この手記を印刷する 院長のコメントありバージョンを読む 論文『クローン病の完治の理論と証拠』を読む
「免疫の素晴らしさ ~娘13歳でクローン病発症~」
関野 愛(母) 娘14歳 2010年5月26日
娘が炎症性腸疾患と診断されたのは2009年11月のことです。小さい頃からお腹が弱かったのですが、母親である私も同じなので体質が似てしまったぐらいにしか思っていませんでした。ところが2008年中学入学以降に強い腹痛を訴えるようになって来たのです。部活動は陸上部に入りました。入る前は分からなかったのですが、娘の中学の陸上部は、県でも有数の強豪校で練習量は想像以上でした。体調が悪くても故障しても練習を休めない空気があり、無理をしてでも部活に出る日々が続きました。そして2009年の夏に、とうとう耐えられない程の腹痛と粘血便が出てしまったのです。
近所の病院に行きましたが、小児の大腸内視鏡検査の経験が無いということで大学病院を紹介していただきました。検査の予約は粘血便が出てから2ヶ月以上も経ってしまったのですが、その間は部活も休ませるようにし学校も無理せずに欠席させるようにしていたため娘の症状も少し落ち着いて見えました。
そして2泊3日の大腸内視鏡検査の日はやってきました。子どもの検査なので全身麻酔を使うのですが、下剤や器具は中学2年生ということもあり大人と同じ物でした。下剤も沢山飲んだので検査前に体力を消耗して検査自体も3時間半かかりベッドに戻って来た時は死んだように眠っていました。
麻酔がなかなか効かず、かなり痛がった言うことで追加の麻酔液を大量に入れたようです。次の日、主治医から説明があり「潰瘍性大腸炎かクローン病で間違いないでしょう。」と言われました。「この病気は、治療しても悪くなることはあるが良くなって完治することはありません。」とも言われました。
とりあえず2泊3日の検査入院だったので、退院してから今後のことを考えて行くと思っていましたが、すでに勝手にペンタサとステロイド60mg点滴の治療が始まっていたのです。一生付き合っていく病気で治療しても悪くなると言われたばかりなのに、何のためのステロイド治療なのか全く意味が分かりませんでした。何もしないよりはマシだということでしょうか。
それでも、その時の私たちは何の知識もなかったので病院のやり方に従うしかありませんでした。ステロイドの副作用の説明は、ムーンフェイスとニキビが代表的だと言われましたが減量していけばそれらの症状は無くなるということでした。
しかし「ステロイドをいつ止めるのか」という質問には答えてもらえませんでした。「部活も体育もやらないでください」と言われ、体を動かす事もできない大変な病気なのかとショックで言葉もありませんでした。それでも主治医は医学生にでも説明しているかのように淡々と語り、私たちの事を気にする素振りもなかったように思います。
ステロイド治療は娘の症状を良くするどころか日に日に悪くさせました。娘の体には何の効果もないどころか毒になったのでしょうか?入院前にも見たことがない真っ黒いドロ状の下痢が出るようになっていました。そんな様子を主治医は、この病気の特徴であるかのように説明していました。
入院してから1週間が過ぎ、さらに胃カメラを撮りました。大腸検査よりは下剤を飲まないぶん楽だったようですが、麻酔はまたしても大量に使ったということで検査から4時間も目が覚めませんでした。その後、入院病棟の先生から説明を受けることになり「胃は荒れてはいるが潰瘍は無かった」とのこと。しかし、娘には60mgのステロイドが効かないので、先生は「お腹の痛みがまだ治まらないようなので、ここでパルスして治しちゃいましょう。」と言って来たのです。
ステロイドパルスとは、1日1000mgのステロイドを3日間点滴してショック療法で一気に楽にするということだそうです。
パルスの副作用を尋ねると「元気になり過ぎてしまうかもしれない」と笑顔で答えてくれました。私は、その言葉を勘違いして「それをすれば完治するかもしれないのですか?」と、聞いてしまったので「この病気に完治は無いですよ」と苦笑いされてしまいました。
このままでは娘にとって治療のストレスが増すばかりなので、もっと酷くなる前にパルスで良い状態に持って行きましょうと説得され、翌日からパルス開始ということになったのですが、なんだか納得出来ず、帰宅してからパルス治療が本当に必要なのかインターネットで調べることにしました。何時間も調べて行くうちに、ステロイドの大量投与がいかに人間の体を壊してしまうのか、まともな生活を送れなくなってしまうのかが分かってきました。
とにかくパルスを止めてもらわなくては・・・ と、翌朝一番に夫が入院病棟に連絡を入れ、パルスを止めてもらいました。娘が言っていたのですが、電話をした時間まさにパルスの点滴が始まろうとしていてインターンの先生が走って止めに来たのだそうです。ギリギリセーフでした。
後々分かってきたのですが、こちらの病院では病気にかかわらず殆どの子ども達がステロイドパスル治療をしているようです。そして何度も入退院を繰り返しているのです。
入院中、娘の具合が悪化した原因はステロイド治療が合わなかったというのもありますが、検査の時に大量の下剤を飲んだり内視鏡で潰瘍を刺激してしまったことにもあると思います。それなのに検査後の食事は普通食でした。辛いマーボ豆腐など、明らかに刺激物ではないかと思うようなメニューもありました。私たち家族が気づかなければ、娘は何も疑わずに刺激がありそうなものを食べてしまうことがあったので、後で激痛になってしまうこともありました。その度に緊急にレントゲンを撮っていたようで、入院していた1ヶ月間で6回もレントゲン検査をしていました。
入院病棟で娘の担当になっている先生は2週間から1ヶ月で移動してしまう若いインターンです。何か相談したい事があっても頼りなく、看護師さんも毎日違うので人によって対応にすごく差がありました。一番のネックは娘の主治医が週1回の外来の先生で、その他の日は一切連絡がとれないということでした。
パルスを断ったことで、主治医と今後の治療方法を決めなくてはいけなくなり、私は食事療法で様子を見てほしいとお願いしました。すると主治医は「じゃあ絶食させますか?」と言ってきたのですが、ステロイド治療を始めた娘は異常な食欲があり、食べても直ぐにお腹が空いてしまうので食間はかなりの鬱状態でした。そこで、なんとか五分粥と具なし味噌汁にしていただいて様子を見ることになりました。栄養を摂らなくてはならないので栄養ドリンクのラコールも出ましたが、かなり飲みにくく飲めない日もあったので、みるみる痩せて行きました。
その間、帰宅するとパソコンを開き、完治した人はいないのか?完治させる治療はないのか?毎日毎日必死で探しました。そして松本医院でクローン病を完治された小西竜二さんのブログにヒットしたのです。小西さんのブログには松本医院でクローン病を完治するまでの経過が丁寧に書いてありました。症状が良くなっていく中で、今まで食べる事を我慢していたものに挑戦していく姿がとても微笑ましく、娘も必ず元気になれるはずと勇気づけられました。
そして、小西さんのブログから、ようやく松本先生のホームページに辿り着いたのです。松本先生の完治理論と患者さんの手記を拝見し、胸が熱くなり「娘の病気を治せるのは松本先生しかいない」と確信出来ました。入院から2週間が経っていました。
主治医と面談の日、食事療法でCRPの値が下がったので、娘の病名は「クローン病」だと告げられました。今後の治療として再びパルス療法を勧めて来たのですが、前回断ったにも関わらず、またパルス療法を勧めてくる意図が何か分かりませんが当然断りました。でも直ぐに「じゃあ、免役抑制剤の下地をやっちゃいましょうか」と、私たちの気持ちを逆撫でするかのような発言が続いたのです。
私が、今後はステロイドを止めて漢方での治療を考えていることを話すと「この病気は漢方では治りませんが、ご両親が希望されるのなら、こちらとしては身を引くだけです」と、あっさり言われ、逆に拍子抜けしてしまいました。とにかくステロイドが経口40mgになったら退院出来るということで、あと2週間の入院になりました。主治医と話しをした翌日から看護師さんの一人が娘にクローン病の説明をするようになりました。コピーしてくれた資料には大腸を摘出して人口肛門をつける説明もありました。良かれと思っての事とは思いますが、治らない病気で上手く付き合って行かなければならないという説明は13歳の娘には酷でした。少しの希望もないからです。
ステロイドの副作用も、この頃から徐々に現れてきて、ムーンフェイス、ニキビ、鬱、そして眼圧も上がってしまいました。退院一週間前になると咳が出るようになり、日に何度も発作が起こりました。強い咳止めを出してもらっていましたが、まったく効かないのです。
退院の日が来ても本当にこのまま退院させて良いのか迷うほど、やつれ果て、目の下に出来たクマも酷いものでした。入院したことで悪化して良くなることもなく体重も1ヶ月で5kgも減っていたのです。
退院した翌日、私たちは大阪の松本医院に向かいました。これからが大変かも知れないのに、私たち親子は、松本先生の理論を何度も読んでいたので少しも不安はありませんでした。神奈川の自宅から大阪の松本医院までの道のりで、娘は何度もトイレに行きお腹を押さえてうずくまる場面もありました。
なんとか無事に松本医院に辿り着くと、すでに待合室は患者さん達でいっぱいでした。娘の咳が酷かったので時々外に出て順番を待ち、そして名前が呼ばれ親子三人で診察室に入りました。まだ40mgのステロイドを飲んでいたので、松本先生は「こんなに大量で来た人初めてや!あいつらステロイドをやめさせるつもりなんてないんや・・・」と、すごい迫力でおっしゃった後に、娘の顔の近くで「内緒やで~」と、笑わせてくださったり、久しぶりに娘の笑顔を沢山見れました。(松本先生はユーモアがあり、とても魅力的です)
ステロイドはいきなり止めることが出来ないので徐々に減量することになり、大学病院で処方してもらったその他の薬は全て止めました。もちろんペンタサもです。
そして、松本医院の漢方治療が始まりました。娘の場合、ステロイドを継続していたので治療が長引くことも覚悟していたのですが、漢方初日で良い便が出たので驚きました。酷かった咳も大青竜湯を出していただいていたので3日で良くなって行きました。高熱が出ることもなく、逆にいつもより具合が悪い時は35度台と低体温になりました。
ステロイドを減量する毎に脱力感が襲い、ヘルペスがあちらこちらで悪さをしました。ベルクスロンを飲み続けてもヘルペスは移動しながら娘を苦しめ続けたのです。殆どがヘルペスとの戦いでした。でも、この戦いに終わりがあることも分かっていたので、娘も「私の免疫、頑張っているんだね」と苦しいながらも余裕の発言もありました。
病気になって治らないと言われたものに向き合って行くのはとても悲しいことだと思います。私たちは松本理論のおかげで「娘の病気は治る病気」と理解し、根本を抑えることなく安心して病ませてあげることが出来たのだと思います。
あとは私たちの心のあり方だということも教えていただきました。今は完全にステロイドも離脱でき、食事制限することもなく大好きなカレーも食べています。それでも下痢になることはありません。娘は今年の4月に中学3年になりました。検査入院の日から約4ヶ月学校を欠席しましたが、3年に進級してからは一度も休まず元気に通っています。まだリバウンドがあると思いますが漢方を飲みながらクラススイッチするのを楽しみに待っています。
もし大学病院で治療を続けていたら、たとえ寛解と言われる時期でも慎重に暮らして行かなくてはならなかったでしょう。ステロイドも維持量を一生飲むことになると思いますし、大腸摘出手術もそう遠くない話しだったかも知れません。そして、どんなに気を付けていても再燃を繰り返すのでしょう。
私はこれ以上、悲惨な患者さんが増えてほしくないと思っています。娘がこうして良くなって来たように、松本理論に真実があることを沢山の人に知ってほしいのです。そして今苦しんでいる患者さんやご家族の方が再び幸せに暮らせる日が来ることを心から願うばかりです。