いつも、大変お世話になっております。
大変遅くなりましたが、手記を送付させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
「『普通』の素晴らしさ~リウマチになって気づくことができた~」 田中.K. 35歳
(コメント2008年3月30日)
鹿児島市在住
2004.5.21記
(1999.5)
突然、首が回らなくなり、口を開けることが出来なくなった。しゃべることも、笑うこともまったく出来なかった。慌てて、総合病院へ行った。髄膜炎を疑われ、骨髄液を採取し、いろんな検査をした。幸い、髄膜炎ではなかった。が、即入院となり、点滴治療を受けることになった。入院中、めまいが取れないので、念のため耳鼻の検査を受けることになり、国立の耳鼻科外来を受診した。がそこでも、特にこれといった原因は見当たらなかった。5日間入院し、点滴治療を受け、症状が治まったので退院した。
(この眩暈も水痘帯状ヘルペスによる内耳神経の一枝である前庭神経がウイルスによって傷つけられ、生じたものです。これをラムゼーハント症候群の不全型といい、完全型は眩暈に難聴と耳鳴りが加わります。難聴と耳鳴りは内耳神経のもうひとつの枝である蝸牛神経がヘルペスによって傷つけられるために生じます。その原因は何らかの形で医者が免疫を抑えたために、ヘルペスウイルスが末梢神経である内耳神経まで増殖し、免疫が回復したときに見つけ出され、炎症が起こり、上記の症状が出るのです。正しい治療は抗ヘルペス剤の投与でありますが、残念なことに全国の耳鼻科では原因不明として、結局炎症を抑えるステロイド投与となります。これも間違った治療法であるどころか、ステロイド投与中に再びヘルペスウイルスが増殖し、さらに深く内耳神経を傷つけている可能性があります。ヘルペスウイルスと免疫が戦ったために、炎症が起こったので、それに気づいた耳鼻科医は炎症を止めるためにステロイドを投与するのですが、肝心の炎症の原因を追究しないところが間違いの元です。
炎症の原因は常に人体にとって異物であり、それを排除するために免疫の働きが開始されると炎症が起こるのです。異物は2種類しかありません。感染症、この場合はウイルスという生きた異物ですが、もうひとつは化学物質という死んだ異物です。化学物質が神経に浸透することはまず絶対にないので、結局はヘルペスウイルスが真犯人となるのです。メニエール氏病や突発性難聴もほとんど全ての原因はウイルスであります。症状が出ればすぐに抗ウイルス剤を大量投与すれば簡単に治すことが出来ます。
この方の点滴の中身も言うまでもなくステロイド剤であります。これがリウマチを起こす伏線となっているのです。膠原病は必ず免疫を抑えることによってしか生じないのですから、ステロイド剤は医原病を起こす原因の最も大きな薬剤です。ステロイドは絶対に使ってはいけません。ステロイドを使うことが許されるのは、炎症のために生死を分かつ危険なときのみだけです。)
(2000.3)
足がすごくだるかった。「庭の草むしりしたからかなー」「子供と遠足に行って、疲れたかなー」くらいに思っていた。次第に、寝返りも打てなくなっていた。これは、おかしいと思い、整形外科に行った。「たぶん、筋肉痛でしょう」という診断だった。湿布をもらって帰宅した。(草刈をして寝返りも打てないほどの筋肉痛がどうして生じるのでしょうか?)しかし、日に日に症状は悪くなる一方だった。ひざがものすごく腫れて、ひざ下が、むくんだようにパンパンになった。歩くのがかなり辛かった。足を擦りながら、1cmぐらいの歩幅で歩いた。2階から1階に下る階段が、泣きたいくらい辛かった。実際、呻きながら、階段を上り下りした。
病院を変えた。総合病院の整形外科を受診し、念のためにということで、リウマチ因子の検査をした。結果は陽性。しかし、「リウマチ因子を保持しているからといって、リウマチであるとは限らないから、心配しなくてもいい。」と言われた。
(これだけ重篤な症状があるにもかかわらず、このような説明で得心する医者の臨床能力に疑問を感じざるを得ません。本当の病気は人体に異物が知らぬ間に入り込むことで起こります。一つは感染症を起こすウイルスと細菌です。これらが体内に入ると必ず熱が出ます。それでは熱が出ない異物は何でしょうか?それは化学物質です。この化学物質によって二つ目の病気が起こります。それがアレルギーか膠原病です。本当はアレルギーが出るべきなのですが、自分でストレスのために副腎皮質ホルモンを出し続けると、膠原病になってしまいます。この患者さんも既にステロイドを難聴で点滴によって大量に投与されていますから、その準備はもう既に出来ているのです。さらに何かストレスが加わったのでしょう。その結果アレルギーに出ないで膠原病の代表であるリウマチになったのでしょう。
悲しいことに膠原病とアレルギーは全く異なる病気だと考えられていることです。アレルギーも膠原病も同じ化学物質を異物として認識し、ただそれを排除するためにアレルギーはIgE抗体を用い、膠原病はIgM抗体やIgG抗体を用いているだけなのです。IgMやIgG抗体をIgE抗体に変えることを『抗体のクラススイッチ』といいます。
抗体のクラススイッチについてもう少し詳しく説明しましょう。Bリンパ球が抗体を作ります。もちろんヘルパーTリンパ球の手助けが必要ですが。Bリンパ球は最初にIgM抗体とIgD抗体を作ります。IgD抗体の働きは、今のところ明確にされておりませんが、Bリンパ球の成熟に関わっていることは分かっています。この二つの抗体に次いで、Bリンパ球の遺伝子にはIgMの次に作られる抗体の順番が決まっています。その順番は、IgG3 → IgG1 → IgA → IgG2→ IgG4 → IgE → IgA を作るようにプログラムされています。今まで簡単にIgGからIgEにクラススイッチすると言ってきましたが、実はIgMからIgEに、また、IgMからIgAに直接クラススイッチすることも可能なのです。ただ、何の命令でこのような様々なクラススイッチが決まるのかが現代の免疫学では明確にされていません。ただ、私は臨床経験が豊富で他の医者が知らない臨床事実を沢山知っていますから、次のことを言い続けてきました。つまり、漠然と殺すことの出来る代表のIgGから、排除することの出来るIgEにクラススイッチをすることができるのは、ヘルパー2Tリンパ球であるということです。このヘルパー2Tリンパ球がどうしてIgEを作れとBリンパ球に命令できるのでしょうか?それについて詳しく述べましょう。
IgMやIgGは細菌やウイルスと引っ付いて、好中球や大食細胞にこれらの病原菌を食べさせるようにするのですが、たまたま病原菌ではなくて、化学物質であれば食べて溶かすことが出来なくて、組織にその化学物質が大食細胞から吐き出されます。吐き出された化学物質が溜まっていくと組織の蛋白質と結びつきます。この化学物質をハプテンといい、組織の自分の蛋白質をキャリア蛋白といいます。これらが複合体となって、数少ないヘルパー2Tリンパ球と結びつくと、ヘルパー2Tリンパ球は刺激され、インターロイキン4というサイトカインを出します。このインターロイキン4がBリンパ球と結びつくと、Bリンパ球は『IgMやIgGからIgEにクラススイッチしなさい』という命令を受け取ることになり、クラススイッチを行うのです。)
はっきり、リウマチという診断には至らなかった。この時、「リウマチって、何?高齢者の病気じゃないの?」と思っていた。ひざの水抜きをした。痛み止めのボルタレンも処方してもらった。痛み止めを飲むと、うそのように痛みが取れ、普通に動けた。それが切れると、あの地獄の痛みが暴れ始めた。あまりの違いに恐れをなし、それっきり、痛み止めを飲むのを止めた。あいかわらず、症状は一向に回復しなかった。というか悪化していった。その旨話をすると、いとも簡単にステロイドを処方された。素人なりにも、ステロイドはまずいのではと思ったので、それを飲まず、病院を変えた。
(ステロイドが麻薬であるということを大衆が気づき始めて何十年にもなります。にもかかわらず医療をする側はステロイドの必要性について大衆を十分に説得することができません。この一番の大きな原因は医者がステロイドを飲むわけではなく、従ってその副作用については全く実感がないことがひとつの理由です。しかもステロイドは大衆を一時的に且つたちどころに欺く力が圧倒的ですから、使う側にとっては魔法のような薬です。ステロイドは麻薬と同じですから、一時的な快楽を得ても止めるときに離脱症状が出現します。従って麻薬漬け、ステロイド漬けになってしまうのです。
病気は異物が入ることで起こるわけですから、その異物を人体から吐き出させる薬があれば本当に優れた薬といえます。ところが、そんな薬は作ることは出来ないのです。その代わりに人体の免疫がその仕事をしているのにもかかわらず、その仕事を止めようとする薬を使って吐き出させることを止めさせる馬鹿げた行為を医者がやるのです。むちゃくちゃです、はちゃめちゃです。
私の仕事はこの麻薬の離脱症状をどのようにして乗り切らせるかでありますから、他の医者がステロイドを使ったからといって、怒ることもないどころか、本当は仕事が増えるので喜べばいいのでしょうが、私はこのような薬を許すことが出来ません。無知な善良な大衆のために私は常に立腹しているのですが、たった一人正論をがなり立てても世の中はそう簡単に変わりません。10年以上もホームページを通じて『ステロイドは使うな、アレルギーは治る』と言い続けていますが状況は全く変わりません。少しばかり基礎の免疫学を勉強すれば、クラススイッチの理論も免疫寛容の理論も簡単に理解できるのですが、権威ある臨床医学会からは全く同じ意見が出ることはありません。それでもいつかは真実が世界を支配することになることを期待して、しこしことホームページを作り続けます。)
リウマチにかけては、かなり有名な先生がいる病院で受診した。わざわざその先生を指名し、診てもらった。いままでの経緯を話し、症状を話すと、「間違いなくリウマチですね。あなたは、まだ変形もしてないし、症状が出てから、そう期間も経ってないから、抗リウマチ剤で治したほうがいい。漢方薬で気長に治すのは、勧めたくない。」ということだった。薬の副作用のことを訊ねると、「副作用は、しょうがない。それを治すのが、ぼくたちの仕事だから。」とあっさり言われてしまった。ショックだった。その病院の待合室でのことだった。2人の40~50才代の女性が話していた。
(治すことと薬を投与することとは別物です。現代の医者が間違いをしている点は、治療と投薬を同じものだと考えていることです。投薬は単に正しい免疫の働きを止めて、一時的には免疫の戦いは止まりますが、結局は薬をやめるとリバウンドが出るので、薬を止めることができないうえに、病気は永遠に治らないで徐々に徐々に進行していくだけなのです。一般大衆は病院に、しかも大病院に行けば行くほど、さらに有名であればあるほど良い先生だと考え、その医者に診てもらえば病気は治ると勝手に思い込んでいるだけです。特に日本人は自分でものを考える力が欠けている傾向があるので、自分の病気についても何も疑問を感じずに、医者に全面的に自分の病気を任せきりにして、病気を作られていることに気がつかないのです。
今日本に70~100万人のリウマチ患者がおり、毎年増加していますが、彼らが病気を診断されたときに松本医院に来てもらえば、全てのリウマチ患者は簡単に治ってしまうでしょう。もちろんアレルギーとリウマチは同じですから、リウマチになる前にアレルギーの治療で大量のステロイドを使ってきたり、また他の病気で女性ホルモンをはじめとする免疫抑制剤を大量に使ってくると、クラススイッチがしにくく、さらに免疫寛容も起こしにくいので治り方にはその差が反映されるでしょうが。
感染症が今や過去の病気となってしまった状況では、結局一番多い病気はアレルギーと膠原病であります。春のスギ花粉のシーズン中は日本列島に2500万人以上の花粉症患者が出現します。薬局に市販されている大衆薬も医者が出す薬も、全て抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・ステロイド剤などの免疫抑制剤であります。春のシーズンになるとテレビや新聞や雑誌は間違ったアレルギーの治療方法や薬が満載されます。無知な大衆はこぞってこれらの薬を買い求めます。彼らを責めることは出来ません。なぜならばこのような啓蒙宣伝の背後には必ず権威ある大学教授が控えているからです。このような薬を使えば使うほど免疫寛容が起こりにくいために、毎年毎年アレルギー患者が拡大再生産され続けます。生かさず殺さず治さずの3拍子揃った薬はどんどん売れ続けます。まさに医療も資本主義体制に組み込まれ、医者は病気を治さなくてもお金が入るという仕組みになっているのであります。
どうしたら治せる正しい医療が可能となるでしょうか?答えは簡単です。治さなければお金を払わなくても良いという法律を作るべきです。薬を出せば、検査をすれば、病気を治さなければ永遠にお金が入るという出来高払い制をストップすることです。なぜ政治家はそのような法律を作らないのでしょうか。分かりません、考えてください。車が故障したときに修理工場へ持っていって直らなかったらお金を払いますか?絶対にお金を払う必要はないでしょう。にもかかわらず、人間の体の故障を修理しなくても、お金を払わなければいけない根拠はどこにあるのでしょうか?)
どうやら、電気治療に来たらしかった。「私は、リウマチ暦5年ですよ。」「私は、7年です。きついですよねー。」そんな話を横で聞きながら、この痛みがいつまで続くのか、とてもとても不安になった。
痛くて,重い体、重い気持ちを引きずって、漢方相談所に行った。そこですら、「漢方薬だけで治すのは、どうかなー。病院にかかって、リウマチの薬を飲みながら、漢方薬も飲んだ方がいい。」ということだった。(このような漢方薬局は本当に何も知りません。出来の悪い漢方薬の薬剤師ですから、責任は持たなくて、しかも漢方薬は売ってお金は儲けたいので、同時に医者にかかれとアドバイスをしたのです。漢方薬を使うことは免疫を上げることです。他方、新薬は免疫を下げるために用います。この違いを薬局屋は何も知らないのです。薬局の薬剤師だけが無知ではありません。近頃、大学病院の中にも漢方科や漢方内科という科が、雨後の竹の子のようにできつつあります。しかし彼らは病気を治すことは絶対に不可能です。なぜならば漢方薬を用いれば、他の薬を使ってはならないということを大学病院の中で言えますか?製薬メーカーが作る薬は全て免疫抑制剤でありますから、使ってはいけませんと言える漢方医がいますか?私のように免疫学を完全に理解し、且つ実際に病気を治している医者はいないので、公言する自信があるどころか、もし仮に言えたとしても必ず大学病院で孤立し、必ず村八分にされます。
大学の付属病院に漢方科を作ることは全く無意味であるのみならず、漢方資源の無駄遣いです。中国が工業化すればするほど、漢方薬の栽培する農地も減ることを余儀なくさせられる時代が来るでしょう。いずれにしろ、治してナンボの医療システムにしない限りは、医療費はこれからも無限に拡大していくでしょうし、それと共に医原病も無限に増え続けるでしょう。)
もう他に頼れるところはないと思った私は、松本医院に行く決心をした。リウマチという言葉が身辺に飛び交い始めたころから、主人がインターネットで、いろいろ調べてくれていた。その中で、松本先生の理論が目に入り、主人がここしかないと勧めてくれた。私は、「大阪までなんて、遠すぎる、方言も違う、ましてや、怪しい病院じゃないか。」と思い、かなり尻込みしていたのだった。
そのころの私の症状は、体全身が痛み、歩くこともままならず、かといって横になることも出来なかった。夜、痛くて、寝ることも出来ず、トイレに行こうと思っても、すぐにすたすた行けるわけでもなく、それこそ這っていくような感じだった。体中痛くて、睡眠もとれず、まさに生き地獄だった。
(2000.4)
私は、主人に付き添ってもらい、松本医院へ出かけた。全身の痛みを我慢し、歩幅1cmくらいの奇妙な歩き方をしながら、飛行機に乗り、電車に乗り、見慣れない町を、かなりのスローペースで移動した。途中、じろじろ見られたりもした。特に階段は、試練の場だった。その時の私にとって、上り階段は、エベレスト級の山、下り階段は、断崖絶壁状態だった。特に下り階段は命がけといっても過言ではないくらいだった。私のペースに合わせて、まわりに気を遣いながら歩いてくれた主人は、もっときつかったと思うが。松本医院の鍼灸師織田先生に教えて頂いたとおりに、ひたすら進んだ。そして、ようやく到着。が、松本医院の前に立ったとき、唖然としたのだった。そびえたつ階段に、圧倒された。深呼吸し、最後の力をふりしぼり、その階段を上りきった。そうして、ようやく漢方の心地よい香り漂う、松本医院の扉を開けることができた。
まだ午後の休憩時間だった。たまたま受付にいらっしゃった松本先生が、私たちに気づき「患者さんだよ。あいさつは・・・・。」と受付の方たちに挨拶をうながしていた。「こんにちは。」受付の方たちが声をかけてくださった。なにげないことだったが、心身ともに疲れ果て、緊張していた私にとって、先生のさりげない気持ちが、とてもうれしかった。その時、「ここに来て良かった。」と思った。問診表に記入した後、しばらくすると、ピンク色の制服に身を包んだ看護婦さんに呼ばれた。関西弁でまくしたてられるのかなと身構えていた私に、おだやかな口調で、いろいろ話しをしてくださった。気が緩んだ私は、自分でもわけがわからないうちに、感極まって、涙があふれて止まらなかった。
いよいよ先生と対面の時がやってきた。ものすごく威勢がよく、圧倒された。でも先生の語り口の歯切れの良さに、こちらまでまきこまれ、お会いしただけで、元気になった。「必ず、治してあげるから」とおっしゃって下さり、握手をして下さった。もう他に頼るあてがなかった私は、この時はまだ半信半疑ではあったが、先生を信じようと思った。
(さらに日進月歩している私の松本医学から言わせてもらえば、治らない病気はないという結論に達しました。膠原病であるリウマチなどというのは絶対に死ぬことはないので、このような意味でお茶の子さいさい程度の病気と考えるまでになりました。
病気は2種類の原因しかありません。ひとつは生きた異物が体内に入ると感染症となりますが、ワクチンと抗生物質で過去の遺産となりつつあります。二つ目は死んだ異物である化学物質が引き起こすアレルギー・膠原病であります。これもクラススイッチと免疫寛容で必ず治るということがわかっているので、この患者さんに対しても『必ず治してあげる』と言ったまでです。予言どおりこの人のリウマチも治ってしまいました。さあ、これまで私は何百人どころか1000人をゆうに超える患者さんのリウマチを治してきました。治るべくして治っただけであります。私が彼らの持っている自然の免疫の働きをヘルプしただけで、患者さん自身が治してくれたのです。
病気の治し方は二つしかありません。一つ目は病気の原因を除去すること。二つ目は病気の原因と共存するようになること。この二つしかありません。成人病は原因を除去すれば治ってしまいます。つまり、必要なエネルギー以上に食事を摂らないということです。心の病はその原因を受け入れること、つまり共存することです。
最後の病気である癌について述べておきましょう。私も今年で63歳になり、いずれ近いうちに死ぬことになるでしょう。その死に方について考えましょう。病気の原因から死に方を考えると、まず感染症ですが、おそらく聖人君子のような生活をしているので、免疫は大丈夫ですから風邪から肺炎になって死ぬことはないでしょう。二つ目のアレルギー・膠原病については、少しばかりのアレルギーはありますが、風邪をひいても喘息になることはないので、喘息で死ぬことはないでしょう。膠原病についてはときにリウマチになったりしますが、これもストレスが原因というのは分かっていますから、ストレスに対しては抵抗せずして受け入れてアトピーにして治しています。もちろんどんな膠原病でも薬で免疫を抑えない限りは、その薬で死ぬわけでもないし、さらに膠原病自身で死ぬことは絶対にないのでこれで死ぬのも無理でしょう。三つ目の成人病に関しては、私はれっきとした糖尿病患者です。しかし糖分が一番多い主食を完全に断ち切っており、血糖は完全にコントロールされているので、まず糖尿病の合併症で死ぬこともまずないでしょう。なぜ主食を止めれば糖尿病が良くなるかについては後で述べます。
次に心の病で自殺するということもまずないでしょう。私は青春時代悩み続け、アホなことに3つの大学に通いました。最後に医学部に入りなおしたのも、自分の病気を自分で治すためでありました。20年間悩みましたが、その間常に鬱状態で自殺願望を持ち続けていましが結局死に切れませんでした。自殺は私には到底無理だということが分かってしまったので、今後もどんなに人生に絶望しても自殺をすることはないでしょう。また医原病で死ぬこともおそらくないでしょう。なぜならば私は漢方薬と抗生物質しか飲むことはしませんから。漢方薬の副作用で死ぬことは絶対にありません。
とすると最後に残るのは癌です。私もいずれは結局は癌で死ぬことになるでしょう。癌についてさらに詳しく説明しましょう。癌は老化による免疫の低下が原因の一つです。癌免疫については色々研究されていますが、癌に対する免疫を高めてあげれば、絶対に治るという理論も証拠も今のところ皆無です。ただ、免疫を高めることによって癌抗原を認識しやすくなり、癌細胞を殺すのに少しは貢献することもあるということは分かっています。しかし、癌の原因を考えると様相が一変します。つまり人間が生まれつき遺伝子の中に持っている原癌遺伝子が癌遺伝子になってしまうことです。癌遺伝子になるまでに数段階、修復遺伝子が発動して癌遺伝子にならないような仕組みが生まれつき組み込まれていますが、結局は修復遺伝子も矢尽き刀折れて原癌遺伝子が癌遺伝子になってしまうのです。
なぜ生まれたときから必殺の病気の原因となる癌遺伝子が組み込まれてしまっているのでしょうか?それは人生の責任を果たして、年老いてしまえば人間の生命は無用の長物となり、「死んでください」というプログラムが内蔵されているとしか考えられません。仕事も出来なくなり、よぼよぼになり、頭の働きも全てが弱まっているときに、まるで「他人に迷惑をかけないうちに死んでしまいなさい」という神のお告げのようです。老兵は消え去るのみです、という次第です。ましてや、生命の単位である細胞自身が内側から崩壊していくという恐ろしい細胞の自殺のようにも見えます。用がなくなった人間が自分の意思で自死が出来ないものですから、細胞自身が内部から自殺していくという姿が癌ではないかと思う近頃です。癌についてはエールリッヒの100年前の時代から研究を重ねられてきたにもかかわらず、治す薬はいまだ見つかっていません。おそらく今後も見つかる可能性は少ないと思います。
視点を変えて癌を考えるとその意味がさらによく分かります。それは、もし癌で死なない老人が誰もいなくなったら、日本人の平均寿命はおそらく優に100を超えるでしょう。今でも多老少子国家といわれる日本において、誰が老人の面倒を見てくれるのでしょうか。現在でも老人施設では若い人が老人の世話をしています。この若い人たちの生産性はマイナスです。そんな国家が永続可能でしょうか?おそらく滅びるだけでしょう。ましてや現在でも年金制度は崩壊しているといわれています。誰が老人に飯を食わせるのでしょうか?
集団が滅びる前に責任を果たし終わった老人には、必殺の癌死という死に方を神様はくれたのでしょう。こんな考え方は、現在癌で苦しんでおられる方には申し訳ないのですが、ましてや、若くして癌になられた方は気の毒だという一言以外に何も言えないのですが、私もいずれ癌で死んでしまうでしょう。私も63歳の老人ですから、ひょっとしたら私の体内にも癌細胞が芽生えているかもしれません。ただ癌にならないようにタバコを今までどおり吸わない、酒を飲みすぎない、肥えすぎない、ストレスをかけすぎて免疫を抑えない、さらに薬を飲みすぎて免疫を抑えなければ少しは元気な仕事が出来る長生きが可能となるでしょう。)
その後、鍼灸をしてもらった。鍼灸師の織田先生は、とてもおだやかで、ゆったりしたしゃべりをされて、とても安心した。また、とても気持ちよく、ただ1度の治療だけで、かなり良くなったような気がした。初めてお会いした方とは思えないほど、リラックスできた。漢方入浴薬と漢方煎じ薬を、処方してもらい、帰途についた。
言われたとおりに、朝晩薬湯に入り、煎じ薬を飲みはじめた。この薬湯が、想像以上に良かった。家族にも「体がぽかぽか暖まる」と好評だった。(薬湯は体をどんどん温めて血流を良くし、免疫を向上させてくれます。鍼は痛みで、お灸は熱さで、漢方は苦さで、免疫を上げてくれるのです。免疫を上げるためには刺激を与えることしかありません。)
服の脱ぎ着がおっくうであったが、薬湯の魅力にとりつかれ、入り続けた。湯の中で、体は重力を感じず、とてもとても楽だった。湯から上がったときの体の重さといったら、たまらなかった。体重を支えるため、いろいろなものに寄りかかったり、つかんだりして、家中のものを壊した。「重力1/5の月で、生活したい。」と、本当に思った。痛い重たい体を引きずって、鍼灸にも通った。家でもお灸をした。そうこうしているうちに、症状が少しずつではあったが、いい方向に向き始めていた。
(2000.5)
主人は、胃痛に悩まされていた。私がリウマチになったことで、かなり心配したせいだった。いろんな意味で辛かった。(全世界の私以外の医者は『リウマチは治らない』と言い切ります。その為に患者さん自身のみならず家族みんなが絶望の深淵に落ち込んでしまいます。医者には治る病気を治らないと言うことで、どれだけの不幸を患者さんや家族にもたらしているかを知ってもらいたいのです。私のクラススイッチの理論と免疫寛容の理論、そして実践は、何も難しいことではないのです。免疫学のイロハを勉強すれば、医者ならば誰でも分かることなのに、見て見ぬフリをしているようです。基礎の免疫学の学者も大声を出して臨床の学者に真実を説けばよいのに、学問的良心を麻痺させて強く説得することもしません。臨床の学者は学者で製薬メーカーの言いなりになるだけで、患者さんの病気のことは真剣に考えません。大学という組織に入れば保身術ばかり身につけて、真実を語ることを止めてしまいます。悲しいことです。)
絶不調?(絶好調の正反対)の私たちであったが、ゴールデンウィークは、家族そろって旅行に出かけた。ついこの間までは、考えられないことだった。薬湯と煎じ薬の効果が、明らかだった。まだまだ摺り足ではあったが。煎じ薬をポットに入れて、持ち歩いた。
(2000.6)
2ヶ月ぶりに、松本医院へ向かった。今度は、私一人で飛行機に乗り、電車に乗り、歩いた。それが出来るまでに回復していた。早い効果の現れに驚くと同時に、とてもうれしかった。松本医院で受診する前に行った病院では、「リウマチ薬を飲み始めて、3ヶ月経たないと、効果は期待出来ない」と言われていた。松本医院へ来て、本当に良かったと、心底思った。(薬が効く・利かない、などというのは本当に意味のないことです。免疫を抑えて戦いを止めさせるのに3ヶ月かかるという意味で、治るという意味ではないのです。製薬メーカーの薬は全て人体にとっては異物ですから、元来入れてはならないのです。入れれば必ず排除する免疫の働きが発動すると同時に、臓器にとって毒となる可能性も出てきます。その為に抗リウマチ薬で何百人もの患者が死んでいくのです。リウマチで死ぬことは絶対にないのにもかかわらず、このような悲劇が毎日どこかで起こっているのです。しかし誰も責任を取りません。なぜでしょうか?分かりません。考えてください。)
その日は、先生にいくつかの質問を準備していた。それを、いつもの歯切れのよさで答えて頂いた。その中の1つは、「妊娠しても、大丈夫ですか」という質問であった。「今は、少し待ったほうがいいかもなー」という回答だった。まだまだ体調が万全でない私にとって、これは、あくまで念のための質問であったのだが、後に・・・・・。この日も、先生からたくさんの元気を頂いて、日帰りで、帰路についた。
(患者さんの多くが、私と会うと元気が出るといいます。私もとりわけ非凡な才能がある男だとは考えていませんが、リウマチは治るという真実だけは誰よりも良く知っているので、患者さんの心に強く私の真実が伝わるからでしょう。人間の肉体も心も真実が一番響き、元気が湧き出てきます。肉体は生まれつき持っている免疫の働きに任せれば全ての病気を治してくれますし、心は真実を語れば必ず強く共感できるものです。特に治らないとされている絶望の病を希望の病に変えることで、私に出会った人たちは意気揚々と帰っていきます。私の言葉と私の握手を求めて、わざわざ遠方から一週間ごとに高額な旅費を使ってきてくれる患者さんが多数おられます。希望は必ず免疫を上げてくれます。絶望は免疫を下げます。現代の医者はリウマチの患者さんに絶望を与えることで、さらに病気を作っていきます。私と他の医者とは天と地の違いがあります。何故このような違いが出るのでしょうか?私だけが病気の全ての真実を知っているからです。このように治らない病気などはないのです。病気を治すのも作るのもその人自身なのです。
ここで癌は治らない病気だと反論する人もいるでしょうが、実はさっき述べたように、癌は病気というよりも生の最後の処理の仕方、つまり死に方を神様が生まれたときに決め、そのプログラムを実行しているだけなのです。つまり生まれたら死ぬのだという宿命を実践しているだけなのです。老化を悲しまない限り癌も悲しむ必要はないのです。)
(2000.8)
家族で、温泉旅行へ出かけた。このころになると、だいぶ痛みも減っていた。が左足首が痛かったので、スムーズには歩けなかった。それでも、かなりの回復ぶりに、私自身も主人も、にこにこ顔だった。もちろん、煎じ薬は持ち歩いた。
(2000.9)
3ヶ月ぶりに、松本医院へ向かった。今回は、少し気が重かった。なぜなら、妊娠していたからである。6月に受診した際、「妊娠は、もう少し待ったほうがいいかもなー」との先生からの回答だったので、今回妊娠している旨、切り出すのがとても怖かった。「自分の状態を考えんとー」みたいな感じで、どやされるかなと、ドキドキしながら、妊娠していることを告げた。すると、先生からは、「そうか。そうやったら、薬は、一時止めような。」という返事だった。私は、ほっとした。妊娠がわかった時、本来は、手放しで喜ぶ出来事であるが、今回は、私の体調が万全でないため、純粋に喜べなかった。かといって、授かった我が子を、あきらめることは出来なかった。この複雑な気持ちを、主人に分かってもらえないもどかしさで、とても落ち込んだ。しかし、先生に話して、頑張って、我が子を産む決心をした。(リウマチだからといって妊娠をしてはいけないという理由はありません。ましてや妊娠中は胎盤から、妊娠していないときの10000倍以上の女性ホルモンが放出されるので、一時的に免疫が抑制されてリウマチの症状が良くなることがあります。その意味でリウマチをよくするためには、どんどん妊娠しなさい、といっても良いくらいです。もちろんこれは冗談ですけれども。ただ出産後、胎盤が後産で放出された後に免疫のリバウンドが見られ、リウマチの症状が激しくなることがあるということは知っておいてください。)
(2000.10)
妊娠してから、一段と体調は良くなっていった。子供の運動会にも、手作りお弁当持参で参加することが出来た。(予言どおり、妊娠中は体調が良くなります。)
(2001.3)
来月、出産を控え、マタニティー体操や、呼吸法など、体を動かしていた。ものすごく体調はよかった。リウマチになったことが、うそのようだった。
(2001.4)
長男小学校入学、二男幼稚園入園、三男無事出産。母子ともに元気。順調に産後を過ごしていたが・・・。
(2001.5)
咳が出始めた。どんどん咳が強くなっていった。そのうち、あちこちリウマチの痛みが出始めた。でも私には、松本先生がついていると思うと、ものすごく気が楽だったし、痛みも、それほど苦ではなかった。なつかしい痛みが戻ってきたという感じだった。その頃までは。
(これも予言どおり出産後リウマチのリバウンドが見られました。しかし、リウマチなどという病気は何も怖い病気ではないのです。全世界の医者が「治らない、治らない」と言うものですから、専門家を信じている無知な大衆は怖がらざるを得なくなるのです。この人のように真実を知っている私を信じている限りは、このようにリウマチが悪くなっても怖がらないのです。
私は時々夢の中で医者は病気を作る名人ではないかと思うことがあります。朝から晩まで権威ある医者やマスコミは『病気は怖い、病気は怖い』とがなり立てます。私は『病気なんか怖くない病気なんか怖くない』と言い続けますが、多勢に無勢であり全ての医者とマスコミを敵に回しているものですから、蚊の声にもならないくらいです。
たとえば健康食品というものがあります。食品というのはまさに健康なものですから食品ではないのでしょうか?なのに何故食品のうえに健康をつけるのでしょうか?もちろん食品のうえに健康をつければ同じ食品の値段を吊り上げることができるからでしょう。また、栄養補助食品というものが大手を振っています。日本人が成人病になるのは栄養過剰であるからでしょう。なのになぜ厚生省は栄養補助食品と銘打つことを許し、それを売らせるのでしょうか?やはりお金が儲かるからでしょう。病気が何であり健康が何であるかを知らない医者が多すぎます。ましてや一般大衆においては全く病気については無知ですから、一般大衆からお金を巻き上げることはいとも簡単です。悲しいことです。)
(2001.6)
生まれたばかりの三男坊に母乳を与えていたので、病院へ行って、薬をもらっても飲めないなと自己判断していた。そのうち、「だれか、この子を見ていてほしいな。ゆっくり寝て、体を休めたい。」と、かなり自分自身辛い状況になっていた。とうとう、どうにも我慢できない状況になり、病院へ行った。肺炎になっていた。いろいろ検査した。先生には、「入院したほうがいい。」と言われたが、子供のこともあり、通院する方法を選んだ。病院で治療するのは、体にとって、いろいろ問題になることだらけだよなと、とても心配だったので、松本先生に電話をかけた。すると、松本先生は「とりあえず、肺炎から治しなさい。」という返事だった。その言葉に安心した。その日、帰宅して、横になっていたが、咳は相変わらずひっきりなしに出て、リウマチの痛みも、激しさを増していた。歩くことが、かなりむずかしくなっていた。息苦しさを我慢できなくなった。とうとう、救急車で病院へ運ばれた。それから、2週間余りの入院、点滴治療が始まった。
(2001.7)
食欲なし、吐き気あり、咳はとまらず、体重激減、微熱続き、杖なしでは歩けず、自分でいうのも変だが、見られたものではなかった。家のことを心配する気力すらなく、ただただ、良くなることを信じて横になっていた。その頃から、足の甲が、通常の2倍以上に、赤くパンパンに膨れ上がっていた。男性ものの大きな草履しか、履けなくなっていた。足裏が痛くて、歩くのがきつかった。夜は、熟睡できず、朝はかなり早くから起きていた。テレビを見る気力もなかった。
診察を受けても、退院の目処は立たず、私は、いつになったら帰れるのだろうと、涙が溢れて止まらなかった。その入院中に、いろんなことを考えた。家に帰れたら、「いつも笑顔でいよう。」「子供たちを叱るのをやめよう。」「主人に、嫌な事言うのをやめよう。」「人の悪口、陰口は言わないようにしよう。」「元気になったら、何でも自分が出来ることは、率先してしよう。」「どんなことが起きても、許そう。」この時は、心底そう思っていたのだが・・・・。
退院の日がやってきた。杖をつきながらではあったが、なんとか歩くことが出来た。家に帰って来られたことが、大変うれしかった。生後3ヶ月の三男坊は、ソファの上に寝転んでいた。体中が痛む私は、その三男を抱き上げることが出来なかった。ただただ、姿を眺めていることしか出来なかった。
退院して10日後位に、家族で霧島に出かけた。陶器のコップに絵付けをした。私は、杖をつきながらではあったが、家族で出かけられるまで回復した自分が、とてもうれしかった。
(2001.8)
子供たちが、夏休みで家にいた。体の自由が利かない私を見かねて、近所の人が、お昼を準備してくれたりした。涙が出るくらいありがたかった。小学1年の長男が、よく弟たちの面倒を見てくれたり、こまめに動いてくれたりした。もちろん、主人も家の掃除、洗濯、食事作り等、頑張ってくれた。動きたくても動けない自分が歯がゆくて、悔しくて、申し訳なかった。家族に八つ当たりする日もあった。母親が元気じゃないと、家の中が真っ暗になると思った。(妊娠はかまわないのだけれども、妊娠後リウマチがひどくなることが問題なのです。若い女性がリウマチになるのは、まさに妊娠中の女性ホルモンの莫大な増加が見られ、その間免疫が抑制された後、出産するとリバウンドが出現し、アレルギーになるべきものがリウマチになってしまうことなのです。この人が治っていなかったリウマチを妊娠によって女性ホルモンで免疫が抑えられることでリウマチの症状は楽になったのですが、出産後免疫のリバウンドが生じ、リウマチが再び出現し、さらに悪化したのです。しかも肺炎の治療でどのような治療をしたかが実は問題なのです。肺炎がひどければ、しかもほとんどの肺炎は細菌性ですから抗生物質を投与しながら、同時にステロイドを入れる馬鹿な医者がいます。この患者さんはその可能性が大であります。そのためのリバウンドも加わったのかもしれません。)
(2001.9)
症状は、一向にいい方向へ向かっているとは思えなかった。足の甲はパンパンに腫れあがっているし、杖は手放せなかった。家で、ローラーのついた椅子を、車椅子がわりに使った。何をするにも、一回一回気合を入れながら、動いた。そうしないと動けなかった。台所仕事も、椅子を使ってするようになった。「私は、本当にリウマチなのだろうか。本当は、別の病気じゃないのかな。」余計なことを考えはじめていた。「松本先生、信じていていいのかな。」すぐに松本医院に行けない不便さを感じていた。「やっぱり、近くの病院で、薬をもらって、楽になったほうがいいのかな。」自問自答しながら、リウマチに関する書物を読み漁り、落ち込んだ。そんな時、インターネットで、皆さんから寄せられた手記を読んだ。その手記に励まされた。涙が溢れて止まらなかった。迷っている場合じゃないと、思い直した。(このように状況が悪くなると、しかもこの方は大阪から遠く離れた九州の鹿児島から来ておられる患者さんですから、遠すぎて身動きがなかなか取れません。そんな時、私を疑ったりして心が逡巡することがあるのも当然です。入院中にやはりステロイドを投与された可能性も大で、二重のリバウンドが重なり、痛みが耐えられなくなり私を疑いだしたのも合点の行くことです。病院に入院しているときにどのような薬が投与されたかについては一切患者には情報が与えられません。いつもこれは問題だと感じています。ステロイドの中で一番副作用が大きいのは、やはりステロイドの点滴であります。過去のことですが、どのような治療をされたかもっと具体的に知りたかったのですが、今は知る由もありません。いずれにしろリウマチがどんなにひどくなっても、リウマチそのもので死ぬことはありません。何もリウマチだけではなく膠原病の全てについて言えるのですが、膠原病で死ななければいけない理由はありません。ただ怖いのは免疫抑制剤を使ってくると、感染症が起こりやすくなることと、免疫が上昇するとアルブミンが減少して腎機能障害を起こすことが問題です。このような問題に対処するために、常に私は患者さんに自宅の電話番号や携帯の電話番号を教えて、困ったときには必ず電話をするように指示しております。)
(2001.10)
焦ることはなかった。少しずつ、いい方向へ向かっていた。その証拠に、長男の運動会には、手作りお弁当持参で参加出来たからだ。杖も必要なくなっていた。
(2002.6)
かなり久しぶりの松本医院行きであった。昨年のいろんな迷いが嘘のように、通常生活を普通に送れるようになっていた。
(2002.8)
高校時代の友人と、同窓会で会った。お気に入りの服を着て、普通に出かけられる自分が、とてもうれしかった。もちろん、周りの友人は、私がリウマチで苦しんでいたなんてことは、私を見る限りでは知る由もなかった。このころ、新たな鍼灸院へ行き始めた。とても感じのいい先生で、腕もよかった。すぐに効果は現れ始めた。この鍼灸の先生と、もっと早く出会っておけば、もっと早く体調も良くなったと思う。リウマチ患者にとって、鍼灸がとても重要であることを痛感している。(鍼灸師にも腕の良し悪しがあります。優れた鍼灸師に鍼をしてもらえば必ず直後に痛みが楽になります。医者にもピンからキリまであるように、鍼灸師にも研鑽を続け勉強をしている努力の差が出てきます。人の命を扱う人は一生勉強すべきです。私も日夜勉強に明け暮れています。)
(2002.10)
主人の弟の結婚式で、東京へ出かけた。このころは、かなり体調もよかった。ただ、左足首が少々痛み、歩き方がぎこちなかった。
(2003.6)
松本医院で受診した。体調は、すこぶる良かった。松本先生も、私の回復ぶりを喜んで下さった。とてもうれしかった。体力に自信を持った私は、週3~4日、短時間働き始めた。
(2004.4)
たまに、節々が痛むことはあっても、寝込むほど辛いことはなく、過ごしてきていた。普通に生活していたので、煎じ薬もさぼりがちであった。仕事は、体に無理のこない範囲のつもりであったが、やはり働きはじめると、そういうわけにもいかなくなっていた。比重が仕事に傾きはじめていて、正直辛くなっていた。無理に無理を重ねたあげく、気づかぬ間に、また肺炎になっていた。今回は、入院は免れた。仕事をあきらめた。肺炎も治り、普通の穏やかな生活を送っている。
私は、リウマチになる前は、自他共に認める頑健な体の持ち主であった。結婚し、翌年長男を出産、1年間育児休業し、仕事は続けた。4年後、二男を妊娠中に退職。二男を出産後、家を新築。環境の変化に伴ってか、出産の影響か、かなり精神状態が不安定になっていた。すべての物事に対し、マイナス思考になり、吐き気をもよおすなど、ストレスに押し潰されそうだった。自分自身でストレスを作りだしていたのかもしれない。それからが、体調変調の始まりだった気がする。今となっては、その時、うまくストレス発散していれば、もしくは、ストレスに打ち勝てる強靭な体であれば、リウマチになることもなかったかもしれないと思ったりもする。
(まさにこの人はストレスを耐え続けている間に自分自身の副腎皮質ホルモンを出し続け、その間免疫を抑え続けたためにリバウンドによってアレルギーで出るべきものがリウマチになったと考えられます。
どうしてストレスに耐えるために副腎皮質ステロイドを出し続ける必要があるかについて説明しましょう。ストレスに対抗するために、脳の中にある視床下部(Hypothalamus)と下垂体(Pituitary)と副腎(Adrenal)の三器官が連携して、肉体と精神を奮い立たせ、鬱状態にならないようにしているのです。この連携を三つの器官の頭文字をとってHPA系といいます。この患者さんは、『ストレスに打ち勝てる強靭な体であれば』と書いていますが、まさに強靭であったために鬱にならないでリウマチになったのです。つまりストレスを視床下部で感じ、ここでCRHというホルモンを出し、これを下垂体に伝えて、ここで新たにACTHというホルモンを出して副腎にステロイドホルモンを出せと命令を下し、ストレスに対抗できたのです。ところが、このステロイドホルモンは心の異物、つまりストレスに対抗させることは可能ですが、その間、体の異物に対抗する免疫を抑えるのであります。なぜこのようなシステムを作ったかというと、人間は肉体の悩みと精神の悩みを同時に戦い続けることが無理であるからです。その間は一方を抑制して、エネルギーを他方に集中させるのです。もっと具体的に言えばリウマチの痛みを持ちながら、東大受験を乗り切ることは可能ですか?という問題です。)
しかし、リウマチになったことで、いろいろなことを考えることが出来たのも事実である。たとえば、普通の生活である。今の私にとって、すべてのことがありがたく、すばらしいことに思える。一つ一つの動作に感動する。何もかもに対して、感謝せずにはいられないのである。何気なく、ソファに座る、立ち上がる、歩く、洗濯物を干す、掃除機をかける、階段を上る、下りる、台所に立つ、ご飯をつくる、ベッドで寝ることが出来る、布団をかけることが出来る、朝、目が覚めて、すぐに起きられる・・・。
体が思うように動かない経験をして、はじめて分かった。人間の体って、本当にすごいなと、改めて感じた。子供と手をつなぐことが出来たときは、うれしかった。抱っこも出来るようになって、親子共々、ニコニコ顔である。体の弱い人にも、なにげなくやさしく声かけ出来るようになった。以前の私は、元気120%だったので、病弱な人の気持ちなど考えたこともなかったし、「そんなことぐらいでー」みたいな気持ちしか持っていなかった。以前の私でなく、今の私になることが出来てよかった。これは、通常生活を普通に送れるようになったからこそ、そう思えるのだろうが。
今は、朝、目が覚めたことにまず感謝し、その日一日がスタートする。普通に生活出来ることが、幸せでたまらない。これも偏に、松本医院、松本先生のおかげであると、心から思っています。本当にありがとうございます。いざという時は、松本先生が私にはついていると思うからこそ、安心して、毎日過ごせているのかもしれない。
そして、松本医院に出会わせてくれた主人に、感謝。今、通っている鍼灸院の先生に、感謝。家族に、感謝。いつも何げなく励ましてくれる友人に、感謝。元気になることが出来たなら、私は、いろんなことにチャレンジしようと思っていた。元気になれたら、何でも出来ると思っていた。その思いを忘れることなく、いろいろなことに取り組んでいきたい。一日一日を大切に過ごしたい。みんなに感謝しながら。いつまでも家族が笑って過ごせるように、元気でありつづけたいと思う。
(かなり昔の話なので、この方の顔も忘れてしまいました。毎日毎日新しいリウマチの患者さんが来るものですから覚え切れません。今コメントを書きながら、今更ながらこんな患者さんのリウマチも治してあげたのかな、と感慨深く感じ入っているところです。私を信じてくれた人は必ず治るのです。もちろん私を信じなくともリウマチは治るのですが、疑いを感じている間は、その疑いに耐えるためにステロイドホルモンを出さねばならないので、クラススイッチがしにくく且つ免疫寛容が起こりにくいので治りが悪くなります。
リウマチは必ず治るものです。しかしながら私に診てもらう前にどれだけ現代医学の間違った治療によって免疫を抑えてきたかが一番大きなポイントとなります。いつになったら間違った治療は終わるのでしょうか?製薬資本が世界の医療を支配している限りなかなか希望の光は見えてきません。ほとんどの患者さんは私との出会いの前に病気を治せないようにして来られます。現代の医療がおかしいと思ったときには免疫の抑制の度合いが重篤で、後の祭りだという方がいっぱいいます。
大声で叫びます。免疫を抑えては絶対いけません!抗生物質と血圧の薬、さらに胃の薬、補充療法としてのホルモン以外は、全て価値のないものなのです。薬で病気を治すものではありません。病気は自分で作り、自分の免疫で治すものです。
私の仕事はリウマチに関して言えば3つあります。ひとつはクラススイッチをし、免疫寛容を起こしてあげることです。二つ目は免疫抑制のリバウンドを最後までやらしきることです。三つ目は変形を良くすることです。しかし一度変形した組織を元に戻らせることに一番時間がかかります。たとえば滑膜切除手術をやってきた人などは、いつになったら自分の滑膜を再生できるのか分かりません。
薬の中で絶対にやってはならないのはステロイドの注射です。ステロイドの注射をした人は最後まで一番治りにくいところは手首の関節です。というのは、肩や手首にステロイド注射をした人は一番微妙で精巧な関節である手首の変形を簡単にもたらしてしまいます。一度わずかでも変形した手首の関節はなかなか正常に戻ることが難しいのです。
最後に繰り返します。ステロイドの注射・点滴は絶対にするな!ステロイドの注射は生死を分かつときにしか使ってはならないのです。
ついでに伝えておきます。体に膠原病でメスは絶対に入れるな、滑膜切除手術は絶対にするな、人工関節は入れるな、このような組織を入れ替えてしまうと、その組織は元に戻ることは絶対にないからです。リウマチは必ず治ります。出来る限り早く私の医院に来なさい。)