「真実のアトピー治療に出会って」 藤田大介 27歳
1998年 記載
本当に幸せなこと
数ある手記の中から私のをご覧下さりどうも有り難うございます。
まず最初に一言あなたに言わせて下さい。
「おめでとうございます。あなたはなんて幸せなのでしょう。」(そうです。私の医院に来れば、東大病院や京大病院をはじめとする大病院では治すことの出来ないアトピーや他のあらゆるアレルギーが完治できるわけですから、幸せと言う以外にどんな言葉があるでしょう?彼は本質を見抜いています。)
いきなり何を言い出すのかとお思いになられましたか?でも別に私はあなたに対して嫌みを言っているわけではありませんし、私自身、頭がおかしくなったわけでもありません。この手記を読んだ後には、きっとその本当の意味が分かっていただけると信じています。
ところであなたにとってここがアレルギー治療の最初の医院ですか。もしくは長い間色々な病院をたらい回しにされた挙げ句の果てに、ここに来られたのですか。いずれにしてもこの場所にあなたがいてそのいすに座っている・・・それは少なくとも「どうにかしたい。」と思ったからいるわけですね。でも安心して下さい。もう失望して、次の場所に行くなんてことはないのですから。とにかくアレルギーに関して、あなたにとっての最後の先生がそのドアの向こうに座っておられるチョビヒゲ大隊長なのです。(そうです。私は全戦全勝の軍司令官であり大隊長なのであります。あなたがたは戦場に出ても決して死ぬことが無く、戦い抜き勝利をものにできる歩兵であります。)
あなたは間もなく二つの「大間違い」を知り始めることになるでしょう。しかも理屈ではなく「体」でです。一つは今存在するアレルギー治療がどんなに矛盾だらけで、我々がいかに利用されているか。彼らの私腹を肥やすためだけに我々がこの苦しみを与えられてるのかということ。そして二つ目はアレルギーは本来、薬が治すのではなく「体」が治すものだったということです。(確かに体が治すと言う言い方は、広い意味では正しいわけです。しかし実は治すと言うよりも体が戦いを止めるという言い方が正しいわけです。つまりアレルギーは一言で言うと、汚染された環境を排除しているわけです。しかし一度排除した汚染環境は再び侵入してきます。有限である人間の体が無限である環境と戦って勝てるわけはないのです。なんとなれば汚染環境を排除するときに使われる特殊な武器であるIgE抗体は無限に作ることは出来ないのです。その結果汚染環境を排除できなくなり、共存せざるを得なくなるのです。これは人間の体が汚染環境に適応したと言っても良いわけです。このような環境が永遠に続けば人間の遺伝子はこの汚染環境を排除すべき悪い環境とみなさないで、当然の正常な環境と考えてしまい、数100年後にはアレルギーそのものの疾患が無くなっている可能性があります。つまり今現在アレルギーの人達は進化の第1歩を踏んでいるかもしれません。さらに言い換えるとIgE抗体そのものを作らなくなる可能性があるといえるでしょう。勿論、逆に環境汚染物質による環境ホルモンの為に精子が少なくなって、人類は絶滅している可能性もないとは言えませんが。)
長年この間違った道を信じて疑わず、歩み続けてきた私と同じような人はここでよく考えてみて下さい。この世の中一瞬で良くなったり、変化する物ってあるでしょうか。学問だってビジネスだって急に成し遂げられたりはしないでしょう。「ローマは一日にしてならず」なのです。それがアレルギーだけはステロイドという魔法の薬があるので例外だなんておかしいと思いませんか。もしそういった大自然の法則を覆すようなまやかしがあろうならば、必ずそのひずみが表れるのです。我々はそういったことを疑うことを知らず、上手くだまされていたのです。(とても面白い考え方です。別の言い方をすれば、ステロイド自身は人間が必要にしてかつ十分な量を副腎皮質で毎日作っているわけです。人間の体というのは長い進化の歴史の中で最も合理的に環境に適応できるように作られてきたわけです。従ってステロイドでアトピーを治すことができるものだったら、副腎皮質は大量のステロイドを自ら作っているはずです。それができないのは、やはりむやみにステロイドを作りすぎると悪い影響、つまり副作用が出てしまうことを認識しているからだと思います。)
脅すわけではありませんが、一度間違った道を歩み続けてきた人にとって、乗り越えなければならない道のりは決して楽なものではありませんよ。時には泣きたくなることもあるでしょう。私の道のりも並大抵の険しさではありませんでした。その道のりがどれだけの険しさを極めるかは、私を含む、数多くの方々の手記を見れば分かると思います。この手記の最後に私の簡単なアレルギーとの戦いの歴史を書きますが、私も彼らとさほど変わらないとお思いになられると思います。
ではこれからのあなたはそんなにも辛く、悲しいのでしょうか。いいえ違うのです。むしろ冒頭にも言ってますように、最高に「幸せ」なのです。なぜならあなたは「大間違い」を知りそれを自ら克服するという、他では味わえない体験をするのです。(その通りです。必ず報われる努力というものは、していて楽しいものです。)果てしない矛盾から逃れる術を身につけることができるのです。苦しみを諦めずに乗り越えた、その道のりの向こうには素晴らしい未来が待っているのです。
さあその暗い顔を、醜くされたその体を鏡に映してそして言ってみて下さい。「幸せになろう。頑張ろう。」と。あなた自身の肌でそよ風を感じられる日、その時は必ずやってくるのです。
私のアレルギー史
初めに書き記しておきたいことは、私は物心ついたときからもうすでにアレルギー体質だったので、アレルギーの全くない状態がどういうものなのかは、はっきり言って知らないということです。しかも前述にありますように「間違った道」を歩み続けてきたので、歳を数えるにつれ症状は悪化の一途をたどってきました。したがって私の27年間の人生はアレルギーと共に生きてきた人生と言えるのです。
私の記憶に残るアレルギーの体験で、最も古いと思われるものは喘息でした。小さい頃から、しょっちゅう幼稚園や小学校を休んでいたように記憶しています。現在私を一番苦しめていますアトピー性皮膚炎は当時それ程症状としては現れてませんでした。しかし母がしょっちゅう私の背中や膝、肘の裏側などに医者から処方されたリンデロン(正式名はプロピオン酸ベータメサゾンです。)という、今考えれば恐ろしくなるような非常にきついステロイド軟膏を塗ってくれていた記憶もあります。親の愛情が、実は逆にどんどん症状を悪化させる源になっていたとは夢にも思いませんでしたし、こんなに皮肉なことがあるのかと思うと、本当に何とも言えぬ怒りがこみ上げてきます。(命を預ける医者を信じなければ、誰を信じれば良いのでしょうか?現代の日本は医者も信じることが出来ない時代になっています。これが経済的には恵まれていても、精神的には腐敗している原因であります。つまり不正をして金を儲ける自由はあっても、それに見合う責任を果たさなくても良いという国に成り下がってしまいました。全ての権力は無責任を謳歌しています。一番無責任なのは国を導いていく政治家なのではありません。言わせてもらえば一番無責任なのは自分達の代わりに政治をさせる政治家を選ぶ私達民衆であります。投票権という大権力を持っているにもかかわらず、政治も経済も教育も医療も税制も国際社会も何も知らないために投票に行かない人達や無党派層と言われる人達の無責任振りは目に余るものがあります。何故マスコミは大衆に媚びてばかりして大衆の無責任振りを批判しないのでしょうか?遊ぶことばかり考えて勉強しない民衆に怒りを覚えます。日本の社会は無責任天国であります。このような国は必ず残念ながら没落せざるを得ないでしょう。)
そして月日が流れました。小学校の低学年の頃は脱感作という、アレルゲンをある濃度に薄めて注射で体内に投与し徐々に濃くして抵抗力を高めていくという治療のため、毎週金曜日になると注射をしに行っていました。(脱感作の理論は実を言えば完成されたものではありません。考え方は徐々にアレルゲンを体内に入れてアレルゲンに慣らせようというわけです。しかしアレルゲンそのものが正確に特定できないこともあり、その効果は疑問視されてきました。私の治療は自然脱感作と言っても良いわけです。アトピーの人が生活の中でアレルゲンと認識し排除しようとする化学物質は無限であります。従ってその無限の化学物質を自由に体内に取りこみ、いわば自然に慣れてしまい排除できなくなるまでIgE抗体を使い尽くすという考え方であります。この考え方で全てのアレルギーが完治するわけです。)その他にインタールという喘息に効くという吸入剤も使っていました。(インタールは抗アレルギー剤です。アレルギーの症状を一時的に抑えるだけの薬です。)あの頃から、もう既に薬漬けになってたんですね。そんな中、何となくですが、その頃からもう既に私の感覚の中では「アレルギーは治らないものだ。」という意識を持ってたように思います。(医学部の教科書にはアレルギーは治らないと書いてあります。私はこの間違った教科書を書きなおしたいために証拠集めをしているわけです。この手記もそのひとつです。)
何度も死ぬ思いをしたことがあります。一度、夜中に発作で息ができずに病院に担ぎ込まれたこともありましたっけ。親にも親戚にも多大な心配をかけただろうなとつくづく感じます。(喘息はアレルギーの中では漢方治療によって最も簡単に治る病気です。しかし毎年喘息の為に7000人が犬死にをしています。)
そして今から思うと、ある大きな転機が小学校3年の頃に訪れます。家族で2年足らずのアメリカでの生活です。アレルギーに関してその頃になると喘息とアトピーの繰り返し(でもまだまだ症状は軽いものでしたが)だったのですが、アメリカの生活の中でアトピーが見事になくなったのです。その時点でスカッと全て治っていてくれていれば良かったのですが、まだ喘息は治まらず、あの綺麗なナイアガラの滝の前で、またまた死ぬ思いをしたのは今でも忘れません。ところであの頃喘息になると必ず行っていた病院があるのですが、もちろん医者も薬も全てアメリカですが、そこに行って注射をするとぴたりと発作が止まるのです。「アメリカはなんて医学が発達しているのだろう。」わずか10歳でそこまでは考えなかったとは思いますが、少なくともそれに近いものは感じていました。実は強力なステロイドを投与され、間違いなくその後の症状を更に谷底深く落とす発端になっていたとも知らずに。(IgE抗体が気管支で用いられると気管支喘息になり、皮膚で用いられるとアトピーになります。従って喘息の治療により気管支でIgE抗体を用いられないようにしてしまうと、今度は使われなかったIgE抗体は全身をめぐり皮膚で使われます。そしてアトピーが出ます。アトピーの治療をすると、今度は喘息が出ます。さらにIgE抗体が溜まっていくと結膜炎・鼻炎も出現し、いわゆるアレルギー人間に作られてしまうわけです。)
そして帰国してからというものは、正に本格的なアレルギー人間の始まりでした。アトピーもじわじわ出始めました。服用する飲み薬も増え続け、更にステロイド吸入剤も喘息発作の度に使用し、アトピーに対して処方される全ての軟膏には必ずステロイドが入っていましたし、それを何の罪の意識もなく毎日毎日塗り続けました。
そんな私もやがて中学生、高校生になるにしたがっていったん症状は落ち着きを見せ始めました。医者がよく言う「思春期になれば治る。」という堕説をその頃は真剣に納得していたものです。(これは一切の治療を止めたときは可能性があるわけです。)喘息もほとんどでなくなり、お洒落に目覚め、着飾って自分を格好良く見せることに快感を覚えるようになりました。高校3年生の時くらいは確か、塗り薬もあまり塗らなくても良い程アトピーも落ち着いていたように記憶しています。(このように強力な免疫抑制によるアレルギーの治療を行った後、不思議にも数年間全てのアレルギーの反応が消え、一見アレルギーが完治したように見えることがあります。これは全ての患者さんに当てはまることです。何故そうなるかについても研究は一切されておりません。おそらく思春期に体内のホルモン環境が急激に変化し、女性ホルモンや男性ホルモンが急増し、それがステロイドホルモンに何か大きな影響を与えることに一因があるかもしれません。これもステロイドが謎に包まれた薬であることの証拠の一つです。ただ言えることは、ステロイドは強力に症状が全く出ない程度には抑えることが出来ますが、何かのきっかけで再び更に強い大リバウンド現象がいずれ、早かれ遅かれ出現するということです。)
今だから打ち明けますが、その頃から喫煙を始めました。やんちゃしたくなる時期ってあるでしょう。「夜中まで遊びほうけて朝そのまま学校へ・・・」なんていう生活も楽しかったこともありました。
そして二つ目の大きな転機は、私が大学入試のために一年間浪人をしたときからです。入試というストレスもあったせいか、徐々に薬を飲んでも効かなくなるという状況がおとずれ、そしてすがる思いで通いだした地元の皮膚科で私はひどい仕打ちを受け、結果的にとどめを刺された形になったのです。
まずステロイド注射、飲み薬は後で調べたらかなり強めのステロイド、塗り薬もステロイド、とにかくステロイド3点セットの治療を3年程受けたのです。(ステロイド注射は最も効果的ではありますが、免疫の中枢である骨髄の隅々まで行き渡り、その結果ステロイドが代謝された後のリバウンドは恐ろしいほど激しく、しかもしつこいものがあります。)しかも後で調べるまでその事実を知らされませんでした。もちろんステロイドは恐ろしいという噂はすでにもう知っていましたし、「ひょっとすると・・・」と内心疑っていたことも確かです。しかし今ある症状の辛さと、結局確固たる治療法のない現実を考えると続けざるを得ないというのが正直なところでした。
もしその頃に松本ドクターと出会っていたなら・・・。でもそんなことを言っても仕方ありませんね。
そしてついに気が狂うほどの痒みとその後に訪れる痛み、更に体中からリンパ液がところどころ滲みだし、どうしようもなくなったとき、まるで最終電車に飛び乗ったように訪れたのがこの松本医院です。ドクターとはまさに運命の出会いでした。ちなみにその時の私のigEの数値は1万をはるかに超え、最大で1万5千強までのぼりつめていたのです。ちょうど26歳の誕生日を迎えた頃のことでした。(本来いかなる種類の抗体も正常な値の数百倍などになることは、自然の状態では起こり得ないのです。もし自然の状態でこのようなことが起これば、専門的には単クローン性のIgE血症という癌に近い病気だと診断されるものです。ステロイドはIgE抗体をゼロにもできますが、このように高値にすることもできます。私の経験した例では七万を超えた患者さんがいました。彼は50年間ステロイドを用いてきました。見かけの皮膚はは黄色人種ではなく、黒人のように真っ黒でした。)
最後に
あれから1年半が経ちました。過酷なリバウンドとの戦いも、戦争に例えるとすれば、ようやく和解交渉に入ったところです。まだもう少しかかりそうですが、確実に和平に向かって進んでいる状態にあります。
現在に至る壮絶な過程は、わざわざここで私が述べなくても、他の患者さんの手記を見て頂ければほぼ同じであると言えます。「そんな単純な。」と思われますか。でもそうなんです。それ程単純なんですよ。治っていく過程は多少のズレはあるもののみんな同じなんです。本当に矛盾だらけだってこと、これでお分かりでしょう。ほとんどのお偉い先生方は「アトピー治療は難しい。」とおっしゃるのにね。(その通りです。特別なアトピーがあるわけでもないし、特別なリバウンドがあるわけでもありません。医者についてもいえます。私が特別な名医であるわけではありません。ただ私はステロイドや抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤でアレルギーは永遠に治らないということを知っていただけです。従ってステロイドなどの全ての抗免疫抑制剤を用いずに漢方だけを用いて最後までついてきてくれた患者さんからアレルギー完治の理論と実践を学んだだけです。私を東大の教授にしてくれれば日本からアレルギーを全て絶滅できるでしょう。しかし同時にアレルギーの製薬メーカーと皮膚科の医者の懐に入っているお金も絶滅するでしょう。)
それよりこの手記を通じて私が何を言いたかったかというと、アレルギーに関しては、一生懸命に、ひたすら治ることだけを考えて治療に励めば励むほど、実はそのまま自分の首を絞めているという恐ろしさです。私の手記を読んで、私が過去においてどこか一度たりとも治療に断念した時期があったでしょうか。そういった「治癒への努力」をずたずたに打ち砕く現代のアレルギー治療は果たして真の医学なんて呼べるのでしょうか。(日本の全てのシステムは権力者である専門家集団が大衆を食い物にしている面が多々あります。つまり素人集団である大衆は専門家集団にお金を払って、いわば知識を買っているわけですが残念ながらその知識が正しくなく、その対価に見合った利益を享受していないわけです。それは専門家集団が責任を果たさなくても良いという腐敗に起因するものであります。責任を果たさなければ罰せられるという法律を作るべきです。)
街を歩くとそういうアレルギー医学の矛盾を、矛盾とも気付かぬまま、傷つけられ、私と同じように暗い闇と痛みの中でさまよっているアトピーピープル達をよく見かけます。彼らの心の叫びは私には聞こえます。そしてここにある手記の全ての作者もそうであると思います。
ある先生が私に言いました。「アレルギーはあるものだから仕方がない。上手く付き合っていく方法を考えなければ。」(上手に付き合えれば良いのですが、医者が病気を悪くすることが問題なのであります。つまり正しくは病院に来なくても上手に付き合えますと言うべきなのです。)でも嫌なものは嫌ですよね。もともと一緒にいたくないものと、どうやって付き合う「方法」をしかも患者自らが考えなければならないのでしょう。
今なら逆にこう言ってあげたい。「先生、結局「仕方がない。」で終わらせる診察なら僕にもできます。」って。(その通りです。世の中には何もしないのが一番良いという事が沢山有ります。しかしそうなれば誰かを犠牲にして儲ける事ができなくなるわけですから、そんなことは誰も言いません。勿論、GDPも決して上昇しません。)
そこで最後にもう一度だけ言います。あなたがこの医院へやってきて、この席に座っているということは、正しい選択であると同時にそのまま治癒の方向に走りだしていることを意味します。一見怖そうに見える(本当はめちゃめちゃ優しい人なんですよ!)そのドアの向こうに座っているドクターは、少なくとも「仕方ないから」なんて子供の言い訳みたいな診察ではなく、ドクターとして責任ある本来の「診察」をしてくれます。
私は、あなたが「幸せ」に向かって歩みだしたことを心より喜んでいます。(全てその通りです。まるで彼は私の分身のようです。必ず責任を果たします。治らなかったらお金を返します。またいかなる症状が出ても、全て幸せの症状なのです。彼のように全てを理解できている患者ばかりだと毎日の診療のストレスは皆無でしょうが、彼のような優れた患者さんばかりではないことが残念です。)
おまけ
私を診断したお偉い先生方によるおかしな語録集。でもこういう診断がほとんどなんです。
・「アレルギーはあるものだから仕方ない。上手く付き合っていく方法を考えなければ。」(手記で紹介済み)(これは素人が言うべき言葉です。)
・「僕も最近痒いねん。なんでやろうなあ。」(これも専門家が言うべき言葉ではありません。)
・(僕が使用されている塗り薬の種類を尋ねたとき、受付の看護婦が)「何でそんなん言わんといけないの。先生が出される薬をそのままつければいいでしょう。」(それでも執拗に尋ねると)「ジフラール。」・・・(実はこれ、ステロイドの強度を表すリストのトップにランクされていた。)
・「赤い顔してるなあ、よしよし注射したろ。よく効くからな。」(ステロイド注射された。)
・「体をよく洗いなさい。石鹸は刺激の少ないやつでサッと。」(石鹸で体を洗ったからといって、皮膚の傷が治るわけでもなく、繁殖している黄色ブドウ球菌を殺すことも出来ません。)
・「ステロイドはパット使ってサッと止めれば怖くない。」(これも専門家が言うべき言葉ではありません。たしかにアトピーが急性の疾患であればステロイドは実にすばらしい薬です。しかし、アトピーはまさに慢性の疾患の代表選手であります。)
これらの言葉と松本ドクターの言葉を比較してみて下さい。
初診時に一万を超える値を取る人は少ないのですが、彼は27年間ステロイド人生を送ってきた患者さんですから、初診時が13000を超えピーク時は16000を超えました。その後、順調にIgE抗体が下がり始めています。アレルギーの度合いを示す絶対的なものさしがないのはちょうど人間の能力の絶対的なものさしが無いのと同じです。知能指数というものがありますが、これもある程度は人間の能力を示すことができますが、いくらでも変化しあてにはなりません。同じように、異物を認識する能力というのはIgE抗体だけで測定できるわけではありません。それはいくらでも、薬によっても、住む環境によっても変化していくものであるからです。