「アトピーのチャンピョン」 端野 弘希 2歳

 これは、以前通院していた総合病院の先生が、我が家の次男(弘希)につけたニックネームです。そうです。それほどひどかったのです。(アトピーの世界チャンピョンであったとしても、アトピーは必ず私は治してあげます。)

 第一子の長女は肌に何のトラブルもありませんでした。第二子の長男は生後3ヶ月の頃から口の横がただれ、、その時医者からもらった薬をつけると嘘みたいにツルツルになるのですが、またすぐただれ薬をつけることの繰り返しでした。(兄弟でアトピーが出る子供とでない子供がいます。これは異物を認識する能力の違いのためです。ちょうどこれは同じような教育を受けさせているにもかかわらず、全ての子供が東大に行けるわけではないのと似ています。)1歳を過ぎた頃に体全身に爆発的に湿疹が増え、これはどうしたのかとアトピーの本を読みあさり、情報を集め、人の教えてもらい、入浴剤を入れてみたり、厳しい食事療法をしたり、良いと言われることは片っ端から試してみました。その効果は特になく、費用ばかりかかりました。1歳半頃から徐々に徐々に治まってきたのですが、掻きむしった傷跡は長男の体に痛々しく残ったままです。子供の産まれる前から安全なものを求め、生産地や生産者の分かる無農薬野菜を食し、人一倍食品に関しては気を付けていたつもりだったのに、「何でアトピーになったんだろう、何が悪かったんだろう。」と自問自答を繰り返し、自分自身を責め、何度も何度も涙しました。(実際に日本において無農薬野菜が存在するのか極めて疑問です。しかもアトピーの治療のためには無農薬野菜を食べるだけでは駄目なのです。なんとなれば水にも空気にも米にも様々な農薬を始めとする化学物質が充満しているからです。ダイオキシンにしろ日本は世界有数の汚染大国です。従って日本を離れてジャングルに住むとか、完全に化学物質の無い自給自足の生活をしなければアレルゲンから逃れることはできないわけです。)

 この様な経過があるので、次男の妊娠中は特に気を付けて、食べたいものを我慢し、魚・野菜・海藻を多く取り出産の日に備えました。出産後、次男を見て「弱そうな肌だな。」と思ったのですが、その予感は的中していました。(弱い肌というのは間違いです。何故かというと、肌が弱いからという理由でアトピーが出るわけではありません。皮膚が炎症を起こすというのは皮膚自身がアレルギーを起こしているのではありません。体内で異物と認識されたアレルゲンが排除されるルートが皮膚であるときにはアトピーであり、鼻から出るときには鼻炎であるわけです。鼻炎のときに鼻が弱いという言い方はしませんし、さらに目からアレルゲンを排除するときには結膜炎と言いますが、決して目が弱いとは言いません。)生後2〜3ヶ月の頃から耳切れがし、顔にポツポツと湿疹が出てきました。近くの薬局を訪ね、「これはよく効くよ。」とある薬を差し出されたので「ステロイドが入っているのですか?」と聞いたところ、「入っていない。」との返事でした。(よく効く湿疹の薬は必ずステロイドが入っています。入っているにもかかわらず、ぬけぬけと入っていないと言いきる薬局の薬剤師もうそつきの極みと言えます。日本のあらゆる分野において嘘をついても罰せられないというのが腐敗の最大の原因であります。権力や資格を持っている人間が責任を取らない国は没落するのみです。)安心して使うと、塗った翌日にはツルツルしており、あとからこの薬にはステロイドが入っていることを知りました。(このような嘘は薬局のみならず病院で日常茶飯事に行われていることです。何故、医療の専門家が自分の出す薬に自信をもてないで医療の素人である患者さんに嘘をつくのでしょうか?全く理解できません。)

 4ヶ月検診の時に医者から「アトピーですね。離乳食の前に一度アレルゲンを調べてみては?」と言われ、頭をガーンと殴られたようなひどいショックを受けました。(やっぱりそうなのかあ、ああやっぱり・・・。)私は高校時代にアレルギー性鼻炎と言われたことがあり、また主人も子供の頃喘息の発作がひどく、打てば3分ほどで治まる注射を何度も何度も受けていたそうです。夫婦二人がアレルギー体質では、弘希のアトピーもどうしようもないのかと悲しくなりました。顔だけだったのが、あっという間に全身に広がりました。この位の月齢の赤ちゃんは、思わず頬ずりしたくなるようなプリンプリンの肌に、甘酸っぱいおっぱいやミルクに匂いがするものですが、この頃の弘希は抱っこすると血なまぐさい匂いがし、とても頬ずりできる状態ではありませんでした。6ヶ月頃からますますひどくなり、病院でステロイドを何本かもらいました。しかし、ステロイドの怖さを充分に知っていたので、使いたくありませんでした。

 そんなとき、強酸性水を知ったのです。<電気分解した特殊な水をかけるだけでアトピーが治ります。>そのようなうたい文句で、(この世の中に特殊な水などは無いのです。しかも、水はどこまで行っても水なのです。水を電気分解しようとも、H2OのH+イオンとOH-イオンがそれぞれ陰極と陽極に引きつけられるだけであって、水そのものは何も変わっていないのです。)黄色ブドウ球菌を退治することで古い皮膚をはがし、新しい皮膚をつくるという仕組みでした。ポリタンクに入った水を購入し、朝晩入浴し強酸性水を噴霧し続けました。すると、おもしろいように皮膚がはがれてきました。服を脱がす度に、まるでフケのような皮膚がパッと粉をふったように飛び散るのですが、特に何の進展もなく、数ヶ月も経つと費用と根気がいるのに疲れてきました。そして仕方なくステロイドを使い始めました。(強酸性水は塩酸であるわけです。塩酸を買ってきて少し水で薄めれば簡単に強酸性水は作れるわけですから、何も特別なルートで買う必要は無いわけですが、アトピーの治療に強酸性水を使う意味はそれなりにあります。それはブドウ球菌を殺す事が出きるわけです。しかし問題が一つあります。強酸性水はただれた皮膚を更に腐食させ、皮膚の新陳代謝を進めるどころか遅らせ、皮膚の傷を深めることがしばしばあるから です。したがって軽度なアトピーの場合には意味がありますが、重度でしかもステロイド皮膚症になっているアトピーの患者さんには逆に有害になります。)

 弘希が1歳の夏頃、どうしたことか、アトピーがどんどん良くなってきたのです。(夏になると皮膚の新陳代謝が亢進し皮膚の傷が治りやすくなり、夏の間はアトピーの症状が楽になるのが普通です。逆に冬は皮膚の新陳代謝が低下し、カサカサがひどくなりアトピーの症状が悪化するのは当たり前のことです。)ステロイドをすぐに止めて様子を見ることにしました。医者も驚き、アトピーは改善したかのように見えました。しかし、秋の気配が感じられる頃、坂道を転がるようにものすごいスピードで悪化していったのです。ツルツルの肌は手の甲と足の裏だけという状態で、もうどうしようもなく、またステロイドを塗り始めました。体全体につけるのが怖く、特にひどいところにチョンチョンとつけていました。アトピーの定期検診に行く度に医者に「ひとつも良くならないなあ。情けないなあ。」(無責任な言葉です。誰に対して言っているのでしょうか?)と言われました。全身の肌からジュクジュクした汁が出ていました。暇さえあれば掻いている弘希を見て、医者に「余り掻かないように。」と言われていた私は(掻く=悪化する)という図式が頭に浮かび、つい怒ったり、掻いている手を叩いたりしていました。(掻く→怒る→掻く→叩く→泣きわめいて、掻く掻く掻く)の悪循環でした。(またまた無責任な言葉です。アトピーで痒みの無いアトピーというのは全くありません。一連のアレルギー反応の結果として痒みが出るわけですから、掻かざるを得ないわけです。仮に昼の間に意識的に掻かなくても、寝ている間に本能的に掻いているものです。従って朝方は皮膚の症状がひどくなっています。私の治療は掻きたければ掻きなさいということが大切な治療のひとつなのです。というのは、掻くことは二つの意味で必要なのです。一つは体は痒みを感じさせて早く皮膚を掻くことによって潰してもらいたいことを要求していると考えるのが一番理屈が合っていると考えます。それはちょうど喉が乾いたときには水を飲めば良いのであり、腹が減れば食事を摂れば良いのと同じ話です。つまりアトピーとは体にとって有害な化学物質を皮膚を通して排除しようとする行為ですから、掻く事によって早く体外へ出してあげれば良いわけです。)「どうしてそんなに掻くの?」とこっちが泣きたい気分でした。顔や手足などの肌の出ている部分はもちろん、服の中に手を突っ込んで、幼児とは思えない力で必死になって掻くので、衣類やシーツは血塗れ、日に数回洗濯し、我が家の物干しにパジャマやシーツ・タオルケットのかかっていない日はありませんでした。特に眠たいときは体温が上昇するのか、(体温が上昇すると痒みを感じやすくなるのと同時に、眠るときには副交感神経が優位になり痒みを感じやすくなるようです。しかも寝るときには他に気を取られることが無いので余計に痒みを強く感じます。)痒いところを布団にこすりつけるので5分もしないうちに血塗れ、弘希も自分で付けた血の痕を指さして「チーチー(血のこと)」という言葉を早くから覚えて使っていました。寝かしつけるのに1〜2時間かかり、やっと寝たと思ったら10分か15分で起き、泣きながら掻く、また寝かしつけるの繰り返し、この頃私は睡眠不足と疲れで夕方になると目がかすんで見えない状態でした。弘希が必死になって掻くのを見て、怒る気も失せボーっと見ていたことも度々ありました。

 外に出ると好奇の目で見られ、指さされたり、振り向かれたりはしょっちゅう、小さい子供は「その子どうしたの?怪我したの?血でてるよ。」、5歳くらいの子になると「その子アトピーなの?」と聞いてきました。だんだん外に出るのが億劫になり、出かける用事ののある時は、なるべく手足の出ない服を着せ、目深に帽子をかぶせていました。

 弘希が掻くとイライラする自分→怒る自分→手を出す自分→上の二人にあたる自分。このままでは弘希も私もおかしくなってしまって、真っ暗な闇の中に吸い込まれていきそうな気がしました。

 この頃です。松本医院のことを知ったのは。その時は「漢方のお医者さんが高槻にいらっしゃる。」くらいにしか思いませんでした。

 12月のある日、弘希が1歳4ヶ月の時、それは突然やってきました。喘息の発作です。大阪の地下街に子供を連れていった私もバカだったのですが・・・。急いで帰宅し、しばらく自宅で様子を見ていたのですが、どんどん速くなる呼吸に、初めての体験に、もう頭の中はパニック状態でした。明け方だったせいか、救急病院では「時間外です。」、他の病院では「小児科の当直がいない。」等の理由で断られ、個人病院に無理を言って診てもらうことになりました。先生は弘希の呼吸音に「えらい、にぎやかだなあ。」と言いながら聴診器を当て「長いこと喘息の患者は診てないなあ。」(こんな言葉を医者が言うと患者さんが不安になることを気にならないのでしょうか?)と言いながら薬を処方してくれました。薬を飲ませると嘘のように呼吸が落ち着いていき、その影響か肌がツルツルになってきたのです。(気管支喘息もアレルギーの一つであり、異物を気管支から排除しようとして出る症状であります。従ってステロイドは見かけの特効薬になるわけです。)そして、私の精神状態も落ち着いてきました。しかし数日も経つと、もとのジュクジュクの肌に戻っていきました。そしてイライラしている私も戻ってきたのです。そうこうしている内に年が明けて2月のある日、2回目の発作が起きました。夜中にかかわらず主治医に診ていただけることになり、病院まで車をとばしました。自宅で上の二人が目を覚まして泣き出さないように「クレヨンしんちゃん」のビデオをつけっぱなしにして・・・。病院で吸入してもらい帰宅したのですが、ひどいアトピーに加えて、喘息の発作が度々起こるようになったことに私はとてもショックでした。しかしその反面、喘息の発作が起きるようになって、アトピーが徐々に改善していった子供を身近に知っていたので、密かに期待していたのですが、息子の肌は一行に良くなりませんでした。(アトピーも喘息も根本的には同じものであり、アトピーにより皮膚に炎症が起こるとアレルギーの炎症細胞は皮膚に集まり、気管支で用いられる炎症細胞が減り、喘息が普通楽になるものです。ところがIgE抗体が間違った治療の為に大量に体に作られるようになるとアトピーが出ても喘息が軽減せずいわゆる本格的なアレルギー人間になります。)

 松本医院に通っていた近所の1歳の女の子が、会う度にきれいな肌になっていくのを見て気にはなっていたのですが、本当にツルツルになったその女の子を目の当たりにして、何の迷いもなく「行こう!」と決めました。自転車で20分とかからない距離にあるのも幸いでした。(現代の医療制度では医院が何をしているかを宣伝ができません。その為に治った患者さんが他のアトピーの患者さんを紹介するという以外に私の医院の存在を知る由もありません。非常に残念なことです。勿論、宣伝が許されたとしても悪徳医師達がはびこる可能性もあるわけですから、やはり見かけを良くするだけなのか、根本治療なのか、副作用があるのかどうかを告げなければ罰せられるという法律を作るべきです。)

 平成9年3月4日、初めて松本医院を訪ねました。一歩中にはいると漢方の独特の匂いがしました。しかし、芳香剤などの人工の香料のように、鼻にツーンとくる感じはありませんでした。松本先生に初めてお会いしたとき、「随分、元気な先生だな。このパワーはどこから来るのだろうか?」と思いました。(常に最初に私に会った人はこのパワーについて圧倒されるようです。このパワーの源泉は世界で自分だけがただ一人アレルギーを根治できる理論を見つけ出し、正しく実践しているという自信と責任感をどんな医者よりも持っているからです。)機関銃のようにしゃべりまくり、自信に満ちあふれている。「わあ、ひどいなあ。」と顔をしかめる先生は何人もいましたが、こともなげに「絶対治るから、治してあげるから。」と断言する先生に私は今まで会ったことがありませんでした。「この先生を信じよう。ついて行ってみよう。」と思いました。(実を言えば症状がひどいほど治るのが早いわけですから、逆に驚くどころか喜べば良いわけです。もちろん37度2分までの体温であるかぎりは感染の心配は全く無いわけですから、どんな症状でも怖がることはありません。アトピーで死ぬことは絶対に無いわけですから、恐れることは何もありません。)

 初回に頂いたもの

飲み薬 抗生物質・煎じ薬

お風呂に入れる煎じ薬

消毒薬 ネオヨジン(茶色)

塗り薬 真っ赤なもの(乾燥を防ぐと共に皮膚を早く作るためだそうです。)

抗生物質(テラマイシン)

<1日目>

 煎じ薬を入れたお風呂に朝晩2回入れて下さいとのこと、以前強酸性水を使っていたときに2回入れていたのでこれは何の苦にもなりませんでした。初めて煎じ薬を入れた茶色いお湯を見たときには家族全員驚きました。「これはカイカイの治るお風呂なんだよ。」(痒みを止めてはいけないわけです。もちろん漢方で痒みを取るような薬は一つもありません。)と子供達に言い聞かせ、「治るといいねえ。」などと言いながら、先生に言われたとおり、なるべく長くつかりました。その後、今まで見たこともない赤い塗り薬と抗生物質を塗っていると、弘希がウトウトしだしたので慌ててパジャマを着せ、お布団に連れていきました。すると5分もしない内に眠りについたのです。今まで1〜2時間かけて寝かしつけていたのが嘘のようでした。そして、もう一つ驚いたことに、そのまま朝まで一度も起きずに10時間も眠り続けたのです。こんなことは弘希が生まれて以来、初めてのことでした。一晩に何回も起きて泣いていたのに、私の方が夜中に目が開き、弘希の顔をのぞき込んでしまいました。長い時間おふろに入って疲れたのか、こんなに驚くほど早く効果があらわれるとは思ってもみませんでした。(強酸性水の風呂は単にブドウ球菌を殺すだけで皮膚の傷は治るどころか逆に広げる可能性があります。ところが私が長年の苦心の後に作り出した漢方の入浴剤は傷を治し黄色ブドウ球菌の増殖を抑制できる力のある漢方生薬を含んでいます。この2重の効果が即座に効くことはしばしば経験されることです。昔から古事記の中の因幡の白兎の傷がガマの穂の花粉で治ったことが伝えられているように、漢方の成分は傷を治す力が抜群であります。さらに傷を治し黄色ブドウ球菌を殺せば痒みも随分楽になるものです。つまり、IgE抗体の働きや産生を抑制せずに痒みを除去することもできるわけです。)(長男にも同じようにお風呂に入れ、塗り薬を塗ってみることにしました。)

<2日目>

 起きてからいつもと何かが違っていました。そうです。掻かないのです。全く掻かないのです。痒みはどこに行ったのでしょう?とにかくゴキゲンでニコニコ、ニコニコしているのです。お昼を過ぎて眠たくなるとやっと手が動き出しました。首にあたりを掻きはじめました。いつもの弘希の姿です。でも明らかに、掻く回数が今までと違いました。初日は寝てしまったので、2日目から煎じ薬を与えてみることにしました。まず私が味見したところ、独特の匂いと苦み、そしてほのかな甘みがしました。弘希に飲ませてみると、一口飲んだだけでベーッと舌を出しました。「ああ、これは困難かもしれない。」と心配になりました。熱を計って連絡するように先生から言われていたので、松本医院に電話を入れました。「何も心配することはない。そのまま続けて下さい。」とのことでした。(漢方は皮膚の新陳代謝を良くするだけですから、ゆっくり治したい人は自分の新陳代謝で皮膚を入れ替えれば時間は相当かかりますが必ず良くなります。)

<3日目>

 この日は煎じ薬をお茶で薄めたものしか出しませんでした。朝お風呂上がりでのどが渇いていたのか、ストローでチューッと飲んだときは「やったー!」と思いました。相変わらずゴキゲンさんでニコニコ笑っています。親にとって子供の笑顔は何物にも代え難いものです。今までにこれほど機嫌の良かったことがあったでしょうか。アルバムを開いてみても弘希は笑顔が少ないように思います。実家の母にも「笑わない子やねえ。」と言われたことがあります。今、心の底から笑っている弘希を見て、「何か分からないけど、何かが彼の体の中で起こっている。目に見えない何かが。」と思いました。そして、今まで使っていたステロイドを引き出しの奥にしまい込みました。(この母親はとても利口な方です。自分の子供を本当に良く観察しています。)

<4日目>

 この日は朝から、やたら掻く。体からジュクジュクした液が出てくる。食欲は旺盛。

<5日目>

 炎症を起こして腫れてボコボコになっていた肌が、少し平坦になってきているような気がする。ほとんど掻かなずゴキゲン。

<6日目>

 発熱、嘔吐、下痢。小児科で受診し"腸炎"とのこと。入浴してもすぐ下痢便が出るので短時間しかお風呂に入れず。(この状態が10日間ほど続く。)

<1ヶ月半目>

 顔、お腹、背中が随分良くなる。

<2ヶ月目>

 会う人ごとに「あれ、何かすごくきれいになってきたね。」と言われる。夜中に起きることはほとんど無い。引き出しの奥にしまっていたステロイドを何の迷いもなくゴミ箱に放り込む。

<5ヶ月目>

 手足も随分良くなる。プールに入って思いっきり遊ぶまでに改善。いつの間にか長男のカサカサしていた肌に艶が出てきたように思う。

<6ヶ月目>

 高槻から京都に引越。環境が変わったせいか、泣きっぱなしの掻きっぱなし。

<7ヶ月目>

 ツルツルだったほっぺがまた荒れてくる。先生にお聞きすると、「引越で新しいアレルゲンに出会ったから、一時的なもの。」とのこと。

<8ヶ月目〜現在>

 「えっ、そんなにひどいアトピーだったの?」と人に驚かれるくらいに改善。

 掻かしてもかまわない。こんな自然な治し方があるでしょうか?漢方にかかるまで私は掻かしてはいけないと思っていました。でも痒いものは痒いのです。痛みは我慢できても痒みは我慢できません。「掻かしても良い、どんどん掻かせなさい。」と松本先生に言われてから弘希が掻いているのを見ても、「痒いの?もうすぐ治してあげるからね。もう少し頑張ろうね。」と語りかける心の余裕が出てきました。以前の私なら、掻いてる弘希を見て「何やってるの。」とつい手をあげていたことでしょう。

 私は一つだけ後悔していることがあります。それは「何故もっと早く松本先生のもとを訪れなかったのか。」といううことです。(宣伝ができないものですから仕方の無いことです。医者自身に責任を持たせる宣伝が許される日が来ることを祈るだけです。)私はもっと漢方のことを知るべきでした。(漢方をしている医者がアトピーを治せるわけではありません。いつも言っているように私の理論と実践は世界で私しかできないことなのです。)知ろうとするべきでした。漢方は自然の草根木皮から成り立っています。化学的なものは一切使われていません。漢方には2000年以上の歴史があるそうです。たった十数年しか歴史のないステロイドの何倍も何十倍もおじいさんなんです。疑問を感じながらもステロイドを使い続けている方は随分いるはずです。でも、ステロイドをホイホイ出す医者がいたら、疑ってみることも必要かも知れません。医者はたとえ自分の子供がアトピーだったとしても、患者にはだすはずのステロイドを処方しないと思います。農家の人も出荷用と自宅用の農作物は分けて作っていると聞いたことがあります。農薬の量が違うのです。でもそうしないと売れない、買ってもらえない現状があるのです。まっすぐなキュウリ、均一化したトマト、あれは梱包しやすいように作り上げた個性のないお化けです。私は自宅の猫の額ほどの庭で野菜を作ったことがあります。もちろん無農薬で、太陽と土と水、油粕等の肥料だけで育てました。キュウリも大根も人参もまっすぐには育ちません。自分の曲がりたいように曲がるのです。自分の向きたい方向に向くのです。2つとして同じキュウリはありません。個性があるのです。

 人間は自然の中で生かされています。それなのに便利さだけを追求し、様々なものを作り出してきました。高度成長期で、人間は急ぎすぎたのかもしれません。空気を汚し、水を汚し、食べ物は農薬で汚染し、おまけにオゾン層まで破壊しています。人間はなんと愚かな生き物でしょう。(このように私がアトピーを治してあげた患者さんが、私との出会いをきっかけに社会を正しく見直していただけることは良い社会を作るのにとても大切なことだと考えております。良い社会とは自分の持ち場で責任を果たす社会であります。)

 自転車で20分足らずの距離に医院があったことと、なにより松本先生に出会えたことを感謝します。また、薬の使用法を詳しく、丁寧におしえてくださった看護婦さん、松本医院のことを教えて下さった近所の奥さん、通うために二人の子供を預かって下さった友人にも感謝の気持ちでいっぱいです。もし先生に出会えていなかったら、弘希と私はアトピー地獄の中で精神的にも肉体的にも息絶え絶えで、もがき苦しんでいたことでしょう。この様な治療法に行き着くまでには、様々な紆余曲折があった事と思います。先生の適切な指導、治療のお陰で今の私達の家族の暮らしがあります。本当に有り難うございました。完治に向けて後しばらくお世話になります。(アトピーも喘息も完治されて1年後に下の子供さんができ、その子のアトピーの治療をされましたが、ステロイドを使っておられなかったのですぐに治り、下の子供さんも来院されておりません。)