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「潰瘍性大腸炎手記」

匿名希望 45歳 2012年10月31日

【1】発症

 2010年7月に、会社での定期健診で「便鮮血 陽性」という検査結果を受け取りました。これが始まりだったのかもしれません。でもそのときは出血の自覚症状もなく、「どうせ痔じゃないのかなぁ」と思っていました。 会社からは要精検の指示だったので、自宅に近い内視鏡検査を得意と宣伝しているTクリニックを受診し、11月に内視鏡検査を受けましたがそのときは 「異常なし」という診断でした。 「やっぱりちょっと切れていたとか、その程度だろう」と自分でも思いました。

 その翌年2011年7月頃、自分の便に血がついているのを見つけました。 やっぱり痔か・・・と、痔の医者に行きましたが、痔は出血するほどの状況ではない(痔とはいえない程度)と言われ、「じゃぁ、この血はなんなんだ??」と不安に。もう一度検査を受けてみようかと、10月頃にTクリニックへ行き、粘血便の症状を説明すると、「去年内視鏡やってから1年もたってないよね。 こんな短期間に出血するような状況を検査のときに僕は見逃さないよ。 自分の検査には自信を持っているから。痔だよ、痔。」と決めつけ、 痔の注入薬を処方されました。それでも内視鏡検査はやることになったのですが、看護師にもはっきりと「緊急性ないから」と指示をしたので、 検査の日程は翌年2月となりました。痔の薬は使いましたが、 日に一度の排便時は下痢ではないものの粘血便だったり通常便だったりという状況で、「痔だって言われたけど痔の薬で改善しないのはおかしい」と思い始めていました。

【2】潰瘍性大腸炎という診断と薬の副作用

 2012年2月、Tクリニックで2回目の内視鏡検査。内視鏡を挿入してすぐ、 直腸部に白い斑点のような変色がある様子が画面に映し出されました。 するとT医師は「これは潰瘍性大腸炎かもしれないなぁ」と私に聞こえるようにはっきりと口にしました。結局変色があったのは直腸部のみで、 そこから組織を採取して病理検査となりました。 検査時に聞こえた「潰瘍性大腸炎」という病名が気になったので、 ネットで調べると難病で一生治らないとか、ネガティブな記事ばかり。 「俺の体はどうなってしまったのだ、これからどうするのだ・・・」と、 かなり落ち込んでしまいました。2週間後の病理検査の結果は検査時にT医師が口にしていた「潰瘍性大腸炎」という診断でした。 T医師は病気の原因とか症状だとかを説明することはなく、「この病気は特定疾患・・・いわゆる難病指定だから、保健所に届けを出すように」という指示と、飲み薬を処方するから忘れずに飲むようにと言われただけでした。 このとき検査のために採血されたのですが、このときの検査結果ではCRP<0.3であり、正常値でした。

 このとき処方された薬は”アサコール”で、1日3回、2錠ずつ飲むようにと言われました。今では自民党の安倍晋三氏が使用して潰瘍性大腸炎の症状を抑えたと有名になった薬です。アサコールを飲み始めて1週間後、仙台のビジネスホテルに泊まっていた日の夜中に突然の腹痛が襲ってきました。 腹痛と下痢が一晩中断続的に続き、「何か食べ物にあたったか・・・?でも、 それにしては吐き気がないな・・・」などと思いながら、 ほとんど眠れずに一晩すごしました。翌朝、腹痛も多少おさまってきたので、車を運転して自宅へ帰り、日曜だったので休日診療所へ行きました。 そこでは「急性胃腸炎だろう」と言われ、栄養剤の点滴を受けて帰宅しました。この時点では37度を少し越える程度の発熱でした。

 その夜、胃腸炎の薬を飲んだもののまったく回復せず、39度を超えてきた発熱と下痢で体はフラフラでしたが、「飲み続けなければ・・・」という思いがあってアサコールは飲み続けていました。翌日、下痢も続いていたのでTクリニックへ行きましたが、T医師は「アサコールに発熱の副作用はないから。 風邪だね。」とだけ。その後も夜になると39度、昼は38度の発熱、下痢は一日中・・・という日が続きました。Tクリニックを再度受診し、インフルエンザ検査も受けましたが陰性で、発熱の原因は不明のままでした。 いったいどうなってしまったのだ・・・と不安になり、Tクリニックに行く前の行きつけだったK内科へ行き、潰瘍性大腸炎のこと、アサコールを服用し始めたことを含めて全部話しました。するとK先生はアサコールのことを調べ、「アサコールはちょっと強い薬のようだ。服用し始めてから発熱や下痢が始まっているので、薬の副作用の可能性がある。一時、服用をやめたほうがいい。」と言ってくれました。アサコールの服用をやめたら、2日程度で熱は下がってきました。 K内科で血液検査をしてもらったら。白血球数は正常範囲の上限が7800程度なのに12800と非常に多くなっていて、CRPは13.2というとんでもない値になっていました。つまり、アサコールが免疫を低下させ、何らかの菌が体内に入り込んで感染症と胃腸炎を起こしていたのだと思います。

 3月末の定期受診時、Tクリニックでアサコールの服用をやめたら熱が下がり、下痢もおさまったことを話すと、「それって本当に副作用かなぁ・・・・ 新しい薬だからよくわからないのだよ」などと無責任なことを言ってくれました。呆れてしまいます。そして、「他の飲み薬(ペンタサのことか?)も成分は似ているから、同じ状態になる可能性がある。薬をやめるわけにいかないから、今度は坐薬にしよう。」と言って、”リンデロン坐剤”が処方されました。 このときはそれ以外の説明はなく、私も再びあの高熱にうなされる恐怖から、その坐薬を使い始めました。4月末にTクリニックを定期受診した際、粘血便はあるかと聞かれたので、ないと答えると「ふぅ~ん、この薬でも効くのだ・・・・」と。またまた呆れてしまいます。T医師はどういうつもりで坐薬を処方したのだろう?彼は私の体で実験でもしようっていうのだろうか?リンデロンではアサコールのような副作用はでませんでしたが、「これってどんな薬なのだろう?」と思い、ネットで調べてみるとそこには”ステロイド剤”という表記がありました。Tクリニックでも、院外処方の薬局でもらった説明書にも”ステロイド剤”なんてことは一言もありません。黙ってステロイド剤を処方されてしまっていたわけです。5月の定期受診時に、「リンデロン坐剤はステロイドですか?」と聞くと、T医師は「そうだよ。でも、副作用が気になるほどじゃないから。君はこの程度の症状で済んで幸運と思わなきゃ。私は大腸摘出とか手術することになった人を何人も見てきたよ。」と言ってきました。 ソフトな、脅しでした。

【3】松本医院へ

 T医師の発言とだまし討ちでステロイド剤を処方されたことに腹が立ち、ネットで別の医者を探し始めました。”潰瘍性大腸炎 完治”のキーワードで検索をすると、松本医院の患者さんの手記がヒットしました。 そこから何人かの手記を読んでいくうちに、これが受けるべき治療だと思えてきました。その日のうちにリンデロン坐剤を使うのをやめ、高槻行きの予定を立て始めました。 独断でステロイド剤をやめましたが、離脱症状はなく再び粘血便が出ることもありませんでした。

 5月25日に初めて高槻へ行き、松本医院を訪ねました。 待合室にはたくさんの人がいて、他の方の手記を読みながら鍼灸と診察を待っていました。その間にもどんどん患者さんがやってきます。そのとき気づいたのは、私のような初診だけでなく、再診の患者さんが多いことです。再診を受けようということは、治療の効果を感じているからだろうと思い、うれしくなってきました。診察の順番が来て松本先生にお会いすると、優しい笑顔で「遠くからご苦労さん」と言って迎えてくれました。

 アサコールの副作用で高熱にうなされたこと、T医師の発言などを話し、 松本先生が「君はホームページを見て来たんやろ?あの中で、何がいいと思って遠くから来たんや?」と聞いてきました。私は、「他の医者は潰瘍性大腸炎は一生治らない病気だと言いますが、松本先生だけは『治る』と断言していたからです。」と答えました。すると先生は「わしはペテン師かも知れんぞ?」と言って笑いました。 私が、「他の医者は治らないって言うのだから、『治る』って言う医者に賭けてみようかと。治ったらラッキーじゃないですか。」と言うと、「ははは、おもしろいな。あんたは大丈夫や。そういう考えの人は大丈夫。潰瘍性大腸炎は治るでぇ~」と言って力強く握手をしてくれました。

 処方された漢方薬は食前用が下痢止め、食後用が腸の炎症をとるものでした。家に帰って煎じて飲むと・・・・予想通り、苦い。でも、これを飲めば治るのだと思い、毎日飲み続けました。7月中旬からは右手がガサガサに荒れて痒くなってきました。電話で松本先生に報告すると、「クラススイッチが始まったな。言ったとおりやろ!」と言ってくれました。そこから下痢止めの薬はアトピーの薬にかわりました。手の荒れには赤い軟膏を毎晩塗り続けています。 右手のアトピーはまだ続いていて、ひどくなると皮膚がひび割れのようになります。痛かったり、痒かったり。右手の指だけがむくんだ感じです。 爪もガタガタになっいてます。でも、治るのです。そう信じています。 松本医院で受ける血液検査ではCRPなども正常値で、松本先生は「あんたは元から潰瘍性大腸炎じゃないのかもしれんよ。世間の医者が一生通院させるために”特定疾患”とか言っているのや」と言ってくれます。 確かにそうかもしれないなぁと思います。 今年の職場での健康診断では便鮮血は”陰性”でしたし、下痢もありません。潰瘍性大腸炎の治療薬としてアサコールを飲んでいたときが最も症状が重い状態だったと思います。

【4】”病気を治そう”という意思

 松本医院での治療について、私なりに感じていることを。毎日、食前・食後用の漢方薬を煎じるのは、時間もかかるし大変です。値段も安くはないです。 私は東北の山形県に住んでいますので、大阪・高槻まで行くのも日帰りはできません。それでも、「自分の病気を治そう」と思い、漢方薬を作り、お灸をし、漢方風呂に入っています。高槻にも2ヶ月毎に通っています。

 松本先生は「わしが治すのやないで。あんたが病気を治すんや。わしはそれを助けるだけ。」と言います。”あんたが病気を治す”というのは”あんたの免疫が病気を治す”という意味はもちろんですが、”あんたが病気を治すという意思を持つんだよ”という意味もあるんだと思います。

 松本先生から「完治したよ」と言ってもらうまで漢方薬を飲み続けます。 赤い軟膏も塗り続けます。高槻までは電車と新幹線を乗り継いでも7時間かかります。でも、行った時には翌日一日京都で観光を楽しむことにしました。 そういう楽しみも治療を続ける気持ちにつながっているかなと思います。

 この手記が、これから治療を受けようと思う方の少しでもお役に立てたら、 と思います。

潰瘍性大腸炎手記 第2報 ~完治報告~

2013年4月3日

 前報(HPでは2012/11/6付けで掲載)では、潰瘍性大腸炎と診断され、 地元の病院で間違った診断をされてだまし討ちでステロイドを処方されたこと、松本医院のHPにたどり着いて"本当の"治療を受けたことを書きました。 その時点では、食前にアトピー用、食後に炎症を抑える漢方薬を飲んでいました。

【1】再出血

 2012年11月、ずっとなかった粘血便が出ましたが、ちょっと暴飲暴食をした後だったのでその影響かと。松本先生に電話で伝えると、すぐに出血を止める漢方を送っていただきました。それを飲んだら、すぐに粘血便はなくなりました

【2】漢方薬終了

 11月に松本医院で受けた血液検査の結果は、全て"正常値"。なかなか下がりきらなかった血沈も5以下に下がっていました。腹痛、下痢なども全く無く、年末に電話したときに松本先生から「あんたの潰瘍性大腸炎はもう治っている。漢方薬は今回で終わりにしよう」と言っていただきました。待ちに待った言葉でした。

【3】ダメ押しの内視鏡検査

 地元で私を潰瘍性大腸炎と診断した病院で、1年ぶりに大腸内視鏡検査を受けることにしました。完治した、という証を得るつもりでしたが、漢方薬を飲みきって2ヶ月近くになり、"本当に大丈夫か・・・"という不安があったのも事実です。そんな不安を持ちながら、2月25日に内視鏡検査を受けました。 1年前の検査では直腸部に白い斑点状の炎症がありましたが、今回の検査ではモニター画面にきれいなピンク色の大腸が映し出されていました。大腸全てを検査して、炎症箇所はなし。組織検査のため、前回炎症が見られた直腸部から組織を採取してその日の検査は終了しました。

 組織検査の結果を聞きに行くと、見たとおりで「異常なし」の結果でした。 その病院は私に"リンデロン"というステロイドを処方し続けていたので(全く使っていませんでしたけど)、「よく薬が効いてるね、量を半分に減らそうか」などと言ってきました。私は「リンデロン坐剤は全然使ってないので、もういりません」とはっきり言いました。医者は「え?いつから使ってないの?」とびっくりした様子。「坐薬を使ったのは最初の一ヶ月くらいだけです」というと「あ、そう薬使ってなくてこれなら、いいんじゃないか」と、医者らしくないはっきりしない言葉。「"いいんじゃない"というのは、治っているという意味ですね?」と私が聞くと、「そうだね。まれに治る人もいるのだけど・・・再燃する人もいるから」と悪あがき。これで私は、"完治"を勝ち取りました。

【4】完治

 内視鏡検査の結果を松本先生に電話で伝えると、「よかったな。わしの言ったとおりになっただろ。」と言って笑っていました。本当に、松本先生の言った通りでした。 "完治"となる間での期間は人によって違うと思います。どの段階で松本先生にたどり着いたかで大きく異なると思います。私は早いほうなのでしょう。 私も松本医院のHPにたどり着いていなかったら今でもリンデロンというステロイドを使い続けていたかもしれません。でも、松本先生を信じていけば、"完治"という喜びが待っています。ぜひ、自分の免疫で病気を治し、喜びを勝ち取ってください。

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 (2人娘はアトピっ子。「絶対に治る!」という主治医のコトバを信じ、ステロイドや抗アレルギー剤を使わず、漢方治療をはじめました・・・)

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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