「リウマチ手記」 新谷 和夫 51歳
2009年8月9日
2005年4月、左手小指第一関節付近に小さな腫れが出来たのが最初の症状でした。当初は特に気にすることなく日常生活を過ごしていましたが、一向に腫れが引くことなく、その箇所が気のせいか少し大きくなったような気がした為、勤務先近くの整形外科の診察を受けてみました。レントゲンを撮ってみたものの、異常は特に確認されず、とりあえず電気治療を開始、毎日仕事の昼休みに通院しました。その時の医者は、病名、原因とも明確な答えのないままでしたが、特別な自覚症状もないためあまり気にせず、電気治療を続けていました。それから2ケ月くらい経過後、今度は勤務先近所の皮膚科で診察を受けました。ここでも軟膏をくれただけで、特別な診断もなく終わりました。2006年5月、症状が出始めてから一年が経過、腫れの状態は以前より大きくなった だけでなく、小指が第一関節から内側に少しではあるが曲がり始めていました。またこの時痛みがかなり出てきており、ようやくその異常に不安がつのりはじめた為総合病院の整形外科を受診しました。やはりレントゲンを撮影、異常が認められなかったのは一年前と同じ結果でした。しかし明らかに指の腫れと変形、また痛みも悪化しておりその病名、原因が分からない不安も手伝いかなり憂鬱な日々となってきました。結局、整形外科ではロキソニンと座薬(ボルタレン)を処方され、ただ痛みを抑えているだけの日々でした。その腫れと変形が左手親指、左手首、左足指(全体)とつぎつぎに広がり始めました。
この段階へきて、同じ病院の膠原病内科に変わるよう病院から言われ、改めて診察を受ける事になりました。血液検査の結果では「リウマチ」とは断定できないとの診断ではありましたが、病名・原因とも不明なまま整形外科と同様ロキソニンとボルタレンを続けていました。この医師が某大学病院から出向していたこともあり、この大学病院でも診察を受けました。この間、症状はジワジワと広がり、痛みも増してきました。痛みを医師に訴えた結果、一応「頓用」ということで、プレドニンを処方されました。確か2mgの錠剤を半分にした
ものが出されていました。驚いたのはその効果で、この薬を飲むとウソの様に痛みがすーっと和らぎ、一時のこととはいえ安堵感を味わえたのを記憶しています。ステロイドはまさに麻薬で、会議、出張とあれば必ず飲むようになり、プレドニンがなければ仕事にさしつかえるようになりました。
薬でごまかしているだけの通院、血液検査をだらだら続けていきながらも痛みは増していきました。ここで医師は「効果の有無がはっきり判るまで少し時間を要する」との前置きをつけながら、アザルフィジンという治療薬を処方、継続服用を開始しました。結局このアザルフィジンは約2カ月服用しましたが、何の変化もなく、次は金製剤(シオゾール)の注射に変更、週に1回の注射を継続して行く事になります。この注射も約2カ月続けましたが、効果も変化も感じないままでした。私が医師に「とにかくこの痛みを止めて欲しい」「炎症の広がりを止めて欲しい」との希望を繰り返しました。その時点での腫れ、症状はさらに悪化しており、このまま炎症が進むと仕事がままならなくなる。デスクワーク中心でパソコンを一日中使う仕事である事から、手指の炎症は致命的で、将来に対する不安が増大、仕事どころか歩けなくなったり、体に障害が現れるようになったらどうしようと、悲観的な思いで一杯になってきました。
その訴えの効果?あり、プレドニンを朝夕2mgづつ服用する事になりました。またシオゾールの注射は効果を確認できなくて、リマチル(抗リウマチ薬)に変更されました。「リウマチと断定できるだけの結果が血液検査に現れていない」といいながら、ずーっとリウマチ薬を飲み続けている現状が理解できなくなってきました。日に日にその疑問がつのるようになり、医師にセカンドオピニオンを受けたい。他の医療機関での判断を聞きたい旨依頼しました。その結果、別の大学病院の免疫アレルギー課に紹介状を書いてもらい、診察を受けることになりました。その病院の医師の診断でも「リウマチではありません。」と同じ答えが返ってきました。とにかく、血液検査結果のデータを見る限り、そうとしか言いようがないとの言い方で、指の腫れや変形については他に原因があるとの見方で、消化器内科等で総合的に他の原因を調べるべき、とのことでした。既に目に見えて腫れ、変形が起きている外観・症状については特に説明はなく、「ちょろいもんです。」と表現されたのには驚きました。それでもその病院の消化器内科で一から検査・診察を受けようかと気持ちが揺らぎました。どうしていいのか判らなくなってきたからです。結局、もとの総合病院に戻り、プレドニン、リマチル、ロキソニン、ムコスタを飲み続ける状況に戻りました。何度検査、診察を受けても、薬を飲み続けても効果、変化がないどころか、少しづつ悪化してゆく症状への焦りが増してきました。この頃は足指の腫れのせいで常に足の裏にごつい固まりをへばりつけ、その上石の上を歩くような感覚でした。痛みもひどく、会社の帰り、自宅の最寄の駅に着いたころは足が限界にきており、駅前で天を仰ぎ、深呼吸を何度かしてから足をひきずりながら決心して歩き出したのを覚えています。この頃は左手小指は完全に内側に曲がってしまい、左手親指外側に湾曲したように曲がり左手首は腫れがひどく、ずっと左手首にしてきた時計ができなくなりました。座敷に座ると立ち上がるのが大変で左手の支えがなくなったことがこんなに不便だとは思いませんでした。
この頃、今度は右手人差し指第一関節が腫れ始めました。これまで、右手には症状が出ていなっかた事が唯一の救いであったのが、とうとう症状が出てしまいました。薬を飲み続けながら、症状の改善どころか、その広がり、拡大と止めることも出来ない状況にショックを受け、医師にその状況を訴えましたが、「今出来ることはプレドニンを飲み続けることだけです。」と宣告されてしまいました。これ以上はどうしようもない、と決心し、再度、病院の担当の医師に別の医療機関で診断を受けたい旨訴えました。
当時、妻が知人から松本医院という漢方医の存在について知らされており、私も聞いてはいましたが、もともと「総合病院」「大学病院」への信奉厚かった私は特別な関心を示さないままでいました。「漢方」で治療をするという概念が私にはなかったのです。しかし、医師からでた以外な言葉がきっかけとなりました。「つぎも又、同じような西洋医学の病院へ行っても同じ結論しか出ません。行くなら漢方や、他の治療をするところへ行ってみたらどうですか?」私はその時、前に話を聞いていた、松本医院の名を思い出し、その場で医師に紹介状を書いてもらいました。2008年3月、松本医院での初めて診察を受けました。診察の前にホームページの中は一通り目を通して、果たしてどんな治療をする病院なのか事前に調べてはみたものの、理解するにはほど遠い状態でした。先生から初日いきなり、インターネットを何故きちんと見てこなかったのか、と厳しく叱られてしまいました。実は見てはいたのですが、さっぱり判らなかったので、恥ずかしくて「見てきた」とは言えなかったのです。また、病院の紹介書を見て松本先生はかなりあきれておられ「よく病院の医者がこんな小さな個人の医者に紹介状を書きよったなあ~」といいながら、その紹介状をポイッと机の上に投げられました。その日は、とりあえず煎じ薬と入浴剤を処方してもらい帰りました。いったいどの様な治療が始まるのか不安もありましたが、病院の医師の言葉を思い出すと、とにかくやるしかない、と自分に言い聞かせました。一週間後、2度目の診察は妻にも同行してもらいました。どんな病院でどんな治療であるのかを妻にも理解しておいて欲しかったのと、実際のところ、妻自身もどんな病院なのか見ておきたたっか為です。それまで飲んできた薬はすべてやめました。
いよいよ治療のスタートです。煎じ薬、入浴剤、お灸の毎日になりました。困ったのがお灸で、最初はなれないせいか、ほんのわずかだけして「今日はおしまい」と終了してしまいました。とにかく苦手で、当初最も苦労したところです。妻にお灸をしてもらうと、お灸というより本当のやけどになってしまいそうで恐ろしく、自分でビクビクしながら線香を持つ毎日でした。初回の検査の結果、間質性肺炎の症状が出ている事が指摘されました。KL-6の数値が異常値を示していました。これは明らかにリマチルの副作用の一つであり、見方によってはリウマチ以上に怖いとの事でした。自分自身初めて聞く病名であるのと、自覚症状がない事で、実感は薄かったのですが、抗リウマチ薬の副作用の多さ、危険性を先生から聞くにつれリウマチの改善を信じて服用を続けていたのに、とやりきれない思いでした。まだまだ治療の結果があらわれない日々ではありましたが、薬を飲み続けながら症状が進んでいった当時と違い何かに期待を持ちながらの毎日のため、決して暗い気分にはなりませんでした。しかし、痛みのほうはひどく、ステロイド他の薬をやめたせいか、一気に厳しい状況になってしまいました。リバウンドのことは当初から先生から何度か伺っていましたので、覚悟は出来ていたつもりでしたが、何が起きてくるか予想もつかない不安感が強くありました。治療開始後一ヶ月で、めまい・フラフラ感・不快感に悩まされるようになりました。とにかくその症状は突然やってきました。会社での仕事中に急に頭がくらくらし始め、椅子に普通に座っていることができなくなるような状態でした。とにかく説明のつかないような状態が、頻繁に起きてくるようになりました。先生は「リバウンドのせい」と一言。会社を早退する日が増えてきました。ステロイドの離脱症状の怖さを実感しはじめました。痛み・腫れがどんどん悪化してゆく上にこのめまい症状が現れるようになりましたが、”かつて病院へは2年間通院してきた。だからこの治療はせめて1年は貫く”と最初に自分で決めていたことで、平静な気持ちでおれました。
2008年5月、リバウンドに襲われながら、漢方治療を続けていましたが、5月のゴールデンウィークにあった野外イベントに出かけて見ました。この時は大変な晴天で、真夏を思わせる陽気で、左手首に時計のあとがくっきりと見えるくらい急に日焼けをしてしまいました。一日中外をうろついていたためです。今思えばあの痛みの中でよく長時間表に出ていられたか驚きます。ところがその日焼けを機に一気にアトピー症状が出始めました。お灸のあとと、日焼けのあとに集中し急な変化が訪れました。もちろん日焼けがきっかけだったのかどうかは判りません。たまたまそのタイミングだたのかもしれませんが、治療開始から3カ月後でした。アトピー症状は一気に広がりを見せました。アトピーに対する治療も平行するようになり、ネオヨジンによる消毒を欠かせなくなりました。先生からの注意で、アトピーの傷口からの
感染には最大限注意しました。お風呂に入るとアトピーの痒みが増幅され、どんどん掻いてしまうため、白い粉、めくれた細かい皮膚のかすみたいなもので、浴槽の湯の表面が真っ白になる程でした。アトピーの出現は喜ぶべき展開ではありましたが、アトピーだらけになった自分に体とお風呂で見る白い粉をみると、果たしてこの症状はいつ治まるんだろうかとの思いを持ち、不安で仕方がない、というのが偽らざる心境でした。ある日、ふと気づくと指の炎症部分の痛みが緩和されている事に気づきました。思わぬ事でしたが、めまいを感じる事も急に減っており、状況が改善されている事を実感し始めた頃がこの頃です。松本先生の「完治の理論」が理論というだけでない、まさに「事実」であり
「現実」であることをまざまざと感じた時期です。当初から何度か目を通してもなかなかピンとこない事が多く、先生の書かれた理論の判らない多くの部分が急に「こういう事なのか」と強く感じる事が出来るようになりました。
2008年7~8月、ふと気づくと手指、足、頭の前髪の生え際と数箇所の皮膚が白くなってきました。皮膚が色素が落ちて白く、いったい何の症状なのか疑問でした。診察時に伺うと、「白斑症」というステロイドの後遺症で、皮膚下のメラニン色素を作る組織が破壊されてしまったためで、時間はかかるが必ずもとに戻るとの事でした。手先やおでこが白黒まだらになってしまったため、気になりましたが、痛みや不快感はなかったのが幸いでした。夏を過ぎたころからは、何かの変化を感じることが少なくなりました。少しずつですが、確実に腫れや炎症が緩和されてきているのは事実で、安定的に治療を継続している実感が強くありました。炎症の強かった箇所は、こわばり、変形は残ってしまっておりましたが当面は根気よく治療を続けて、左手首にしつこく残っている痛みをとり、検査結果が正常値に戻ることを目標に通院を続けました。
2008年暮れから起こった経済不況に一気に飲み込まれ2009年に入ってからは治療がままならない事が増え、残念な事に少し症状、検査結果が逆行してしまいました。現在はようやく、元のペースに戻り通院・治療が継続できる状況になっています。針の苦手な私が何とかがんばれたのは、あまりに痛みが強くあったためですが、早田先生が常に楽しく治療しながら声をかけていただけた事が非常に大きかった事、大変感謝しています。ありがとうございます。今はまだ治療途上でもあり、安心はできませんが、絶望的な当初の状況から脱することができ、仕事や日常生活が何とかできているのも、松本先生の治療の理論のおかげです。総合病院で専門医に「ステロイド剤」を飲み続けるしかないと宣告されたこの状況をここまで改善していただいたことは紛れもない事実であり現実です。途上でかなり厳しい状況に追い込まれたこともありましたが、周囲のはげましと松本先生の強い確信に支えられここまで来る事ができました。一時仕事の影響で治療に中断期がありましたが、今後も根気よく通院を続けたく思います。ありがとうございます。