「リウマチの名医に出会って」 上岡唯志 68

初めに松本医院に診ていただくまでの経緯

 長い間肩凝りがきついので、週に一度針をしていました。平成128月に近くに整形外科があるので行くと、五十肩とのこと。注射をしてリハビリもして約一ヶ月間、週に一回しか打てない注射をしてもらいました。初めは良く効いていたのですが、その内に効かなくなり、点滴をしてもらい、リハビリも続けました。ところが、あまり効果がないので医者を変えることにしました。そこでは採血をしてもリウマチを見つけることができませんでした。9月に入り、体調が良かったのでドライブをしました。ところが翌日床から起きられなくなり、近くの診療所に行きました。検査の結果、リウマチの気があるとのこと。しばらく通っていましたが、ますます悪くなり、立つことすらできなくなり、困り果てていたところ、友人が入院していた病院の整形の先生に頼んで診てもらいに行くことにしました。大変な痛みで歩くことすらできず、車椅子で診察室に入りました。体全体が痛く、特に腰・肩・首が痛く、すぐに両肩に注射してもらいました。するといっぺんに痛みが止まってしまいました。MRAで三箇所撮ってもらい、採血の結果、二週間後にリウマチと診断されました。注射が切れると恐ろしい激痛が続きました。注射とステロイド系の薬と胃の薬や、そのほかの薬を嫌というほど飲まされました。一ヶ月ほど色々な薬を試した結果、やっと薬が決まりました。今度の薬はきつい副作用があり、その為に胃カメラを飲まされたり、体は痒くなるやらで大変でした。それでもステロイドを減らすと、また痛みが出現し、手が握れなくなり、風呂も入れなくなりました。918日に検査入院する為に市民病院に行きました。主治医にどのようになるか説明を求めると、一時間ほど話をしてもらいました。よく説明をしてくれました。「痛みを抑える薬はあるけれど、治す薬はない」とのこと。「痛みを抑える薬はステロイドである」とのこと。その後私もいろいろ医学の本を読んだのですが、駄目な事ばかり。骨が変形し骨が曲がる・弱くなる。現代の医学では治す薬が無いとの答えばかりでした。

 困り果てていた時、息子がインターネットで松本医院を見つけ、松本医院に行くように説得に来ました。親子で話し合いをしました。なかなか決断が着かず、随分迷いました。それからは自分の家より歩いて通うことのできる近い大阪市大病院に行ってリウマチの専門医を紹介してもらいもしましたが、リウマチの専門医の先生も「病名が付けにくい」と困っていました。結局はそこでも埒が明かず「治すことができない」と言われたので、再び息子がプリントしてくれていた松本先生の革命的リウマチの根本治療法を読み返し、自分の腹を決めました。半信半疑ではありましたが・・・。

松本医院に受診して治療が始まる

話は前後しますが、この手記を書くにあたり、まず松本先生、鍼灸士の織田先生をはじめ医院の皆様方にお礼・感謝を申し上げます。良き医師に巡り会い、妻の良き介護に助けられ感謝致しております。

 平成131114日、松本医院に私と妻と息子夫婦四人で行きました。それまでの医者の検査を持参して行きましたが、あまり仔細に見ることなく、強い言葉で「リウマチだ」と言われました。さらに自信を持って「治してあげる」と言われました。話を色々してもらいましたが、医学的なことは正直なところ分かりませんでした。採血をした後、織田先生にお灸と鍼をしてもらい、織田先生からも「リウマチは治る」という話をいろいろ聞かせてもらい、漢方風呂薬・飲む煎じ薬を頂きました。「今までの薬や他のものは一切飲まないように」とのこと。1114日の検査データはCRP0.5RF:5、血沈:56でした。家に帰ってまず手摺を取り付けました。今までステロイド注射は何本もしたし、ステロイドも沢山飲んできたので、ステロイドが切れる時のリバウンドがどんなにくるのか不安でした。また漢方風呂・煎じ薬・お灸などで大変でした。1118日、体全体が痛み始めました。夜寝ることが全くできないうえに、手と足が腫れてきて、朝方三時から四時頃に間をおいて激痛が繰り返していました。19日、手と脚の痛みがひどく、動くことができません。21日の一週間目にまた四人で医院へ行きました。先生の「リウマチは治る」という話を聞き、握手をしてもらい、鍼をして家に帰りました。もちろん歩く事は出来ません。それからは寒いので電気ヒーターを24度にしてつけっぱなしにしていました。24日には手脚が腫れ、膝が特に痛く立つことができませんでした。121日、どんどん痛みが出てきました。手も痛いためにこれ以上日記を書くことができません。一日中ひっきりなしに痛みが続き、激痛が恐くなってきました。12月・1月・2月、まる三ヶ月間の痛みは言葉にはできません。痛み地獄で引き回された期間で、痛ければすぐにお灸をするという地獄の戦いの期間でした。1212CRP2.9RF:5、血沈:8019CRP2.6RF:5、血沈:4726CRP1.5RF:5、血沈:4126日で松本医院に世話になって三ヵ月半になりました。その時どうやら一番悪い時期は超えたような気がしました。しかし毎日痛むところが変わりました。32日、随分痩せてしまいました。以前は60Kgあった体重が、55Kgまで減りました。この頃は、週に四回ヘルパーに世話になることにしました。ただ体をさするだけですが、ヘルパーと話をしているだけでも気は和らぎました。体調の変化はあまり無く舌が腫れていましたが、病院に薬を貰いに行くことはできました。36日、病院に行き、それまではずっと背負ってもらっていたのですが、この日は杖で自分で階段を上がることができました。「良くなっている」と松本先生は喜んでくれました。さらに家で少し歩いてみましたが、やはり痛みで駄目でした。

 風呂上りに勧められてパイロゲンという清涼飲料水を先生には言わずに飲み始めていました。それが漢方と合わなかったようで、それを飲み始めてから舌が腫れ始めました。この日の夕方7時半頃、先生より「肝臓が悪い」という電話がありました。全部薬を止めるように言われました。36日、CRP1.5RF:5、血沈:30とさらに良くなっていきました。全ての薬を止めてから舌の方も大分良くなり、その後、風邪を引いて鼻水が良く出ましたが松本先生の風邪薬で良くなりました。松本医院に行って四ヶ月あまり経ってから初めて一階の食卓で食事ができました。ここまで長い時間がかかりました。まだこの頃は体調はあまり良くなかったのですが、本当に嬉しかった。薬を全て止めてから13日目に再び漢方薬だけを飲むように言われました。指が動くようになり、ペンをとることが出来るようになり意欲が出てきました。室内はやはり24度にいつもしていました。320日のデータはCRP0.7RF:5、血沈:31でした。41日、家の中を歩く練習をし始めました。43日、医院に行きました。データはCRP0.4RF:5、血沈:49で漢方を一時止めていたので値が悪くなったような気がしました。痛みはまだ全体にあったものの寝返りが出来るようになりました。426日、腕は痛くても大分力が入るようになってきました。51日のデータはCRP0.1RF:5、血沈:26でした。歩くことができるようになり、車庫で少し車を動かしてみました。しかし腰から脚の先までの痛みがまだ残っていました。510日、風呂の中に腰掛を入れて入っていたのを、やっと取る事ができました。512日、少し体を自分で洗うことができるようになりました。516日、松本医院に通って6ヶ月目に杖を片手に歩く練習をし始めました。雨の日は調子が悪い。63日、それまで借りていた電動の借りベッドを返し、以前の自分の低いベッドに戻しました。69日、自分で運転して車で20分ほど走ることができました。612日、医院に行って鍼をしてもらい、採血もしました。以前からあった不整脈が出てきたので、薬を貰って帰りました。614日に12日の検査結果が全て正常になったことを聞いたので、大変嬉しく思い、久し振りに思う存分体を動かすようにしました。621日、痛みはあるが一所懸命にリハビリをし始めました。思うように脚が運びません。階段は上がりにくいし、オシリが痛くて長く坐ることができませんでした。625日、大分膝も組めるようになりました。626日の採血は全て正常でした。血圧が高くなっていたせいで頭が痛く体が重かったのですが、近くを少しずつ車で走ることができるようになりました。76日、頭痛と血圧の薬を医院より貰いました。79日、畳の上に座れないので、掘りコタツを使うようにしました。710日には血圧も正常になり、タオルも少し絞ることができるようになりました。両手の握る力は元の半分くらいでした。まだ膝に力が入りにくかったので立ち上がることが大変でした。717日、初めて自転車に乗れました。検査のデータは正常になっても、なかなか痛みはとれませんでした。7月23日、脚・膝・ふくらはぎはまだ痛むので、風呂の中で毎日一所懸命にリハビリをしました。724日、初めて医院へ行くのに自分で車を運転しました。こんなに遠くまで走ったのは久し振りで、自信がついてきました。まだところどころに痛みが残っていますが、良くなっていることが分かりまりました。もうこれで万々歳です。

 随分と長い間松本先生をはじめ多くの皆様方にお世話になり、本当に有難うございました。心よりお礼申し上げます。口では表せない感動を味わっております。「優れた名医に出会って良かった」の一言です。介護してくれた妻にも頭が上がらないと感じています。松本医院に通って8ヵ月半になります。まだもう少しこれからも医院にはお世話になります。