「無 題」 山中昌枝 68歳 リウマチの発病とこれまでの経過 平成7年夏、半袖になったとき、私は左の肘が少し曲がっていますのに気づいて愕然としました。すぐにリウマチだと思いました。近くの整形外科で検査、やはりリウマチでした。先生は、よく病気の説明をして下さり、「リウマチと上手につき合うために」という小冊子を下さいました。 「あっ、もう治らないんだ」と思い、重いリウマチで車椅子の知人を思い浮かべました。 ともあれ、リマチル、胃薬等、4種類の薬の服用と電気を当てて、3ヶ月に一度くらい、X線や血液・尿の検査を受けました。 3年余り、経ったでしょうか。特に悪くはなりませんでしたが、良くなっているとも思えませんでした。でも無理のない仕事も続け、不自由も感じず過ごしていましたので、高齢でもあるし、定年まで勤められたら有り難いと思っていました。 ある時、ひどい目まいが起き、2週間ぐらい点滴を受けました。やっと治ったものの、コレステロール値が高く、頻脈もあって、3種類の薬を常用する事になりました。 そこで、薬による副作用を恐れ私なりに考えて、一つのカルテで済むようにとリウマチの方もこの先生にお願いすることになりました。そこで受けたのが「リメタゾン」です。副作用が少なくて効果があるとの事で、それ以上の説明はありません。これを、2週間〜3週間に一度(10cc位)血管注射です。それとこれまでのような物理療法です。これだけです。これは楽だなと思いながら続けていました。 4年くらい過ぎました。その頃には、リウマチというのは、最初の先生が言われた通り、厄介な病気だな〜と感じるようになっていました。経験者でないと解らないでしょう。手足がしびれ、時々ピリピリと走る痛み、そして手足の先が何か物にぶつかると飛び上がるほど痛いのです。しっかりと、リウマチが身体に感じられるようになりました。明らかに病気は進んでいます。仕事も止めていましたが、特に不自由はないので、無理をせず、好きな事だけやってくらしていました。 その年、手指の運動にいいだろうと、ピアノを習い始めました。次週に行くときには、少しは弾けていなければなりません。なかなか覚えられません。時間がたっぷりある上、とても楽しくて、ついつい2・3時間熱中してしまいます。7・8ヶ月すると、悪いひじが痛み出しました。(最初からずっと、曲げ伸ばしの時は少し痛い。)練習は控えましたが、そのうちだんだん腫れてきました。 先生は「X線写真をとっても前と変わりはないから、手を休めて様子をみましょう。注射のペース(2週間あけなくてはいけない)は変えられない。」と言われ、毎日電気を当てて、湿布をしていました。 ますます腫れ、熱を持ち、手首にかけて赤紫色になってきました。左手は全く使えません。箸を持つのも、食器を洗うのも痛くて、左手とはいえ、こんなに不自由な事とは思いもしませんでした。疲れて帰る子供に、家事の負担がかかります。とても困りました。そんな時でした。外に住む子供がインターネットで松本先生の事を知って、電話をしてきてくれたのでした。休日を待って、娘が一緒に行ってくれました。 松本先生は、どこかに電話をかけられました。薬の確認をされたようでした。そして「ようも、こんな薬を長い間使っとったな。」と言われました。私は一体何をしたんたろう、どうなるんだろうと、とても恐ろしくなりました。(後に免疫力を壊す恐ろしい薬だと知りました。) でも、「必ず治してあげる。リウマチを治せるのは、私しかいない。」と力強く言って下さって、数々の人が書かれたメッセージを読ませて頂いたのでした。ホーッとしました。少しは、心が落ち着いたものの、私のように病歴の長い方は見当たりません。「最終的には治してあげるが、一人一人の病歴やそれまでの治療の仕方によって、これからの治療の経過がそれぞれ違う。」と言われたのを思い出し、私はどんなリバウンドがあっても、辛い目にあっても仕方がないんだと思いながら、不安な気持ちで一杯でした。 午後になって初めて「針治療」を受けました。針の先生は明るい方で、女同士という事もあり、その日、私のコチコチの心まで楽にして下さいました。 「リウマチを百パーセント治してあげる。」と言って下さったのは、松本先生だけだ、頑張ろう!と思いました。 その日から、松本先生独自の漢方治療が始まりました。土瓶で40分間煮詰めた1番煎じを、小さい急須に入れておいて、食前の薬として、同様にした2番煎じと3番煎じは、一緒にして大きいやかんにとって置き、食間に何度も飲みます。1日約1,200ml、たいした苦にはなりません。 家のお風呂は、薬湯は沸かせないので、薬袋を入れた大鍋を2度沸かしてお風呂に運び、60度の湯を足して、1時間蒸らす、という段取りなので、少し手間がかかります。お風呂に入ると、薬袋を悪い所に当てて、曲げたり伸ばしたり、揉んだり(湯の中でこそ出来ます。)30分。からすタイプだった私には、これが一番苦手です。 織田先生に教わったお灸も懸命にやりました。 月に二度の「針治療」だけが、して頂ける、心身ともにリラックスさせて頂く、唯一、受動的な楽しみな治療です。他は、自助努力しかありません。一日の大半を治療に専念しました。針治療は、そんな私へのご褒美のように思えました。 松本漢方治療の経過 血液検査の数値は、CRP 0.5 定性(−)PR 37 血沈 35 というものでしたが、検査の結果の度、少しずつ良くなりました。 この頃は、左ひじから手首にかけてお灸だらけで、軽いやけど状態が続いていました。その上、赤い塗り薬をべったりとすり込むので光っている。(この薬は、化膿を防ぎ、やけどのひりひりを抑えてくれ、とてもよく効きました。)子供は、「痛そうやな、よけい腫れてるみたい。」と言いますが、自分では、だんだん良くなっていると実感出来ました。 そのうち、身体のあちことに湿疹が出始めかゆくなり、口の中がとても乾くようになりました。4月に入ると、体の柔らかい部分は花盛りです。織田先生は、「これはよい傾向です。順調ですね。」と喜んで下さいました。 幸い免疫力の低下もなく、恐れていたリバウンドらしきものも未だなく、不思議でした。よい感触に勇気づけられて、痒みに悩まされながらも、なお一層お風呂に、お灸にと、精を出しました。 6月頃には、血沈だけがやや悪くて、13 他は、正常値になっていました。口の渇きと腕の痛みはまだあるものの、ゆっくりならぐるぐる回すことが出来、少しずつ使えるようになってきています。あの頃の左手の写真を撮っておけばよかったなと思いました。 それから、少し疲れた事が引き金となり、またメニュエル病が出ました。何も出来ません。7月に入って久しぶりに松本医院へ行き、「針治療」を受けました。1ヶ月ほど休んだお灸の痕は点々と残っていましたが、腫れも熱もありません。かなり変形した関節は仕方のないものの、赤紫になっていた肌もきれいな元の肌色に戻っています。織田先生もびっくりされました。 気がつくと、湿疹もいつの間にか治り痕だけが黒く残っています。今回のメニュエル病以来長風呂が出来なくなり、一日おきの薬湯となりました。 先生の治療を受けて1年が経つ去年の暮れには、前年の事が「うそ」の様に家事をこなす事が出来ました。 今、再び春が来て、私は元気で暮らせる喜びを一入(ひとしお)感じています。松本先生のお陰です。本当にありがとうございます。 先日の検査はすべて正常でした。私の病気は古いので、薬も色々使いました。その上、ちょこちょこ合併症もでます。条件は最悪ですが、まだ1年半という短い期間に、ここまで良くなる事が出来ました。 松本先生と出会えたお陰で、あのステロイドとも縁が切れ、しびれや色々のリウマチの症状というものが自然の薬の力だけで、少しずつ体から遠ざかっていくのが解ります。 これからは、もうあまり頑張らないで、根気強く続けていくのが大切だと思います。リウマチとさようなら出来る日がきっと来るだろうと思っています。不治の病と言われたリウマチが。 松本先生、これからもよろしくお願い致します。最後になりましたが、織田先生、いつも暖かく接して頂き有難うございます。看護婦さん、スタッフの皆様、有難うございます。今後とも、よろしくお願い致します。 |