「リウマチ手記」匿名希望 34歳
2004年5月8日
私が身体に異変を感じたのは、2003年の春のことだったと思います。急に、右肩に激痛が走り、寝返りが打てないくらいの痛みでした。はじめは肩こりの延長だと思い、近所の接骨院にいって、治療をしてもらったのですが、全く楽にならず、整形外科にいってレントゲンをとってもらいました。しかし原因がわからず、念の為、MRI検査を受けるようにと言われ、MRIを受けました。しかし、骨にも異常はなく、肩が炎症を起こしているのだろうということで、痛み止めの薬をもらうだけでした。
仕方なく、接骨院でのマッサージ治療などを続けていましたが、激痛ではないものの、右腕を上げることも出来なくなってしまいました。
5月頃、仕事が忙しく、夜遅くまで働いたり、休日出勤をしたりしている中で、今度は、右の人差し指が突き指をしたかのように腫れました。そのとき、仕事でパソコンをよく使って指を酷使していたので、腱鞘炎だと思い、湿布を貼ってしのいでいました。しばらくすると右人差し指の腫れはひきましたが、今度は、左手中指、左手人差し指が腫れてきました。また、足をくじいたわけでもないのに、右足首が捻挫したように痛くなり、一人で歩く事も出来ない状態になったりしました。
「こんなにも次々に身体に異常が起きるのは、やっぱりおかしい。」と思って、もう一度整形外科を尋ねました。しかし「気のせいでしょう。」と言われ、血液検査などもしてくれませんでした。私は、インターネットで自分の症状を調べるうちに、「もしかして、リュウマチ?」と考えるようになりました。整形外科で「リウマチの検査をして下さい。」と言うと、「可能性は低いですが、一応やっておきますか?」と医者が言い、血液検査をしました。しかし、結果は「リウマチの可能性があるので、専門の病院に行って下さい。」ということになったのです。
病院の紹介で、リウマチ専門の病院に行きました。(自分の持病の主治医の紹介もあって、その病院で一番偉いと言われていた先生のところに行きました)ところが、そこでの血液検査の結果、「リウマチの決め手になるほどの数値は出ていないし、今の段階では何とも言えないから、とりあえず痛み止めを飲んで、様子を見ましょう。」と言われました。
色々な痛み止めを、2週間置きに変えて飲みましたが、どれも効果はなく、痛みは色々なところに現れ、会社に行けなくなるほど身体が痛くて、どうしようもないときもありました。握力もなくなり、家事をするのも大変でした。でも、病院の先生が「君みたいな症状の人は、何人も見てきているが、大抵は、何もなかったように治るから。」と、取り合ってくれませんでした。(今から考えると、このとき、リウマチの薬を処方されなかったことが、不幸中の幸いだったのかもしれません)ところが、秋が過ぎても症状はよくならず、どんどん顔色も悪くなる一方でした。腫れてはすぐ治っていた指も、腫れたままになり、階段も、一段一段、そっと降りることしか出来なくなっていました。
指の腫れが顕著になって、はじめて、病院の先生が「これはリウマチだね。この腫れ方は明らかだよ。」と、急に態度を変えました。そして、私が「治るんでしょうか?」というと「えーっと、治る人は、5%以下くらい。後は薬を飲んで、症状を押さえるしかないです。いいですね?」と冷たく言い放ち、次がつかえているから、診療室から早く出て欲しいようなそぶりを見せました。私は「何てひどい先生だろう。こんな医者が、この病院(有名な大学病院)で一番偉い先生だなんて、信じられない。」という気持ちでいっぱいになり、「この病院で、治療なんてしたくない。」と思いました。処方されたリマチルは、2週間ほど飲みましたが、インターネットで色々と調べて、何とか他に治す方法はないかを考えました。
実は、私は、15歳の頃から、若年性の糖尿病(インシュリン依存型の糖尿病)で、ずっとインシュリン治療を続けていました。治らない病気なので、2ヶ月に一度は、病院にも通っていたのです。でも、普通に生活をし、仕事もしていた私は、自分が糖尿病であることを、それほど苦にすることもなく、普通な暮らしができていました。でも、リウマチの情報を見ていると、悲観的になることばかりで、私はこのままどうなってしまうんだろうという恐怖心と、2つの病気をかかえて生きることへの不安でいっぱいで、苦しい日々を過ごしました。
そんなとき、ふと「リウマチは治る」という検索ワードでひっかかった、松本医院のHPに出会ったのです。患者さんたちの手記を色々読んで、先生の理論を読んでいると、治るかもしれないという気持ちが強くなってきました。運良く、私の実家からそう遠くなかったこともあり、「このまま仕事を無理に続けているよりは、実家に戻って治療をしよう。」という気持ちになったのです。
それから休職する日を決め、やっと実家の母に電話をしました。それまでは元気でやってると嘘をついていたのですが、実家に戻ることを決めてから、やっと本当のことを打ち明けることができました。私はすぐに、母にも松本医院の話をし、そこで治療をうけたいと言いました。母は、私の辛い気持ちも理解してくれ、一緒にがんばろうと言ってくれました。
12月初めに、私は、母と松本医院を訪れました。不安はありませんでした。先生にはじめて会ったときは、「変わった先生だなぁ・・」と思いましたが、「あの大学病院の先生なんかより、病気のことをちゃんと理解して、治療してくれそうだ。」という確信も持てました。私の場合、糖尿病のこともあったので、「そういう例が今までないので、保証は出来ない。」と言われましたが、「私はきっと大丈夫だ。」と思いました。大丈夫だと思うしか、そのときの私には、未来はなかったのです。
その日から、煎じ薬と漢方風呂の生活が始まりました。薬を飲み始めて、3日目くらいから、足が象の足のようにパンパンに腫れあがりました。手の指も腫れて、痛みがひどく、自分一人で何もできない状態になりました。半寝たきり状態で、トイレに行くにも苦痛が伴い、このまま治らなかったらどうしようという気持ちで、何度も泣いたりしました。「きっと、これはリバウンドなんだ。」と思ってはいるのだけど、それでも辛くて、「ずっと寝たきりになったらどうしよう。」とか、悲観的なことばかり考えていました。
2週間に一度、病院に行き、鍼もしてもらいました。自分でもお灸もしました。母親に、びわの葉の温灸を足などにしてもらって、お薬も3番煎じまで飲みました。早く治ってほしい一心でした。
1月末頃、やっと少し歩けるようになってきました。腫れも少しひいてきた感じでした。もともと子供の頃からアトピーがあり、今までステロイドは飲まなかったものの、抗アレルギー剤などを飲んでいたのですが、アトピーらしい症状は、少し軽いものが背中に出る程度でした。
2月に入り、階段の登り降りが楽になりました。普通に階段を降りれたときは、嬉しい気持ちでした。2月半ばには、痛みはほとんどなく、ずいぶん身体が軽くなりました。寝るときも、横を向いてしか眠れなかったのに、寝返りも楽に出来るようになりました。
3月には、仕事に復帰することも出来ました。不安はまだあったけど、自分の力でやってみようと思い、仕事に復帰してからも、毎日漢方を煎じ、漢方風呂にも1日おきに入っています。
3月中は痛みもなく、「アトピーが少し出始めたかな?」というくらいで、順調でしたが、4月に入り、アトピーがひどくなってきました。首と肩が特にひどく、顔も時々ひどく痒くなって、どうしようもなくなります。今は手にも出ていて、アトピーがかなり辛い状態です。
また、痛みはないものの、足が腫れたり(今は治りました)、ときどき、肩や指に違和感がある日もあったり、痛みが少しぶり返したり、という状況なので、まだ油断は出来ません。アトピーがなくなり、完全に痛みや腫れとさよなら出来るまで、まだ私の治療は続いて行くと思います。
ここまで来れたのは、松本先生のおかげです。アトピーの方も、治るまで宜しくお願いします。早くアトピーを治して、完全に卒業できる日が来るよう、がんばりたいと思います。
それから、私は、これまでひどい生理痛で苦しんでいたのですが、今は、鎮痛剤も不要になりました。織田先生が、「漢方を飲んでると、生理痛も楽になってくるよ。」とおっしゃっていたのですが、漢方を飲み始めて2ヶ月ほどは、死ぬほど痛くて、生理痛がひどくなったように感じてました。でも痛み止めを飲まないと決めていたので、何とか我慢していました。3月、4月と、今まででは考えられないくらい、生理痛が楽になったんです。漢方の力はすごいですね。