「リウマチ アトピー 喘息 自律神経失調症手記」 匿名希望 33歳
2010年5月10日
松本医院にかかるまでの病歴と現在までの治療経過
はじめに
私は初期のリウマチの発症を契機に松本医院にお世話になりました。西洋医学的なリウマチの治療を開始する前に松本先生と出会ったため、リウマチについては現在ほぼ症状が出ないまでに良くなり、他のリウマチ患者さんに比べれば運が良かったと思います。それでもリウマチの発症に至るまでの長い間(リウマチよりも遥かに長い期間)、自律神経失調症、喘息、アトピーの誤った治療を受け続け、いろいろなものを失いました。
(私は性格的に速戦即決のタイプであり、何事も白黒をつけたい原理心理主義者であります。病気に対する全ての原理がわかり、その原理に反しない限りは全ての病気が治るということがわかった現在において、私の指導通りにあらゆる病気の治療を患者さんが素直に従っていけば、全ての病気が治ることがわかっているので、患者さんの病気、つまり症状が良くなれば、それまでの経過を書くようお頼みするのですが、7~8回頼んでもなかなか書いてくれない患者がおられるのです。この方もそのお一人でしたが、そんな時に苛立ちを示すことがあったにもかかわらず、これだけ詳しく立派な正直な手記を書いて頂いて心から感謝しております。この患者さんの完治の最後の手記はもっと素晴らしい説得力のある手記となり、世界中の患者さんの病気の苦しみをとるきっかけとなることでしょう。
私は初診の時に長々と過去の病歴を聞くことは必要ないと考えています。それは現代の治療は全て免疫の遺伝子を変えて、免疫の働きを一時的に止めて、敵である異物に塩を送り、味方の免疫をやっつけるというインチキ治療であることはわかりきっているので、それまでの治療を全て止めれば、免疫の遺伝子が修復され、異物をやっつける免疫の働きが数倍、いや数十倍激しくなるというのがわかっていますので、何よりも患者にはこのリバウンドの意味と心構えを説くことが遙かに大事なので、過去よりも未来の病状について詳しく述べることが大切であると考えるからです。
ところが、彼が自律神経失調症で悩んでいたことについては、初めて知ったわけです。あまり心の問題については初診から立ち入った話を聞くのは、傷ついた心をさらに痛めるという思いやりもあり、確実に信頼関係が醸成しきってから内面の葛藤が免疫を抑制するので病気が治りにくい時にはじめて深く立ち入ることにしているのですが、この方が自律神経失調症で悩んでおられたということを告白されたことは、膠原病とアレルギーの関係を明らかにする意味においても、やっぱり心が免疫を抑えてアレルギーを膠原病にしたという感じを強くしました。)
失ったもののことを考えると、誤った治療法が横行しているとはいえ、なぜもっと早く正しい道を選べなかったのかという後悔の気持ちでいっぱいになります。私は普段マイナス思考にならないように心掛けて生きておりますが、いざ自分が手記を書くとなると、どうしてもこうした気持ちと向き合わなければならないことになります。
(まさに現代は病気を治すために医療機関があるのではなくて、患者の無知につけこんで症状だけを改善すれば治ったと思いこませるインチキ治療が全世界中に横行しております。医療の世界は、医療人だけが無責任にやりたい放題できる完璧な閉鎖社会であり、医療人以外が批判することは絶対に不可能な知識独占の世界であります。独占禁止法さえ手を出せない世界であります。従って、私のような医療人が命をかけるつもりで真実を伝え、それを実践する勇気がなければ、現代の医療の誤りを患者に伝えることは完全に不可能であります。
私のような過去の人生において20年以上も自殺を願望し、死に切れなかった人間でないと、おそらく真実の医療を実践することは不可能なことであるのです。今でこそ自信を持って20年間も鬱をやり続け、それを克服したと告白できるようになりましたが、これも死んだ命だと思う諦観の覚悟があるからこそ、残りの人生は真実を求めて生きる以外に道はないが故に、このような真実の治療を続けることが可能なのです。)
松本先生は、患者さんが手記を読むことで自信を持って治療を受けられるようにお考えになって、手記を依頼されているかと思いますし、私自身も闘病中に手記を読み不安が解消させていただきましたので、その大切さは身をもって理解できるのですが、私としては上記の理由や普段このような文章を書くことがないため、これは相当エネルギーのいる作業で、自分自身になんらかのメリットが見出せないと始められませんでした。それでも重い腰を上げて書き始めてみると、どこまでが自分が悪かったか、どこが医者の責任かはっきりし、これまでの漠然とした後悔の気持ちが整理されていくことに気づきました。
(実はこの方には手記を書いて頂くようお願いしたのは7~8回に及んだことは既に書きました。私は常にストレートでフランクであります。まさに患者さんが手記を読むことで出会いがあり、激しいリバウンドを乗り越える励みとなり、さらに治るという希望を確信させることによって病気を克服することができることを知ってもらうために書いてもらうわけです。これ以外に何も他意はありません。
私の理論は完璧であり、真実である以外に何もないのですが、悲しいことには私は一介の開業医にすぎません。私がノーベル賞を貰っていれば、誰も彼もが私の一言一句の全てを信じてくれるのですが、 東大・京大の教授連の権威には勝てません。彼らはアレルギーと膠原病は同じ敵を免疫が相手にして戦っており、IgGの世界が膠原病であり、IgEの世界がアレルギーであることさえも知らないのです。何とばかげた話でしょう。この患者さんのタイトルに書いてある「リウマチ、アトピー、喘息、自律神経失調症」は一言でいえば、全て同じ病気、と言っても過言ではないのです。ところが現代の医学は、リウマチはリウマチ科の先生、 アトピーは皮膚科の先生、喘息は呼吸器内科の先生、自律神経失調症は精神科や神経内科の先生、というように病気を完全に別々のものとして取り扱い、しかも治せないのです。とんでもハップンでございます。このような間違いに世界中のどんな偉い医学者も気がついていないのです。
こんな全医療界の間違いを大阪の高槻の一介の開業医が指摘したところで誰が信用してくれますか?私の医療の真実を最後に味方してくれる人たちがいるのです。それは私の理論通りに治してあげた患者さんです。患者さんの手記はどんな理論よりも遥かに万金に値します。そのために少しでも理論通りに良くなった患者さんに途中経過の手記を書き急いでもらうことになります。
私の医療の実践の真実の味方は、患者さんの病気がよくなるという以外に何もないのです。人間は全てエゴイストですから、自分にとってメリットがなければ書きたくないという思いもわかりますが、それでも私のホームページで、私の理論と患者さんの治療中の経過や治癒の手記を読まれて来られた以上は、やはりお返しをすべきです。私の理論を読むだけで理解できる患者さんは皆無と言っていいぐらいです。だからこそ自分と同じ病気を持った先輩の患者さんの手記を読むことで良くなるということがわかって受診された以上は、今度は自分が書くべきではないのかというのが私の言い分であります。だからこそ患者さんに書いてもらうまでは強くお頼みするのです。
ところがこの賢い患者さんは手記を書くことによって新たなる発見をしたのです。それが過去の治療の誤りや、その誤りの責任の所在や、病気に対する漠然とした思いをはっきりさせる意味でも価値があることに気がつかれたわけです。その通りなのです。結局私がやっている医療は、現代の医療が誤りであり、病気を治すどころか新たに作っているだけにすぎないことを証明したいために、私の余生を捧げているといえます。私も死にぞこないの65歳のおじんでありますが、普通の人ならば既に引退の余生を送っている年であります。その余生が逆に自分の理論と実践に昔よりも遥かに自信を持ち、ますますエネルギッシュに治療に専念できるのは、ただ単に治る医療をやって正しくお金を稼ぎたいだけではなくて、やはりもっと大きい目標である現代の医療を正し、患者さんに喜びをもたらし、私が死んでも永遠に続く普遍的な医療の根本を築きたいためであります。この患者さんの正直な手記は私のホームページに新たなる新鮮な一石を投じてくれることでしょう。)
元々の病気のきっかけは免疫を抑える治療法ではなく、免疫を低下させる生活習慣、ストレスをためる物の考え方であり、免疫を抑える薬を避けるだけでは、またいつか病気になってしまう。そうならないためには、過去の病気の発症の経緯を見つめなおし、そこから免疫を高める生き方を模索することが大事であることにも気がつきました。(この文章に、私がやろうとしている病気の治療のエッセンスが全て書かれています。病気を作るのはただひとつ、免疫を抑制することによってであります。免疫を抑制するのは単に医者が出す薬だけではなくて、自分の心の持ち方、生活習慣の全てが関わっているのです。)
書きかけのデータを消失してしまい、モチベーションを失って再び起こすのに時間がかかりましたが、連休を利用してようやく完成いたしました。
先生に手記を依頼されてかられほどまでに時間がかかったことを、深くお詫び申し上げます。(私こそごめんなさい。私は言うこととやることは常に同一であります。遠回しな言い方は好きではありません。心と態度、心と言葉は同一であることは誠実な人間にとっては最も大事なことであると考えています。7~8回も頼んだにもかかわらず、彼が書けなかった理由がやっとわかりました。書くと約束したのに書かれていないときに、私は相手の誠実さを知らず知らず言葉の怒気に含ませることがありました。これに対して再びお詫びします。しかもこんなに精細に長い正直な治癒経過を書いてもらって改めて感謝します。)
松本医院にかかるまでの病歴
幼児期
アトピー:
物心がつくころには肘の内側やひざの裏にアトピーがありました。運動をしたりして汗をかくと痒くなり、ボリボリ掻いていました。(アレルギーはまずアトピーという形で出ます。アトピーの原因は母親が母乳から乳児に入れ込んだ化学物質であります。全てのアレルギーは人間にとって必要でない化学物質であります。現代文明に残された唯一のアレルゲンは化学物質であります。決して食べ物ではありません。食べ物に含まれた化学物質であることを知っておいてください。)
喘息:
なし
その他:
卵、そば、キノコ類、タコイカ類にアレルギーがあり、痒みや嘔吐を起こすことがわかりました。
(全てこのような食べ物に含まれている化学物質であることを確認してください。つまり人間にとって必要な食べ物はタンパク質、脂質、炭水化物の3大栄養素に加えて、ビタミンとミネラルの5大栄養素であります。
皆さん、なぜ消化吸収が必要なのかご存知ですか?それは単に栄養を細かく消化して吸収されやすいためだけではないのです。もっと大事なことがあります。それはアレルギーを起こさないためなのです。様々な酵素によってタンパク質はアミノ酸に、炭水化物はブドウ糖やフルクトースに、脂肪は脂肪酸とトリグリセリドに分解されて吸収されるのはなぜだと思いますか?
それは、これらの分解産物が人間をはじめとする全ての生物に共通であるので、絶対に異物になりえないからなのです。この事実は私が世界で初めて見つけた大切な事実であります。人類は自分にとって異物になる化学物質を含んでいる食べ物を、経験的に長い時間をかけて食べないようにしてきたのです。それでも美味しさに耐えられずに、食べてきた食べものに、ときに異物と認識される化学物質が含まれているものがあるのです。そのようなものは、食べなければアレルギーを起こさないわけですから、二度と食べなければ良いだけの話です。
ところが誰が食べてもアレルギーが起こらなかった卵やミルクなどにアレルギーが起こるようになったのは、まさに鶏や乳牛が食べた飼料に農薬が化学物質として含まれており、卵やミルクに混入し、それが完全に消化しきれずに人体内に取り込まれてアレルゲンとなったのです。)
小学校低学年
アトピー:
引き続き症状が出ていました。耳の付け根などにも症状が現れ、直りが悪く、ジュクジュクした傷ができたときは診療所で薬を塗ってもらいガーゼで傷を保護していました。
(幼児期の治療は治すためではないので、大きくなるにつれて徐々にリバウンドが広がっていきます。乳幼児の治療で一番問題になるのは、ステロイドが免疫の遺伝子を変えることによって、免疫細胞が異常になったり、死んでしまったりするのみならず、免疫細胞の幹細胞も殺して減らしてしまうことになることです。
人体が作っているホルモンは20種類あまりあるのですが、このホルモンの全ては多くても少なくても人体に重大な問題を引き起こすので、脳で厳格にコントロールされております。なぜならばホルモンは遺伝子を発現させるものであり、過剰になり過ぎても、過小になり過ぎても、生命を維持し続けることが不可能になるからです。
つまり一言で言うと、生命活動は全て刺激と抑制によりコントロールされているのです。働きが強すぎればその働きを抑え、抑制が強すぎればその抑制をはずし、働くように戻すということを瞬間瞬間に繰り返しているのです。つまりスティムレーションとインヒビションの相互作用により、常にバランスが保たれ、恒常性(ホメオスタシス)が保たれて生命活動が保障されているのです。この仕事の担い手がホルモンであります。このホルモンが多過ぎれば減らし、少な過ぎれば増やすという微妙な調整を脳がコントロールしているのです。
この脳の働きもまた遺伝子によって支配されているのです。ところがたまたま病気と直接関わる免疫のホルモンはまさにステロイドホルモンであるのです。このホルモンを投与すれば免疫の関わる遺伝子のONが即座にストップされ、免疫の働きを止めることができますが、外部からあるレベルを超えるステロイドホルモンを医者が入れ続けると、全ての細胞にステロイドホルモンが大量に入り込み、全ての細胞の幹細胞の遺伝子まで変えてしまい、幹細胞が徐々に死滅していきます。そのために徐々に全ての組織において正しい細胞の遺伝子の発現が不可能になり、以前に述べたステロイドの副作用が華々しく出現し、治療不可能な病気となってしまうのです。
実はこの話はステロイドホルモンだけの話ではありません。例えば甲状腺ホルモンをステロイドホルモンと同じように外部から入れ続けたらどうなるでしょうか?動物実験では成されているのでしょうが、人体に対しては未だかつて行われたことはありません。逆に甲状腺ホルモン過剰症であるバセドウになれば、それを抑える薬を出します。あるいは女性ホルモン過剰症や男性ホルモン過剰症は、ときに腫瘍で見つかることがあります。この時は過剰にならないように腫瘍を切り取り、除去した後は必要な量だけそれぞれのホルモンを死ぬまで飲み続けます。
このようにホルモンは常に一定でなければならないのに、いわば現代のステロイド過剰症を作っているにもかかわらず、医者は素知らぬふりをします。なぜでしょうか?無知な大衆に対して嘘を貫き通せるからです。もちろんお金も儲かるからです。とんでもハップンなことであります。にもかかわらず私以外の医者は誰もこのような治療を告発しません。人類の歴史は賢い、強い権力をもった人間が支配してきたのですが、医療界も残念ながら正義や真理ではなくて、医療界の権力と権威をもって同じことが行われているのです。残念至極です。人類がエゴ的な遺伝子を継承する限り、このような歴史は永遠に繰り返されるでしょう。)
喘息:
入学前後から季節の変わり目など年に3,4回に発作を起こすようになりました。発作の起こったときは診療所で吸入を受け、飲み薬(テオドール等)を服用していました。
(アトピーと喘息は言うまでもなく免疫はIgEを武器として化学物質であるハプテンと結びついたタンパクを敵として戦う時に見られる症状であり、場所や症状が異なるだけで本質は同じです。ただアトピーは体内に入った異物を皮膚から排除しているだけであり、もちろん粘膜からでも排除しようとしているのでありますが、喘息はもっぱら気管支の粘膜で排除しようとしているだけです。
ただ皮膚と気管支の粘膜では働きが違うので、症状は全く違ったものになりますが、アレルギーのメカニズムは全く同じなのです。ですから、アメリカでは気管支喘息のことを、アトピー性気管支炎と呼ぶのも納得のいくことです。なぜ皮膚から異物が出るアトピーが気管支喘息になるのは、幼児期には必ず風邪をひくので、風邪のウイルスによって気管支粘膜が傷つくと、そこに食物アレルゲンではなく、吸入アレルゲンが付着し、これを排除するために、咳や痰がたくさん出るからです。)
小学校高学年
アトピー:
症状はありましたが、ジュクジュクした傷ができることはなく通院はなし。
喘息:
相変わらず発作を度々起こしていたので、ネブライザーを購入し毎朝インタールという薬を吸入していました。発作が起こったときは発作用の薬(気管支拡張薬か?)と同じように吸入していました。それでも収まらないときは通院して、飲み薬をもらっていました。
船に泊まる学校行事の際に発作を起こしました。埃っぽい場所や環境の変化に注意を払うようになりました。(人体の武器であるIgEは有限でありますから、喘息が出始めるとアトピーで使われるIgEが減り、免疫細胞やIgEはケモカインというサイトカインによって気管支粘膜に集まるようになり、アトピーが減る代わりに喘息がメインの症状となっていくのです。アレルギーでは、喘息が生死に関わるので一番怖いのですが、逆にアトピーに変えていけば、息ができないという危険も減るうえに、痒みで死ぬことはないどころか、痒みは掻いて楽しめるので喘息もアトピーに変えて治していくことができるのです。さらに異物を狭い気管支粘膜から出すよりも、人体の全てを包んでいる皮膚から出す方が遙かに合理的であることを考えると、人体はうまくできていると考えられます。)
中学校
アトピー:
軽微な症状はありましたが、通院なし。
(25年もステロイドのリバウンド症状に対処してきたユニークな経験を持つ医者として極めて面白い現象を観察することがあります。そのひとつが、乳児からあったアレルギーが、間違ったステロイドによる免疫抑制を続けることによって、小学校の間に治ったように見える時期があります。これを私は一時的ステロイド性免疫寛容と呼んでいます。あくまでも一時的な寛容であることを知っておいてください。この現象はほとんどの患者にあてはまることです。ところが、受験勉強などのストレスがかかったり、社会人になって自分で稼ぎだす困難さに際して経験するストレスがきっかけとなって、再び乳幼児期以上にアトピーがひどくなってしまうのです。どうしてこのような現象が起こるかについてのメカニズムを長い間考えてきたのですが、ひとつの理論が出来上がりました。一時的ステロイド性免疫寛容について説明しましょう。
あらゆる人体の現象は遺伝子の発現でありますから、同じアレルゲンが入り続けても、アレルギー反応という現象を遺伝子が発現させることができなくなったということであります。それは長期にステロイドを投与し続けることによって、アレルギー反応を起こす遺伝子の発現が一時的に変えられてしまったということです。
さてここでアレルギー反応を起こす免疫器官、免疫組織、免疫細胞のプレイヤーたちを列挙してみましょう。まず、骨髄、胸腺、リンパ節、脾臓、パイエルパッチ、樹枝状細胞、大食細胞、補体、Bリンパ球、Tリンパ球などであります。
ここでひとつ付け加えておきます。どうしてリバウンドが起こるかを説明しましょう。リバウンドはステロイドで遺伝子の発現が人為的に変えられる場合だけに見られるのです。化学物質が人体に入りこみ、これを排除するためにあらゆる免疫の細胞の遺伝子がONになって免疫の活動がはじまっているときに、無理やりステロイドでこの遺伝子のONを一時的にOFFにしてしまったときに、遺伝子が修復され再びONに戻る場合だけであります。
従って、アトピーの症状が出ている時にステロイドを入れることによって、多かれ少なかれ、以上に挙げた免疫関連の細胞たちは徐々に徐々に長期にステロイドを投与され続けると、それぞれの免疫系の細胞集団は遺伝子を変えられ、時間差をもって仕事ができなくなっていきます。免疫の症状は以上に述べた免疫系の細胞集団の有機的な連携がないと最後に症状が出ることは絶対にないのです。ステロイドを何年も何年も使い続けると、それぞれの細胞集団が仕事ができなくなっていき、いくらアレルゲンを入れてもひとつの細胞でも仕事ができなくなると連携が不可能となり、いつの間にかアレルギーの症状が出なくなってしまうのです。
確かに全ての細胞は毎日毎日古い細胞と新しい細胞を作り変えてはいるのですが、全ての幹細胞がステロイドの影響を受け、一部が細胞自殺(アポトーシス)を起こし、幹細胞が減っている上に、新たなる細胞を正常に作る力も衰えています。この幹細胞がある程度修復され、この幹細胞から作られる娘細胞である免疫の様々な細胞が正常に戻るのにも数年かかるのです。数年かかった上で新たに免疫を覚醒させるためにはリバウンドが必要なのです。
このリバウンドを起こさせるきっかけが激しい受験勉強であり、あるいは社会人としての他人に依存しない一人前の人間としての責務によるストレスであります。このような強いストレスに対抗するために、人間は自分の副腎皮質で大量のステロイドを出し続けるのです。ホッとしたときに免疫が回復しリバウンドが起こるのです。
つまりアレルゲンは死ぬまで人体に侵入してくるのですが、新たに強い心の異物であるストレスがかかり続けると、自分でストレスホルモンであるステロイドを作り続けることによって、リバウンドの準備をし始めるのです。ストレスが一段落し、交感神経優位から副交感神経優位の休息の段階に入った時に免疫が回復し、同じ頃に同一のアレルゲンに対してステロイドによって過去に眠り続けさせられていた免疫も徐々に修復されていくと、再び症状が出始めてしまうのであります。
これも世界で初めて私が見つけ出した理論であります。この現象を私はステロイド性一時的免疫寛容と名付けました。つまりあくまでも一時的でありますから、遺伝子が正常に戻ると再び激しいアレルギー症状が出るのです。)
喘息:
発作がおこらなくなったため、吸入を止めました。泊まりの旅行でも発作は起こりませんでした。
高校
アトピー:
軽微な症状はありましたが、通院なし。
喘息:
発作はほぼ起こりませんでしたが、スキー旅行で発作を起こしました。(気圧の変化か?)(元来アレルギーのない人は気圧の変化があろうとも、寒冷の差があっても、アレルギーを発することはありません。長期にステロイドを使ってきた人はアレルギーが完全に治ったわけでもなく、かつ気管支の粘膜が正常な人に比べて粘膜の組織がむき出しになっている部分もあり、赤肌の神経を冷気によって刺激することにより、喘息発作が起こることはしばしばみられることです。)
その他:
腹痛でかかりつけの診療所に通院した際に、ペニシリンを処方され2、3日服用した後、アレルギー反応で腸炎を起こし1週間入院しました。(ペニシリンによるアレルギー性腸炎とも言えるでしょう。ちょうど喘息が気管支の粘膜で起こるように、腸の粘膜でアレルギーを起こすのも何も不思議なことではないのです。この患者さんは非常に若いのにもかかわらずリウマチも発症しているので、ひょっとすれば腸管のアレルギーと同時に潰瘍性大腸炎になっていたのかもしれません。というのは、下記に書かれているように、腹痛が強かったからです。)
入院中は点滴(解毒の薬と言われたが詳細不明)をされました。(おそらくステロイド点滴だと考えられます。)痛みが我慢できなくなる度にナースコールをし、痛み止めの注射を打ってもらっていたら、起きているのに夢の中のような感覚に襲われ、怖くなって痛みを我慢するようにしていましたが、退院後、注射をされた周辺や指先に皮膚感覚が麻痺するような症状が残りました。薬による副作用なら同じ病院で見てもらったほうがいいと考え、同じ病院の神経内科にかかりましたが、原因不明ということで精神科にまわされ、カウンセリングを受けたりよくわからない薬を出されました。
(この方は実にまともな方であるのですが、原因が分からないのは詐病だと誤解されて、精神科までに回されるという不名誉な経験をされたようですが、これも医者の作ったペテン師病でしょう。
現在この世にある一番たくさん見られる大変な病気は医薬原病でありますが、これもそのひとつです。この世に原因不明の病気などは存在しえないのです。病気の99%は医者の作った病気です。
その根拠はいくらでもありますが、いくつか説明しましょう。まず病気の原因もわからずに治療する誤りから生み出される訳の分からない病気です。原因がわからずしてどうして病気を治すことができるでしょうか?不可能です。医者は原因の分からない患者に対して絶対に当たらない大博打を打っているようなものです。結局損をするのは患者であり、大儲けするのは医者だけであります。さらに、用いる薬が病気を治すための薬ではなく、患者の免疫を抑えるという薬であり、さらにその薬が人間にとって異物となる化学物質であるからです。こんな簡単な真実に気づかない医療界に絶望せざるをえません。残念です。)
これでは治るわけがないと考え別の病院にかかると、自律神経失調症と言われました。これといった治療法もないということで、通院をやめ放置しました。それまでは医者といえば、病気を治してくれる偉い人という認識でしたが、自分がアレルギー体質であることを熟知しているのにペニシリンを処方したり、幻覚を起こしたり麻痺が残るような薬を平気で使うようなことをされ、医者というものが信用できないようになりました。
(この患者さんはなかなか優れた患者さんです。残念なことに日本の社会は精神的にはヒエラルキーの世界であります。政治体制は民主主義でありますが、自分でものを考え、自分で正しい選択をし、自分で正しい決断をし、最後に自分で責任を持つという社会ではありません。いわば独裁国家が第2次世界大戦後に一挙にアメリカの命令で民主主義社会になったためであります。
資本主義的民主主義の牙城であるアメリカにしても、1776年にイギリスと独立戦争を行って植民地から独立した国であります。他のヨーロッパの民主主義といわれる国々も全て血生臭い革命を起こして手に入れたものです。ところが日本は天皇専制国家から無理やり欲しくもない民主主義を与えられてしまったものですから、今なお意識の上では民主主義が何たるかを知らない人々が多すぎます。つまり権威や権力によって支配されることを好む国民であります。自分の考えを論理的に正しく表現することができません。というよりも表現し過ぎると村八分にされてしまいます。従ってあつかましい言葉上手な政治家の口先三寸にコロッと参ってしまいます。言うまでもなく、自分の意見が言えない国民は外国語は下手です。世界で最も英語が下手なのは日本人であります。残念なことです。さらに現代は大学は全入可能です。50%の大学進学率を維持していますが、果たして知識人といえる人がどれぐらいいるでしょうか?医者は知識人という名に相応しいという人たちでしょうか?疑問です。知識人とは常に真実を求め、発言し実行できる人たちのことでありますから。)
浪人中
アトピー:
軽微な症状はありましたが、通院なし。
喘息:
遠方の大学を受験しにビジネスホテルに泊まった際に発作を起こしました。(強い受験当日のストレスがかかり、ストレスの最中には発作は起こらないのですが、ストレスが一時的になくなり、ホッとしたときに発作が起こるのです。従って日中のストレスの多い時には交感神経が活躍し気管は開き続けますが、ストレスを解放する休息の夜間に副交感神経が優位となり昼の免疫抑制のリバウンドが発作として起こるのです。)
その他:
急に手が冷たくなり、震えが起こり、病院へいくと過呼吸との診断で、よくわからない薬をもらいました。自律神経失調症に効くということでクロレラを飲んだりしました。クロレラの液体を飲んでしばらくすると真っ黒な宿便が出て、因果関係ははっきりしませんが、時間の経過と共に自律神経失調症体調がよくなりました。(クロレラは何でも効くような宣伝がされていますが、何でも効くような薬はありようがないのです。病気に効く薬というのは唯一免疫を上げる薬であります。果たしてクロレラは免疫を上げることが可能でしょうか?疑問です。逆に症状が良くなるので、クロレラは免疫を抑制する強い作用があるのではないかと考えられます。ただし、免疫学の立場から行くとこのような健康食品というものが大手を振って宣伝されるのはとても問題があります。何もクロレラだけに限ったことではありません。)
大学前半
アトピー:
症状はありましたが、通院なし。(大学でアレルギーがなかったのは、ストレスが少なくて、リバウンドも少なかった楽しい学園生活だったからでしょう。)
喘息:
大学に入り、就職後の残業に耐えられるようにと体育会系のサークルに入りました。当初は運動をすることで食欲も増し、やせ気味だった体重も標準体重に近いまでになり、体力も以前よりつきましたが、合宿で夜中に発作を起こし、その後も練習中に発作を起こしたりするようになりました。(合宿の一時的なハードなトレーニングがストレスとなってその後にリバウンドが出たのでしょう。)
その合宿以降、過呼吸や喘息の発作を起こすようになりました。今考えると練習に遅れが生じたことによる焦りや、深夜にまで及ぶミーティングなどで精神的なストレスが溜まっていたのだと思います。発作を繰り返すうちに気管支が常に腫れて気道が狭まっているような状態になり、ちょっとした運動でも体が熱を帯び疲れてしますようになりました。医者にかかり毎日使うステロイドの吸入器と発作時に使う気管支拡張の吸入器を出されましたが、医者を信用できなくなっていた私はどちらも使用はしませんでした。ステロイドはだんだん効きにくくなり、最後は入院生活になるとか、気管支拡張薬は苦しさから過量になり心臓に負担がかかって死亡するといったことが新聞で騒がれていたからです。(やはり一時期良くなっていたアレルギーが喘息という形で出始めてきたのです。患者さん自身が説明されているように、楽しい学業とは別のクラブのストレスがアレルギーのリバイバルを起こしたのです。ステロイドの怖さを彼は身をもって知る以外に新聞記事を通してさらに薬の怖さも知るようになっていったのです。もちろん医者や薬に対する不信は既にあったのですが、それでは医者にかからなければ何に頼ればよいのでしょうか?彼自身の正しい医療の模索が始まります。)
ステロイドに頼らない治療法はないかと、本屋で喘息の本を見て回り、喘息はIgE抗体というものが原因(アレルギーを起こす物質にその抗体が反応し炎症が起こる)で起こり、アレルギー体質の人はその抗体が多い人であるという知識を得ました。また、減感作療法という治療法がありその治療は体質そのものを変えることができるということも知りました。しかし、その治療は遠方に通わないと受けられないこと、あまり一般的な治療とは思えなかったことから、その治療を受けたいと両親に言い出すことはできませんでした。
(減感作療法という治療法もインチキ治療であります。まず、体質を変えるというふれ込みの治療は全てインチキだと考えてよいでしょう。なぜかというと体質は遺伝子で決められているものですから、この世に永遠に遺伝子を変える治療というのはあり得ないからです。もちろん皮肉なもの言いをすればステロイドは一時的には遺伝子を変えているので、体質を一時的には変えることができる治療の一つとしてステロイドを入れるべきなのでしょう。ワッハッハ!
このような減感作療法を厚生省の官僚が認めるのも、彼らの医学の知識が皆無であるからです。医学界のボスたちがこぞって法学部出身の厚生省の官僚を口説けばイチコロです。繰り返しますが、医療の不正は永遠になくならないでしょう。なぜならば医療界の不正をチェックする資格を持った人は医者しかいないからです。医学界は医者だけが好き放題ができる完璧な独占社会であり、医者は医学界の身内です。身内がどうして医学界の誤りを告発するでしょうか?
それでは私は一体何者なのでしょうか?ニセ医師なのでしょうか?ワッハッハ!私は実は医学界を告発しているのではありません。病気に関する全ての真実を伝えているだけなのです。その真実が医療の現状とはまるで180度違っているだけの話です。ワッハッハ!)
しかたなく医者にかからずに自分で治す方法を考えてあれこれと試しました。
(先ほど書いたように、医者を信頼しなければ自分で対処する以外に道はありません。これだけ医療が津々浦々拡充され過ぎていても、信頼できない医者だけであればアフリカの無医村と変わりはありません。このようなジレンマに立たされた患者は、医療過剰の洪水の中で絶望する以外はないのですが、彼は自分でできることをやろうとしたのです。ところが既にこのことに気がつくまでに見えない免疫の遺伝子の異常が積み重なっていますから、その見えない異常さについては彼は気がついていないのです。つまり医原病を作られていることに彼は気がついていないのです。私が現代の病気は99%が医原病だと言ったのはこの意味においてであります。
患者は症状だけが病気だと思っていますが、実は医者はもっとひどいことをしているのです。私が現代の医者をペテン師だというのは、遺伝子を変えてしまう薬を使って症状が一時的に改善しても、患者に見えない、しかし医者は知っている遺伝子の改悪については一言も口にしないからです。自分の都合の良いことだけを知らせて患者に不都合なことを知らせないのはペテン師という称号に相応しくないでしょうか?彼が如何にダニやハウスダストが問題だからといって、それらと完全に接触を断ち切っても断ち切れるわけはない上に、それまでに使ってきた一時的な免疫の遺伝子病を正常に戻す際に見られるリバウンドをどうするかということについてまるで気がついていない点であります。知らぬが仏と言ってしまえばそこまでですが、このリバウンドを経験して初めて目に見える医原病を作られてきたことに気がつくのです。)
一つ目は、気管支に入ってくる空気中のハウスダストやダニを減らすことでした。当時の私は、空気中のダニや食べ物に含まれるたんぱく質が、分解されずに気管支の粘膜や腸管から吸収されて、そのたんぱく質にIgE抗体が反応してアレルギー疾患が起こると理解していました(アレルギー関係の書籍より)。喘息の原因となっているアレルゲンを検査してもらったところ、ハウスダストやダニが原因ということがわかったので、ベッドの横に空気清浄機を置きました。また、食物として体の中に入るアレルゲンを減らそうと食生活を変えました。昔は成人になると自然に治ったといわれていたアレルギー疾患が成人になっても続くようになったのは、戦後の食生活の欧米化によってたんぱく質の摂取量が増加したことに、たんぱく質を分解する能力の低い日本人が適応できないために起こっているのではないかと考えていましたので、肉や玉子をいっさい食べずに野菜と魚を中心とした和食のみを食べ、化学調味料など戦前になかったものも徹底的に避けました。
(彼が勉強した本も結局はペテン師の医学者が書いた本ですから、間違いだらけなのです。タンパク質の摂取量がアレルギーを増やしたのではありません。タンパク質は生命の根源でありますから、多ければ多いほどいいのです。逆に炭水化物の取り過ぎは糖尿病を引き起こしますから、それこそ炭水化物の代わりにタンパク質を摂取すれば、糖尿病は治ってしまうのです。
アレルゲンは化学物質なのです。もちろん化学物質自身がアレルゲンになるのではなくて、何百回も書きましたがタンパク質と結びついた化学物質が全体としてアレルゲンとなるのです。このタンパク質をキャリアータンパクといい、化学物質をハプテンというのも今さら言う必要もないでしょう。従って正しい言い方は、タンパク質の多いものほど化学物質と結びついてアレルゲンとなるというべきなのです。)
アレルゲンが減ればアレルゲンを少しづつ体に取り入れる減感作療法と同じ効果が得られるのではないかと考えたのです。(減感作療法自身が意味のない医者の儲けるだけの治療ですから、このような考え方は素人の限界を示すものです。)
二つ目は、成人並みの体力をつけることでした。中学高校時代はどちらもほとんど症状が出ていなかったのに、大学でまた出始めたのは浪人中は体を動かすこともないし体力が低下していたからで、体力をつければ抵抗力が強まり治るのではないかと考えたのです。しかし、大学まで自転車で通ったり、サークルの練習に打ち込んでも体力を消耗するばかりで抵抗力がつくことはありませんでした。(体力というのは一体何でしょうか?体力とは次のように定義できます。行動する力と異物から自分を守る防衛力であります。行動し過ぎると、つまり彼の場合は体育系のクラブで活動し過ぎると、発作が起こるのです。彼がつけるべきは防衛力なのでありますから、体力をつけるよりも、免疫の防衛力をつけるべきなのでありますが、やはりこれも素人の悲しさで、間違いを起こしているのです。素人は常に思い込みと独断と噂で物事を判断しますから間違いが多いのです。かといって、病気の専門家である玄人が正しいことをやらないものですから、このような素人の間違いが生じるのです。正しい医療の専門家は病気を治せる医者です。それが私です。ごめんなさい、ちょっとうぬぼれてしまいました。病気の専門家は実は患者さんの免疫なのです。私は少しばかり患者さんの免疫を手助けしているだけなのです。すいません。)
三つ目はストレスを避けることでした。サークルの先輩が「いつも笑っている人には喘息やアトピーの人はいない」と言われ、楽しいことをするようにしようと考えました。今考えるとサークルと学業の両立は体力的に無理があり、サークル活動を継続しては体力を消耗するより退部するべきでしたが、当時は先に述べたように運動をすれば治ると考えていたため、退部して学業に専念しても今の体調では仕事に就けないからと、学業そっちのけでサークル活動に打ち込みました。(笑いが免疫を上げることは言うまでもないことです。笑いはストレスをかけることがないからです。ストレスホルモンを出す必要がないので、常に正常な免疫状態を維持できるからです。)
しかし、体調はなかなかに良くなりませんでした。連夜続く発作の苦しさから「後何年生きられるだろう」とか「このまま何もせずに死んでいくのか」とか「死ぬことが怖いと思っていたけど、本当に死にそうな状態になると死ぬことが救いに思えるようになるんだなあ」などと考えることさえありました。
(アレルギーで一番怖いのは喘息であります。間違った喘息の治療で毎年2000~3000人が亡くなっています。人間が死ぬ最終的な原因は息ができなくなることです。というよりも、酸素が体内に行き渡らなくなることです。この患者さんも死ぬような発作を何回も経験し続けたので、間接的な自殺に思いを凝らしたほどです。しかし喘息もアトピーにして治すことができるのです。ところが当院に来られる前に間違った医療でどれだけ気管支の粘膜を傷つけ、免疫の遺伝子をどれだけ異常にしたかが、治りやすさの決め手となります。喘息で死ぬのも結局は医原病なのです。
アトピーは風邪によって喘息に変わるのですが、漢方薬は喘息をアトピーに変えて、喘息もアトピーも治してくれるのです。しかも風邪を喘息に変えるのも実は医者なのです。風邪のウイルスを殺すのも全て患者さんの免疫であるのにもかかわらず、まるで風邪が遺伝子病であるかのように遺伝子の働きを変えてしまおうとするので、風邪も治りにくく、風邪のウイルスのために傷ついた気管支の粘膜は吸入抗原を付着するようになり、喘息が出てくるのです。風邪の炎症が長引けば長引くほど、気管支の粘膜にアレルギーの免疫細胞も大量に寄せ集められ、風邪が治っても喘息が新たに引き起こされてしまうのです。残念なことです。)
そんな折、発作がひどくなる時期に、規則性があることに気がつきました。サークルが始まる少し前の3月末や8月末ごろになると発作が起こっていたのです。(3月末の頃のアレルゲンはスギやヒノキの花粉が運ぶ化学物質であり、8月末のアレルゲンはイネ科の花粉が運ぶ化学物質であります。長い間喘息を続けると、気管支の粘膜はこれらの花粉と結びつきやすくなっているからです。この患者さんもこの頃に私のHPを探し出していたら、これほど苦しまなくても全てのアレルギーが完治していたのに残念です。)
これはサークルがストレスになっていたのか、季節の変わり目によるストレスであったのか今となってはわかりませんが、結局サークルを退部することにしました。それから半年ほどで自然と慢性的な気管支の炎症は治まりました。(もちろんクラブのストレスも鬱にならないで戦いを続けるためにステロイドホルモンを出し続けていたのが喘息発作の一助となっていたことは言うまでもないことです。)
その他:
浪人時代と同様に過呼吸の発作を起こして2ヶ月ほど通院し、飲み薬を服用。
大学後半
慢性的な気管支の腫れが引くのと同時に、幼少期から続いていた関節周辺に起こる軽度のアトピーと異質のアトピーが出始めました。喘息のときのような死にたくなるような苦しさはありませんでしたが、夜中は眠れず、講義中は痒みを我慢することしか考えられないような状態になりました。(気管支の粘膜は皮膚に比べてはるかに面積が少ない上に、風邪のシーズンが終わると傷つくことが減ってくるので、喘息が起こりにくくなります。それと同時に既に述べたようにステロイド性一時的免疫寛容が破綻しだした面もあると思います。つまり昔治療したアトピーが本格的になり始めたのです。)
アトピーは小学校のときに2、3回通院した程度で、基本的に医者にかかるような病気という認識がありませんでしたので、自分で治そうと考えました。喘息は、時間はかかったものの空気清浄機による空気中のアレルゲンの除去をしたことと激しい運動を止めたことにより気管支への刺激が少なくなり、粘膜が回復してバリアが形成されたことで治ったと考えていましたので、アトピーも同じ理屈で治ると考え、防ダニ加工の畳の上にアトピー用の布団で眠ることで皮膚に触れる刺激を減らすとともに、痒くても極力掻かないように心掛けました。引っ掻いて傷を作るとそこにアレルゲンが接触して、余計にひどくなるから、掻いてはいけないと考えていたのです。
(この世からダニもハウスダストも絶滅させることは不可能です。たとえ自分の家の中の生活の範囲でダニやハウスダストをカットしても、外出してしまうといたるところで再び出会ってしまいます。こんなことはICUで一生生活しない限りは完全にダニやハウスダストを断ち切ることはできません。ましてやアレルギーの原因はダニやハウスダストそのものではなくて、これらに付着したり運ばれている化学物質であるから、ますますダニを絶滅してもアレルギーはなくならないのです。
確かに搔くことによって傷がつき、そこからハウスダストやダニが付着してアレルギーがひどくなることはあります。しかしハウスダストやダニが運ぶ化学物質は何も皮膚からだけ侵入するわけではありません。実際見えないものですから、ハウスダストやダニは食べていないと思っていますが、実は大量に食べているのです。飲料水にも大量にこのようなアレルゲンは含まれているのです。肺からもハウスダストやダニが運んでいる化学物質の微粒子が吸い込まれているのです。だからこそ気管支の粘膜に付着し、入りこもうとする化学物質を排泄するために気管支喘息が起こるのです。)
しかしながら、薬も使わずに劇的によくなるわけもなく、寝たきりのような生活を送りながら何ヶ月か経った頃、アトピーが悪化してまともに大学へ通えていないということを聞きつけた親戚が、漢方でアトピーを治す医者が市内におり、実際にそこで治った人がいるということを教えてくれました。(漢方で治すのではなくて、自分の免疫で治すものです。全ての病気は医者や薬は患者の免疫の働きを手助けはできますが、人間にとって異物である敵を殺したり共存したり封じ込めたりする働きは結局免疫しかできないのです。)
西洋医学の医者は信用ならないが、漢方なら副作用は出ないし安全だろうということで、紹介された診療所に行くことになりました。その診療所では院長先生の他に漢方のアドバイザーのような方がおられ、脈や顔色などを見てその人の状態に合わせた煎じ薬と塗り薬、薬湯を出されました。塗り薬は2種類ありました。1つは紫の薬で、もう1つは黒い薬で漢方薬が含まれているようでしたが、塗った後の劇的な効果を思い返すとステロイドの塗り薬も入っていたのではないかと思います。黒い塗り薬を塗るとあっという間に傷はふさがりましたが、皮膚が薄くなり薄くなった皮膚に塗った薬が異物として痒みをもたらし、掻いてはいけないものだから叩いたりこすったりして痒みをごまかしていました。ともかく黒い薬さえ塗っていれば布団から出られないというほどの痛みは抑えられていたのでそればかり塗っていました。
(結局は、患者さんは症状が取れることと病気が治ることとは同じであると考えているところが決定的な誤りなのです。私のように、病気がどうして起こるのか、どのような経過を辿るのか、最後はどうして治るのかを根本的に理解していないどんな医者の所に行っても、結局は見かけだけ良くなったことで完治したと思いこまされるだけであって、その意味では私以外の治療は全て素人並の医療と言っても過言ではありません。
医療にしてもすべて経済行為であり、お金儲けでありますから、私のように“治らなければお金を返す”と言い切る医者に診てもらわない限り、全てまやかしものといえます。私が全ての患者に“必ず病気を治してあげる”と断言できるのは、病気を治すのは患者自身の免疫であるので、私は患者の免疫を信じきっているので治すことができるのです。患者が私を信じることは、患者自身が自分の免疫を信じることなのです。世界中の医者でもこの私のレベルまで達している医者は誰一人としていないでしょう。この真実が世界中に暴露されると薬も医者も病院も全く必要なくなるからです。私も失業してしまうでしょう。ワッハッハ!
無知なる患者を騙すことは専門知識をもってすれば、いとも簡単なことなのです。患者が医者に診てもらうのは病気を治すためであり、お金を払うのは病気を治すための対価でありますから、初診時に患者は医者に次のように聞くべきです。『この病気は治りますか?』とまず尋ねます。医者が『治ります』と答えれば、さらに聞くべきです。『治らなかったらお金を返してくれますか?』と。この質問は何も厚かましい質問でもなく非常識でもありません。現代の医療の堕落は、病気を治さなくてもお金が取れるし、さらに病気を作ってもお金が取れるところにあります。残念です。)
ある朝、顔を叩いていつものように痒みをごまかしていると突然文字が見えにくくなりました。最初は顔を叩いたことによって、目をこすった後のように一時的に視力が低下したのだろうと考えましたが、いつまで経っても治らずこれはおかしいということで眼科に行くと、アトピー性の白内障でアトピーのために顔を叩いていると発生する合併症だといわれました。
(医者が作った病気は数えたらキリがないぐらいあります。その一つがステロイド性白内障です。アトピー性白内障などというのは絶対に起こり得ません。なぜならば食べた化学物質が脳の一部でもある極めて緻密な眼球の水晶体に行くはずもなく、水晶体に免疫細胞が集合し、そこで炎症を起こすことは絶対にあり得ないからです。しかも白内障は変性疾患であって、絶対に炎症疾患ではないからです。
長期にステロイドを使い続けると、ステロイドが水晶体の細胞に入り込んで、遺伝子を変性させて起こす医原病なのです。老化による変性によって起こされた老人性白内障は、水晶体の辺縁から変性が生じますが、ステロイド性の場合は中心から変性が起こるという特色があります。さらに、叩くことと水晶体の変性は全く関係がありません。叩くことで問題が出るのは網膜剥離です。医者がアトピーの患者に“搔いてはダメだ”と患者に言うものですから、患者は仕方なく叩くことで痒みを和らげようとします。叩くたびに眼球は振動を与えられ、知らないうちに目の奥深い眼底から網膜が一部剥離したりすると網膜裂肛が徐々に起こり、範囲が広くなると目が見えなくなってしまうのです。これも間違った医者の指導による医原病だといえます。
ちなみに眼科が引き起こした医原病はドライアイです。アレルギーで異物を流し去るために患者の免疫は一生懸命涙を出そうとしますが、これを止めるのが医者の出す薬です。その結果、必要な涙まで出なくなりドライアイとなるのです。このドライアイに対しても、またまた治るわけでもないのに薬を出し続けて医者はいつまでも病気を作り永遠にお金が儲かるという次第になっています。)
アトピーなら喘息のように死ぬこともないし、漢方薬は副作用が少ないし、仮に副作用が出ても命には別状がないだろうと安心していたのに、突然両目が曇ってまともに歩けないくらい視力が下がり、手術をしないと治らないと言われ目の前が真っ暗になりました。「いくら副作用が少なくても症状を抑えないことで不可逆的な障害が残ったら何にもならないではないか」と、期待していた東洋医学に裏切られた気持ちでした。
(東洋医学のために白内障になったわけではないということをこの患者さんは理解していません。ステロイドを止めたために水晶体の遺伝子が正常な遺伝子に戻ろうとするときに生じる遺伝子正常化修復過程に見られる症状といえます。水晶体の細胞の核の遺伝子にステロイドが入り過ぎたために生じた変性した水晶体が正常に戻ろうとするときに生じるのが白内障なのです。従ってはじめからステロイドさえ使わなければ生じることはないのです。
医者は医学の知識を独占していますので、自分が言わない限りは副作用が薬で生じたことを患者は知る由もないのです。人間の本性はエゴですから、罰せられない限り永遠に無責任を続けたがる存在であるから、このような医原病が永遠に繰り返され続いていくのです。残念です。繰り返して言いますが、顔を叩くことと白内障は何の因果関係もありません。)
目の手術をするためアトピーの症状を安定させなければいけないということで、西洋医学の権威であり、皮膚科の評判が良いという大学病院へかかることになりました。大学病院では、副作用はあるが短期間服用する分には問題がないという強めの飲み薬(おそらくなんらかのステロイド)をもらい、1週間くらい飲むとアトピーがあったことすら忘れてしまうほど劇的によくなりました。その後は飲み薬は中止し、上半身下半身、顔のそれぞれ左右と額の7箇所に違う塗り薬を塗りわけ、合う薬を探しました。いろいろと試した結果、顔には治験の薬、体にはマイザー軟膏が一番あうことがわかりました。(患者が医者に好き放題されている証拠の一つがこの大学の先生の言い分です。私から言わせると、白内障はステロイドのために起こったにもかかわらず、白内障の手術をするためにまたまたステロイドをたっぷり飲ませて患者を騙し続けるという点であります。現代の医療が恐ろしさを越えておぞましさを感じさせる出来事です。
この医者が愚かなのは、ステロイドが合うとか合わないとかという問題ではなくて、免疫を抑える一番強い塗り薬がマイザー軟膏であっただけなのです。ましてやステロイドを飲んだ時に一挙に症状が良くなったわけですから、その意味では“ステロイドを飲むのが一番合う”という言い方ができます。これに対する答えは、塗り薬は免疫を抑える為には吸収される必要があるのですが、内服のステロイドはまさに体にぶち込むわけですから、免疫の抑制作用が塗り薬よりも遥かに強いというだけの話です。もっと言いましょう。ステロイドを注射したらもっとこの人に“合う”のは、ステロイドの注射薬だったということになるでしょう。)
症状が安定したことで、手術も無事終わり両目とも見えるようになり(裸眼では近くのものが見えにくくなる障害は残りましたが)、痒みやこれといった副作用もなく、無事に大学を卒業し就職することもできました。こうした経験の中で私は当時の主治医を絶対的に信用するに至ったのです。
就職後
就職した会社では、採用時に喘息で休学状態だったことについて話をしていましたが、分煙についてまったく考慮されることがなかったため、夜寝るときになっても皮膚や喉にタバコのにおいが染み付いて、喘息の一歩手前のような症状が出るようになりました。仕事中もタバコで咳をしたくなりましたが、咳をするとタバコを吸うなと言っているように思われるのではないという恐れからこらえるしかありませんでした。アトピーについてはタバコが皮膚に染み付いていることで気持ち悪さはあったものの、不思議と痒みは起こりませんでした。(喘息の人がタバコを絶対に吸ってはいけません。言うまでもなく、間接喫煙もタバコの煙が気管支の粘膜に付着することによって、それがアレルゲンとなり喘息がひどくなるのは当然のことなのです。
喘息が起こっている時にはアトピーが楽になるのは、 喘息とアトピーが結局は同じ敵を同一のIgEで処理しているためです。ただ場所が違うだけで、喘息のときは気管支の粘膜に大量のアレルギーの免疫細胞やアレルギーのサイトカインが動員されるので、アトピーが治ったように見えることがあります。)
結局、自分自身の未熟さもあり試用期間後に退職することとなりましたが、実社会の厳しさと不条理さが身にしみました。その会社を辞めた後、喘息が起こりその後アトピーに変わりました。体調も悪く次の就職先が決まらなかったので、とりあえず工場でアルバイトをしていましたが、作業着に問題(材質、通気性)があるのか、同僚が休憩中に吸うタバコのせいかわかりませんでしたが、仕事が終わる頃には痒くて仕方がなくなりました。ようやく、次の就職先が見つかりましたが、そこの会社も分煙がされておらず、長く続けることはできませんでした。その会社を辞めた後も、喘息が起こりその後アトピーに変わりました。(喘息が起こった時にはアトピーが楽になり、アトピーが起こると喘息が楽になるというのは、既に説明した通りです。しかし喘息の方が遙かにアトピーよりも病気の重篤度は高いのです。それは4分間息ができなければ死ぬことがありますが、アトピーはかゆみで死ぬことは絶対にないからです。ちなみに現代でも毎年喘息で2300人が死んでいますが、アトピーは0です。喘息も治る病気なのに毎年2300人も死んでいるのは犬死にというべきものです。従って喘息は、喘息をアトピーに変え、最後は自然後天的免疫寛容でアトピーも喘息も治してしまうことができるのです。)
しかし、今回はアトピーの症状が重く、塗り薬を塗っても安定しなくなりました。退職のストレスのためだったかもしれません。その頃は主治医が大学病院をやめ診療所を開設していたので、その診療所にかかっていましたが、長期間症状に変化がないため一度大学病院で入院して治すことになりました。
入院中はジスロマックという抗生物質を3日間服用し、体にマイザー軟膏、顔にキンダベート軟膏を塗っていました。1週間ほどで皮膚の状態が安定し、退院しましたが家に帰ると2,3週間でまた元の状態に戻りました。(この患者さんがどうして主治医を信用するようになったのかは、私から言わせると全く理解できないのです。結局は免疫を抑えては効き目がなくなると再び悪化し、また元の黙阿弥となり、再びステロイド塗るという繰り返しをしているのは、子供の時と同じであるということを気がついていないところが理解できません。
大学病院の先生といえども、診療所の先生といえども、現代の医療は無意味な対症療法で生命を守る免疫に対して悪事を繰り返しているだけなのです。この間違いに気がつくのが早い人は、それだけ医原病が少ない患者であり、気がつかない人は一生現代医療の毒牙にかかって、一生を棒に振ってしまうというわけです。)
都合3度、喘息からアトピーへの変化を経験しましたが、気管支や皮膚のバリアを強くし、症状を抑えるだけという治療法に限界を感じるようになりました。自分の体の中にアレルギーを起こす物質が出口を求めてさまよっており、どちらかを抑えてもどちらかが顔を出すモグラ叩きような状態で、ステロイドの塗り薬で出口の傷口をふさいでも皮膚すぐ下に炎症の元がくすぶっており、何かきっかけがあればいつでも飛び出せる状態になっているのが感じられたからです。しかし、主治医のことは信頼していたし、他に信用できるものが何もなかったので、退院後も塗り薬を塗りながら体に合う飲み薬を探すことになりました。(この患者さんも徐々に徐々に現代医療の限界と現代医療の悪徳ぶりに気づきだしたようです。患者が医者を信頼できるのはたった一言『あなたの病気を私は治してあげます』という言葉であります。この言葉を出さない医者は全て悪徳医師です。無知な医師です。患者を考えない医師です。無能な医師です。医学を知らない医師です。と私が言い続けても、現代医療を変えることは永遠に不可能でしょう。しかし私一人でも真実の医療を続けられることが救いです。全ての患者さんが私の医療を知ってもらうためには松本医学を伝える本を大出版社から出すべきでありますが、まだまだ機が熟していないようです。)
塗り薬については、顔に塗っていた薬の治験期間が終わり使えなくなったため、プロトピックに変わっていましたが、プロトピックは塗っても効いている感じがなく、顔が火照って顔を叩きたくなったので、眼疾を恐れて塗りませんでした。代わりにマイザーをなるべく薄くぬっていました。
(ステロイドのリバウンド症状による免疫の働きが強すぎる為に、プロトピックも効いている節がなかったのです。何といってもステロイドは免疫抑制の王者です。全ての人間が持っている3万足らずの遺伝子の1割を即座に変えてしまうことができるのです。ましてや敵と戦っているあらゆる免疫細胞の遺伝子を瞬時にして100%一時的に変えることができるのです。だからこそ世界中の薬の中で大量に生産され、大量に使用されている永遠の大ベストセラーといえる究極の薬です。
プロトピックも免疫を抑制することができるからこそアトピーでも使われるようになったのですが、免疫の遺伝子の発現を一部抑制するだけで、ステロイドには勝てないのです。毎日毎日病気を治すためではなくて、お金儲けのために新しい薬が研究開発されていますが、全て免疫の遺伝子を変えるためのものであり、この間違いは永遠に繰り返されるでしょう。
病気は自分の免疫で治すものであり、この免疫を変える限りはあらゆる病気は治すことができないということを誰も気がついていません。いや、まともな賢い医学者ならば気がついているのですが、言えないのです。なぜならば免疫を抑える薬しか作れないからです。免疫を上げる薬を作ることは、いわば頭を良くする薬を作ることや、心を美しくする薬を作ることや、美しい顔を作る薬を作ることに匹敵することです。こんな薬を作ることは言うまでもなく不可能です。)
飲み薬については、ペニシリンの件で懲りていたので何かおかしいところが出ればすぐに服用を中止していました。
試した飲み薬は以下のようなものでした。
エピナジオン:効果なし
ジスロマック:ジュクジュクした傷が治まる
ツムラの漢方(銀に黄色の帯):痒みが軽減
ツムラの漢方(銀に水色の帯):手首や足首が浮腫んできたのを報告し、服用を中止
ビタミンC:痒み止め
カルシウム剤:痒み止め
他にもあったかもしれませんが、飲むと心臓が苦しくなったりする薬などがあり、なかなか副作用が出ず効果がある薬が見つかりませんでした。
(この患者さんもこのレベルではアトピーの本質も理解されていないし、ましてや効果が出るという意味は、単に症状を良くするだけであって、免疫を抑制するだけであり、後でリバウンドが起こることに気がついていません。日本中の、いや世界中の一般大衆はこのレベルの人たちの集まりにすぎません。
学校教育においても医療行政においても病気が何であり、病気を治すことが何であるかを一言も教えられていないのに、どうして私のレベルまで一般大衆が上がることができるでしょうか?不可能です。だからこそ患者さんの病気を治す手記を通じて、医学教育のみならず社会教育までしてあげようと心がけているのです。
これまで患者に正しい医療に目覚めてもらうためにこのようなコメントに費やした時間は何百時間、いや何千時間になるかもしれません。しかしながら、当院に来られる患者さんで、私が納得できるまで真実の医療を理解しておられる患者さんは極めて少ないものです。同じことを何度も何度も繰り返して語っているのですが、なかなか一般大衆には理解してもらえません。20年以上も前からホームページを開設していますが、近頃はこのようなコメントを書くことが一瞬空しく感ずることがあります。私がいくらほざいても世の中は変わらないということがひしひしと感ずることがあるからです。
何万人もの患者のアレルギーや膠原病を治してきたのですが、私の正しい医療がなかなか広まっていかないのは真実が世の中を支配しているわけではないという証拠でもありますが、それ以上に資本主義的医療が圧倒的な力を持っているということを思い知らされるばかりです。それでもいずれは松本医学が間違った現代行われている医学にとって代わることが、未来のいずれの日にか可能になることを夢見ながらコメントをしております。)
そんな中でメドロールという薬を飲むと劇的に良くなり、これといった副作用もでなかったので、これを飲むことになりました。メドロールはステロイド薬で長く飲むのは良くないということだったので、大学時代のように1週間飲んですぐ塗り薬に切り替えられるものと考えていましたが、量を当初の一日3錠から1錠に減らすことはすぐにできましたが、そこから減らすと症状が悪化するため、なかなか量を減らせませんでした。(最終的にゼロにするまでに1年半かかることになりました。)
(メドロールは免疫を抑える力は圧倒的でありますが、リバウンドが強すぎて普通の医者は滅多に使わないものです。かといってプレドニンというステロイドは副作用は少ないので、膠原病で非常によく使われるステロイドですが、アトピーでは即効性がないので使われることは滅多にないのです。
さきほど述べたように、免疫の働きによって生じるアトピーは、正しい反応であるので、その正しい反応を抑える薬は遺伝子を即座に、かつ大量に変えてしまいますが、それを止めるときに遺伝子の修復が大変となり、その結果リバウンドも恐ろしいものになるので、メドロールなどというのは皮膚科領域では絶対に使われないのです。ましてや皮膚科領域で飲んだり注射するということはリバウンドが激しくなり、とりわけ誰もが忌み嫌う顔の症状が、お岩になったりおかめになったりする上に、かゆみが狂おしいほどに出現するものですから、さすがに患者の未来を思う医者は使う勇気を持てないのです。さらに、メドロールは遺伝子を変性させる力が強すぎるので、アレルギーのIgEを膠原病のIgGに逆クラススイッチさせやすく、長く使い続けると膠原病も出てしまうので、長期に使うことは許されない薬であるのです。にもかかわらず、この人もメドロールを減らすのにさらに1年半かかったためにリウマチまで出現してしまったのです。すぐにやめればリバウンドが激しいだけで済み、膠原病にはならなかったのですが、1年半もさらに飲み続けたことが、のちにその分リバウンドが後で出続け、おまけにリウマチも医者からもらったということになったのです。
ちなみにステロイドを止めたいという患者に対して、ステロイドを徐々に減量していき“ステロイドを使うことを止めましょう”という医者がいますが、これほど滑稽なことはないのです。一度使ったステロイドはどんな止め方にしろ、必ずステロイドによる影響が細胞の遺伝子に刻印されているので、どんな止め方をしても遺伝子を正常に戻すときに見られる免疫の反跳現象は必ず出ます。ところが患者はステロイドを徐々に止めれば、リバウンド現象はまるで生じることはないと思い込んでしまっているところが悲劇です。このような減量もペテン師医療の一つです。残念です。ただ長期に大量に用いてきたステロイドを突然止めると、リバウンド現象が激しく見られるという問題以外に、もっと大きな危険が待ち構えています。それはステロイドを大量に使っている間に、患者の副腎皮質の機能が低下したり、なくなったりしていることがあるのです。
何回も述べているように、副腎皮質で人間はストレスに対抗するためにステロイドホルモンをいつも必要量を作り続けているのでありますが、医者にステロイドを大量に入れられると、脳は副腎皮質にステロイドを作ることを命令しなくなっているのです。このような人が突然にステロイドを止めると、少しのストレスで意識を失ったりすることがあるのです。この意味だけで徐々にステロイドを止める価値はあるのですが、その分さらに止めるまでにステロイドが入り続けることが医原病を拡大させることになります。いずれにしろステロイドは死ぬか生きるかの時にしか使ってはならないのです。)
ともかく、症状は劇的によくなり量さえ減らさなければ安定させられたので、リハビリがてら職場環境の良い行政機関でアルバイトを始めました。
飲み始めて半年ほどたったころ、自転車で職場に着いた直後心臓が苦しくなり、貧血のように顔が真っ青になりました。横になっても治らないので病院に連れて行ってもらい、心電図や血液検査を受けると特に異常は見られないということでしたし、症状も徐々に治まりましたが、こういう発作が起こると数日はまた起こる可能性があるということで、大事を取って3日ほど仕事を休みました。検査の結果自体は大丈夫だといわれましたが、血を抜いた際に血が止まりにくく、それはステロイドを飲んでいるからだと医者から説明を受け、自分の体の中がどうなってしまっているのかという恐怖に襲われました。メドロールについてもどのような副作用があるか調べてはいましたが、半年飲んでもまったく副作用がなかったので、それまでの副作用が出た薬と違い自分の体に合っているのだと考えていました。しかし、薬の副作用の記載は基本的に、目に見える症状だけで、その症状が出る原因となる、体内の変化についての記載はいっさいありません。症状が出てくる頃にはどうしようもない状態になっているということを思い知り、一刻も早く薬をゼロにしようと、すぐさま一日半錠に減らしました。
(さきほど述べたようにメドロールというのは、遺伝子の転写因子をあちこちで変えてしまうので、一時的に使うことはときに見られるのですが、長期に使うというような使い方は、まともな医者ならば絶対にしないのです。このことを知らないとすればこの医者はヤブ医者であり、知っていたとすれば人体実験をしたとしか考えられません。
転写因子について少し述べておきましょう。免疫の働きは遺伝子の発現であるということをくどいほどに述べていますが、この遺伝子が働くためには遺伝子のDNAに保存されている様々な遺伝情報をメッセンジャーRNAにまず写しかえる、つまり転写する必要があります。この転写の開始を調節する因子にステロイドが極めて大きな影響を与え、転写することを不可能にさせ、従って遺伝情報をタンパクに変えることができなくなるのです。免疫の仕事は全てタンパクで行われるわけですから、タンパクが作られなければ免疫の働きもなくなってしまい、炎症が見かけ上全て一時的に消えてしまうのです。
ステロイドが人体の遺伝子のあちこちに入り込んで、免疫の働きのみならず全ての組織の細胞の働きも無理やりに変えてしまうという副作用については、患者向きの一般の薬の副作用に関する本には書かれていません。従って長期にメドロールを飲めば、血管の内細胞の遺伝子が変わったり、心筋の遺伝子が変わったりして、心臓にそんな影響を与えるかについては一行も書かれていません。ましてや血小板に対する影響や、凝固因子を作る肝臓の細胞に対する影響も一言も書かれていません。彼が勝手に絶対に信頼できると思い込んだ医者が、どんなひどい医者であるかを公平に客観的に判断する知識を患者は持っていないので、最後はこんな結果になったわけです。
私が信頼できる医者であるかどうかは、わたしがこれまで書いたホームページの理論とその解説、患者の手記、患者の手記のコメントを読んでもらえば分かって頂けると思います。私が口にする問題はそれこそ医学の領域だけにとどまるものではありません。人間とは何か、社会とは何か、政治とは何か、経済とは何か、教育とは何か、金とは何か、幸福とは何か、など、あらゆる事象に及んでいます。人間が一番大切にしている命や医療を通じて全てを語っているのです。もちろん人間の一人である自己の心を正直に語り、全ての人間が少しでも全ての分野における真実を知ってもらうために、このようにホームページを作っているのです。勢いが強すぎて語り過ぎている面もあるぐらいです。その時は余りにも正直に真実を語り過ぎたということでお許しください。)
その後は、このときほどひどい貧血は起こりませんでしたが、度々おかしな症状(視力の低下、指先の痺れ、胸痛、喉の異常な渇き、体に力が入らなくなり、ちょっと歩いただけで異常に疲れる)が現れました。指先の痺れについて整形外科にかかると、ステロイドの量を減らしたことにより神経に炎症が起こっていると言われ、神経ブロックの注射をしてもらうと、しばらくして治りました。
(ステロイドは増やしても問題が起こり、減らしても問題が起こるという恐ろしい薬なのです。だからこそ脳は2重にステロイドの量をチェックしているのです。脳はあくまでも必要なステロイドだけを自分の命令下にある副腎皮質に作らせるだけであり、少しでも多くなれば作ることを止めさせるのです。ところが医者が入れた大量のステロイドホルモンを脳はチェックできないのです。だからこそ医者が病気を作っているというのです。
薬は人間にとって必要なものではないのです。必要な物は人体は自給自足でコントロールできるのです。あえて必要な薬と言えば、ワクチンと抗生物質と抗ヘルペス剤と胃薬と降圧剤ぐらいです。後は全く必要ではないのです。
実をいえばこの神経ブロックの注射の中にも、ステロイドとキシロカインという麻酔薬が入っています。従って胸痛や指先のしびれ、疲れやすさはすぐにとれたのです。というのは、これらの症状はヘルペスとの戦いで見られる神経症状であるからです。この患者さんは正直な方ですが、症状が取れれば良い薬だと思いこんだり、良い医者だと思い込んだりする傾向が強い方です。知らぬが仏です。)
一日半錠から二日で半錠にするとまったく飲まない日が発生し、体内のステロイドの量のバランスが悪く症状が安定しないので、一日半で半錠に減らし、その後は毎日4分の1錠飲むようにしていき、その後ゼロにしました。
ゼロにしたあと、禁断症状(胸がしめつけらるような感覚)が現れました。いつもは朝飲んでいましたが、かばんに入れて持ち歩き禁断症状が現れたときにだけ飲むようにしました。
そうしてようやく平成20年の10月に完全に薬を断ち切ることに成功しました。
メドロールの中止と同じ頃、指や手のひら足の裏に物が当たると痛みを感じるようになりました。最初は自転車に乗っていることによる炎症かと思いましたが、なんとなく手や足の指が細くなっているような気がしました。痛みが段々ひどくなるので、これはおかしいとインターネットで調べてみるとリウマチという病気がピッタリくることがわかりました。(まさにメドロールを使っている間にIgEがIgGに逆クラススイッチをし始め、やめることによって免疫の働きが戻り始め、IgGの世界が展開しだしたのです。まさに同じ異物をアレルギーではなくて膠原病で処理しようとし始めたのです。メドロールが作った医原病であります。)
リウマチは早期治療が大事だということで、その日のうちに指の痺れを治してもらった整形外科にかかることにしました。そこではレントゲンと血液検査を受け、リウマチかどうか検査結果が戻ってくる一週間後までわからないが、とりあえず塗り薬を塗っておけとステロイドの塗り薬をもらいました。あれほど懲りていたステロイドでありましたが、塗り薬を塗らないと関節が破壊されてしまうのではないかと考え薬を塗ることにしましたが、検査結果を聞くまでもなく、全身の異常のだるさや朝の腫れ、他の関節への痛みの広がりから、リウマチに違いないと思いました。引き続きリウマチについてインターネットで調べてみると不治の病で最終的に寝たきりになって、内臓にも障害が起こるという恐ろしい情報ばかりが目に付きました。そこで「リウマチ」という単語の他に、「根治」や「治す」といった前向きなキーワードで検索してみると、松本医院のホームページが見つかりました。とりあえずリウマチの項目を読んでみると、ステロイド、アレルギー、免疫の関係を理論的に説明しておられ、これまで自分が抱いていた疑問を解きほぐしてくれるような内容であったこと、文章から必ず治せるという自信が感じられたことで、ここしかないと思い立ち、週末の朝一番に見てもらおうと高槻に向かいました。(本当はアトピーのときに私のホームページを探してもらいたかったのです。しかし、遅まきながらもリウマチが出て初めて私の医院を見つけ出されたのは、この患者さんにとっては幸運というものでしょう。ここまでこの患者さんは、まさに医者にお金を払って、苦しみと無駄な時間とリバウンドの繰り返しと様々な副作用と、最後はリウマチを医者から買ったのです。このような医者に対して、この手記では医者に対して一言の恨みも感じられていないのは神様のような人です。知らぬが仏というのはこのことでしょうが、知っても仏でいらっしゃるのは何とも言い様がありません。)
松本医院での治療経過
平成20年10月
休日ともなると全国からリウマチ患者が殺到して開院前から列を作っているのではないかと考え、早めに家を出て8時すぎに高槻の駅に着きました。(私の医院は“近いから来る”という医院ではありません。このようなホームページをじっくりと読み、しっかりと理解され、全てを納得した方が自分で松本医院を選択し、松本医院に来ることを決断し、自分の免疫で自分の病気を治すという自己責任を完全に引き受けることができる人が全国から来られます。アメリカ、イギリス、オーストラリア、マレーシアからの患者さんも来ておられます。このような患者さんは当院に定期的に続けてくることができないので、家族がお薬を取りに来たり、その他薬を送ったりして色々配慮をしてあげています。外国から来ている人たちだけではありません。南は九州、北は北海道から来ておられる患者さんには、同じように配慮してあげているので、医院で早くから来ておられて待っておられるのは、地元の人たちだけです。)
多少迷った後、8時半ごろ松本医院を発見すると入り口には誰も人が並んでいませんでした。受付開始時間をすぎてもひと気はなく、これはもしかしてとんでもないホラ吹きにひっかかったのではないか(誰も患者がこなくて、休業状態の医院ではないかと)と、立っているだけでもつらい節々の関節に耐えながら20分ほど待っていると、一人患者さんが現れとりあえず安心をしました。実は受付開始時間を9時だと勘違いしていたのでした。それからほどなくして入り口が開き受付をすると、初診ということで問診票を記入し手記を読んで待つように言われました。リウマチの人の手記を読むと、ここまで悪化している人でもよくなっているのだから、それよりはるかに症状の軽い自分なら絶対治ると確信しました。診察室に呼ばれるまで非常に長く感じましたが、ようやく呼ばれて中に入ると、言葉使いは汚いけれど、情熱的で自信に満ちた手記のイメージ通りの先生がおられました。それまで自分がかかってきた医者は、皆どこか自信がなさげでこの薬がだめなら別の試すといった具合に薬を出しているだけで、結局飲む薬を患者の訴え(効いた効かない)に委ねているような人ばかりでした。
(この方も正直な方ですが、私を知るまでは自分が信じた医者まで裏切られるほどの経験をした為に、医者に対する不信がどこかに見受けられました。私は人の心はすぐに読み取れます。それは私自身が自分の心の醜さや心の動きを十分すぎるほどに見てきたからです。相手の猜疑心や不信感、嫉妬心、凶暴な心、妬み嫉み、すぐに分かってしまいます。この方もはじめから私のことを完全に理解しきっているわけでもなく、信じきっているわけでもないということはわかったのですが、この文章を読んで、私の心が真実を見破っていたことを知ってホッとしました。
この患者さんも私が自信満々の医者であることにはすぐ気がついたようでありますが、冗談を言わせてもらえば、私のことを天才的なペテン師だと思っていなかっただけでもホッとした、というのが偽らざる正直な気持ちです。アッハッハ!)
先生は症状と共に、これまで飲んでいた薬の種類と量を尋ねられ、血液検査をする前からリウマチだとおっしゃられました。私はリウマチと言われましたが、不思議と怖くはありませんでした。インターネットにあるように、いくつの項目に該当したらリウマチと診断できるというわけのわからない診断基準で「あなたはリウマチじゃない」と診断され、「もっとひどくなってリウマチと診断されるまでは放置しておきなさい。」と言われるよりよっぽどましでしたし、不治の病であるとされているリウマチは、ホームページや手記を読んだ結果、私の中ですでに治る病気という認識に変わっていたからです。ステロイドをたくさん飲んでいたことを責められましたが、必ず治してあげると力強く握手をしてくださったおかげで、前向きに治療を始める気持ちがわきました。
(この患者さんは頭の良い患者さんである上に、非常に繊細な患者さんであります。既にリウマチのことも十分に理解されておられ、リウマチに対する恐怖心も全く持っておられないことは、やはりこの文章に表れない以上に、私を信頼してくれていたのでしょう。私以外の他の全ての医者が、『リウマチは不治の病だ』と言っているにもかかわらず、私を信じてくれたのは、この人なりに私の理論を理解されていたのでしょう。
この患者さんの手記は、私の治療経過の手記というよりも、当院に来られるまでにどれだけ間違った治療をされたかの手記と言ってよいほどです。これまで如何に間違った治療をされてきたかを詳しく書いて頂くことは、中間報告としては理のあることです。特にこの患者さんは、医者のためにステロイド性白内障になり、手術もされ、さらにステロイドを投与され続けたためにリウマチにもなったわけですから、当然といえば当然です。)
その日は血液検査をした後、鍼とお灸をしてもらいました。
お灸も鍼も初めての経験でしたが、先生の腕がいいからか、恐れていた痛みや熱さはそれほどでもありませんでした。鍼灸の後は、体がポカポカして痛みが心持ち軽くなったように思えました。(その通りです。鍼灸の先生は極めて腕の良い先生であります。遠くから来られた患者さんが、地元の鍼灸師に鍼やお灸をやってもらうのですが、下手すぎるので鍼の施術をした後に痛くなって2~3日余計にひどくなるという方がいます。まさにヤブ鍼灸師です。鍼やお灸をやるのは、免疫を上げて痛みを取るためです。鍼灸をやった後に痛くなる鍼灸はやる意味がありません。)
その日は、薬湯と塗り薬、消毒液をもらい、お金が足りなくなったので飲み薬は月曜日に地元の調剤薬局でもらおうとしましたが、地元の薬局では薬がそろわず、先生に宅急便で送っていただくことになりました。(このように患者さんの都合に応じて宅急便で送ってあげたりすることもしてあげています。)
薬湯に入ると体がぽかぽかして、炎症が収まるような感じがしました。皮膚もしっとりとしてすべすべになりました。飲み薬はリウマチ用に調合された漢方薬を煎じて飲んでいましたが、2、3日飲み続けると手首や足首の付け根を中心に浮腫んできました。以前皮膚科でもらっていた漢方薬でも同じ症状が出て、その時は服用を中止するように指示されたので、体に合わなかったのではないかと怖くなって先生に「このまま飲み続けても大丈夫か」と電話で聞きました。先生は大丈夫だとおっしゃられましたが、浮腫んだところが痒くてしかたなくなり、靴を履いたりペンを持つのにも支障が出るほど腫れがひどくなったので、飲む量を減らして様子を見ました。数日すると腫れはひいていきその後はそのような症状が出ることはありませんでした。
(他の漢方医はリバウンドの意味を知らないから止めなさいというのです。症状は何回も言いますが、良いことなのです。症状は免疫ががっぷりと敵とよっつに組んで戦っている素晴らしい戦いの印なのです。症状が出たからといって免疫が負けることは絶対にないのです。症状、言い換えれば炎症であり、いわゆる病気でありますが、病気は良いことなのです。症状を戦い尽くせば必ず病気は治るのです。病気を病み尽くせば必ず病気は治るのです。
現代文明において免疫が異物である敵に負ける戦いというのは何もありません。それぐらいに人体にとって怖い敵である恐ろしい異物は、現代文明においてはなくなっているのです。ただ化学物質という異物と戦う免疫を弱めてきているので、この弱まった免疫を回復してあげるときに症状が出るだけなのです。この症状を恐れることは何もありません。私は延べ何十万人の患者のリバウンドを診てきましたが、誰もそのために殺したことはありません。医者が患者を殺さない限り、必ず免疫が異物を征服してしまうのです。免疫こそ最も信頼できる異物に対する武器であり、医者が免疫を抑えない限り、また患者が心で免疫を抑えない限り、絶対に信頼できる味方です。免疫は人間の心のように損得で動くこともなく、気まぐれで動くこともなく、永遠に敵を必ずやっつけてくれる真実の味方です。免疫の働きを抑えることは絶対に止めましょう。)
平成20年11月
2週間が経ち薬もなくなったので、再び松本医院に向かいました。薬で症状が抑えられているのか免疫が回復したのかはわかりませんでしたが、前回ほどのだるさや痛みはなくなっていました。診察室に入って血液検査の結果を聞くとリウマチの値は正常値ということでした。しかし免疫をずっと抑えていたため、リンパ球の割合が正常値以下でかなり低くなっていること、それだけ免疫を抑えてもアレルギーのIgE抗体も正常値の何万倍も高い数字だと説明されました。(初期のリウマチは、リウマチの炎症所見がすべて正常である場合が見られます。しかしステロイドを大量に長期に使われてきているので、リンパ球の幹細胞が死んでしまい、リンパ球が極めて低い患者さんがおられます。一度死んだリンパ球の幹細胞は二度と蘇ることはありませんが、リンパ球が低いからといってすぐに困ることはありません。というのは、残ったリンパ球の幹細胞が、徐々に末梢血管のリンパ球をある程度増やしてくれるからです。)
その日は薬局でもぐさを買い、アトピーの煎じ薬ももらうようになりました。家で痛いところを中心にお灸に挑戦しました。自分でやると山が大きすぎて熱くなりすぎたり、上手く置きたい場所に置けなかったりで、一通り痛い場所にやるだけでヘトヘトになりました。痛みがひどいときは一刻も早く治りたいと頑張れるのですが、ちょっと痛みがましになるとサボりがちになりました。(リウマチもアトピーに変えて治すわけですが、初期のリウマチで、しかもアトピーの症状がメインであるので、痛みは簡単に減っていったのです。)
平成20年12月
症状が安定してきたので、月1回だけ通院し1回は電話で薬だけ送ってもらうようにしました。(遠方から来ておられる人は、このように色々配慮してあげています。)
平成21年1月~2月
ピリピリした痛みが走ることがあったので、前回と同じような項目の検査に加え、ヘルペスの値を調べる血液検査を受け、ヘルペスのウイルスを抑える薬をもらって服用しました。
リウマチに良いと聞いて、少しでも早く治すために、近所のプールで週2、3回ウォーキングを始めましたが、頑張りすぎて足首に痛みが出ました。
平成21年3月~4月
体が猛烈に痒くなり、かつてないほどひどいアトピーが起こりました。(さあ、これからが勝負のリバウンドです。この頃になるとリウマチの痛みは、あちこちのリンパ節でクラススイッチが起こり、IgGがIgEとなり痛みが変わっていく上に、元来ステロイドで抑えられていたアトピーが目を覚ましだします。アトピーの症状が強ければ強いほど、リウマチは良くなっていきます。)
このアトピーは最初ひどい痒みが襲ってきた後、掻いた後がケロイドみたいになり、全身(特に顔から)黄色い液(以下リンパ液)が止めどなく流れるようになりました。消毒薬は痛すぎて塗れないし、エルタシンや紫の薬を塗ると一時的に皮膚がガードされ痛みが軽減しましたが、すぐにリンパ液が染み出てエルタシンを流し去ってしまいました。寝ているときも顔の向きによっていろんな箇所にリンパ液が流れるので気になってまともに眠れませんでした。空気(特に冷たい空気)が触れると痛みが走るとので、家にいるときは一日中布団の中で生活し、食事も布団の中で顔も出さず食べていましたな。仕事にいくときは、顔中に包帯を巻いて空気に触れないようにして、耳はニット帽、目には水中眼鏡という格好で自転車に乗って通勤しました。(ステロイドの医原病として非常に大きな問題のひとつは、ステロイドを使っている間に大量のヘルペスウイルスを全身の感覚神経に増殖させてしまうことです。ステロイドを止めて免疫が回復しだすと、免疫はあちこちの神経に増殖したヘルペスウイルスを見つけ出し殺しにかかります。この時に皮膚がピリピリチクチクし、夜も眠れなくなります。この時に抗ヘルペス剤を服用すると、神経細胞や上皮細胞に入り込んだヘルペスウイルスが増殖することができなくなり、免疫がヘルペスウイルスを殺しやすくするのです。結局はウイルスを殺すのは自分の免疫であり、免疫が敵との殺し合いの戦いをするときに様々な症状が出るのです。大量のリンパ液が皮膚から体外に漏出するのも、ヘルペスとの戦いの一症状です。しかし免疫はこのヘルペスに対しても絶対なる抗体という武器を持っているので、必ず倒すことができるのです。病気万歳、症状万歳。病気と症状は免疫の健全さを物語るものです。)
職場の空気は比較的暖かく、包帯をしていればかろうじて痛みを我慢できましたので、週に1回だけ睡眠不足を解消するために休みをもらい、それ以外は出勤しました。
1ヶ月くらいそんな状態が続きました。リンパ液を止めないと塗り薬は効かないので、薬湯に息を止めながら顔を突っ込んで何度も浸すことを繰り返して治そうとしました。痛みは多少軽減されたように思いましたが、リンパ液はやはり止まらず、インターネットで黄色い液の正体とどうやったら止まるのかを調べました。黄色い液の正体はリンパ液で体から毒が出ているわけではないということがわかりました。そこで亜鉛華軟膏という薬が良いとわかり、色々調べてみると家に以前もらったものがありましたので、それを塗ると2,3日で包帯が取れるまでになり、リンパ液が止まったと後はエルタシンを塗っておきました。
(この患者さんはやっぱり勝手なことをやっています。やはり懸念したように、私を全頼しきっていないことがこの手記でわかります。インターネットで書かれることが正しければ、私の医院に来ることはないのに、と言いたいのです。私以外のインターネットには“アトピーは治らない”“リウマチは治らない”と書いてあるのに、なぜ私のところに来るのでしょうか?リンパ液は単にヘルペスとの戦いのみならず、アトピーとの戦いで出すものです。痒みを痒み尽くすように、リンパ液は出し尽くさねばならないのです。
困ったら必ず私に電話をするようにと携帯電話の番号を教えてあげているのですが、結局はつまらない亜鉛華軟膏というのを勝手に使っているのです。亜鉛華軟膏もやはり消炎作用があるので、これも免疫を抑えてしまうので使ってはならないのです。後で再び多かれ少なかれリバウンドが出てしまうからです。)
平成21年5月
その後はリウマチの痛みが出なくなったので、アトピーの飲み薬だけを飲むようになり、薬湯も週に2回になりました。アトピーも3月4月の出来事はなんだったのかというくらいきれいになりました。ステロイドを使っていたときのような、抑えて表面上きれいになったけど内側にくすぶっているようときと違う感覚になりました。
アトピーの症状もほぼなくなった頃に、メドロールを飲んでいたときのように胸の苦しさが起こり、体に力が入らなくなり、ちょっと歩いただけで異常に疲れる症状が現れました。症状が治まっているのに以前と同じ量の薬を飲んでいるのがいけないのかもしれないと考え、症状が治まるまで飲み薬は中止しました。その後、量を半分にして様子を見てから通常の量に戻しました。通常の量に戻しても症状が再現されませんでしたので、結局原因はわかりませんでした。(この人は素人であるにもかかわらず自分で判断し、自分が医者になろうとするので困るのです。結局この胸の苦しさや疲れやすさは、肋間神経におけるヘルペスとの戦いである可能性が大きいので、それに対するお薬を出せば何も不安を感ずることはないのです。ただ漢方は免疫を高めるので、ヘルペスとの戦いの症状を楽にしようと思えば、漢方を飲む量を減らすことは、戦いの症状を軽減することになるので、たまたま勝手に減らしたのはそれなりに意味のあることです。どんなことでも困ったことがあれば私に相談すれば答えを出してあげます。)
平成21年6月
血液検査を受け結果を教えていただきました。治療開始当初10%だったリンパ球は順調に増え続け20%になっていました。ヘルペスの値はやや下がっていました。(10%だった末梢血管のリンパ球は、若い患者さんなので20%まで増えました。しかし正常な若い人のリンパ球は40%が理想です。)
平成21年8月~11月
体調が安定してきたので、転職先を探そうと就職活動を始めました。
そんなとき、どうしても時間に間に合いそうに無く1キロほど走るはめになりました。リウマチになって走ることがほとんどなかったためか、走り終わった後足首の関節の周辺がグチュグチュになってしまいました。整骨院にいき電気を当ててもらい3週間ほどで完治しました。
ある面接のある日には、リウマチ発症当初のような体のだるさと熱っぽさが出たことがありました。今後どこで働くかわからないもやもやした状態が解消するまでは、体の調子が悪いままでした。やはりまだいつリウマチが再発しても不思議ではない状態だということがわかりました。その後はストレスを感じたり、関節に負担をかけるようなことは避けるようになりました。(これほど長い間大量のステロイドを使ってこられると、まだまだクラススイッチができていないBリンパ球がIgGを作り続けることがあります。だからといってリウマチが治らないと考える必要はありません。アトピーの症状がひどい人は、既にクラススイッチは十分に行われ、毎日骨髄で作られるBリンパ球はほとんどがクラススイッチをしてIgEを作っているのですが、昔ステロイドによって遺伝子をクラススイッチできなかったBリンパ球が思い出したようにIgG抗体を作って同じ異物と戦うと、リウマチの症状が出ることはいくらでもあります。)
8月は血液検査を受け結果を教えていただきました。相変わらず数値は順調でリンパ球は24.5%になりました。
10月にも検査を受けIgE(非特異的)の値が治療開始当初の15580のところ、9360まで下がっていましたが、リンパ球が17.5%と正常値を割り込みました。9月にリウマチ発症当初のような症状が出ていたため、悪化したのかと心配しましたが11月の検査では20,1%と正常値まで戻りました。
松本先生に治療の途中経過の手記を書くように依頼されました。(私はこの手記ではじめて知った事実が多くあります。これほど彼が長い間、医者から間違った治療を受けてきたのかと思うほど、ひどい現代医学の治療と称する悪事を体に受けてきたのを知って驚いたくらいです。真面目で正直ではありますが、医療の本質を知ろうとしてもできない無知な患者さんは医者を信頼する以外に手はありません。善良な人ほど医者を信じようとします。なぜならば他に頼るところがないからです。それでも信じた医者に裏切られてはじめて現代医療に不信を感じて当院に来られる人がほとんど全てでありますが、彼もその一人でした。元気に仕事も行っているということで、今までの病気の経過を書いてもらったのですが、再び彼の医原病のひどさと現代医療のえげつなさを知った次第です。このような医療の間違いの責任は誰が取るのでしょうか?)
平成21年12月~平成22年2月
アトピーとリウマチは、無理さえしなければ症状を気にすることはなくなってくる。漢方の量が多いのか、煎じ方が悪いのか消化器系の具合が悪くなりました。
胃や食道の辺りが熱くなり食欲がなくなりました。仕事中、何度も便意をもよおすようになりましたが、出るのはオナラか少量の軟便ばかりで仕事に集中できなくなりました。飲む量を減らすと2週間ほどでよくなりました。先生に相談してビオフェルミンをいただき煎じ薬も変えていただきましたが、やはり胃の不快感がひどく、煎じ薬はしばらく飲むのを止めました。(間違った治療のために何回も転職したために、さらにストレスが加わったのでしょう。消化管アレルギーが出た可能性があります。)
平成22年3月
口の周りが少し乾燥気味になって荒れてきました。季節的に昨年のような症状が出る予兆かもしれないと警戒をしましたが、ただ乾燥気味なだけでアトピー特有の中から沸いてくるような痒みはありませんでした。顔以外は特に変化はありませんでした。
平成22年4月
急激に悪化はしませんでしたが、時々顔が痒くなり、乾燥が顔全体に広がりました。リンパ節の辺りが熱を持つようになりました。関節や骨自体も少し痛むところが出てきました。
まだ薬をやめられるところまで治っていないようなので、煎じ薬を半分にして様子を見ながら飲み始めると、症状が軽減しました。(近頃は調子が良いのか、徐々に顔を見せる回数が減ってきました。病気を治すのはいつも言っているように薬でもなく医者でもなく、自分の免疫であります。リバウンドは医者と薬が間違った治療をした為に免疫が傷つき、その免疫を回復するプロセスを手助けしてやることが私の仕事なのです。つまり単に免疫を回復する以上に、リバウンドに際して見られる様々な症状にヘルプをしてあげることが私の仕事です。この方のリウマチもアトピーも全て必ず治ります。
ここまで頑張ってくれた患者さんに敬意を表します。)
以上が、これまでの治療経過です。