「リウマチ手記」野々下 直美 43歳
2006年12月足指の付け根が痛み出し、冷えからきているのかなと勝手に思い、廊下や階段にじゅうたんを敷いたりして今まで以上に足が冷えないよう注意をしました。が、痛みはひどくなるばかりで、そのうち膝や肘、肩、背中と痛みが体中に広がっていったので、これは大変な病気かもしれないと2007年1月中旬、近くの整形外科に駆け込みました。そこでは、RF定量が96と高かったのですが、他は正常値なので「リウマチの気がある」ということで、ロキソニンパップという湿布薬とファルネラートゲルという塗り薬、ハイペン錠とガスロン錠を処方されました。
職場の先輩に膠原病の方がいて、「リウマチの薬は飲み始めると一生飲み続けないといけない」と聞いていたので先生に「なるべく薬は飲みたくないのですが・・・」と訴えたところ「リウマチについて勉強しなさい」と叱られながらも軽い薬で様子を見ることになり上の薬を頂きました。薬を飲んでも体を温めても痛みは変わらず、一ヵ月後、別の病院を受診しました。そこでは、RF定量123とまた上がっており、CRP定量は0.17と基準値でしたが朝のこわばりなどアメリカの学会で決められている5項目以上の症状があてはまるとして、リウマチと判断していいでしょうと言われ、アザルフィジンN錠・ハイペン錠・ガスロン錠・ブレドニゾロン錠5mgを処方されました。薬の説明書に「勝手な服薬の中止で症状が悪化することがある」と書かれているのを見て、やはり薬はあまり飲みたくないなと思いながらも、痛みに負けてアザルフィジンENを一錠飲みました。すると痛みがうそのように消えたので、やっぱり薬は怖いのだと思い、何か他に治す方法はないか、良い病院はないかと探していたところ、テレビでリウマチの方が良い先生に巡り合えたと話しているのを聞き、私もすぐその病院を予約しました。
2007年2月、血沈7・CRP定量0.16(-)で、先生は「まだ、こんな薬は飲まなくていい。毎日足湯をして鉄・ビタミンB6をしっかり摂るように!」との事で、ツムラ桂枝加求附湯エキス顆粒・インテバン座薬を処方されました。漢方薬はうれしかったのですが、自分で煎じない漢方って本当に効くのかな?と漠然と思っていました。また、座薬を一日一回挿入と見たときにはさすがにできないと思い、ツムラの薬だけを飲んでいました。飲み始めて数日後、主人が同僚の方に、高槻にアレルギーを治せる良い先生がいてリウマチも治せる病院があると教えて頂き、急いでパソコンを開き、松本先生の理論や患者さんの手記を読ませていただきました。もう読んだだけで治った気分になり、ホットしました。でも、できればお灸はしたくないというのが本心で、ツムラの薬も飲み始めたばかりなので、しばらくはこれで様子を見ようとしていました。主人には「早く松本医院に行ったほうがいい!治ったという患者さんの声があるのだから」と毎日のように言われましたが、どうしてもお灸がネックになりツムラの薬にすがっていました。座薬は使用していなっかたのですが、ハードな仕事と飲み会があるという前日の晩に初めて座薬を入れました。朝起きると階段も普通に足を交互にして降りることができ、まるで治ったかのように普通の生活ができ、驚きとともに久しぶりの痛みのない生活に薬の怖さも忘れ、その日は仕事も家事も快適に、飲み会も楽しく参加することができました。が、喜びもつかの間で、翌朝目覚めると、起き上がることができず、ベッドから転げ落ちるように起きたと思います。また、その先が大変で、足が地に着くと同時に痛みが今までの倍以上になったようで、なるべく体重を足にかけないよういろんなところにつかまりながら階段を時間をかけて降りなければなりませんでした。すぐに松本医院に行かなければと思い、母に付き添ってもらい受診しました。私は松本医院に行けば必ず治ると信じていましたが、母も先生にお会いして「あの先生なら治してくれるかもしれないね」と太鼓判を押してくれました。
2007年3月23日、血沈30・RF定量165・CRP定量1,10この日から漢方を煎じたり、お灸をしたり、漢方風呂と忙しい日々が始まりました。私はステロイドを使った記憶がありませんでしたし、漢方風呂も一日おきに入るように!との事でしたので、リウマチも軽いほうで一ヶ月ぐらいで痛みも軽くなるのでは・・・?と甘い考えを持っていましたが、一ヶ月経っても少しも良くならないので、いつまでこの状態が続くのだろうとくじけそうになっていました。すると主人が「リバウンドで寝たきりになる人もいる。バイクに乗って仕事にいけるだけでもまだましなんやで」と言われハッとしました。自分のことばかり悲観していましたが、もっと大変な思いをしている人がいることを思うと、くじけている場合ではないと弱音をはかなくなりました。が、やはり痛みはひどく、朝起きると痛みとの戦いが始まるので朝が本当に嫌な時期でした。お灸は、慣れるまではすえるだけで疲れていましたが、赤いクリームを薄く塗りピンセットで据えるようになってからはスムーズに早くできるようになりました。実家からも両親がたまにお灸をしに来て、背中や足の裏など私ができない部分を中心にお灸をしてくれたのでだいぶ助かりました。でも、母のお灸は、少し大きめで最後まで焼き尽くすので、鍼の織田先生にも「根性焼きみたいにしなくても熱いと思ったらとったらいいのよ」と言われるぐらいお灸のあとが大きく背中一面に残っていました。ハードな仕事がある前や鍼の織田先生に会う前にはなるべく多くお灸をしていました。すると織田先生に「こんなにたくさんお灸をしてくれたの?ありがとう!」と言われ自分のためにしていることなのにと恐縮してしまいました。(いつもはサボりがちで叱られてばかりいましたが・・)
時には厳しく、時にはやさしく指導してくださった織田先生や、たまに電話で患者さんを叱っている松本先生を拝見していると本当に患者さんのことを思って叱っているんだと頭の下がる思いです。ありがとうございます。
4月下旬頃、階段を降りる音が違ってきたと主人に言われ、そういえば一番ひどいときよりは少しましな降り方をしていることに気がつき、良くなり始めていると実感しました。
5月中旬、手指・手首・膝などは痛みがあるものの、朝の足の痛みはましになったなと思うと、5月30日の血沈9・RF定量62・CRP定量0.12と炎症反応が正常になっていました。それからは痛みも徐々になくなっていったように思います。
6月29日、血沈5・RF定量39・CRP定量0.07
7月28日、血沈4・RF定量27・CRP定量0.05
8月25日、血沈3・RF定量15・CRP定量0.05
8月に入ると大好きな阪神戦を観戦しに甲子園に行くことができました。普通に歩いている私の姿を見て、主人は「信じられないね。松本先生のお陰だね」としみじみ言っていました。
パート先の膠原病の先輩に「リウマチの薬は一生飲まないといけない」と教えていただき薬について考え、主人の同僚の方に松本先生の存在を教えて頂き、松本先生に出会うことができました。膠原病の方がいなかったら整形外科の先生が処方してくれる薬を何も考えず飲んで一生飲み続けなければならなかったでしょう。また、主人の同僚の方がいなければ松本先生に出会うことができなかったでしょう。松本先生をはじめ皆様のお陰でリウマチを治す事ができました。
松本先生!大阪にいてくれて本当にありがとうございます!