「骨が痛いから痒いに変わるまで」 匿名希望 51歳
- 漢方の免疫促進作用によるリウマチ完治の手記(中間報告) -
この手記は、Dr.松本の治療を受け、病状が良くなったことに対する感謝の気持ちと、診てもらう際の条件である手記を書くという約束に基づいて記すものです。難病・不治の病のひとつといわれるリウマチですが、Dr.松本の治療を正しく受け続けていれば、人により治療期間の長短はありますが、必ず良い結果が出ます。まさしく継続は力なりです。世間では、あまりにももっともらしい嘘(特にインターネットの世界)や、健康雑誌の誇張された記事が蔓延しているため、この拙文を読まれた方は胡散臭く思うかもしれませんが、決して提灯持ちの記事ではありません。痛みに苦しみ悩む人々の少しでも参考になれば幸いです。私自身、いろいろな手記を読むことと、Dr.や看護師の皆さんの笑顔に励まされて治療を続けることができました。
【松本医院に通院するまでの経緯】
人間ドックを受診すると、リウマチ反応は+で、診断結果は、「関節が痛くなったら、診察を受けなさい。」とのことでした。当時は連日のスボーッジム通い、すごく元気で、「リウマチ?知らないね、女性の病気でしょう。僕は男性だから関係ないよ。」と、まるで他入ごとでした。<2001年10月>
左足の親指と、足の甲に、突然針で刺されたような激痛が走り、一瞬「リウマチでは?」との思いが脳裏をよぎりましたが、尿酸値も高く、ビールをよく飲んでいたことと、モツの煮込みが好物だったので、素人判断で「痛風」だと思い込みました。
通院していた医院(漢方医)で診てもらうと、痛風と言われ、ザイロリック等の薬を渡されましたが、薬が合わなかったのか、全身が痒くて、一晩苦しみました。翌日、痒み止めをもらい、点滴もしましたが、痒みは収まりません。我慢出来なくて、翌々日に皮膚科の専門病院を受診すると、薬疹と診断され、前の病院でもらった薬を止めて、新しい薬を飲むように言われました(薬名と軟膏の名前は不明)。結局、3~4日経って、痒みが収まったので放って置きました。
<2002年3月>
今回の痛みは、前回と違って、様子が少し変でした。手の指がピリピリ・チリチリと電気が走るような感じがするのです。朝起きると、手のこわばりも少し感じられ、左手はそうでもないものの、右手の親指を広げると、バリバリというような違和感もありました。
まさかとは思いましたが、念のため駅前の整形外科(リウマチ登録医)へ行きました。リウマチ反応が+であることや、症状を話し、診てもらうと、医師は「何だ、手の指が腫れてないし、曲がってないじゃないか。それに熱もないし、念のためレントゲンでも撮りますか。」と言いました。レントゲン写真を見て、「うん、やっぱり真っ直ぐだ。曲がってないじゃない。指が曲がったら、おいで。この間も、1年くらい経ってから、手の指が曲がって、慌てて来たのがいたっけ。そしたら、手術で真っ直ぐに治してやるから。」と、真顔で言うのです。「冗談じゃない!指が曲がるのが嫌だから、早めに通院したにもかかわらず、これでは患者は堪ったもんじゃない。」
Dr.松本が『革命的リウマチの根本治療法』の中で、「症状がひどくなると、待ち構えるように、整形外科医は人工関節を入れる手術を勧めます。いわば生きた関節を死体の無生物である金属の関節に置換することを、何の躊躇も感ぜずにやってしまうのです。もちろん人工関節を入れたからといって、リウマチが治るわけではないのです。痛みも完全になくなるわけでもないのです。」と述べているとおりです。
結局、この病院では痛み止めの薬や湿布剤はもらいませんでした。でもやっぱり不安は募ります。「もし、リウマチだったらどうしよう。」 一週間後、今度は総合病院のリウマチ科を受診しました。大学病院(リウマチ治療で有名な某女子医大)からのアルバイトでしょうか?若い女性の医師でした。問診の際に、朝起きてから手のこわばりがあることや、足の甲、手の指、肘や、膝が痛いこと等を話しましたが、取り合ってもらえませんでした。検査も必要ないと言われ、再三頼んでやっと検査をしてもらう始末。 一週間後に検査結果を見た別の若い男性医師の診断は、怒ったような声で、「何ともありませんよ。データも正常だし。」と、つっけんどんな態度をとられました。別に気に障ることを言った覚えはないのですが。
Dr、松本は、同書で、「現代の多くの医者は患者から学ぼうとしないで、権威あるとされている大学の教授先生方が書かれている教科書を金科玉条と考え、何の疑問もなく受け入れ、教科書に載っていない病気は存在しないと考えたり、教科書に掲載されていない治療法は間違っていると決めつけています。ひどい場合は、患者が訴える症状が教科書に載っていなければ、それは病気ではないと言ってみたり」と書いていますが、正にそのとおりでした。
<2002年4月>
このように、痛みの原因が分からないまま、病院のはしごを続けましたが、痛みは残っているので、以前通院していた漢方医の許へ再び足を運びました。整形外科の医師や、大学病院から出向の総合病院の医師と比べて、この医師は、問診も丁寧で、真塾な態度から、信頼の置ける人物でした。「リウマチではないか?」と質問すると、「検査結果が正常なので、体の冷えから来る痛みではないか。」と言われ、漢方エキス剤・田七人参・抗リウマチ薬等を服用していました。
一月ぐらい通院し、治療を続けていましたが、素朴な疑問が生じました。それは、漢方薬は免疫力を向上させる筈だが、同時にリウマチの薬を服用して良いのだろうかということでした。
そんな疑問を抱いていた時、Webサイトで松本医院の存在を知りました。開いてみると、そこには、何と「リウマチやアトピーは治る」と記されているではありませんか。理論は難解で、理解は出来ないものの、読めば読むほど、こういう考えもあるのかと、驚きの連続でした。そして松本理論の正しさを裏付ける手記の数々。一方、2ちゃんねるの掲示板に眼を向けると、以前に松本医院に通院していたらしい人たちの書き込みがありました。治療を受け治ったという感謝の気持ちから書き込みをする人もいましたが、多くは通院したけれども治らなかったというものでした。しかも、その内容は我見にとらわれ、中傷に満ちたものでした。
この両方を読んで出した結論は、言うまでもなく、出来るだけ早くDr.松本の治療を受けに高槻へ行くということでした。
【治療開始~現在】
2002年5月、必ず治るとの確信を持って、高槻の松本医院を訪ねました。Dr.松本は、遠方から来た僕に、ねぎらいの言葉と力強い握手をしてくれました。Dr.の第一印象は、少し変わってそうだけど、正直で孤高な人。権威にとらわれず(白衣は着用せず、普段着で診療している)、飾らない人柄でした。治療方法は、煎じ薬・漢方風呂・誠灸です。僕は、以前に何人かの漢方医に診てもらった経験から、脈診・腹診・舌診をするのかと思いましたが、これらの診察はなく、ステロイド使用の有無と、今までの治療を聞かれただけだったのが意外ではありました。もっとも現在は、漢方薬を治療の手段として用いる西洋医であり、したがって普通の漢方医のような診察をする必要がないのだと理解しています。帰りの新幹線の車中では、もうすっかり治る気分で、手記の内容まで考えていましたが、やはりそうそう甘いものではなく、あっという間に3年の歳月が経過してしまいました。
ある人の手記には、「自分は、他の人に比べてとても軽い症状なのに、なぜ、なかなか『自然後天的免疫寛容』にならないか悩みました。(中略)そこで気付いたことは、リウマチの症状がきつい人の方が、激しくアトピーが出て、快方に向かっている」と書かれていますが、どうやら僕の場合も、他に人に比べて重篤でない分だけ、治りが遅いような気がします。
それからは毎日煎じ薬を飲み、1日おきに漢方風呂に入り、痛みの激しい時にはお灸をし、週に1回の誠灸院の通院を続け、現在に至っています。アトピーの出方は人によって様々なようですが、僕の場合は、膝から下しか出ません。本当は全身にアトピーが出ると良いのですが。
<2005年10月現在>
痛みより痒みのほうが多くなって来ました。タイトルのとおり、「骨が痛いから痒い」に変化して来ているので、そろそろリウマチの薬からアトピーの薬に替えてもらおうかと考えています。
最近になって、僕の通院している千葉県の誠灸院で、僕の他にもリウマチでDr.松本に診てもらっている患者さんがいることが分かりました。面識はありませんが、その女性は実家が大阪で、以前にアトピー治療のため松本医院に通院していて、今度はリウマチになってしまったそうです。
松本理論に理解を示す誠灸師を探すのは大切なことで、この誠灸師で3人目です。通院した当初からDr.松本の治療内容を話してきましたが、僕の説明不足もあり、なかなか理解出来なかったようです。しかしこの頃は、僕や彼女のアトピーに変化した肌の症状をみて、やっと松本理論の正しさをいくらかなりとも理解出来たようで、不思議だと言っています。もっとも、Dr.松本の理論と患者の手記を読み、身をもって体験して来た僕の眼から見れば、不思議でもなんでもないのですが。誠灸師は、最初、僕がだんだんアトピーの症状がひどくなるのに喜んでいる様子をみて、変わった患者だと思ったそうです。
継続は力なり。胸突き八丁は過ぎ、完治まであともう一歩です。