは、「変形を止めるには、炎症を抑えなければならず、炎症を抑えるには、薬を飲むしかない。」と言われました。しかし、私が授乳しているため、薬は飲めないと言われました。また、「薬の強さは、様々あり、それによって、副作用もあるので、授乳をやめてから、考えましょう。それまでは、痛み止めと、湿布の、現状維持で過ごしましょう。」となりました。(私が、薬よりも母乳にこだわったのは、作ろうと考えていた3人目を、リウマチのためにあきらめていたので、母親として、今してあげられることを、精一杯しておきたかったからです。)
家に帰り、子供たちがお昼寝をしてから、私は、一人で泣きました。声をあげ、ずっと、ずーっと、泣き続けました。涙が止まりませんでした。 なぜ 私が? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? ・・・・・・・・・ なんで、リウマチなん? なんで、私なん? まだ31才やのに。子供だって、まだ3才と1才で、一番手がかかる時期やのに。なんで、今なん?・・・私は、絶望しました。・・・悪態も吐きました。
主人や子供たちとは、これから先、入園や、運動会、遠足、母親参観、プール、旅行など、いっぱい楽しいことが待っているのに、私は、妻として、母として、何もしてあげることができないのか?体中のあちこちが変形して、寝たきりになり、介護生活を送るようになるのか?・・・そう考えると、「生きていても、しかたがない。迷惑をかけるくらいなら、死んでしまいたい。」と、思いました。でも、以前、TVで、「体が動けなくなると、自分で死ぬことさえできない。」というのを見ていたので、そうなる前に命を絶ち、絶対迷惑はかけないようにしようと決心しました。自分の中で、きちんと覚悟が決まると、かえってスッキリし、今度は、「じゃあ、それまでの間、少しでも痛みが楽になり、それまでの期間を、1日でも延ばせる治療はないか?」と、前向き(?)に考えることができ、インターネットで徹底的に調べました。
そこには、神経ブロックや、たくさんの治療院や、薬・・・。整形の先生が言っていた治療以外にも、リウマチに良いと言われるものが、こんなにたくさんあるんだ・・・と改めて知ることができました。
色々試してみましたが、どれも期待できるものではありませんでした。そして、ようやく「松本医院」に出会うことができました。インターネットには、難しい治療の理論と、たくさんの方の手記が書かれていましたが、「リウマチは治る」というモノを、いくつも試して、失望していた私にとって、「これも、また同じかも」というマイナスな気持ちは、拭いきれませんでした。しかし、なぜか気になるので、「とりあえず、行ってみよう。」で、早速、次の日、受診してみました。
しかし、治療理論を良く理解しないで行った私は、先生方にガッツリ叱られてしまいました。松本先生には怒られるし、治療費は高いし、煎じ薬とプロテインは吐きそうだし、漢方風呂は子供達が臭がって入らないし、お灸は熱いし、痛いし、見た目が悪いし・・・で、松本医院の治療は、私にとって、苦痛そのものでした。ただでさえ、リウマチで生活が辛い上に、さらにこの治療の苦痛がのっかり、私にとっては、この上ない人生最大の苦痛でした。主人にはいつも、「こんなんで、本当に治るんかなあ?ものすごく辛いんやぁ。」と、グチをこぼしていました。そんな時、主人は、慣れない家事を手伝ってくれながら、ただただ応援してくれました。
すると、少しずつですが、変化が出てきました。1週間くらい経つと、あれほどイヤだった煎じ薬が、おいしく感じるようになったのです。プロテインも、主人が錠剤を見つけてくれ、とても飲みやすくなりました。お風呂も、毎日子供達に、「ママは病気だから、お薬のお風呂に入らないと、治らないんだよ。協
力してね。」と言い続けていたら、嫌がらずに入ってくれるようになりました。
次は、体への変化がきました。10日ほど経つと、朝のこわばりがなくなりました。そして、その次は、アトピーと痛みです。以前は、10対0
の割合で、ずっと痛み続けていたのが、3週間目から、アトピーが出るようになり、それに比例して、痛みと痒みが9対1
になり、8対2、7対3と、痛みが徐々に軽減されました。今まで、痛みのない日などなかったので、本当に、ただただ不思議で、涙が出るほど嬉しかったです!!
痛みには、お灸が抜群に効きました。右手首を切り取ってほしいほどの痛みであっても、何度かお灸をすると、痛みが和らぎました。子供が小さいので、まとまった時間は取れないのですが、「1カ所だけでも」という気持ちで、1日に、何回にも分けて、お灸をしました。
アトピーは、初めは顔に出ましたが、首、脇へと、段々下へ下がっていき、両脇周辺に残り、汁が出る程の状態から、ツルツルのキレイな状態というのを、何度も繰り返しました。時には、足のスネにもアトピーが出ましたが、私のアトピーが出たきっかけは、顔は、化粧品を変えた事で、脇は、ニオイ消しを使った時からで、スネは、脱毛したことがきっかけとなって、アトピーを誘発したように思います。
アトピーが出ると、治りが早いと聞いていましたが、本当に、その通りでした。毎月の血液検査では、数値がどんどん下がっていき、4ヶ月目で、すべて正常になりました。
実家の両親は、私がリウマチだと知り、チタン製の、とても軽い調理器具を送ってきてくれました。「子供を連れて、しばらく実家に帰っておいで。」とも言ってくれましたが、幸い、私は寝込むこともなく、実家に帰ることもなく、優しい主人と、4歳と2歳(治療中に、子供達は、1歳づつ大きくなりました。)のワンパクな息子2人と、ずっと一緒に居ながら、治療を受けることが出来ました。
一時期、子供達の歯磨きや、オムツ交換、着替えなどが十分に出来ず、虫歯にさせたり、風邪を引かせてしまったりという事もありました。4歳になる息子は、私が重い物を持っていたり、手を使っていると、「ママ、手、痛いやろ?」と気遣ってくれ、どちらが親か分からない時があります。(笑)でも、私に飛びついてきて、激痛が走り、子供をひどく叱った事も多々あり、子供達には、本当に可哀想な事をしました。
今現在の症状は、痛みは、右手首のみで、限りなく0対10
に近く、月に1〜2日。しかも、「すこ〜し痛いかなあ?」という程度です。アトピーは、両脇周辺のみで、夜眠れないほど痒い時もありますが、悪いモノが出ていると思い、気にせず、ガリガリ掻いています。
体調が落ち着いてからは、朝起きて、天気が良ければ、布団を干し、掃除、洗濯などの家事を済ませて、子供達と公園へ遊びに行きます。お昼に戻り、食事が済むと、また公園へダッシュ。公園では、鬼ごっこや、かくれんぼ、ブランコ、お団子作り・・・。
引っ越してきて、約8ヶ月が過ぎましたが、お友達もたくさん出来、子供達は、順調にたくましく、元気に成長しています。整形外科で「リウマチ」と診断されたときは、こういう何気ない毎日を、一緒に過ごす事など、すべてあきらめて、最悪の場合は、「死」をも考えていましたが、今の私の生活は、充実し、とても満足しています。
私の、治療法の選択は間違っていませんでした。これも、すべて主人のお陰です。主人は、転勤してきて、新しい職場と仕事で、苦労していたと思いますが、そんな事は全く顔に出さず、家では、家事を手伝ってくれ、私を助けてくれました。本当に感謝の気持ちで一杯です。主人がいなかったら、私は、今頃、どうなっていたか分かりません。
これから、松本医院の治療に入ろうかと、迷っている方も多数いらっしゃると思います。私も、初めは、ずいぶん悩みましたし、通い始めても、結果が現れるまでは、ずっと、ずーっと迷っていました。でも、今、私が、こうして血液検査で正常になり、普通に生活できるようになったのは、まぎれもない事実なのです。
私は、自分自身の体験を、少しでも多くの方に伝えたいと思い、インターネットで、「今日は、注射を打った」や「薬は、○○を飲んでいます」というような事がたくさん書かれている「掲示板」等に、書き込みをした事もあります。しかし、次の日見てみると、私の文面はすべて削除されていて、「私たちは、現代医学を信じており、あなたとは趣旨が違うため、削除させて頂きました。」と書き込まれてありました。・・・これは、悲しく、とても残念な事です。
チャンスは、どの人にも平等に与えられるものだと思いますが、それを掴むか、そうでないかは、その人次第なのでしょうね。
私は、今だに、すこ〜し優しく、いつも厳しい(スミマセン)松本医院が、とてもニガテで、自宅からは、わりと近い距離にあるのですが、月に一度の血液検査以外は、すべてお薬を送ってもらっています。電話で、受付の方に「先生におつなぎします。」と言われると、『ヒィ〜〜〜!!!』と思い、何とか理由をつけて、次回に延ばしてもらった事もあります。(松本先生スミマセン)
こんな私ですが、松本先生、オダ先生、スタッフの皆さん、最後まで、どうぞよろしくお願いします。
最後になりましたが、松本先生、治療費をもう少し安くしていただけますよう、重ねてお願い申し上げます。(笑)