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    「リウマチ治療手記」 比留間 厚子 31歳

    2005年1月17日

    初めて身体に痛みを感じたのは、平成12年11月(当時27歳)でした。夜中に、右肩に激痛が走り、腕の上げ下げが全く出来ない状態になりました。あまりの痛みに、眠ることもできず、救急病院に行き、レントゲンを撮りましたが、異常はなく、ただ湿布を貼られて帰りました。

    翌日、整形外科の先生の診察を受けましたが、「原因は、わからない。」と言われ、湿布と、鎮痛剤(ロキソニン)を処方されました。薬は飲みませんでしたが、痛みは、3日ほどでひきました。けれども、その後長い間、数ヶ月ごとに、同じ痛みが現れました。

    同じころ、足の指の付け根に、痛みが出始めましたが、外反母趾のせいかと思い、あまり気にしないでいました。

    次に痛みが出たのは、平成14年6月(当時29歳)、右手の人差し指で、病院で診てもらったところ、ピアノ講師という仕事柄、「腱鞘炎(バネ指)でしょう。」と診断され、塗り薬を処方されました。こちらは、2ヶ月ほどして、痛みを感じなくなりました。

    続いて、平成14年12月に、左手首が痛み出しました。この時も、「使い痛みだろう。」ということで、塗り薬や、湿布が出ましたが、その後も痛みはひかず、翌平成15年5月(当時30歳)には、右手の親指、人差し指なども痛むようになりました。この頃、最初の血液検査を行い、リウマチ因子が高いことを知らされました。しかし、まだ痛む箇所が少ないからという理由で、鎮痛剤(ロキソニン)を飲みながら、しばらく様子を見るように言われました。動けないほどではなかったので、薬は飲みませんでした。

    そして、まだリウマチかどうか疑わしいという段階でしたが、自分で病気のことや治療法を調べ始めました。松本医院のホームページと、最初に出会ったのもこの頃です。症状もまだ軽く、医院の場所がかなり遠いこともあり、残念ながら、この時点では通う決心はつきませんでした。しかし、その印象は強烈でした。何より、松本先生が、「治る」と断言しておられることに、強くひきつけられました。

    6月に入ると、右手首、左手の人差し指にも、痛みが出ました。この時、初めて鎮痛剤を飲みましたが、薬の効き目が切れた後は、またすぐ痛みが出たので、これでは意味がないと思い、服用はすぐにやめました。手首のMRI等の検査をするため、大学病院に移りましたが、はっきりしたことはわからず、いわゆる様子見の時期が続いただけで、その間に左肩、右膝なども痛むようになっていました。

    そのまま3ヶ月が経ち、リウマチ因子が高いことと、身体の症状から、平成15年9月に、ようやく「リウマチであろう」との診断が下り、鎮痛剤(ロキソニン)を、毎日服用するよう、指示されました。

    1ヶ月間薬を飲みましたが、痛みは少しもひかず、むくみがひどくなってきました。既に、リウマチについては、たくさんの資料を読んでいましたので、このままこの鎮痛剤を続け、やがては薬が抗リウマチ薬などに変わっても、治らないばかりか、悪くなっていくだけだということは、よくわかっていました。他に治る方法があるはずだという思いが、強くなっていました。そして、大学病院通いをやめる決心をしたのです。

    リウマチと合わせて、薬害の記事なども読んでいましたので、鎮痛剤もやめようと決めました。インターネットでみつけた、東京の治療院(痛みのないマッサージ、整体のようなところ)に通いながら、薬を徐々に減らし、ついに全てやめることができました。平成15年10月下旬のことです。病院をやめ、鎮痛剤もやめたこと、当時の私には、これでいいはずだという気持ちしかありませんでした。(もちろん、松本先生の理論を知り、実践し、治ってきた今は、その判断は正しかったのだと、確信を持って言えるのですが。)

    治療院に通う日が続きましたが、引越しや年末年始の忙しさなどが重なり、平成16年を迎えた頃には、体調は急激に悪くなっていました。ほとんどの関節が激しく痛み、普通に行動できなくなっていたのです。このままでは動けなくなってしまう、もっと根本的に治せるところに行かなければと思い、もう一度治療法を探し始めました。そして再び松本医院のホームページにたどり着いたのです。松本先生の理論は、一度読むだけでも大変でしたが、何度も読み、主人に自分の言葉で説明できるほどになりました。合わせて、治った方の手記も読みました。先生のしっかりした理論に基づいた治療であること、良くなっていく経過が、血液検査の数値で確認されている上に、なにより患者さん自身が、治ったことを実感できていること。読めば読むほど、他の病院とは違っていました。このような治療が行われているところは、他にはみつかりませんでした。ここしかないと思いました。主人も理論や手記を読み、賛成してくれたので、松本医院の治療を受けることを決めました。

    平成16年2月7日朝、主人と二人、前日夜より宿泊していた市内のホテルを出て、松本医院に向かいました。二階への階段を、一段一段痛みをこらえて上がったことを覚えています。看護婦さんからの説明を受けたあと、診察室に入りました。松本先生は、現代医学がいかに間違っているかなどのお話をして下さったあとで、最後に、しっかりと握手して、「あなたのリウマチは、絶対治る。」とおっしゃいました。とても力強い、そして心強い言葉でした。

    診察のあとは、生まれて初めての鍼治療です。少し緊張しましたが、織田先生の明るい声を聞いていると、リラックスして受けることができました。帰りがけに、お灸のやり方を教えていただいたのですが、見本の写真を見て、その数の多さにはびっくりしてしまいました。でも、これをやらなければ治らないのだから、がんばろうと、私は、改めてそう覚悟を決めました。こうして、この日から、治療がスタートしたのです。

    【治療開始~1ヵ月後】
    煎じ薬(+プロテイン10杯)、お灸、漢方入浴剤を始めました。煎じ薬は甘苦く、これにプロテインが加わると、何とも言えない味になりました。けれども、この味にはすぐに慣れてしまい、毎日4番(できる時は5番)まで煎じて飲みました。

    大変だったのは、お灸の方で、慣れないうちは、一通りやるだけで、1時間以上かかってしまいました。それを、朝、晩やりましたが、熱いわ、痛いわで、そのよさを実感できるようになるまでは、本当につらかったです。

    入浴剤のお風呂(自宅のお風呂は、オートバスで、高い水温に設定できないため、大きな鍋を使って、煮出したものを、沸かしたお風呂に入れました。)に入ると、身体がとても温まり、痛みが少しやわらぐので、まず朝一番と、午後にもう一度入りました。

    また、家の近くで、理解のある鍼灸の先生を見つけることができたので、こちらには、週1回、車で送り迎えしてもらい、通い始めました。治療開始当時、痛みや腫れがあった場所は、両手の指、両手首、両肩、両膝、左足首、両足指です。手首や、指の腫れと痛みで、ご飯茶碗を持つのもつらく、腕が上がらないので、自分で身体や頭を洗うこともできませんでした。膝は、四隅にピンポン球をくっつけたように腫れ、歩くと言っても、足を引きずって、ゆっくり進むのがやっとです。外を歩くと、杖をついた老人にも抜かされてしまい、そんな時は、悲しい気持ちになりました。夜、眠っていても、寝返りがうてなく、自分でずれた布団を直すこともできません。とはいえ、長い間じっとしていれば、いざ動かそうとした時に、あちこちの関節に激しい痛みが走りました。

    また、この頃は、週に2、3回は微熱を出しました。飲んだ薬が鎮痛剤のみで、服用期間も1ヵ月半とあまり長くなかったので、大きなリバウンドはありませんでしたが、この微熱がしばしば出る状態は、3週間ほど続きました。一度横になってしまうと、一人で起き上がることができないため、ほぼ一日中、椅子に座っているだけの生活です。家事はもちろん、身の回りのことも含め、たくさんのことが自分一人ではできなくなっていました。けれども、どんな時でも、必ず、主人が手を貸してくれました。食事のこと、部屋やお風呂の掃除、漢方の片付けなどは、全部、それから私が四六時中頼むこまごましたこと、その全てを引き受けてくれました。この支えがなければ、一番つらかったあの時期を乗り切ることはできなかったでしょう。こうした主人の姿を見て、私は自分もできることを一生懸命しようと思い、毎日ひたすら煎じ薬を飲み、お風呂に入り、お灸をしました。

    【治療1ヵ月後~3ヵ月後】
    治療から、約1ヶ月経った3月中旬、お灸をしたところに、かゆみが出ました。夜、布団の中で身体が温まると、かゆみが強まり、身体を起こしてもらい、10分~20分くらい、ずっとかき続けたりしました。また手のひらや指、足の指や足首近くに、プツプツと小さな湿疹が出て、やはりかゆみを感じました。この小さな湿疹は、1週間ほどでなくなりましたが、お灸あとのかゆみは、断続的に7月くらいまで続きました。これらのかゆみが出始めたたころから、痛みは、少し楽になってきました。

    けれども、日々の変化となると、ごくごくわずかで、毎日の生活の中では、なかなか実感できません。不安になることもありました。そうした時は、治った方の手記をたくさんたくさん読み、自分を励ましました。家族も、一生懸命支えてくれました。

    【治療3ヵ月後~6ヵ月後】
    5月半ば、急に高い熱を出しました。計ってみると、38度6分。松本先生に電話したところ、ひっかき傷からの感染の可能性があるとのことで、すぐに抗生物質や消毒液を送る手配をしてくださいました。

    一安心して休んでいましたが、その日の夜、着替えをしながら、ふと自分の身体を見ると、5ミリくらいの水疱が、首から胸にかけて、いくつも出ていたのです。松本医院はもう終わっている時間なので、仕方なくそのまま眠りましたが、次の日になっても、38度5分の熱があります。

    その日、松本医院はお休みでしたので、先生が送ってくださった薬を飲んで、どうにか一日しのぎました。翌日、病院が開くのを待って、お電話し、水疱のことをお話しすると、「至急、近くの病院で、診察を受けるように」とのことでした。あわてて駆けつけた病院で聞いた診察結果は、何と、水疱瘡だったのです。これには驚きました。リウマチの漢方は、一時中断して、水疱瘡の薬を飲み、熱も4日目には、ようやく下がりました。身体中にできた水疱は、膿になり、やがてかさぶたに変わっていきました。すると、今度は、猛烈なかゆみが襲ってきたのです。

    そして、このすさまじいかゆみと同時に、身体に別の変化が起こっていることに気がつきました。リウマチの痛みが、一段楽になっているのです。膝の腫れも、目で見てわかるほど、ひいていました。松本先生に報告すると、「水疱瘡が治っていく過程で、リウマチにおけるクラスチェンジに関連する働きがあったと考えられる。」というお話でした。高熱はつらかったし、身体にいくらか痕も残りましたが、そんな働きをしてくれたのかと思うと、気分は明るくなりました。

    この頃は、動けば強い痛みが出てしまう、という状態でしたが、落ちていた体力は、徐々に戻り、6月中旬には、休んでいた家事を、少しずつやり始めました。身体の回復に合わせるように、血液検査の数値も、順調に下がっていき、治療5ヶ月が過ぎた7月の検査結果を受けて、プロテインの量が10杯から5杯に減りました。

    【治療6ヵ月後~9ヶ月】
    徐々に痛みが減っていくのを、実感できるようになりました。日に日に変化を感じるほどではないものの、1ヶ月単位で比べれば、違いは歴然、という感じです。

    10月に入り、膝の調子も安定してきたので、毎日20分ほど歩くことにしました。最初は動きがぎこちなく、歩いた後に強い痛みが出てしまうことも多かったのですが、2週間くらいするとだいぶ慣れて、ひどい痛みがでることはなくなりました。足の筋力も回復したのか、早く、そして長い時間歩けるようになりました。

    【治療9ヶ月~現在】
    治療が9ヶ月経過した11月頃になると、日常のことは、ほとんど普通にこなせるようになりました。このころ、電車に乗って、一人で、少し遠くまで出かけたのですが、そうした外出は、約1年ぶりのことでした。また人並みの行動ができるようになったのだと実感し、本当に嬉しく思いました。

    痛みは、いくつかの箇所にありますが、なるべく積極的に動くようになりました。動かして、痛みが強くなったら、お灸をしっかりし、鍼に行く。そういう手当てをしていれば、もう前のような激しい痛みや腫れが出ることはありません。

    また、自分の感覚だけでなく、血液検査の値も、ほぼ正常値になり、治ってきたのだと、自信が持てるようになりました。入浴剤は2日に1回になりました。

    12月に入ると、少し前からかゆいなと思っていた、手首、ひじ、アキレス腱付近などの皮膚が、ガサガサとつっぱったようになり、手首などは、赤茶色になりました。いよいよアトピーが現れたのです。やっと来たか、やっぱり来たか、という気持ちでした。そして、松本先生からは「手記を書くように」言っていただき、自分のリウマチ治療も、最終段階まで来たのだと実感しました。

    現在、痛みは、手の指、手首、左足甲にあり、右肩や膝などは、時折小さな痛みを感じ、動きが十分ではありません。けれども、日常生活は普通にこなせるレベルであり、今現在も少しずつよくなっています。まだ完治には至っていませんが、必ずたどり着けると信じています。

    私がここまで来られたのは、家族の支えのおかげです。一人であれば、到底できなかったことです。両親はずっと応援してくれ、母は、何度も手料理を送ってくれました。兄弟達や義父母も、いつも心配し、励ましてくれました。しかし何と言っても、一番の支えになったのは、主人の存在です。一時は、家事のほぼ全てをお願いし、身の回りのことに手を借り、夜中に起こしてまで、あれこれ頼みましたが、いやな顔ひとつせず、それら全てにこたえてくれました。毎日夜遅くまで仕事をして帰ってくるのに、疲れた様子、面倒なそぶりなど、少しも見せませんでした。私が不安になって落ち込む時も、いつも変わらぬ態度で受け止め、励ましてくれました。おかげで、つらい時でも、私は一人じゃない、と思って、がんばり続けることができたのです。まさに主人の存在あってこその、リウマチ治療でした。

    友達にもずいぶん支えられました。静かに見守ってくれながらも、経過を話すたびに、良くなっていく様子を、心から喜んでくれました。本当に感謝しています。

    それから、鍼治療をお願いしている、のざき鍼灸院(横浜市泉区)の野崎先生にも、大変お世話になりました。松本先生の理論も読んでくださり、一丸となって治療に臨んでくださいました。ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

    最後になりましたが、松本先生、ありがとうございました。松本先生の治療を選び、続けることができたことを、嬉しく、誇らしく思います。よくなった身体を、大事にします。松本先生も、どうかお身体を大切になさって、これからも、たくさんの患者を、先生の正しい理論で治してください。

    織田先生、遠くから通う私を、いつも明るく迎えていただき、ありがとうございました。看護婦さん、スタッフの皆さん、気持ちの良い対応をありがとうございました。完治までの間、もうしばらくお世話になりますので、皆さま、よろしくお願い致します。

    これから治療を始める方、現在治療をされている方、きっとよくなります。どうか、お一人でがんばらず、ご家族で助け合いながら、治療を進めてください。私も、残りの治療をがんばります。

    血液検査数値

     

    2004/2/7

    2004/2/28

    2004/4/24

    2004/7/24

    2004/10/30

     

     

     

     

     

     

    RF

    100

    127

    55

    22

    16

    ZTT

    15.2

    16.7

    12.1

    11

     (聞き漏らしました)

    CRP

    5.8

    3.8

    1.1

    1.44

    0.29

    血沈

    85

    65

    34

    9

    6

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