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「潰瘍性大腸炎の手記・中間報告」

 匿名希望 41歳 2009年8月

私が初めて松本医院で診察を受けて約5ヶ月が経とうとしています。先生の治療と漢方薬のおかげで現在出血する事も無く、遂に手記を書ける段階までやって来る事ができました。ここでは今までの病気の経緯と治療の効果を記します。

潰瘍性大腸炎と診断されたのは約15年前のことです。もともと便秘気味だったのですが、下痢というより粘液に血の混ざったものが出るようになったのです。この病気には色々な症状があるようで、一口で説明するのは難しいのですが、私の場合は下痢というよりたまった粘血が多く出る症状でした。症状が症状だけになかなか病院に行く勇気がなく半年ほど放置していました。

総合病院の内科を受診しましたが胃カメラを飲んだり外科に廻ったりと出血の原因はすぐに特定出来ませんでした。最終的に大腸の内視鏡検査で潰瘍性大腸炎だろうと診断されました。検査して下さった先生が見た瞬間「血便の他に腹痛や発熱があったでしょう?」と聞かれ、病気の深刻さよりも病名がわかった事にほっとしたのを覚えています。

その後内視鏡をして下さった先生が主治医となりました。当時はサラゾピリンの錠剤を服用し、暫くするとペンタサの錠剤に切り替わりました。再燃すると薬の量を増やし、症状が落ち着いてくれば薬の量を徐々に減らし緩解に持ち込むというプロセスを2~3年単位で繰り返しました。直腸型の炎症なので一度リンデロンという座薬を処方されましたがあまり効果が無く、2週間程で止めました。先生からはこの病気は完治が難しいのでうまくつきあっていかなければならない事・ペンタサは現在のところ最も一般的に使われていて副作用も少ないので心配しないで良い事などの説明を受けました。ステロイドを効果も無いのに使い続ける必要はないという考えで、「まぁそのうち治まるでしょう。それよりストレスをためないように。好きなもの何でも食べていいよ。」という感じでした。今考えればステロイドが効かなかった事は不幸中の幸いでした。

漢方薬による治療方法があることも知らされていましたが訳のわからない(スミマセン、そう思っていました)ものを飲むよりは現実に効果が現れている薬を飲み続け、3ヶ月毎の血液検査・2年に1回の内視鏡検査を受けて残りの人生を過ごす事をほぼ受け入れていました。唯一この病気は発症後10年程度で自然に治るケースがあるという記事を読んだことがあったのでかすかな希望も持っていましたが。

そんなところ2007年の年末に再燃がありいつものように薬を増やして症状を押さえ込み、3ヶ月程経った頃から徐々に薬を減らしました。すっかり慣れたものでその1年後には薬を1日2錠だけ飲めば良い状態になっていました。ところが2009年の3月頃再燃してしまったのです。完治しない病気だとは知っていましたが前回からの期間が1年程度と、非常に短くなった事にショックを覚えました。また、当時ストレスフルな状況をやっと切り抜け一段落した所で再燃してしまったのです。一般的に言われているストレスが引き金になるという時期とずれが生じた事も不思議な気がしました。今までお世話になっていた先生に対して不信感を持ったという事ではなくこの時ばかりは自分の病気が本気で嫌になりこの際何でも試してみようというほぼ捨て鉢な気分で松本医院を訪れました。

受付を終えるとそれまでの患者さんの手記を読み診察を待ちました。事前に看護士さんから説明を受け、インターネットでの評判・患者さんの手記・張り紙の内容・漢方薬の匂い・更に診察室から聞こえる先生の声などが入り混じった少々びくびくしながらの待ち時間でした。診察ではこれまでの自分の病気の経緯を説明し、また先生の今までの治療の結果をお聞きしたところ「大丈夫や。治る治る! ついでに肩こりも治してやろ。」と何ともあっさりしたお言葉を頂きました。もごもご「ヘルペス・・・」と言いながらカルテを記入されている時 そういえば問診表には書かなかったけれど何度かヘルペスが出て困った事があり、何故わかったんだろう?と不思議に思いました。先生曰く「私は医者やで。そんなもん見たらすぐわかる!」その後、血液検査を受け、見たこともない漢方薬を処方され狐につままれた気分で帰宅しました。

早速漢方薬を煎じて飲んでみました。その時処方されたのは葛根黄連黄ごん湯と断痢湯でした。相当に苦いものらしいと覚悟していましたがまさに期待を裏切らない苦さでした。手記によれば他の患者さんは翌日から下痢が止まったとか数日で明らかな改善があったなど喜びの報告を目にしましたが、私の場合それほど画期的な効果は現れませんでした。ペンタサも最初の2~3日だけ併用し、もう追加しなかった事も影響があったのかもしれません。相変わらず出血と粘血便が1日に3~4回あり、更に蕁麻疹まで出てしまいました。実はこの時まだ松本医院のHPをよく読んでおらず、免疫どころか漢方が体質に合わないのではないか、などと勝手に疑っていました。それでも次の診察までとりあえず2週間我慢してみようと思ったのです。

2週間後、血液検査の結果を頂く事も兼ねて再度診察に伺いました。血液検査自体は以前から定期的に受けていたので自分でも心配していませんでしたがヘルペスに関する項でIgGの値が突出していました。その時点では出血も止まっていなかったのでその事をお伝えすると断痢湯を(名前わかりません)の薬に替えて引き続き葛根黄連黄ごん湯を処方されました。先生によれば、薬の効果も人それぞれだし私の場合は何年もペンタサを飲用していた訳だから「そんなにすぐ効き目が表れなくて当たり前!」と言われました。正直少し失望しましたがせっかくなのでもう少し飲み続けようと思ったのです。極端な話、ペンタサをまた飲めば症状が治まる事も経験上わかっていましたし、効果がなければいつでも戻れる訳ですから。

4月の終わり頃、指摘はされたものの暫く症状が出ていなかったヘルペスが出てしまい、耳の下のリンパも腫れた感じで常に痛い状態でした。更に、蕁麻疹も程度は深刻ではありませんが頻繁に出ていました。実は子供の頃に蕁麻疹など出た事は無く、食べ物にアレルギーも無かったのですが、この病気を発症する半年ほど前に初めて蕁麻疹の症状が出たことがあります。顔が何だかかゆいな と思いハンカチで押さえたりしていたのですが鏡を見ると真っ赤なみみず腫れになっていたのです。同僚に「あ、それ蕁麻疹だわ。何かのアレルギーじゃない?」と言われ不思議に思ったものです。25歳で突然アレルギー体質になるなんて思いもよらなかったからです。今考えればこれが負の方向へのクラススイッチのオンだったのかもしれません。

ちょうどゴールデンウィークの終わる頃、松本医院で初めて診察を受けて1ヶ月後の事です。それまで特に改善も見られず相変わらず粘血便が1日に2~3回出ていたのにある日突然それが止まったのです。当日は気が付かず、翌日にそういえば昨日、トイレ行ってないかも・・・と気付いたのです。そしてなんとその日から逆に便秘になってしまったのです。この頃改めて松本医院のHPを読み返し、ヘルペス・リンパの腫れそして蕁麻疹も免疫力の好転現象の過程である事を理解しました。先生にその事をお伝えすると「大丈夫やって言うたやろ。」と軽く流されましたが・・・。引き続き漢方薬とヘルペスを抑える為の薬、そして本来の目的とは全く反対の便秘薬まで処方される事になったのです。その時点で出血の有無はわかっていなかったのですが、便秘薬の力を借りて約5日後に確かめた時には全く出血していませんでした。何の前触れもなく出血が止まった事にあっけなさも感じる程でした。

6月に久し振りに医院を訪れました。この時は通常の診察に加え、併設の鍼灸院で針とお灸の施術も受けました。鍼灸は全く初めてで少し戸惑いましたがツボに刺激を与える事で内臓の機能を高める効果が期待出来るそうです。お灸は自分でも施術が可能なので出来る限り取り入れる事を勧められると同時に鍼灸師の先生も自分で出来るようにと丁寧に色々説明して下さいました。

初めて松本医院を訪れて約5ヶ月が経ちました。幸い今のところ出血する事もなく過ごしています。しかし便の調子はやや不安定で下痢になる事もあります。アトピーもまだ表れてはいないので完治とまではいかないのでしょう。もしかするとまた再燃してしまうのでは?という恐怖感もあります。私はペンタサが特に悪い薬だとは思っていません。しかしただ症状を抑える為だけの薬よりは免疫機能を正常に戻せる薬の方がはるかに希望が持てると思いませんか?残念ながら現時点ではまだ結論は出ていませんが今後薬を絶って数年後に本当の完治のご報告が出来る事を心から望んでいます。松本先生に出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。

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