「遠い秋田から松本医院へ」 菅原啓子 49歳 平成10年9月、風邪の後、咳が1ヶ月続いて息苦しくなり内科医院へ行くと、気管支喘息と診断されました。1週間薬を飲みましたが良くならず、アレルギー科のある別の総合病院に行きました。そこでは1日2回「テオドール」という薬を、1年間飲み続けました。 私は、今までに大きな発作は起こしたことが無く、ただ息苦しくなり思いっきり息が吸えない状態が続いておりました。病院の先生には、「喘息は治らないし、薬は一生飲まなければならない。」と言われました。私は一生薬を飲むのは嫌だし、何とか治したいと思いました。 ステロイドは副作用が怖いというのを、何となく分かってはいましたが、ある時本屋さんに行くと「もうステロイドは怖くない」という題名の本がありました。早速買って読んでみました。そして私は自ら、病院の先生に「ステロイドを使って下さい。」と言いました。(今から思うと、自分の無知さ加減にあきれてしまいます。) ステロイドを吸入して1年位してから、朝、目が覚めると手の指がこわばり、中指の関節が痛くなりました。「もしかしてリウマチ?これは大変なことになった。」と思いました。実は、私の叔父が重度のリウマチで、寝たきりになって亡くなっているのです。(松本医院をもっと早く知っていれば、叔父も治っていたのにと、残念に思いました。) 私は、喘息よりもリウマチの方がショックで、何とかしたいと思い、インターネットで調べました。そこで松本医院との出会いがありました。「喘息もリウマチも治る」これはまさに私が望んでいた事、早速電話をかけてみました。受付の女の子はとても優しく、「遠くは九州、秋田から来てる人もいますよ。」と丁寧に説明してくれました。「大阪に行ってみよう!」すぐに決心をしました。 平成13年1月、長女と二人でちょっと旅行気分で、松本医院に行きました。わくわくしながら玄関に入ると、漢方薬の匂いがして、普通の病院と違うなと思いながら、松本先生に診察をして頂きました。先生はとても明るく、「絶対に治りますよ。」と力強く握手をして下さいました。松本先生は「喘息とリウマチ、リウマチで死ぬ事はないから、まず喘息を治しましょう。」とおっしゃいました。私は、「来てよかった。ここで絶対に治す。」と心を新たにしました。白衣を着ていない松本先生は、とても印象的でした。 漢方薬を煎じて飲むと、とても飲みにくく。一口一口飲んでいましたが、今では一気に飲めるようになりました。飲むとすぐに息苦しいのが治り、とても楽になりました。飲み始めてからしばらくすると、茶色の痰が出てびっくりしました。松本先生は「どんどん出して下さい。」とおっしゃいました。そして手のこわばりも関節の痛みも無くなりましたが、右肩と肘がとても痛くなって、寝返りをするのも辛かったです。 漢方薬を飲み始めてから半年後位には、アトピーが出ました。アトピーは5ヶ月位で良くなり、気がついたら、右肩と肘が痛くないのです。そしてある日、気管が大きく広がったように、すーと思いっきり息が吸えるようになったのです。その時の爽快感は、今でも忘れることが出来ません。その日を境に、だんだん息苦しさもなくなり、風邪も引きにくくなって、体調も良くなってきました。 平成14年1月、次女と母と3人で大阪へ。その日は、次女の高校合格発表の日でした。特急はるかの中で、無事合格の知らせを受けて、3人で大喜びした思い出深い出来事でした。 花粉の季節になると、咳が出て息苦しくなりました。風邪を引いたときは、苦しくなりますが、その他は、喘息を忘れるほど普通に過ごしました。とにかく風邪をひかないように、気をつけていました。この頃のリウマチの症状は、年に2〜3回冬になって寒くなると、手の関節がキーンと痛くなるくらいでした。 平成15年2月、親子4人で大阪へ。主人と娘2人はまっすぐユニバーサルに行って、私は松本医院に行き、松本先生の元気なパワーを頂いてきました。そしてまた1年間、頑張って漢方薬を飲もうと思いました。 年に1回しか松本医院には行かれませんけど、真面目に漢方薬を飲み続けて、絶対に完治したいと思います。まだ治療中ですが、手記のコメントで「完治され、現在は来院されておりません。」この言葉を目標に、頑張りたいと思います。
秋田県 2003年7月16日
|