「リウマチ手記」 森谷 照子 64歳
2008年2月21日
私の病歴ですが、長女を妊娠した際に妊娠中毒症になりましたが、無事に出産しました。(昭和45年、27歳)
それから風邪がひきやすくなり、なかなか治りにくくなったので、風邪薬をよく服用しました。また貧血が閉経までずっと続いたため鉄分の薬もよく飲んでいました。また、食事に気をつけ、栄養食品も色々と飲んでいましたが、体はあまり丈夫ではなかったです。
平成11年、56歳の4月に急に右肩が痛くなり、おかしいなと思い近所の整骨院や内科に通院していましたが、だんだん悪くなり6月中頃には全身が痛くなったので、大阪の某医大に1ヶ月間検査入院をした結果、リュウマチ性多発筋痛症という診断結果を受けました。ステロイドを服用するように言われましたが、ステロイドの怖さを本で読んで知っていたので、先生に言われた量は飲みませんでしたが少し飲みました。そして民間療法と併用して2年かかりでなんとか完治することができました。
ところがその後、以前よりもよく風邪をひき治るにも1ヶ月~2ヶ月程かかりました。そして、とうとう平成16年、61歳の9月から微熱と咳が4ヶ月続いたので、大阪の某別の医大に通院して、いろいろと検査をしました。異常はなしという結果でしたが私はとても疲れていました。平成17年、62歳の9月にはパジャマを4~5回着替える程、寝汗が出るようになりましたが、病院では異常なしと言われて、睡眠剤をもらいました。私は副作用が心配でしたが、大丈夫だといわれて服用しました。薬を飲むと汗は出なくなりましたが、しばらくしたら血圧が高くなり、血圧の薬も服用するようになりました。
平成18年、63歳の4月からまた右肩が痛み出しましたが、今回も異常なしということで痛み止めも服用するようになりました。ところが、9月の終わり頃からは全身が痛くなりました。その時、知り合いに進められて松本医院にお世話になることになりました。
平成18年、63歳の10月松本医院に1人で行きましたが、先生にお叱りを受け、次の日に主人と一緒に行きました。先生が言われる「家族の協力と理解が無ければまっとうできない。」本当にそうだなぁ、とすぐに痛感することになりました。そして、松本先生の「治してあげる。」という自信と愛情のある言葉が本当に嬉しかったです。今までどこの病院でも聞けなかった言葉です。
毎日の薬草風呂を夕食前に1時間半、食後1時間。お灸をたくさんして、煎じ薬・プロテイン・アミノバクトを飲みはじめ、鍼治療に通いました。お灸作り、手が届かない部分へのお灸は主人に手伝ってもらいました。それから4ヶ月後の2月から薬草風呂が1日おきになり、体調は少し気分の良い時がでてきました。この4ヶ月は自分の体でないような本当につらい日々でしたが、先生の「必ず治る。」という言葉だけを頼りに治療を続けました。この頃、私の体調を心配した長女夫婦が一緒に住もうと言ってくれました。松本先生も自然豊かな環境に行く方が私の体にも良いと言って下さり、妹に引越し作業を手伝ってもらい無事6月に福岡に引越しすることができました。だんだん少しは体を動かせるようになり、咳と寝汗も以前に比べれば減りましたが左胸の下が時々痛むようになりました。9月末に久しぶりに松本医院へ行き血液検査をしてもらったところ、後は血沈だけで他は心配いらないと言われてほっとしました。胸の痛み・喉のひっかかり・寝汗の事を松本先生に伝えたところ、ヘルペスの仕業だということで錠剤を飲み始めました。
平成20年、64歳の1月に血圧が急に高くなり、近くの病院で検査をしましたが異常なしということです。また少し辛い日が続き、耳にガサガサと違和感を覚えるようになり、めまいもするようになったので、松本先生に電話をしました。これもヘルペスだと言われて、再び錠剤を飲み、煎じ薬の種類が変わりました。しばらくすると、辛かった体が嘘のように楽になり始めました。
始めは少し大きめのお灸をしても熱さを感じなかったのが、体が回復すると小さなお灸でも熱さを感じるようになりました。痒くて掻いたアトピーから血が出るのを見ては「悪いものがでているな!」と喜んでいます。胸の痛みもなくなり、確実に体の回復を感じています。孫たちと遊んでやることもできるようになりました。
松本医院の先生をはじめ皆様、主人や娘家族の応援があってこそ!と今さらながら感謝の思いでいっぱいです。また次女の娘もアトピーで先生にお世話になっています。孫もずいぶん良くなりました。本当にありがとうございます。
これからも先生のオッケーがでるまで頑張りたいと思いますので、
これからも宜しくお願いいたします。