
「全身性エリトマトーデス手記」
匿名希望 30歳 2013年6月23日
19歳の時、足の血管がつまり全身性エリテマトーデスと診断される。 その時の私は、学校の忙しさと痛みでボロボロでした。
母がその当時膠原病でしたので、母が通っている大学病院で全身性エリテマトーデスと診断されました。遺伝性はないのですが母が落ち込み気落ちさせてしまいました。親不孝ものです。それから入院し、ステロイド30ミリから治療を開始し、そのときの症状は足の血栓が主な症状で薬も10ミリまで減りましたが、その後だらだらと飲み飲み続けるストレスで自分で5ミリまで減らして3~4年たった頃歩行が困難になりました。大学病院のなかをたらい回しになり、今までの通っている科から何もすることがないと言われ仕事を退職し家で療養になりました。その頃どうしていいかわからず落ち込む日々でした。
4ヵ月ほどして大学病院からもう一度検査をしたいということになり入院したところ全身性エリテマトーデスからきている脳の萎縮ということで、ステロイド60ミリから治療を開始になりました。その頃の私は、ステロイドの恐ろしさをわかってはいませんでした。
ステロイドの恐ろしさをわかったのは母を見ていたからです。母はステロイドと免疫抑制剤と大量の薬を服用していました。最初の頃、痛みはありましたが、ずっとそばにいて私にとって幸せな時間を過ごしていました。おかしくなっていったのは帯状疱疹がではじめた頃です。その後入退院を繰り返します。その時私は原因は?と聞くとわからないという答えがかえってきました。そしてあるとき母は高熱が出て入院しましたが、急変し亡くなりました。まだ1年たってないので正直手記にするのが辛くて足りないことがあるかもしれませんが、ステロイドの恐ろしさを母が命をかけて教えてくれました。
母の死に疑問があった私と父は久しぶりにパソコンをあけ、ある方の手記から松本先生にたどりつきました。父と話し合い命をかけてステロイドを辞める決意をしました。母と同じステロイドに殺されるのは嫌だと父にいいステロイドを使わない松本先生のところへ。感情が高ぶって泣きそうになりましたが松本先生は握手を何どもしてくれ励ましてくれました。医者の立場から現状で我慢しなさいと言われ続けた私にとって松本先生の言葉はとても嬉しかったです。
薬を辞めて半年になりますが、関節の痛み→アトピー→治るの繰り返しです。 足と手の皮膚がひどい状態でも血液検査がいいので松本先生のいった通りだと毎回驚いています。今は久しぶりに会った前の職場の先輩に週2からの復帰を勧められ、4年ぶりに現場に復帰できました。
まだ2ヵ月なので疲れますがこれからも病気の完治を目指して頑張っていきます。まだ途中経過のため短い手記になってしまいましたが先生方皆様にはこれからもお世話になりますどうぞこれからもよろしくお願いします。
