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「リウマチ性多発筋痛症」闘病手記

澤井史郎 51歳 2010年7月27日

 平成19年4月中旬、自分の身体に妙な動きにくさを感じ始めた。まるで潤滑油切れした機械になった様な気分だった。
朝目覚めてもなかなか布団から起き上がれない日が続き、5月の連休が明けると、朝目覚めると全く身体が動かせない。腕をほんの数センチ動かそうとしただけで、叫び出す程の激痛が走る。そんな状態になった。布団の上で起き上がるには、痛みを堪えながら少しずつ身体を動かし、約一時間半を要した。

 病院に行くことにした。いつもは車で一時間程の病院へ行くのだが、あまりの痛さと動きにくさのため、仕方なく地元の病院へ行った。
整形外科で診察を受け、ロキソニン(鎮痛剤)を貰って帰った。
10日後、症状には目覚しい好転が見られないまま、再び同じ病院へ行った。
医師から「これではないか」と思い当たる病名を告げられた。病名は「リウマチ性多発筋痛症」、初めて聞く病名だった。もしこの病気であれば、ステロイドを飲めば治るとのこと。ステロイドが副作用満載の薬であることは、病気に無知な自分も何となく知っていたので、その服用は拒否し、前回と同じ鎮痛剤(ロキソニン)を貰って帰った。

 さらに4日後、相変わらず症状には目覚しい好転が見られないまま、また病院へ行った。
医師からは、再びステロイドの服用を勧められた。ステロイドが効いたら「リウマチ性多発筋痛症」だとのこと。またも拒否する自分は、「何でそんなに頑なに拒否するのか。この薬を飲んで症状が治まれば、徐々に薬を減らして止めていけばよい」との医師の言葉に促され、日常生活の不自由さも手伝ってステロイドを服用することとなった。
最初は1日に15mg(5mg×3錠)の服用から始め、3日後からは1日に20mg(5mg×4錠)を服用した。ステロイドはすごい薬だった。症状は見事に抑えられた。
ここから自分とステロイドの約2年に及ぶ長い付き合いが始まることとなった。
地元病院の担当医は、リウマチ性多発筋痛症患者の診察は初めてとのことで、某大学病院にその専門医がいることを教えてくれたが、自分は引き続き地元病院での治療を申し出た。症状が治まれば、あとはステロイドを少しずつ減らしていき、ステロイドとおさらばすればいいと考えたからだ。

 ところがそうはいかなかった。ステロイドを徐々に減らし、1日の服用量が7.5mgになると再び症状がぶり返した。地元病院では、薬剤リストに5mg錠しかないために小刻みな減薬が出来ず、仕方なく専門医のいる大学病院へ紹介して貰うこととなった。平成19年10月中旬、発病からは半年が経過していた。
大学病院での担当医は、診察を受けた「免疫・膠原病内科」のトップの教授だった。
症状を抑えるため、とりあえず服用量を10mgに戻し、そこから減薬をスタートした。
担当医にステロイドについて、「この薬は症状を抑えているだけで、病気を治すことには寄与していないのですね」と尋ねたところ、「その通りです」とのこと。
次に「この病気の原因は何ですか」と尋ねたところ、「原因は不明です。この世には約三千種類の病気があるが、その中で原因の分かっている病気はほんの一握りです」とのこと。
「それでは僕の病気はどうやって治すのですか」と重ねて尋ねたところ、「自然治癒しかありません」とのこと。
担当医の答えに、「正直な人だな」との印象を持った自分の思いは、一方で「自然治癒しかないのに、何故、自身の免疫力を抑えるステロイドを服用しなければならないのか」という、素朴な疑問を黙らせてしまった。そして自分は、この素朴な疑問を黙らせてしまったことが、大きな間違いだったことに後日気づくこととなった。

 1日10mgから始まった減薬は、1日7mg位になると再び壁に突き当たり、症状をぶり返させた。しばらく経過を観るも症状は好転せず、担当医から増薬を勧められた。
地元病院でのステロイドの服用開始からは、既に1年を経過していた。その間、その副作用を監視するために、眼科への通院を続けていたが、眼の症状は思わしくなかった。白内障と共に、緑内障の症状も現れ、徐々に見えにくくなっていく自分の目に、一刻も早くステロイドとおさらばしたいとの思いは募った。
「せっかくここまで減薬したのに」と思う自分は、担当医の増薬の勧めを断り、そのまま7mgで頑張ることとし、超ミネラル水、紅豆杉、還元陶板浴、食事療法と色々試しみるのだが、どれもはかばかしい結果を得ることは出来なかった。

 また、とにかくいつも首の調子が悪く、夜寝る時には色々と試す枕が枕元に十種類程積まれ、理髪店では、顔剃りの時などにイスに付いている枕を高くして、そおっとやって貰っていた。日常、自分の首が折れてしまうのではないかと、恐怖を感じる時さえあった。
首の痛みについては、再三、担当医にも伝えていたのだが、治療する術を持たないというか、担当医の指示による整形外科での診察(レントゲン検査)結果が「異常なし」と出ていた事もあり、あまり取り合ってもらえなかった。

 担当医からは、ステロイドと併行して新たに免疫抑制剤(リウマトレックス)の服用を勧められ、一旦飲み始めたのだが、「免疫抑制剤」という言葉の響きはどうしても自分には受け容れがたく、その服用を中止した。「ステロイドでも副作用があるのに、免疫抑制剤なんてとんでもない」と思ったからだ。
そして、その間自分の言うことを聞かない患者に、怒りもせず付き合ってくれる担当医に、「高名な医師であるはずなのに優しい人だな」との印象を持った。

 平成20年12月、約7ヶ月間を1日7mgで頑張ってみたが、どうにもならなかった。
観念して担当医の増薬の勧めに応じ、10mgを服用したが、それでも思わしい結果は得られず、今度は15mgからの減薬開始となった。徐々にステロイドが効かなくなってきているのを感じた。

 1ヶ月後、眼科に通院した際、網膜剥離が見つかった。その2日前に自分の怒りで額を強打したのが原因だった。眼科医によれば、網膜が薄くなってしまっているので、強い衝撃を受けると、直ぐに網膜が剥離してしまうとのこと。
その数十日後、今度は特に衝撃を受けていないのに、又しても網膜剥離が見つかった。眼の病状は悪化の一途を辿っていた。

 大学病院の担当医からは「ステロイドは副作用が多いので、少しでも副作用の少ない免疫抑制剤に切り替えようとしていたのだ」と告げられ、とうとう免疫抑制剤を服用することとなった。
担当医の勧めてくれる「リウマトレックス」は、週に一度だけ朝夕と翌朝に服用というとても変則的な薬のため、普通の薬でも飲み忘れの多い自分には、とてもキチンとした服用は無理だと思い、同じ免疫抑制剤でも毎日服用の「プログラフ」という薬にして貰った。
免疫抑制剤はとても高価な薬だった。週に3回分のリウマトレックスでも高価なのに、プログラフは週に7回分なのでビックリする程高く、いつもの病院前の薬局で3週間分の薬代を支払うのに、持ち合わせの現金では足らずにカード払いをした。

 このプログラフがまた凄い薬だった。
当初、所要量の半分でスタートした時は、それ程でもなかったのだが、所要量を飲み始めると、以前から調子の悪かった首が痛いというか、パンパンに張った様に感じ、自分がうわついてせり上がっていく様な感覚になった。血圧を測ってみると、元来血圧は決して高い方ではなかった自分の血圧が、上が160、下が110にまで跳ね上がってしまっていた。

 眼科へ通院すると、「眼底出血している。何を飲んだのか」と言われ、そのことを大学病院の担当医にも言うのだが、プログラフを飲み続ける様に言われた。
首の具合も悪く、自分の中では、やっぱり免疫抑制剤も駄目だと思え、「このままでは薬に殺される」と思った。さりとて他にこれといったものは見あたらず、どうすればよいのかと、八方塞がりで困り果てていたところに、共に心の学びをしている仲間の安江さんが、電話をかけて来てくれた。
彼女は、長年関節リウマチに苦しんでいて、いつの間にか1級障害者にもなっていると言う。その彼女が、自分の駄目になってしまった関節を人工関節に入れ替えようと、どこの病院にしようかとインターネットで色々調べる中で、「松本医院」という開業医を見つけたという。
自分はまだ通院し出して間が無く、当初はある程度よい結果が出たら、僕(澤井)にも教えようと思っていたらしいのだが、それが何故か「もう教えてしまおう」という思いになったので、電話をくれたとのことだった。
彼女のこの心変わりが非常に有り難かった。本当に困り果てていた僕が、結果的に彼女からの電話のおかげで、プログラフの服用を、大学病院の担当医から続行を言われたわずか3日後に、中止する事が出来たからだ。

 彼女は電話の中で、自分は松本医院のホームページを読み始めた途端、涙が溢れて、食い入る様に読み込んで行ってしまったこと。その理論が本当に本物に思えること。そして何よりも、その治療を受けてみようと思うのであれば、ホームページを熟読して松本理論をよく理解し、しっかりと決意して治療を受けなくてはならないことを伝えてくれた。

 翌日、松本医院のホームページを読みふけった。前述の「大学病院の担当医へ尋ねそびれた疑問」が解けた。ステロイドや免疫抑制剤を服用する事は、その場の症状を誤魔化すだけのもので、治療と呼べる様なものではなく、むしろその正反対の事だと判った。
何故、「このような事が治療と称して公然と行われているのか」と、新たな疑問が沸き、「病気や免疫というものに対する医学界の根本的な認識が間違っているのではないか。もし、そうであるならば余りにもお粗末過ぎるし、逆に、正しく認識された上で行われているのなら、それは余りにも悪意に満ちている。業界擁護は世の常ではあるが、生命に直結する医療の場において、それがまかり通る事は非常に問題だ。」と思うと共に、「しかし、患者側の本質に目を向けずに、取りあえずその場を逃れればよいとの思いが、現在の医療を求めてしまっているのかも知れない」と思った。そして、プログラフ服用を中止した。

 2日後、松本医院に電話をした。しばらく待つと、安江さんから聞いてはいたが、本当に松本先生本人が電話に出て話を聞いてくれるので驚いた。
松本先生は、「本当に治したいのなら、自分のホームページをしっかりと読み込んで、ゴチャゴチャ言ってないで、とにかく通院してくる様に」と、「必ず直るから」と、端的に答えて下さった。

 平成21年5月24日、初めて松本医院へ通院した。
松本先生はとにかくよく喋る人だった。自分も大概よく喋る人間なのだが、その自分が全く太刀打ち出来ないと思った。でも、自分にはその人の余り綺麗とは言えない話しぶりが、とても愛すべき人に思え、何よりも本当のことを言ってくれている様に思えた。
松本先生は、鍼灸治療、漢方煎じ薬と白い錠剤(この白い錠剤は後日、ベルクスロンというヘルペスの薬であったことを知った)の服用、そして漢方薬湯の入浴を処方して下さると共に、免疫抑制剤と併行して服用していたステロイド(10mg)の7.5mgへの減薬を指示して下さった。
少しずつ減薬していたステロイドを、いきなり2.5mg減薬し、何度も壁に突き当たった7mg位の服用量にすることに、不安と期待が交錯した。

 初めての通院から2日後、仕事の関係団体の総会に出席した。折からの新型インフルエンザ流行の最中、免疫抑制剤やステロイド服用中の自分としては出席を迷ったが、自分が表彰対象に入っていたため出席することにした。
会場ではマスクが用意される物々しさの中、マスクを貰って周りの人とは距離をとって着席した。
総会が始まり暫くすると、一番近くに座る人物がマスクもせずに咳き込み始め、そのままマスクを貰うでもなく、また退席するでもなく、総会の間中延々と咳き込み続けた。
それを聞くうちに、「インフルエンザをうつされるのでは無いか」と思うと共に、本当に頭痛と気分の悪さを覚え始め、総会が終わる頃にはもうフラフラ状態で、何とか車を運転して自宅へ辿り着けたという有様だった。

 帰宅後、てっきりインフルエンザかと思いながらも、余りの気分悪さに、松本医院へ電話をした。松本先生は、「何を言うてるんや。それは、ステロイドのリバウンドや」と言われた。今日会った人物から潜伏期間1週間と言われるインフルエンザを感染し、症状が出る訳もなく、「なるほど」と思いながらも、一方では「もうリバウンドが始まったのか」と思いながら電話を切った。

 電話を切った後、かつて経験したことのない苦しさを味わった。その強烈な吐き気と頭痛は、50年間生きてきた中で経験したことのないものだった。自分というものが何処かへ吹っ飛ばされ、消えて無くなるかと思う程のとんでもない苦しさだった。苦しさの中、「このまま気絶出来たら」と思ううち、本当に気絶してしまった。
目覚めるとスッキリしていた。時計を見ると3~4時間経っている様だった。

 この強烈なリバウンドを通り過ぎた後は、特段リバウンドと思える様な変化は無いまま、週一度の通院をし、順調に減薬することが出来た。
週毎の経過は、1週目が前述の10mg→7.5mgへの減薬、2週目は5mgに減薬、3週目及び4週目は隔日交互に5mgと2.5mgに減薬、5週目は2.5mgに減薬、6週目は隔日交互に2.5mgと0mgに減薬し、7週目には服用中止。

 平成21年7月4日、今日からもうステロイドを飲まなくても大丈夫だ。この2年間を苦しんできたのが嘘の様だった。おそらく大学病院でなら服用中止には、順調にいっても半年から一年を要していたはずだ。それをたった6週間で終えてしまった。それも、前述の通院3日目の強烈なリバウンドを除いては、特段の異常も無くである。6週の間には地区の共同作業などもあったのだが難無くこなせた。

 それと特筆すべきは、折れてしまうのではないかと思う程の首の不安を、松本医院に通い始めて1~2週間で感じなくなったことだった。どれもこれも嬉しいやら何やら、正に狐に摘まれた様な気分だった。
首の痛みについては、松本先生は初診時からヘルペスウィルスに起因するものとの診断から、「ベルクスロン」というヘルペスの薬を処方して下さっていたのだが、初診時の自分には、その意味が理解出来ていなかったのだった。
ヘルペスウィルスは、そう簡単には根絶やしには出来ないものの、どんな症状が出て、どの様に向き合って行けばよいのかという事が、今ではよく判る様になった。

 減薬終了後の約1ヶ月間は全く何も起こらず、「リバウンドは通院3日目のあれだけか」、「このままあっさり直ってしまうのか」と甘く考え始めていた。田舎暮らしの自分は、地区役員のため川掃除や農業用水路補修工事で炎天下に肉体労働したのだが、その際に水分の補給を怠り尿道炎と膀胱炎を起こしてしまい、松本先生から「リウマチをなめてるんか」と大目玉を食らうというオマケまで付いてしまった。

 8月2日、減薬終了からほぼ1ヶ月後、松本先生の予告通りにリバウンドが始まった。とにかく全身がこわばって、痛くて殆ど動けなくなり、それから約1ヶ月間は、必要最低限の用事と週一度の松本医院への通院以外は、自宅で療養する日々となってしまった。
リバウンドが始まって約1週間後、正にリウマチ患者という様に、肘から指先まで腕がパンパンに腫れ上がり、24時間痛くて堪らない状態になった。最初は右手から始まり、日毎に痛い腕が入れ替わる日々が1週間程続いた。痛いと共に寒く感じるので、真夏だというのに古いフリースセーターの袖だけを切り取り、その中に腕に通して寝ていた。

 全身がこわばり痛くて仕方ないので、夜は満足に寝ることも出来ない日々が続いた。両肩が痛いので横を向いて寝ることが出来ない。下腹の足の付け根が引っ張られて痛いので、仰向いても眠れない。唯一、夜漢方薬湯に入った後、両膝の後ろに枕をあてがい膝を立てて眠ると、1時間余りは眠れた。この時間が唯一安らげる時間だった。
しかし、その後一旦目が覚めてしまうともう眠れない。そのまま明け方まで痛さに耐えながら、何とか眠れないかと苦しんでいると、明け方にはヘトヘトになって気絶する様にまた1時間余り眠れる。そんな日々が続いた。

 夜眠れないことが一番の原因だったと思うが、日を追う毎に食欲が無くなっていった。食前の漢方煎じ薬を飲むとお腹がドーンともたれて、ズーンと気持ちも落ち込むのだ。食べるのが嫌で、もう何もかも嫌になってきて、そのうち生きている事が嫌になって来るのだった。松本先生にそのことを言うと、食後に飲めばよいと言って下さり、少し楽になった。それでも、「生きている事が一番嫌だ」と、毎日そう思っていた。
自分は畳での生活をしているため、全身がこわばり、腕の上げ下ろし、曲げ伸ばしもまともに出来ない、首を含め、身体をほんの少し捻ることも出来ない状態は本当に堪えた。寝起き、立ち座り、自動車の運転、その全てが常に歯を食いしばっての連続だった。特に自動車の運転は堪えた。首が殆ど回らないので、横を見るのさえ大変で、バックするときなど生きた心地がしなかった。痛くて日常最低限しか動かないので、お尻の肉が削ぎ落ちていき、運転席のシートに座っていると直ぐにお尻が痛くなってくる。松本医院への通院電車のシートに座っても同じ調子だった。

 通院時は、階段の上り下りも大変な状態だった。普通の歩幅で歩くことが出来ず、痛い手を幽霊の様に縮こませ、小股でそおっと歩く姿は、ウルトラマンに出てくる怪獣ピグモンの様だったと思う。松本医院のあるJR高槻駅前のグルーッと回った車椅子用のスロープが、本当に有り難かった。そんな調子なので、腕の筋肉も削ぎ落ちてしまい、松本医院では鍼灸治療を受けた後、寝台の上で俯せた自分の身体を持ち上げることも出来ず、寝台からずり落ちながら身体を起こし、立ち上がるという有様だった。

 また、通院帰りが夕方のラッシュ時間と重なった時など、立っていることも辛い身体で、薬局で買った煎じ薬や薬草湯の入った大きな袋を手に提げ、座ることも出来ずに、脂汗をかきながら気絶しそうになった事もあった。手は両手共、手首と共に指の付け根から掌の中心にかけて辺りが、常にこわばって痛く、特に中指と薬指は曲がったままで伸ばせない状態だった。そんな典型的リウマチ患者の手で薬の入った大きな袋を提げ、満員電車で立っているのは本当に辛かった。そんな事があってからは、通院は朝一番にする事とした。
鍼灸治療のため週一度のペースで通院していたのだが、鍼灸の早田先生に「本当に元の様に、正座をしたり出来る様に戻れるのだろうか」と何度も尋ねていた。

 9月に入る頃、リバウンドの苦しみが少し楽になったと感じられ、ほんの少しだけ仕事も出来る様になってきたので、既に手掛けている必要最低限の仕事だけをこなす事とした。
自分の体調に点数を付けると、本来の状態を100点とし、リバウンドで最も苦しかった状態を10点とすると、やっと何とか20点という状態だった。でもその20点は、どん底の10点からは2倍の点数ということでもあった。
その後1ヶ月余り、体調は少しずつではあるが徐々によくなっていった。寝起き、立ち座り、車の運転等、日常生活には相変わらず苦痛は伴うものの、少しずつ動ける様になっていった。でも手は常に痛く思う様には使えず、他の部分より治りが遅い様に思え、本当にちゃんと直るのかと思っていた。

 10月25日だったと思う。それまでは全身あちらこちらと痛いので、そこまで気が回らなかった足の裏の痛みに思いが向き、この病気になる以前に何度か通い、結構好きだった「官足法」(足揉み健康法)の事を思い出した。自分は何事も三日坊主で、この官足法も例によって、いつの間にか止めてしまっていた。大学病院に通院していたときに、何故思い出さなかったのか自分でも不思議だったが、とにかく久しぶりに電話をし、早速翌日足揉みをして貰いに出掛けた。
これが非常によかった。久しぶりに足揉みをして貰い、とても気持ちよかったと共に、その翌週の血液検査での血沈とCRPの数値がグンと改善した。その数値を前々回(9月16日)→前回(10月6日)→今回(11月4日)として記すと、血沈が、116→100→50、CRPが、8.72→7.70→4.83という結果だった。
それと併せて、足揉みの先生のご主人の方が、正にリウマチ患者と言う様な手を見て「可哀想に」と、奥さんが足を揉んでくれているのと並行して、僕の手を時間を掛けて丁寧にマッサージして下さったのだが、これがまたよかった。そして、「痛い手を痛いからと言ってそのままにしておくと、どんどん動かなくなってしまう。毎日お風呂で丁寧にマッサージする様に」と教えて下さった。足揉みの先生は、様々な病気を持つ人々と向き合う中で培われた多くの経験値を持っておられ、その点では松本医学と通じるものがあると感じ、後日その事を松本先生に話したところ同意しておられた。勿論、それ以後の毎日は1時間の入浴中、ひたすら手のマッサージに励む事となり、足揉みの先生のところへも、週一度の松本医院への通院の帰途に立ち寄る事とした。

 この頃になると、「病気は直るんだ」と実感出来る様になり、いつも出会う人達が口々に、「元気になってよかったね」と言ってくれる度に、「まだ100点満点の45点です」と言いながらも、とても嬉しかった。「よい漢方のお医者さんに出会って」と、松本医院の話しをする機会も増えていった。

 ここまで記して、灸(やいと)の事について全く記してない事に気づいた。通院当初、リバウンドが始まるまでは勿論のこと、リバウンドが始まってからも暫くは、殆ど灸をしていなかった。原因は、リバウンドが始まった当初に、少しだけ妻にして貰ったのだがあまり上手く出来なかった事。更に大きな原因は、「何故かいつも何処かピントが外れている自分」が、例によってその重要性を認識していなかったためだ。
自分自身が、病気としっかり向き合う思いに欠けていた。松本先生からは「痛いところにどんどん灸をする様に」と度々言われていたのに、愚かで傲慢な自分は、煎じ薬と薬湯と病院での鍼灸治療で「治して貰える」と、そんな思いになってしまっていた。松本先生は常々、「病気は患者自身の免疫が治すもので、自分(松本先生)はその手助けをしているだけ」と言われるのだが、それは言い換えれば、「患者自身も病気を治す事への確たる意志を持ち、自身の免疫の手助けをしなければならない」という事であり、自分にはその思いが欠けていたと思った。

 そんな事があって以降は、毎日妻に灸に精を出して貰う事となった。結果、灸は「リウマチ(IGGの世界)をアトピー(IGEの世界)にクラススイッチさせて治す」という松本医学には欠く事の出来ない、本当に有効な治療法だと、つくづく身をもって知る事となり、「こんなに有効な治療法が、何故もっと一般に推奨され、普及しないのか」と思う。
また自分は、「患者自身も病気を治す事への確たる意志を持ち」などと言いながらも、本当に「怠惰でいい加減な人間」で、灸は勿論の事、煎じ薬作りも薬湯風呂の準備も、その殆どを妻に依存し、煎じ薬を飲む事すら妻に言われなければ忘れてしまう始末だ。
心の何処かで「病気は他人に治させるもの」と思っている様だ。事実、自分は病気を、自身の免疫と松本医院と足揉みの先生と妻に治して貰っている訳だが、病気を自分への愛と受け取るというか、肉体細胞がこの病気を通して自分に伝えようとしてくれている事に、本当の意味で気づけていないと思う。

 前述の「何故かいつも何処かピントが外れている自分」については、灸のことに限らず他の全ての事についても言える事だった。通院当初より松本先生から「発病の原因は、強いストレスによるものだと考えられるが、思い当たる事はないか」と再三尋ねられていたのだが、自分では特に思い当たる事がなかった。
しかし、通院も一年近くなる頃になって、ようやく「自分は怒りのエネルギーによって、体内でステロイドを多量に分泌し、自らの免疫力を低下させ、その後、怒りのエネルギーが一息つき、免疫力を回復させ、抗体が活性化したことにより痛みを発するようになった」という事が判った。

 自分は、松本医院を紹介してくれた安江さん達と共に、「意識の流れ」という心の学びをしている。この学びは、「私達人間は肉ではありません。本当の姿は意識であって永遠に存在するものです」という真実に目覚めるための学びだ。「心を見る」事によって、「本当の自分」を知る学びだ。もし、この手記を読んで下さる方が、学びに関心を持って下さるのなら、松本医院の待合室の本棚に備えられている「意識の流れ」の関連図書(UTAブック)を是非読んで戴きたい。関連するインターネットサイト(http://uta-book.com/index.htm)も立ち上げられているので、是非そちらもご覧戴きたい。

 自分は、この病気に出会うべくして出会っていると思う。
自分は、「自分が何者か」を知らずに生きて来たと思う。幼き頃よりそれが何かは具体的に分からぬまま、漠然と「幸せになりたい」と、一般には夢とか希望とかいう言葉で表現される様な思いを抱えながら生きてきた。その夢とか希望とかいうものによって自分は支えられて生きているし、その中にこそ自分の存在理由があると、無条件にそう思い込んできた。その思いこそが自分であると信じ、その思いを遂げたいと、それだけを願いながら生きてきた自分だった。こう書くと、前述の「怠惰でいい加減な人間」と相容れない様に思われるかもしれないが、自分は本当に「怠惰でいい加減な人間」で、努力、辛抱、継続などというものは大の苦手で、その分だけ努力はせずに自分の願いを叶えようとする思いは強いと思う。「幸せになりたい」思いの裏側には、いつもその願いが叶えられない事への怒りと怨念が伴う。そして、いつしかそんな怒りと怨念こそが自分であると信じ込む様になり、その自分が「幸せになりたい」と今も自分の中で叫び続けている。それが自分の意識の世界の実態だと思う。
「心を見る」学びを続ける中で、そんな自分の中の怒りのエネルギーに直面し、自らを発病させたと思う。

 病気は自分に自らの意識の世界を感じさせてくれた。それが自分にとっての事実だ。病気は、「肉が自分である」と信じて作り上げてしまった「偽りの自分」に、「意識が自分である」であると、「本当の自分」を感じさせてくれている。
最近松本先生が、ご自身の松本医院のホームページの中で、「病気はよいことだ」、「安心して病めばよい」と記しておられるのを見て、肉体細胞が病気を通して、自分に伝えてくれていることをキチンと受け止めて行かねばと思う。自分自身がその事を「頭で理解する」のではなく、「心で感じる」ことだと思う。その意味でやはり「病気は愛」なのだと思う。

 ここまでを記して、とりあえずは自分の闘病手記とさせて戴きたいと思います。
松本先生からは、通院当初より、現在苦しんでおられる方や今後来院される方々のために、手記を書いて欲しいと言われていたにも拘わらず、例によって「怠惰でいい加減な」自分は、今頃になってやっと手記を提出することとなりました。リバウンドに苦しんだ闘病中を含め、それ以後の事も、怠惰でいい加減な自分は、全くメモも取っていない為、キチンとした経過報告が出来ておらず、大変申し訳なく思います。
現在(平成22年7月)の病状は、自分では、「リウマチ性多発筋痛症」は70%程治癒していると思いますし、日常生活への支障は殆どなくなりつつありますが、ほぼ毎日煎じ薬作りと灸をさせられる妻には支障があると思います。毎週の通院に、時間と費用を要している事も相変わらずですが、病気の治癒に従い費用は減少してきています。
ヘルペスウィルスとの攻防(恐らくこちらの方が本来の意味での「病気」なのだと思います)は、まだ続くのだろうと思いますが、こちらの方は気長に付き合い、「安心して病めばよい」と思っています。

 自分自身まだ完治には至っておりませんが、自分の中では既に「必ず直る」との確信を得ておりますので、現在苦しんでおられる方や今後来院される方には、松本先生と共に、ご自身の肉体の免疫を信じて治療して行かれれば、「必ず直る」とお伝えしたいと思います。
自分に意識の世界の真実を伝えてくれる我が肉体細胞に感謝すると共に、松本仁幸先生及び松本医院の皆さん、足揉みの先生ご夫妻、そして、自分に松本医院の存在を伝えてくれた安江さんと我が妻に、心より感謝申し上げます。

以上

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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