
「クローン病手記」
匿名希望 14歳 2013年5月11日
はじめに
息子は生後まもなくアレルギーを発症。アトピー、喘息、中耳炎と幼児期には毎日のように鼻血を出すような子供でした。0歳からテオドール、ムコダイン、ホクナリンテープ、等々書き出せばきりがないほど様々な薬を乱用していました。クローン病と診断されるまで薬の恐ろしさを全く知らずにいた私は本当に愚かな母親だったと思います。
〈息子のストレスの要因〉
この手記を書くにあたり息子に内観してもらいました。病を克服には必要不可欠な事だったからです。
①両親の不仲、喧嘩
私達夫婦は五年以上別居していた時期があり(息子が三才くらいだったと記憶しています)転勤を機に又生活を共にしたものの、夫婦中は最悪でした。溝を埋められぬまま毎日喧嘩が絶えなかったのです。息子はとにかく嫌だったと素直に話してくれました。
②三度の転校
小学生の頃、つまり6年間で三度も学校が変わり多感な幼い心は萎縮して行きました。慣れない生活、慣れない学校、両親の不仲、三度目の場所は大人でも鬱になりそうなほど毎日毎日が混沌としていました。(当分、転勤はないようなのでホッとしています)息子はクローン病になるべくしてこの病になったのだと思います。クローン病になる切掛けに一役も二役も買ってしまった私の罪は大きいでしょう。
〈発症〉
転居して3年目に入ろうとしていた2011年6月はじめ、肛門痛、高熱で近隣の病院を受診。とにかく手術を要する為、受診した病院ではどうすることも出来ず、施設の整った病院へ行くよう促され、肛門科で知らない人はいないというほど有名な病院へ行く事にしました。この時息子は座る事も歩く事も困難なほどでした。
〈手術〉
6月 肛門周囲膿瘍で膿瘍切開排膿術が施行 医師から「痔瘻でかなり深い傷がある事」「クローン病の疑いがある事」「1ヶ月後に大腸内視鏡検査の必要性」を告げられました。 息子の痔瘻は2型。(どうしてもっと早く息子の異変に気付いてあげられなかったのかと自責の念に押し潰されそうでしたが、肛門痛の自覚症状が出るまで腹痛も下痢も全くなかったのです)
すぐさま病院の片隅で「クローン病」と検索してみたところ厚生省が定める特定疾患である事が判りました。得体の知れない恐怖が襲い、絶望の海へ投げ出されたような感覚になりました。心も落ち着かないまま数日過ぎ、4日目に退院したものの全く食欲がありません。又、尋常じゃない肛門痛に苦しんでいました。
その2日後、診察の為に来院 又もや即手術、入院となったのです。今回は膿の排出を促すためにシートン挿入術が行われました。(3ヵ所にチューブを通される)癌の可能性もある事から組織細胞検査の事も告げられ、言葉を失い、医師の言葉が遥か遠いところから聞こえてくるような悪い夢でも見ているような現実なのか悪夢なのかわからずに気が付いたら息子の病室にいました。あまりこの日々の事を覚えていないのですが、結果次第では息子の未来は随分と違って来ます。眠れない日々が続きました。 結果は陰性心から安堵しました。
〈西洋医学での治療〉
痔瘻は外科、クローン病は内科で診療概要が違うことから、その病院の系列である内科の先生のところですぐに診察してもらうことになりました。その内科(別棟)は車で3分くらいにあり、こちらの別棟には入院施設がなく受診の度に車で移動しなければならない為、歩く事も座る事も困難な息子には大変辛い日々が続く事になりました。内科での診断は、重度のクローン病だろうという事でした。この日から大量の薬が処方され、服用してしまった薬を記します。
プレドニン1日6錠(朝3・昼3)、ペンタサ 500㎎ 毎食2錠、ミヤBM錠 毎食1錠、セルベックス細粒10% 毎食1錠、シプロキサン100 毎食1錠 を一週間。プレドニン1日5錠(朝3・昼2)、シプロキサン100 毎食1錠、メサラジン250 毎食4錠、ミヤBM細粒 毎食1包(何故か今回は細粒が処方されました)を一週間。
以降は、プレドニン1日4錠(朝2・昼2)、シプロキサン100 毎食1錠、メサラジン250 毎食4錠、ミヤBM錠 毎食1錠
松本医院を受診してからはこれらの毒薬を一切服用していません。
〈松本医院を知るまで〉
クローン病は絶対に治らない病気、一生この病と付き合わなければならない事、厳しい食事制限、IBDの病態と治療、ストーマ造設、病変の持続、狭窄、瘻孔、腸切除と恐ろしい記述ばかりを読むにつれ、心身共に疲れ果て全てのものから目をそむけ固く閉ざした心を自戒することにより懺悔することしかできませんでした。息子の病を受け容れられず、幾日も泣いてばかりいた私は母親として弱い人間だったのです。逃げていたのです。
薬を服用しはじめて1ヶ月が過ぎようとしていたある日、息子の将来はどうなってしまうのか、どうなって行くのか、と漠然と考える余裕が出て来ました。
携帯でクローン病と検索する事が増えていき、偶然、Twitterで「クローン病」と検索してみたところ「藁をも掴む思い」と記され松本医院のホームページのリンクが貼られていました。クローン病の論文、患者さんやその家族の方々の手記を食い入るように拝読しました。 もの凄い衝撃が身体中に駆け巡り、息子は治る!!と強く感じると共に、大きな意識の転換期に立たされ医療の実態を直視させられたのです。 2011年7月12日の事でした。
〈松本医院へ〉
7月24日 朝一で松本医院へ行きました。受付を済ませ、目や尿検査、鍼灸、手記を読んだりと慌ただしく時間は過ぎました。診察室に呼ばれ松本先生の第一声は「遠いところからご苦労さん!」だったと思います。「この世に治らん病気はない」「病気は自分で作り、自分で治すもの」息子を見て「君が治すんやで」「ストレスをかけたらあかん」松本先生は、心身一如の治療をされるのだなあと感じ身の引き締まる想いがしました。
〈治療〉
煎じ薬二種、お風呂用の煎じ薬、エルタシン軟膏、お灸、そして抗ヘルペス剤、抗生剤とリバウンドの対処もあり治療が始まりました。 煎じ薬はそれは不味いものでした。(一口試飲)息子が哀れにも思いましたが治癒のためです。仕方ありません。
翌日、今まで軟便とボソボソしていた便が見事な固形便になっていた時はあまりの嬉しさに便座の前で思わず万歳三唱をしていました。 翌々日には元に戻っていましたが、あの日の固形便の感動は忘れられません。
〈経過と採血の結果〉
( )内は基準値
*2011年7月24日(初診)
CRP(0.3以上)0.17
IgG(870~1700)1414
IgE 2052
水痘帯状ヘルペス(2.0未満)26.0
*2011年7月31日
発熱 37.7℃
排便後の肛門痛、下血、全身倦怠感 初めて抗ヘルペス剤、抗生剤服用
四日間続いた。
*2011年8月23日(二回目の採血)
CRP 0.21
IgG 1722
IgE 2717
血沈 27
*2011年9月23日
発熱 38.4℃
肛門痛、下血
37.0℃くらいの熱が10日間続いた。 息子はとにかく寝る時間が増えました。熱が出ると免疫にとって都合が良いとはこのことなのでしょう。 が、しかし、38℃以上の熱が出ると心配にもなりました。
*2011年10月16日
左肩にブツブツとおできが出来てヒリヒリと痛む。
クラススイッチしたのだと嬉しくなりました。
*2011年11月4日
CRP 0.33
IgG 1746
IgE 2984
水痘帯状ヘルペス 128.0以上
血沈 12
*2011年11月14日
発熱 37.4℃
肛門痛、下血、頭痛、肩こり
夜 37.1~37.9℃が11月22日まで続いた。
*2011年12月17日(某病院での採血結果)
CRP 1.54
アルブミン 4.9
CRPが上昇したことによりステロイド薬の増量を示唆される。
治療を次のステージへと高価な生物製剤レミケードを勧められるが、即決で断る。子供にもわかるような態度で先生の表情は一変。怪訝な口調で「レミケードをしないと治らない」といい続けていました。「何故しないのか?」と聞かれたので、副作用が怖い事と息子はこの時肝臓数値が高く脂肪肝の疑いもあった為
AST(GOT)(8~38)42
ALT(GPT)(4~43)95
ALP(110~354)429
レミケードをしたら癌になりかねない事を言いました。
そしたら先生は首を傾げながら、「副作用はそんな怖がることはない」と言うではありませんか。なんて恐ろしい事を軽々しく言葉にするのでしょう。受診日が憂鬱で仕方ありませんでした。
*2012年1月29日
CRP(0.3以下)0.17
IgG(870~1700)1904
IgE 2632
血沈 5
松本先生にお尻のゴムを取っても良いのか尋ねてみましたら、採血の結果次第との事でした。
*2012年2月はじめ
久しぶりに37.4℃の発熱
高校進学も決まり、ストレスが軽減されリバウンドが激しくなる。
2月9日、お尻が痒い。
2月11日、排便の度に呻くようになる。肛門痛、下血
2月9日~3月2日、朝37.1~37.4℃ 夜38~38.6℃発熱
3月2日、松本医院に電話。お尻のゴムを取ることに許可が出た。
*某病院の受診日
シートン除去
一悶着も二悶着もありながらゴムを取ってもらいました。先生たちの触診後の見解は、このゴムを取ったら数日後に控えている卒業式は出席出来ないかもしれない事、また直ぐにでも手術になるという事を脅されました。リバウンドで手術も必要な事はある程度受け止めています。愚かな患者の戯れ言かもしれません。(卒業式は無事に出席出来ましたし、2013年5月現在手術をすることなく元気に過ごしています)
*2012年3月5日、左手親指の関節の痛み
*2012年11月半ば~12月暮れくらいまで
排便後肛門痛。
この間に38℃以上の熱が三回出ました。平均して37.2℃以上の発熱
抗ヘルペス剤、抗生剤なしでの生活は考えられない日々でした。
*2012年3月23日
CRP 0.16
IgG 1976
IgE 2390
*2012年7月25日
CRP 0.05
IgG 1708
IgE 1756
水痘帯状ヘルペス 122.1
〈治療の中弛み〉
治療を開始してから息子は何度も何度も怠惰に陥り抜け出せない日々が続きました。漢方薬は飲み忘れるしお灸も面倒になりやめていました。歯痒さと苛立ち、そして憤り。どうして息子は逃げてばかりいるのだろう。これも親の責任。理性を制し何度も息子と話し合いました。何もしないで治癒することはないでしょう。これからの事をどう考えているのか、どうしたいのか、どうしなければならないのか、病気になってしまった本人が強い意志を持ち続けなければ完治はない。「治療に取り組まないのなら家を出て行きなさい」本心ではないものの私の心の叫びを息子にぶつけていました。私の命に代えても息子を完治させたい。そんな思いでずっと見守って来ました。息子は「西洋医学には戻らない」という強い意志だけはあったのです。その事がわかっていればもう前に進むしかありません。
典型的な付和雷同だった息子。いつも親の顔色に伺い他人と争う事を嫌い、自分を主張する事を恐れ、いつの間にか自衛意識が生まれ、自分で作ったステロイドホルモンで免疫を抑えヘルペスはあらゆる感覚神経に増殖し蔓延って行ったのですね。病気は自分の免疫の高さを誇示していると説いた松本先生に脱帽です。息子は何度も何度も挫折しかけましたが、長年蓄積された心の闇を解放しこのクローン病とうまく終止符をうつことができる日もそう遠くないと信じています。
現在の息子は二種類の煎じ薬(断痢湯、排膿散乃湯)を飲み、週に一回漢方風呂に入り、毎日お灸をして元気に暮らしています。 まだ膿がで続けていますが、寝込むことはなくなりました。またまだこれから だと思います。
松本先生、全てのスタッフの皆様、どうか息子をよろしくお願いいたします。とりとめなく長くなってしまった事をお詫びいたします。一人でも多くの方々が真実の医療に巡り合い治癒される事を心から願っています。

注目の手記・ブログ
●かあさんくまさんの松本医院のアトピー治療ブログ
(2人娘はアトピっ子。「絶対に治る!」という主治医のコトバを信じ、ステロイドや抗アレルギー剤を使わず、漢方治療をはじめました・・・)
漢方科 松本医院について
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アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。
患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。
アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。
それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。
漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。
市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。
松本医院の「なぜ」
病気とは何でしょうか?
病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。
それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。
アレルギーとは何でしょうか?
アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。
膠原病とは何でしょうか?
膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。
アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?
敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。
リウマチの患者さんの家族の皆様に
他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。
そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。
また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。